2012/05/30 by jixin

【広瀬敏通】RQの3.11 一周年シンポジウム詳細(三)

子どもたちの視点で町づくりを考え、「山学校」の文化を復活させたい

歌津てんぐのヤマ学校 蜘瀧仙人(くもたきのりと)さん

蜘瀧仙人は歌津に来てから付けた芸名、ソウルネームです。もともと蜘蛛の研究家をしていました。ボランティアセンターだけどエコビレッジをつくる活動をしていた歌津に来て、8月から子どもたちの遊び場づくりをしてきました。そして今後、自然学校にしていく取り組みをしています。

はじめに、南三陸町歌津の漁師・千葉拓さんからのメッセージを紹介します。

「大切なことは、自然の豊かさや、自然の中で生き抜くための知恵や知識であり、それを共有できる仲間がいるということに尽きると今回感じました。この3つが揃っていれば、どんな大災害が起きても人間は生き抜けると確信しました。私たちが知識や知恵を学んだ場所は浜でした。そこで友達を交えて自発的に、体験して、ものを食べて学びました。それが歌津の味であり誇りだと思っています。未来のそのまた未来の子どもたちにも、地域の味や誇りを残していくための漁師でありたいと思っています」

グループの名前は「歌津てんぐのヤマ学校」といいます。なぜ「天狗」とか「仙人」というかを説明します。ボードに、「自然」と「文化」と「災害」という3つのキーワードを書きました。自然の中に書いた恩恵と畏怖。自然は恵みでもあり脅威でもあります。三陸は山と海が非常に迫っているので、津波が来た時には山に逃げて、そこの薪を燃やして暖をとり、山の水を汲むことで生き残ることができた。そういう自然について学ぶことがコンセプトのひとつです。

次に文化です。今回、文化や伝統の技を継承してほしいという親たちの願いが強まったわけですが、同時にそれは発見でもありました。私たちの世代は、すでに継承することをやめて、伝統的な保存食の食べ方などを忘れています。たとえば被災地にはカップ麺やレトルト食品が届きますが、そればかり食べていたら長期ボランティアは病気になってしまいます。だから、地元の人がつくる漬け物などの保存食をできるだけ食べるようにしました。また、現在の拠点はキャンプ場なので、冬の雪の中、マイナス15度で、薪や練炭で暖をとりながらの暮らしを子どもたちに体験させました。すると健康が基本になって、自分にとっての発見にもなる文化を引き継いでいくということになります。

最後に災害の現場であるということです。災害は危機ですがチャンスでもある。すべての町が壊れてしまったから、町づくりを一から考え直さざるを得ない。ドラスティックに町を変えることは普通の都市ではできません。その現場で、私たちはどういう視点で復興に関わっていけるのかを考えています。

私たちが「ヤマ学校」の基本にしようと思っているのは、小学生を中心とした子どもたちの視点からの町づくりです。先ほど拓さんが、自分の子どもに食べさせる歌津の誇りとしての牡蠣をつくりたい、ちゃんと調べて、家族から家族へ安全性を伝えて牡蠣を売りたいと言っていました。それは「じゃみっ子(子ども)」、小さいけど味の濃い美味しい牡蠣です。山の恵みや川の清流が、海の下から湧き出ているのを潜って見た彼は、その素晴らしい自然ぐるみの海の豊かさを、子どもたちに伝えていきたいと思います。

子どもたちが学ぶのは「山学校」という文化です。学校をさぼって、畑の大根を抜いて味噌付けて食べるとか、勝手に漁場に潜ってアワビ獲って食べるとか、これを「山学校」すると東北では言ってきました。そのバイタリティを復活させることで、生活の力を取り返していく現場をつくりたい。先生になるのはお父さんお母さん、お祖父ちゃんお祖母ちゃんです。キャンプを行って、自然の中で生きていく技術と、災害教育、その現場で実際災害が起きた時にどのようなことが大切かを、親と一緒に学ぶというスタイルを展開したいと思っています。

