2012/03/31 by Matsue

女性感染者の声:山女晋娃(中国山西省の娘)が平遙国際写真展に参加

2011年9月、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金) が「世界基金の中国プログラムにおける女性の参加について」という報告を発表した。中国のエイズ問題において、性別バランスは忘れられた問題であることが長期的な研究データによって明らかになったと指摘している。

  現実に、近年の中国のエイズの流行は、感染ルートの変化につれて女性化する傾向にあり、衛生部の統計によれば、毎年報告される新しい感染者の男女比率は1990年代の5:1から2009年の2.3:1になった。また、国連エイズ合同計画の中国語サイトのデータによれば、2010年8月までに報告された中国のエイズウィルス感染者累計数のうち、30.1%は女性である。

  しかし、エイズ問題の実情として、女性のエイズコミュニティ団体は数が少なく、力も弱い。2011年10月、アジア太平洋地域女性HIV陽性者ネットワーク(WAPN+)の支援のもと、全国エイズ情報資源ネットワーク(CHAIN)が、中国初となる女性感染者グループの情報リスト『紫の陽光―女性グループ連絡帳』を出版した。この薄っぺらいブックレットには、彼らが連絡を取ることができた中国全土に散らばる女性感染者グループの情報と、一人もしくは二人のボランティアによって維持されているグループなど、全部で29団体の情報が掲載されているだけだ。

  これと同様の状況なのが、官製から民間までの、エイズ予防システムにおける女性の声の弱さもしくは不在である。冒頭の報告によれば、(世界基金)中国CCM(Country Coordinating Mechanism:国別調整メカニズム)委員会のメンバーで、コミュニティ団体や感染者種類別グループから参加した代表者もしくは参加者の中に、女性はこれまでの所一人もいない。女性はもともと現代社会において相対的に弱い立場に置かれているのが現実であり、エイズ予防システムにおいても隅に追いやられている状況は、エイズ予防策の有効性及び治療とケアの有用性を高める際の重大な障害となっている。そこで、女性感染者が自ら発言できるルートと空間を広げ、彼らへのエンパワメントに切実で現実的な意義を与えるため、『山女晋娃』と題する女性感染者撮影プロジェクトが積極的な試みをおこなった。

 映像に語らせる

  2009年、北京桃色空間文化発展センター(以下、「桃色空間」)の責任者である何小培はマリー・ストープス・インターナショナル(生殖医療関連の公益団体)中国事務所が行った女性感染者の「健康な性と生殖プロジェクト」の特任専門家として山西に赴いた際、ある女性感染者グループに会った。彼女たちは皆出産適齢期で、栄養補強になるという医者の勧めに従って輸血をしたためエイズに感染し、半分以上が母子感染も起こしていた。何小培にとって、感染者はよく知った存在だった。なぜなら、彼女が2006年に書いた博士論文はエイズ感染者のリーダーを研究対象にして書いたものだったからだ。英国留学から帰国して桃色空間を一から作りあげたのも、様々な理由で片隅に追いやられた女性、たとえば女性のエイズウィルス感染者、性産業従事者、ゲイの夫を持つ妻、レズビアン、女性の両性愛者/性別移行者、障害を持つ女性、シングルマザーなどの権利を擁護したいという志があったからだ。

  人生を突然狂わされたこうした女性たちに対し、どのようなエンパワメントが彼女たちの力になるのか、何小培は調査が終了して北京に戻ってからもずっと考えていた。ちょうどこのころ、北京映画学院を卒業した袁園が桃色空間に参加し、二人はこの件についてすぐにひとつのアイディアを思いついた。これまでのやり方は、誰かが取材に行き、女性や子供の感染者を調査し、報告や論文を書いて彼女たちの声を代弁していた。私たちは、彼女らが自ら語るプロジェクトを展開できないだろうか。もし文章を書いたり、講演をしたりするのはむずかしいというなら、写真はどうだろう?撮影を学んだ袁園からすれば、映像表現も一種の権利であり、デジカメで撮影を学ぶのは簡単なことだった。

