2012/05/14 by Matsue

映画を通して社会を変える 『北京―ゴミの城壁』

ごみ問題を扱った王久良監督のドキュメンタリーが、映画の枠を超えて政策に影響を広げている。

カメラマンとして作品の題材を探していた王久良監督は2008年、故郷の山東省を歩いていた。ところが、被写体として収めるに耐える「綺麗な」場所は見つからなかった。カメラを視線より上に向ければ建設中の鉄塔がレンズを遮り、下に向ければ地を這うビニールのごみがファインダーを覆う。気づけば、ここ20年くらいの間にプラスチック製品が増え、ごみとなって身の回りにあふれていた。

北京に戻った王監督は10月、ごみ探しの旅を始めた。高層ビルが林立し、目覚ましい経済発展を遂げている北京市の懐の中では、ごみなんて存在しないと思っていた。あのごみは、どこに行ったのだろう?自分が出したごみがどこに行くのか気にしたこともなかった王監督だが、その行方を追ってみようと思った。

カメラをかついでバイクにまたがり、家の前に来た収集車の追跡を始めた。向かった先は、ごみの山。そこから王監督の数年にわたるプロジェクトが始まった。2011年に映画『北京―ゴミの城壁』が完成し、2012年3月17日に地球環境映像祭にて日本初の上映が行われた。

Google Earthを使って俯瞰した北京の中央に位置するのは、かつて栄華を極めた紫禁城の正門があった天安門。その天安門から四方に離れること数キロ、周囲にはごみの山が拡散している。――まるで、北京を取り囲む城壁のように。『北京――ゴミの城壁』は、北京市のごみ問題を扱ったドキュメンタリーだ。題材がごみであるにも関わらず、作品には「美しいもの」が映されている。カメラマンという王監督の本性ゆえか、「美」が映し出された本作は、静かに、でも確実に心に沁みてくる。

視界をぼやかす霧の向こうに一点、小さく太陽が映る。雲が切れたら見えるはずの太陽は、汚染された大気と朝霧のためにその光が閉じ込められているように見える。

捨て置かれたごみのために汚染された河川の上を、飛行機が飛ぶ。水面に映る飛行機の小さな影は、富の象徴として上空を行く飛行機と目の前にある現実との距離を際立たせる。手作業でごみの中からわずかの資源を拾う日雇い労働者は、翼を広げて飛ぶこともできない。

「ごみ問題は、単に環境問題だけではありません。ごみ問題を扱うということは、現在の利権構造にメスを入れるようなものなのです」と王監督は口を引き締めて語る。日本でも産廃業界と暴力団が関わりあってきたように、北京でも開発業者とごみ収集業者の癒着は存在するし、スカベンジャーの暮らしも深刻で、市民の関心も薄い。当然、問題を警告する王監督の安全が脅かされる危険性もある。それでも王監督は腹をくくった。

「私は政府系のジャーナリストではありません。もし自分が見たものを作品にしたから使命は果たしたと考えるならば、私は自分の責任から逃げることになります。ごみの山は、私の想像をはるかに超えるものでした。1人の人間として、責任を果たしたいと思います」

映画に先立って写真展を開催するにあたり、王監督は広東省の連州を選んだ。題材が北京のごみ問題であるにも関わらず異なる地で開催したのは、まさに外堀を固めるためだ。中国でも南部地方のマスメディアは比較的おおらかで、社会問題に対しても報道の敷居が低い。その地で先に報道させた。

写真展の反響は大きく、『南方週末』を皮切りに、『新華社』や『人民日報』も後を追い、海外のメディアも注目するようになった。こうなったら当局も動かざるを得ない。結果、温家宝首相がごみ問題の改善を指示するという展開にまで動いた。それでも王監督は表情を緩めない。

「北京のごみ問題は、誇りを持って言いますが、作品の公開後に大きく変わったと思います。でも、ごみの山が減っても、ごみ問題がなくなったわけではないのです。ごみの本質がどういうものか、もっと探りたい。人びとの意識を変えるためにも、モノはどこから来てどこに行くのかを知らせたいと思います」と今後への抱負を口にする。

人類の長い歴史の中では、しばしば1人の行動が社会を変えてきた実例がある。同様に1つの作品が社会を変えることがあるとすれば、『北京―ゴミの城壁』は間違いなく人びとの心を動かし、北京におけるごみ問題の解決に寄与する作品だろう。

       王久良監督

(通訳:姜晋如)

文:山本 千晶 (YAMAMOTO, Chiaki)

ENVIROASIAウェブサイトより許可を得て転載

http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J12032301J

 

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