伊里前川にシロウオが上がって来ますが、それを獲る伝統の漁法——―石積みを鏃のような形に置いて真ん中に網を置く——―があります。それを「シロウオまつり」というお祭りにしてきました。まだ3回目くらいですが、被災で中断しそうなところで、拓さんのお父さんが「今年もやろう」と言いました。壊れた石積みを直したり、木が倒れて汚れている川もきれいにしなければならない。元スタッフの野犬君の発案ですが、4月〜5月にそういう作業を地元の人たちと一緒にやっていこうと思っています。

今日はポン菓子をつくる機械を持ってきましたが、それを使って仮設テント商の中に駄菓子屋をつくろうと思っています。子どもにとって町にはどんな要素が必要かをリサーチすると、国語のノートが欲しい、大きなショッピングセンターがほしいという声があり、じゃあ駄菓子屋や文房具屋をつくろうということになりました。また、そこに通える道、子どもの復興ロード計画を地元の人たちと話し合っています。浜沿いの道や高架道路は全部壊れてしまい、普通の細い道路をダンプカーが走っているのが現状で、危なくて外出させられないと、学校との間をシャトルバスで送っています。子どもたちは道草も、途中で遊ぶこともできない状態が1年続いています。これをなんとかしなければならない。

リアス式海岸の土地は、好都合なことに山を越えれば隣の集落に行けます。車は浜沿いを回りますが、昔の人は山を越えていた。グリーンロードもそうですが、山の中の道はたくさんあった。今は使われなくなって荒れていますが、これを復活したら、子どもたちが山を越えて遊びに行けるじゃないかと。それはまさに「ヤマ学校」の得意領域ですね。夏のキャンプでは、薮漕ぎをして休耕田の畦道を復活させて、そこに橋を架けたりしました。大人たちが高台移転を考える時に、子どもたちも自分たちの町を考える。

そのお手伝いをしてくれる人を求めています。子どもと遊ぶのが得意な人、ものづくりが好きな人、あるいは、東京でオリエンテーションをしてくれる人などです。ぜひご協力ください。

(構成/京谷 卓)

 

中学生が成人するまで5年間、活動を継続することを目標に

リオグランデ 佐々木豊志さん

リオグランデはスペイン語で「大きな川」という意味で、大川小学校にちなんで名前をつけました。

旧河北ボランティアセンターは、石巻市河北、北上川の河口近くで活動していました。くりこま高原自然学校のプログラムで、よく北上川を下っていたので、震災後、すぐ現地に入り、塚原俊也と私で拠点を起ち上げました。 河口から3km、4km上流には、皆さんがよくご存じの大川小学校があります。全校児童108名のうち、70名の児童が亡くなり、4名が行方不明、9名の先生が亡くなっています。

私たちは早い時期に現地に入り、ガレキの片づけや泥だしを行いました。大川小学校の上流1kmには大川中学校があり、卒業式の直後に津波に襲われました。石巻のボランティアチームと協力して、体育館の泥だしもしました。 ここでは多くの中学生が妹や弟を亡くしていて、自宅に帰ると辛くて居場所がありません。RQは公民館を借りて物資の配給をしていたのですが、お手伝いにきていただいていたお父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちも、自宅に帰るのが辛いといって、夜遅くまで公民館にいらっしゃるんです。 そんな事情があり、地元のお母さんからの要望がきっかけに、子どもたちの勉強を見ることを含めながら、中学生の居場所をつくろうと学習会を始めました。子どもたちの居場所をつくるための、勉強をしない学習会です(笑)。