  桃色空間は、プロジェクト経費の中から一部を使い、一台500~600元のデジカメをいくつか買って山西に戻った。初め、このプロジェクトに正式な名前はなく、2010年8月の始動時は、6人の感染者とその家族をつれて海辺の農家に行った。大人にとっても子どもにとっても海に来たのは初めてだったため、カメラの研修というだけでなく、よい気晴らしにもなった。女性も子どももすぐさま使い方を覚え、一日で使えるようになった。戻ってから、彼女たちは勇んで村の様子や、家、自分、子供を撮影したが、特に病気や苦痛に焦点を当てることはせず、自分の好きなもの、面白いと思うものだけを撮った。メモリーカードがすぐに一杯になってしまった人もいた。

  2011年の春節前後、何小培と袁園は再び山西にやってきた。プロジェクトの参加者は9家庭に増えていて、9人の母親と9人の10歳前後の子どもがいた。女性たちは、最初のころのはにかみや不慣れさはどこへやら、お互いに写真を見せあい、撮影技術に関する情報交換をし、写真にまつわる物語を語った。大人も子どももこのプロジェクトにつける名前を考えてきており、にぎやかな議論ののち、「山女晋娃」という名前が決まった。9人の女性メンバーのうち4人の名前に「女」という字がはいっており、山西ではこどもたちは「娃」と呼ばれるため、この名前はぴったりで響きもいいと、大好評だった。

 平遙国際写真展

 「写っているのは、子どもの安らかな寝顔、働くお母さんの姿、収穫の喜び、休日の楽しさ、お供えのお線香や蝋燭、かまどから立ち上る煙…… 中国のエイズウィルス感染者が自ら撮影した写真を通じ、初めて自分の普段の生活を表現した。他者の視点による死や悲惨な描写は、ここにはない」―桃色空間『“山女晋娃”農村エイズ感染家庭聨合写真展』序文より

 2011年4月、袁園は再び山西に来て、彼らが撮りためた写真を見せてもらった。写真のレベルが上がり、「雑誌の表紙に使える」と思わせるものもあったことに袁は驚き、喜んだ。その後すぐ、袁は「第11回中国平遙国際写真展」が作品を募集していることを知り、参加してみることにした。申請書を提出してから、逆に気持ちが落ち着かなくなり、主催者に受け入れてほしいと願う一方、高い出展費―見積もりによれば最小ブースでも五千元、大きい所は十万元―のことが心配だった。期待と心配の中、9月中旬になり、桃色空間に主催者から出展を歓迎するとの通知が来たが、出展費については触れられていなかった。袁がすぐに電話で問い合わせた所、うれしい事実を知らされた。出展費は無料、4つのブースを提供するというのだ。

 9月9日、写真展が開幕した。古都平遙には中国全土ひいては世界各地から写真愛好者が集まり、山女晋娃のブースは、エイズウィルス感染者の権利擁護に注目する国内外の各界の人々でごったがえした。

 このプロジェクトに参加したすべての女性と子どもの一部も平遙にやってきて、写真展に参加した。自分が撮影した写真が会場に飾られているのを見て、彼女たちは嬉しいと同時に誇らしく、「これは私の、あれはあなたの作品ね!」と次々に指をさしては確認していた。

       山西2号家庭の作品『牛』

 ここ数日、何小培は、ほとんどの時間を出展者の立場でブースのフロントに立っていたのではなく、会場の目立たない場所からこっそり様子を窺っていた。人々が何を喜び、何に注目するのかを観察したかったからだ。

 ある観客が感染者に会いたいと言い出したため、一人の河北から来た感染者が立ちあがって、自分の経歴と権利を獲得してきた経験を語った。この感染者がとても健康そうで、活力に満ちた様子だったので、観客たちはとても驚いた。主流メディアの伝え方や一般人の持つありきたりな病人のイメージとは、あまりにも落差があったのだ。

