2012/02/28 by Matsue

「残友」:慈善基金の傘下にある障害者によるハイテク企業

中国のNGO界において、ハイテク企業「残友グループ」が社会的企業の成功例として広く知られるようになって久しい。残友グループは中国国内の企業であることから、海外の社会的企業の本土化に取り組もうとしていたNGO関係者らは、多少なりとも焦りを感じているだろう。更に意外なことに、残友の創始者の鄭衛寧氏は、社会的企業とは何かさえ長い間知らなかったのだ。

「世界で第二、中国では第一」の社会的企業

「残友」は、鄭氏が40歳を過ぎて創設した会社で、今では13年の経歴を持つ。その間、数名の小さな会社から始まり、多くの苦難を経験しながら、今では数千万の資産を有するハイテク企業集団に成長した。全国各地に子会支社を持ち、ソフトウェア、アニメ、電子商取引など多くの分野に携わっている。それだけでも尊敬に値することだが、更に驚くべきことは鄭氏と彼の同僚は全員が障害者であることだ。彼らは、残友を創設する過程において、健常全者がないがしろにしてきた障害者の持つ大きな潜在能力を発揮したのだ。

今のオフィスに引っ越す前まで、残友の事務所は深セン市福田区景田北地区内のマンション内にあった。ひとフロアの廊下と部屋は全てバリアフリーのオフィス環境に改装され、各地からそこに集まった障害者が、自己の尊厳と価値を実現すべく奮闘していた。入り口には「障害があればこそ美しい」という目を引く言葉が貼られていた。これは張海迪女史が中国障害者連合会の主席を務める前に書いたもので、鄭氏の座右の銘でもある。(訳注: 張海迪は障害を持つ中国の作家)

大柄な鄭氏は、身体が不自由なため、いつも机の後ろに座り、グループ企業の様々な事務処理を行っている。タバコを吸いながら話をするのが好きで、よく響く声の持ち主だ。オフィスの壁一面の棚には、数々の栄誉賞表彰状や重要人物と一緒に写っている写真が置いてあり、空間の大半を占めている。鄭氏は表彰状や写真がもたらす虚栄を忌みきらうことはない。最近の鄭氏は軍隊を指揮する総司令官のようだ。軍隊の配置はすでに完了しており、グループ全体が鄭氏が定めた制度にしたがって維持・運営されている。残友グループは基金会を設立し、それが親会社と傘下の子会社の株を持つことによって、それぞれの公益性を担保している。

鄭氏のオフィスの両側には、彼が誇りとするグループ本社経営陣のオフィスがある。創業開始から、残友のメンバーは鄭氏を「兄貴」と呼んでいる。マスメディアにとっては、鄭氏は残友の中で一番明るく輝いている人だ。

鄭氏は、血友病患者だ。1990年代の初めに父親が亡くなった後、母親とともに武漢市から深セン市に移り住み、治療用の血液を入手できるようになった。当時深セン市は全国で唯一、献血によって十分な量の臨床用血液を供給できていた都市だった。1999年に母親が亡くなると鄭氏は大きな打撃を受け、自殺を試みたこともあった。しかし妻と娘の支えのもと、両親が遺した30万元と7人乗りの自動車1台、そして2つの住宅物件をもとでに事業を興し、「最後のひとあがき」をしようと決心した。

会社を創設するにあたっては、「同病相哀れむ」パートナーを探すべく、深セン市で名の知れた民間ボランティア団体の深セン・ボランティア連盟に電話した。同連盟の協力のもと、異なる障害を持つ5名のメンバーが「とりあえずやってみよう」という気持ちで集まった。

「行動するのに不便な点があるとしても、一旦チャンスが訪れれば決して逃さず、メンバーの流動性が低く安定性が高い。」鄭氏は、障害者をメンバーとする集団についてこのように的確な認識を持っている。後に数千万の規模に発展した後も、残友のスタッフの流失率は0.72%にとどまっている。人材が非常に安定していることは、残友グループの研究開発における専門レベルの維持に寄与している。

創業初期、鄭氏は自宅を仕事場とし節約することでコンピューターを数台購入し、新しい人生の第一歩を踏み出した。初めは、同僚を自家用車で送り迎えしていたが、その後は手間を省きガソリン代を節約するために、自宅の壁を取り壊して皆と一緒に寝起きしながら、新しいテクノロジーを習得し運用した。

1999年には、「中華障害者サービス・ネットワーク」が正式に設立された。このウェブサイトでは、リハビリ指導、結婚仲介、ネットワーキング、就職サポート、心理カウンセリング等32のインタラクティブな情報欄が設けられ、その他にも国内外の障害者にサーバーのスペースや、セカンドレベルドメイン名を無料で提供するサービスも提供された。2001年1月には株式会社が設立され、同ネットワークの各部門は全て株式会社の管理化に置かれた。これが残友グループの前身だ。