12月でRQの活動は終わりました。拠点にしていた公民館をお返ししましたが、今も民家を借りて活動を継続しています。 お子さんを亡くした家庭と、そうでなかった家庭、教育委員会、学校とに壁があり、私たちのようなよそ者が行って、その壁をどうこうするのは正直、難しいことです。だから私たちができることは、子どもを預かることで、笑顔を増やして、震災でできてしまった地域の人たちの壁が、少しでも解けていくといいなという願いで活動しています。 RQの1年の活動では、区長さんたちの協力を得られたことがよかったと思います。普通はよそから来て、ボランティアセンターを立ち上げることは難しいのですが、ここは「ぜひ来て下さい」とお願いされた地域です。区長さんほか親御さんからの信頼があることが強みです。弱みもあります。 大川中学校、大川小学校よりさらに上流の福地という地区があります。ここは学区が広いので、地元の小学生との関係はまだ薄いですし、福地地区以外の小学生とはつながりを持てていません。被害が大きくまだデリケートな地域なので、積極的にこちらから働きかけるのは難しいですね。

今後の活動資金についてですが、今年いっぱいはアメリケアズの助成金をいただいているので、充分活動することができます。塚原、中山、海住、3人の常勤スタッフがいるので、ボランティアを常時受け付けています。臨床心理士さんにも協力いただいています。 活動は週3回の勉強会とイベントをいくつか行いました。12月25日にはうどんづくりと餅つき、1月21日には草木染め、2月21日には味噌づくりを行いました。 くりこま高原自然学校で行っているプログラムも取り入れ、少しでも子どもの笑顔を増やそうと思っています。

この活動は中学生のこどもたちが成人するまで、つまり5年は継続してやろうと思っています。次の世代にバトンを渡せるまで続けたいので、そのための活動資金を得られるよう動いています。

(構成/渡辺朋和)

 

被災地の現状を見て、感じて、考えるためのスタディツアーをスタート

登米 浦田紗智さん

被災地は復興には程遠く、周りの応援が必要。

被災地を支援したい人はたくさんいる。

でも、両者の思いがうまく合わなくて、勘違いボランティアや被災地の自立を妨げる支援がたくさんある。

今までと違って、誰にでも、いつでもできるボランティア活動がいっぱいあるわけではない。

じゃあ私たちにはもう何もできないの?

いいえ、被災地に行って、見て、感じて、考えてください。

今、自分に何ができるか? 今までのようにボランティア活動がお膳立てされていなくても、何かできることがあるはず。

そして行動してください。

それはもしかしたら、あなたの専門性を生かした支援活動かもしれない。

地元で東北の産物を買うことかもしれない。

東北に観光で訪れることかもしれない。

東北に移住して、仕事をすることかもしれない。

誰かに手紙を書き続けることかもしれない。

東北で起業することかもしれない。

募金することかもしれない。

周りの人に東北の現状を語ることかもしれない。

きっと何かできることがあるはず。

被災地は課題が山積みの場所。でもその一方で、学びと、元気と、変化と、自然に富んだ魅了的なところ。

あなたにとっても、いいことがあるはず。

訪れてください。東北に。

そこで企画しました。被災地を学ぶ、被災地で学ぶツアー。

被災地の現状を理解し、さらなる支援を促すプログラムやツアーの企画。

被災地を学びの場とし、全国で抱える課題の気づきを得る企画を行います。

被災地で活動したことがあるRQボランティアOB・OGの経験を生かしたい。

被災地で見たもの、した経験を、これから被災地を訪れる人に語り継がれるようスタディツアーを作るプログラムを企画しました。

あなたの経験を次につなげましょう。

4月からは個人や団体を対象にスタディツアーを開催します。

皆さんと一緒につくり上げたい、ぜひご協力ください。

(構成/跡部喜美子)

 

※このスタディツアーは昨年4月から登米でボランティアを続けてきた浦田さんが個人で主催する企画です。

なお、RQ東北本部として大勢のボランティアを受け入れてきた登米は、一般社団法人RQ災害教育センターが直轄で運営する「交流センター」機能と「ハブセンター」機能を併せ持った「RQ登米復興交流センター」(仮称)という組織になることが決まりました。

 

RQのホームページより転載

http://www.rq-center.jp/news/312

 

This post is also available in: 簡体中国語

投稿記事一覧:

Facebook Twitter 微博

CATEGOLY