2012/07/30 by Tanada

理想を現実に照らし合わせると―皖北地区の草の根NGOシリーズ (2)

俗に「山に近ければ山で生計を立て、川や海が近ければ川や海で生計を立てる」と言われるが、安徽省のような一大農業地域では、ほとんどの人が土地を唯一の生計の手段としている。この為であろうか、安徽省の農民はしばしば改革の先鋒を行く事になる。

30数年前、最初に土地請負経営権の協議書に拇印を押した小崗村の農民達が、制度改革の口火を切った。そして、14年前に皖北の阜陽市頴州区三合鎮南塘興農村の農民達は土地の権益を擁護する為、団結して北京に行き、合法的権利を守ったが、その声は全国に響き渡った。現在、権利擁護の争いは既に落ち着いたが、無事郷里に帰った農民達は今でも農村建設の中での“カニを食べる者達”(勇気をもって新しい事に挑戦してゆく人達)である。

収益のある公益

薄く霧が張り小雨の降る正月、嫌と言うほど寒さが骨身にこたえる中、鮮やかな緑の水田が少しずつ出現し始めた江淮平原の早春の光景は、この時期はまだ殺風景な華北よりずっと春の息吹きが感じられる。旧暦1月5日の翌日、筆者は予め調べておいた旅行ガイドに基づいて、開設されて間もない農村の路線バスに乗り、阜陽市郊外の孫庄路口で下車すると、傘をさした若い女性がすぐ迎えに来てくれた。彼女は北京梁漱溟郷村の建設センタ―から派遣された、南塘興農合作社の長期ボランティアの付麗さんで、案内されるまま曲がって大通りに入ると、200数メートルほど先のところに合作社の総合ビルがあった。

この白い三階建ての小さなビルは2008年に建てられた。台湾の著名なエコ建築家、謝英俊の作品で、エコ理念に基づき建築材料は全て当地のものを使い、且、村民自らが建設したものである。入ってみると気持ちのいい、爽やかで新鮮な空気が顔をなでる。ビル全体は背が高く開放的であり、そのスタイルは当地の他の建築と大きく異なり、典型的な台湾の建築スタイルだという。夏は風通しが良く涼しい。

合作社の理事長、楊雲標氏は、二階の執務室で待っていた。床には新酒の箱が何箱も置かれていた。その中の一瓶は不注意で口が欠けており、部屋中に高粱酒の香りが漂う中、太っ腹な性格の楊雲標氏はおしゃべりを始めた。

楊氏は、農民の生活を豊かにする為には儲かるビジネスチャンスを探すのが何より重要だと考えている。合作社は数年前に農村に残っている老人に編み物をさせる産業を導入することを考え、今は有機農業や農村の観光旅行産業を展開することを計画している。然し、この二年間で最も成功したのは酒造工場で収益が上がったことである。

2010年合作社は株式制の酒造工場を設立し、村内のお年寄りに古い酒造法を教えてもらいながら、当地の高粱を使った生粋の酒を醸造し、二年目の今年、その成果は実を結んだ。現在、酒の年間生産量は大体7~8トン、利益は6万元ほどに達し、株主への配当も実現している。―もっとも、資金を回収する為、株主への配当は自分たちで醸造した酒である。こうすれば資金を節約して生産を継続できる上、株主たちに酒を付き合いや贈りものに使ってもらって、口コミで評判を上げる事が出来る。事情通によれば、この酒の品質はかなり良いので、今必要なのはもっと評判を上げることだという。数日前に北京の「労働者の家」の責任者、孫恒氏は楊氏に10箱注文したが、反響が大変良かったので楊氏は冗談っぽく「NGOに宣伝・紹介してくれないか。酒のマーケットを公益圏にして、公益のために特別に供給する酒にしよう」と筆者に語った。

打ち解けて語り合っているところに、出稼ぎ先から正月で帰省している息子を連れた株主が尊敬する雲標氏を訪ねてきたかと思うと、あっという間にたくさんの人が集まり、皆で酒造工場の未来についてあれこれと想像を巡らせた。楊氏は株主に、もし増築するならまず酒の貯蔵用に地下二階建ての貯蔵室を造ろう、と言いだした。それから農村観光と連携し、過去に収穫で訪れた観光客を招待して試食会に参加してもらう事も考えている。或いは、湖北の合作社で生産している漢方用の天麻のような、他の地域の合作社の資源を相互に融通し合えば、共同で薬用酒を作ることができ、マーケットの未来は更に明るくなるという具合に。

