2012/04/28 by Matsue

国民総公益時代の公益マーケティング

昨年末から今年初めにかけ、筆者は身近な友人たちから公益活動に関する助言をひっきりなしに求められた。大別すると以下のような内容だ。

  •  「どこか辺鄙な農村で1年間教師をしてみたいのだが、どこにニーズがあるかな」
  • 「我が家は車を買い替えるのを止めたお金で、長期的な公益投資、たとえば貧困家庭の子供の教育費を小学校から大学まで負担するといった援助をしたいと思っている。多くの関連ウェブサイトを見たがどれも安心できないので、1対1で支援できる子どもを捜してくれないか」
  •  「ボランティア先を紹介してほしい。私のような投資家を必要としている所はどこなのか」

友人たちはみな富豪ではないが、公益活動をしたいという温かい気持ちの持ち主だ。しかし、いざやろうと思うと信用できる公益に関するエージェントを見つけられず、仕方なく自分でその気持ちの受け入れ先を捜しているという状況だ。まさに目下の公益業界の悩みを表現しているが、同時に強烈な社会的なシグナルを発しているともいえる。我々には公益活動が必要だ、国民総公益時代の到来だ、と。

2009年、マイクロブログ(微博、ウェイボー)が中国に導入されたとき、それが私たちの生活にこんなにも大きな変化をもたらそうとは、誰も予見できなかったと言えるだろう。「マイクロ公益」と命名された公益活動まで出現している。インターネットの技術を使ったプラットフォームは、人々が公益活動に気軽に参加することを可能にした。ネット公益は社会問題の存在を広く世間に伝え、問題への注目を促したばかりか、その問題に関わる個人同士を結び付けた。問題解決を探っていく過程で、すべての人が自分も公益活動の主体となれるのだと意識し始めた。

そして、社会の転換期に特有の荒削りな発展と管理という時代のなか、人々は個人の幸福感と価値の実現を重視するようになってきた。人々が公益活動をはじめる動機は、自分の利益と成長のためであり、純粋な“利他”が理由ではない。しかし、まさにそうした自己啓発と原動力が理由となっているからこそ、現在公益活動に従事している人は、より普通に、持続的に働くことができている。もちろん過去30年の富の蓄積を経て、社会的資源が日増しに豊かになってきたことも、公益活動をそれまでの団体まかせから一般市民の生活の中へと浸透させ、すべての人が自分の公益的な夢を実践する可能性を持つに至った一因だ。思いやりの気持ちを動かされたり、辛い出来事に焦りを募らせたりすることが、絶えず活動し向上する力となっていることを多くの人が感じているだろう。全国民による公益活動はブームになっているだけでなく、実力と影響力も伴っており、国民総公益とも呼べる時代がまさに始まろうとしているのだ!

現在、公益活動はさまざまな面で、まだあまり人々に身近な存在(たとえば公益活動の革新性、豊かさ、簡便性、安全性、掌握性といった点で)になっておらず、満足できるとは言いかねる状態ではあるが、それでも人々の公益活動への希求を阻害することはできない。ますます多くの企業が公益を好ましいコミュニケーションの場として認識しはじめており、PRなど他の手段と比較して、利害関係者の企業に対する好感と信任をより獲得しやすいと考えている。そのため、企業はブランド作りの際、より多くの資金を使って公益活動を行いたいと思うようになった。また、さまざまな慈善及び公益事業に関連する広告やプロモーション、PR、直接販売、資金援助の活動は迅速に盛り上がるため、公益がらみのプロモーションは大はやりだ。誰も彼もが公益活動を行う時代にあって、公益プロモーションは大発展のチャンスを迎えているが、本物の見定め方など課題も山積している。