 作品に対する態度の点で、観客たちは大きく二つに分かれた。専門家や学者、そして著名な写真家は作品のうちにヒューマニズムや質朴な生活といったテーマを見出し、次々と賛美のコメントを残した。そして庶民は田舎の風景の中の日常生活や楽しみといった素材がお気に入りで、蒸かしたての饅頭や、生まれたての子豚などの写真に明るい歓声を上げていた。また一部の写真愛好者は、写真の裏側にある物語にはあまり興味がないようで、撮影技術についての疑問を口にしていた。

確かに、どの写真の裏側にも物語がある

 異常な程真っ白に洗いあげられたスニーカーを履いているのは、出生と同時に感染した女の子だ。県庁所在地で高校に通っている。毎日薬を飲まなくてはならず、友達に聞かれて答えられないのが怖くて、毎日母親が決まった時刻に薬を校門まで運んでくる。母親も感染者で、娘の世話をするため、故郷の農村を離れて学校のそばに月70元で部屋を借り、袋を編む内職をして生活している。袋ひとつで0.01元、毎日およそ10元の稼ぎになる。清潔なスニーカーの裏側には、母親としての悩みも隠されている。娘は青春まっただ中、恋もしたいだろうし、友達との付き合いも必要だ。どうしたら、無事にそれらを経験させることができるのだろう?

 この家庭の写真には、父親の姿はない。人生の不幸と圧力に直面し、父親はこの家を離れるという選択をし、黙って消えた。長年音沙汰がないので、離婚しようにもサインしてもらえない。

 袁園は言う。「これには考えさせられました。母親は医者の勧めに従って輸血をすることを選び、子どもは生まれつきの感染者となるのに選択の機会などなかった。夫は別離を選択でき、隣人や観衆は彼らに平等に接することも、差別を選ぶこともできます」。これは選択にかかわる物語なのだろうか?しかし、何小培に啓発され、袁はすぐにこうした選択の裏には往々にして根深い原因があることを意識するようになった。社会制度や文化的規範が、輸血を勧めた医者、輸血を選んだ女性、家を捨てた父親にあれやこれやの選択肢を与え、知識の足りない人の心に差別の芽を芽吹かせているのだ。

 

    山西6号家庭の作品「大根を持つ少女」

どのように継続するかについての討論

 10月22日、平遙国際写真展から戻った何小培と袁園は、北京一元公社で行われた女性フォーラムの席上で、女性の権利擁護に関心を持つ十数人の参加者に上述の話をした。フォーラムの最後はグループディスカッションで、どのようにプロジェクトを継続していくかがテーマだった。

 10数分のブレーン・ストーミングの中で、国内外のさまざまな分野から参加している人たちからさらなる問いが発せられた。プロジェクトの本当の目標は何なのか?女性たちの生計や生存情況の改善、政府の政策改革と、どのように結び付けたらよいのか? こうした方向に向かって推進できる可能性はどれほどあるのか?

 ここから、彼らは多くの提案を考えた。プロジェクト自体については、こうした女性の口述史を記録し、写真の裏側にある物語のより深い掘り下げを継続することが可能だ。また感染者の実際のニーズと問題によりフォーカスし、写真の裏側に隠された物語を提示することもできる。あるいは、市場化という角度から言えば、写真を加工して販売―絵葉書、チャリティ写真集、物語を本にするなど―して感染者の利益になるようにする。またある人は、感染者の中からリーダーを育てるべきだと言った。年齢のいった女性たちにとっては可能性は低いかもしれないが、10代の子どもたちなら十分育成できる。そして、社会全体の環境から言えば、反差別事業を推進し、科学的知識を普及し、人々の思いやりの気持ちを高めることに尽力するべきだと多くの人が表明した。

 袁園は最後にこう述べた。桃色空間は次の事業を計画中で、ビデオを購入するための資金援助を募集している。ドキュメンタリーフィルムという、より直観的・立体的なやり方で感染者の物語を提示し、より多くの人に社会の深層にある意識の根源を考えてほしい。そして、もし社会が変わらなければ、すべての人が同じ運命に見舞われる可能性があることを意識してほしい、と。

出典:中国発展簡報NO.52(2011冬季刊)

作者:郭婷

http://www.cdb.org.cn/qikanarticleview.php?id=1232

翻訳:松江直子

 

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