酒造工場の他に、合作社の傘下で少額の貸付業務を行う資金互助社は、現在毎年2~3万元の利益を上げている。2005年、互助社の第一回目の利益配当時は一株14.5元だったが、現在は一株150元にもなっている。また、農業用物資の大量一括購入も主たる経営項目であり、収入源であるが、主に合作社が表に立って、種子や化学肥料等を安値でまとめ買いし、それを社員達に売る仕組みだ。またこの他に、村から出稼ぎに出る者が増える一方で、多くの土地が使われずに放置されている。合作社はたくさんの土地を借り、代わって作付けする。経験が豊富で知識が広い楊氏は、北京の「小毛驢生態農場」のモデルを参考に、借りた土地を利用した有機農場と農村観光旅行の計画を思いついた。翌日、楊氏は阜陽で“楽しい農村”を展開している村を視察し、この発想を2012年に実現させることを目指して努力しようと考えた。

広く明るい、酒の薫る執務室の中で、それぞれの収益について話しながら、楊氏は十数年前に農民を連れて権利擁護の為に北京に行き、東単付近の胡同で夜通し寝付けなかったことを思い出し、正に隔世の感を抱いた。だがそれは、時代の流れに伴う必然の成り行きであると感じていた。彼が10年前北京で会議を開いた時には、至る所に権利擁護の組織があったが、今は会議に行ってもほとんどは合作社や農村建設の発展のための組織である。当時の権利擁護組織の大部分は、それらを取り巻く環境の急速な変化に対応出来ず、方向転換に失敗して消滅してしまった。

然しながら、当時の権利擁護の闘争と現在の農村建設と、どちらがより重要かといえば、楊氏も当時の過程はやはり必要不可欠であったと感じている。当時は当時、今は今。当時は環境が劣悪で、奮起して闘わねば生存問題に関わった。困難な奮闘の過程を経験したからこそ、親や農村の人達は今の収益のある落ち着いた日々をより一層大切なものと感じる事が出来るのである。

現在の環境は当時より格段に良くなっており、最初の土地の権利擁護の訴えは後に組織として活動するようになった。当時実現しようとした目標はみな実現され、今では彼らと政府は快適に共存している。2006年、《農業専業合作社法》が国家公布され、翌年正式に施行されてから、楊氏達は最初に頴州地区の工商局に登録に行った。そこには登録用紙すらなかったが、何もトラブルは無く、その場でネット上でダウンロードした文書で登録手続きをする事が出来た。

農村の公共生活の再建

互助社から株式制の酒造工場まで、合作社の経営活動推進の目的には、収益を上げる以外にも期待している事があった。それは農民が、農村地域の人々との共同生産をすることで、それぞれの家庭から出て公共生活の道を歩み、未だに多くの人が自分の家庭の事しか省みない現状を改めて欲しいという事である。

楊氏の幼い頃は皆大変貧しかったが、村に外から物乞いがやって来る度にどの家も、お金があろうとなかろうと人々は皆饅頭や暖かいご飯をあげたものだった。然し数十年が経ち、生活物資が急速に増え、経済も次第に豊かになると同時に、他方で貧しい者も驚異的に増加しており、人と人の関係は冷たく、わだかまりも生じるようになった。それについて、改革開放30年を別の角度から見ると、ある意味では組織化の道のりであったが、元来親密に付き合ってきた村民達は散り散りになった砂の様になってしまった。多くの人は他人に対し薄情だとか言わず、自分の肉親にさえもあれこれ意見を言ったりしない。また、経済発展と共に貧富の差もますます広がって来ており、金持ちはより優位に、貧しいものはより弱い立場に立たされている。楊氏は昨年村で二人の老人の自殺者が出た事が忘れられない。この二人の老人は70才過ぎで、年老いて体は弱く、畑仕事は出来ず、働きに出る事も出来ず、子ども達は親孝行せず、新年や祭日の度に孤独と辛さを感じていき、精神的にも耐えられなくなって自ら命を絶つ選択をしたのだ。村中がこの事件で衝撃を受けた。