公益プロモーションは、「コーズ・リレーテッド・マーケティング」とも称される。利害関係者とのコミュニケーションや企業の社会参画活動などと結び付けて公益プロモーションを行うことは、すでに企業が最も受け入れやすいCSRの実践手段となっている。一般的には2種類あり、ひとつは商品の販売とある特定の公益事業を結び付けて寄付を行うか、一定の割合の営業収入を寄付するタイプだ。「公益事業関連マーケティング」とも呼ばれ、農夫山泉の「0.01元公益」が典型的な例だ。もうひとつは「企業のソーシャル・マーケティング」で、ある特定行為の改善運動を企画実施する。公共衛生、安全、環境、コミュニティ福祉などの改善が目的だ。2002年にジョンソン・エンド・ジョンソンが展開した「介護業の未来のために」というキャンペーンは、称賛に値する例だろう。

国民総公益時代にあって、公益マーケティングが人々から最も非難されがちなのは、透明性と誠実さだろう。大風呂敷を広げたものの成果が乏しければ、非常に目立ち、隠れようがない。また、企業が自らの利益を過分に重視すれば、天秤のもう一方であるパートナーと受益者の利益が取るに足らないものとなり、社会的効果が大きく損なわれる上、ネットユーザーたちの非難の嵐を受け入れなければならない。つまり、資源の投入とテーマの選択から言えば、公益マーケティングには深謀熟慮が必要であり、ひととおりの実行計画と確実な資源配置が必要であるばかりか、選択した社会問題もしくはニーズを正確に把握し、理解することが必要なのである。さもなければ、ただのパフォーマンスとされ、ネット上でもつまらない連中だと拡大宣伝されるだろう。

また、こうした公益全盛時代には、公益はすべての人と関わるものになり、すべての人の潜在的ニーズとなるだろう。それゆえ、CSRを重視し持続的発展を求める今日のどの企業にとって、公益活動を、顧客・スタッフ・パートナー・政府・コミュニティの間をつなぐ新しい絆とすることができるかどうか、企業の戦略的慈善プロジェクトに顧客とコミュニティを巻き込めるかどうかは、非常に重要な問題になってくる。顧客に提供したサービスや製品がライフスタイルの向上を提唱していても、もしその中に公益の要素がなければ、一から考えを改めてほしい。公益マーケティングは以上の観点をすべて考慮に入れることが必要だ。そこにビジネスチャンスを見出し、顧客のニーズに見合った公益商品をデザインすることができたとしたら、当然それが理想の姿である。

公益マーケティングは、企業の利益と最も密接に結びつき、最も利益が見込めるCSR実践手段であるが、現在までの所、中国の発展の中ではあまり目立った存在とは言えない。しかし、公益に対する社会の認知度とニーズは絶えず高まっており、「家政婦理論」(訳注参照)を信じる企業は、公益を理解できる顧客に対し、革新的な公益マーケティングを始めることを考慮すべきだろう。同時にますます多くの公益団体(非営利団体と社会的企業)も、公益マーケティングの角度から団体のファンドレイジングと企業とのパートナーシップ問題を考慮しており、次第に理性的になるパートナー資源を企業に提供しているともいえる。国民総公益時代において、公益マーケティングは多種多彩な発展段階を迎えつつあり、誠実さと正直さを併せ持ち、透明性と互恵性を確保できるプロジェクトは大きな成功を収めるだろう。

(訳注)

郎威平教授が提唱した家政婦理論とアイスキャンデー理論は、「国が進歩すると民は退歩する」という情勢下における国有資産の流失問題を説明するのにつかわれる。

家政婦理論:我が家は汚いので、家政婦を雇って掃除させた。掃除してきれいになったら、家は彼女のものになってしまった。家政婦は言う。「私の月給は400元、私はあなたの家の美化に貢献したので、あなたの家の株を買い占めます」。我が家の価値は100万元だが、家政婦の見立てではたった2000元だ。家政婦は毎月200元出し、10か月で我が家のすべての株式を買い占めてしまった。どうしてこんなことになるのか?家政婦には信託責任がないからだ。これが、私が中国の企業を研究するなかで、最も心を痛めている問題だ。

百度百科より

http://baike.baidu.com/view/3976366.htm

 

文:明善道(北京)管理顧問有限公司 趙坤寧

翻訳:松江直子


 

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