長年の経験から、楊氏は現状を変革するには、人々が家から外に出て一堂に会して意思疎通を図り、そして農村の公共生活を再建する事が肝要であると考えた。2010年、彼は台湾のある村を訪問し交流したが、当地の村民が“共同キッチン”という名の活動を行っているのに目がとまった。つまり、村の各家庭が交替でホストになり、他の家の者は料理持ちよりでホストとなる家に集まり、一緒に食事をするのだ。楊氏はこの方法は形式的だと感じ始め、つまらなくなったが、何回か参加してみると、テーブルを囲んで食事をすることこそが親近感が持てる最適な方法であると気が付いた。また何の隔てもなく意思疎通を図り信頼関係を築く事も出来る。こんな風に、この村の人間関係は極めて良好であった。

実は、楊氏自身の家族関係も非常に良い例である。楊家の兄弟は5人、毎年旧暦12月の母親の誕生日に子ども、孫達全員が集まって母親をお祝いするのだ。くじ引きや催し物、ゲーム等も計画し、皆が一堂に楽しく集ううちに、親しみの情はとても深くなる。楊家の5兄弟は近郊の村々の中で最も団結している家族であると、村人たちも公認しているのである。

公共生活は人と人との意思疎通や交流を図る他、人間関係の良好な一面を創り出す事も特筆すべきだ。数年前、南塘興農合作社が率先してロバート議事法を導入しようとした目的の一つがそれだ。彼らは各人の関係が平等になる事を主張している。然し、ロバート議事法は南塘で一時盛んに行われた後、現在ではもう使われなくなった。楊氏が言うには、議事法は大きな食い違いを解決する時には大変有効であるが、今の合作社の仕事はますます軌道に乗っており、皆の利益が向かうところも一致している。食い違いはどんどん少なくなってきている。共同の利益があり、ただ前進すれば良いのであり、一々採決する必要もないのである。

公共生活を再建する為に、現在合作社が組織する通常の活動はかなり豊富である。月曜日は社員の例会、水曜日は高齢者協会の活動、土曜日は文芸活動、土曜日から日曜日は更に留守番児童の為の活動がある。毎回参加する人数は多いが、楊氏が最も頭を痛めているのは、参加者が40、50才かそれ以上の年配者で、若年の新しい世代が不足していることだ。合作社の未来の発展について、彼はこの2年間、若い人材を引きつけて育成し、合作社の後方の備えにしたいとずっと考えていた。然し、これが大変難しいのだ。阜陽は出稼ぎの郷であり、村の90%の若者は出稼ぎに出ていて、皆大都市での生活様式と消費習慣に慣れてしまっている。今の生活内容や興味・趣味の対象は故郷に無く、新年や祝日を過ごす時に里帰りしても、往々にして酒を飲んだり親戚廻りをしたりするだけである。彼らにとって郷里のイメージはテレビを見たり、麻雀をしたりするところにとどまり、じっくりと語り合って交流するのは大変少なく、村の公共生活に関心を寄せるなど言わずもがなである。

合作社は如何に若者に留まってもらうかについて、ひとしきり知恵を絞った。春節に皆が帰郷する機会を利用して、この頃では多くの活動を行うようになった。賑やかに歌を歌ったりゲームをしたり抽選をする他にも、座談会や読書会等を開いたりした。合作社は感性を使ったやり方で皆の交流に力を入れ、郷里に対する認識を深めたりするよう望んだ。また、酒を飲んだり麻雀をしたりする他にも、郷里にはもう一つの生活様式がある。一緒に語り合い読書をして、共同の精神生活を営み、美しい共通の思い出を残せるという事を、実際の行動で若者に訴えることを望んだ。

勿論、出稼ぎ収入が少なくない若者を引き留めるには魅力のある就業のチャンスを与えられるかが更なる鍵となる。楊氏の言葉を借りると、若者には経済的な見返りが必要で、誰もが皆と同じであるという理想主義を要求する事は出来ない。この意味からも、合作社が酒造工場や互助社、農業用物資といった、本業以外で収益を上げるプロジェクトを始めたのは価値があるのだが、然しまだまだ不足しており、彼らは若者に見合ったプロジェクトを探さねばならない。農村観光以外に、楊氏が現在思案中なのは、国際小母牛(Heifer International)安徽事務局の農村生計プロジェクトへの申請で、より多くのプロジェクトを創設し、公益と営業収入、理想と現実をしっかりと結び付ける様、望んでいるのである。

作者:郭婷

中国発展簡報2012年春号より編集、翻訳して転載

http://www.chinadevelopmentbrief.org.cn/qikanarticleview.php?id=13101

 

翻訳:西口友紀子

校正:棚田由紀子

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