ウェブサイト立ち上げの成功によって、残友の創設者らは、自分たちにインターネット産業ブームに参入する能力と実力があることを知った。しかし、この仕事には収入といえるべきものはほとんどなく、鄭氏の母親が残した頼みの30万元も底をつきかけていた。2001年5月には、深セン市政府から特別にネットカフェの営業許可証が発行され、「愛護ネットカフェ」の経営を始めることができ、スタッフも毎月600元ほどの給料がもらえるようになった。

しかし、核心となる技術を持っていなかったため、ネット技術というボトルネックを打破することができなかった。2002年10月、李虹という名の若者が入社して初めてこの状況に変化が起きた。李虹は北京大学物理学部卒だったが、身体が不自由なためにあちこちで就職活動をしたにもかかわらず、適当なチャンスが得られていなかった。手も足も出ない状況だったときに鄭氏の誘いを受け、深センに移り残友に入ることになった。李虹は、ネット関連の技術に精通していたため、まもなく中華障害者サービス・ネットワークの運営を支えるようになり、さらに残友が歩むべきハイテクの道の方向も明確化した。李虹が率いるチームは、企業や政府のウェブサイト構築業務を請け負うようになり、収入源を開拓していった。残友の創設チームは社会的に認められるようになると、少しずつ自信と実力を積み重ねていき、クライアントからアプリケーションの開発を依頼されるようにもなった。

その後、各分野の優秀な人材が入社するようになり、国内外のハイテク関連の認証や資格も次々と取得した。業務の規模はどんどん大きくなり、最終的に今日の残友グループとなった。深セン、珠海、海南などに28の子会社と1,200余名の障害者スタッフを持ち、2010年の売上高は9,400万元余りにも達している。

この十数年間、鄭氏が最も誇りにしていることが二つある。一つは、政府の民政部門から助成金を一銭も受けていないこと。もう一つは銀行に融資を申請していないことだ。もちろんその他の形では地方政府の支持を受けてきた。例えば、残友本社や子会社のオフィス・スペースの提供を受けたり、ウェブサイト立ち上げ初期には、政府からの受託によって支えられた部分が大きい。

残友は、新しい知識経済時代における情報技術を利用して、障害者の強みや特長を十分に発揮することで、障害者の経済的な自立と自らの価値の実現を可能にした。障害者の支持と発展に寄与できる総合的なモデルを創り出したのだ。そのため残友は、「残友モデル」を複製して障害者の就職という難題を解決してほしい、という要請を各地の地方政府から数多く受けている。鄭氏は、残友一社だけでは多数の障害者の就職問題を解決することはできず、もっと多くの人の力が必要なことを認識している。残友は、「障害者のハイテク産業における就職」というモデルを編み出した。これは新しい社会的企業に対し、起業に必要な資金、ブランド運営と企業+コミュニティーの管理方式、およびバリアフリー化などのインキュベーションに必要な条件を提供し、さらに現地の産業環境をベースに現地政府の民生部門が保有している未活用資源を利用し、商業的な手段を用いて障害者のハイテク産業における就職という社会的な目的を実現するというモデルだ。残友は、「社会的企業インキュベーション事業」と名づけられたこのモデルを推進している。

残友モデルは、南都公益基金会の徐永光理事長にも高く評価されている。「残友によるイノベーションは世界的なものです。残友は中国で最も成功している社会的企業と言えますが、世界レベルで見ても非常に優秀です。バングラデシュのムハマド・ユヌス氏が創設したマイクロファイナンス機関のグラミン銀行を一番とすれば、残友は世界で二番だと言えるでしょう。」と徐理事長は言う。

残友グループという「国家級のハイテク企業」は、どのようにして社会的企業と関わりを持つようになったのだろうか。これは、2009年に鄭氏が「兄貴」の本分を発揮し、一大決心をしたことに始まる。それは、残友グループに巨大な収益をもたらすことを目的とすると同時に、非営利という特性も維持できるようにするものだった。

「鄭衛寧慈善基金会」を頂点とする「三位一体」構造

鄭氏は、中華障害者サービス・ネットワークが設立されて以来、残友は福祉という特性を持つ企業であると位置づけていた。どのような発展を遂げるにしても、障害者に貢献することが趣旨でなければならないという思いがあった。鄭氏は、残友が成長するにつれ避けて通れない問題について考えるようになった。自分がいなくなったらどうなるか。残友グループは如何に障害者を主体とする共同参加型の仕事と生活形態を維持するのか。次第に商業化されてしまうのではないか。鄭氏にはこのような心配があった。

2009年、鄭氏の健康状況が悪化した。死の瀬戸際から回復した鄭氏は、一大決心をした。弁護士の立会いのもと、自分が保有していた全ての株式を障害者のための事業に寄付し、家族には遺さないと決めたのだ。鄭氏が保有していた親会社の90%と各子会社の51%に相当する株と、「残友」および「鄭衛寧」という商標の価値を全て寄付し、具体的には非公募の基金会(訳注:一般市民に寄付を呼びかけない基金)を設立するという方法をとった。同年11月、鄭氏の個人名義で深セン市鄭衛寧慈善基金会が設立された。これは2009年、深センにおける民生事業の総合的な改革を推進するために国の民政部と深セン市政府が同意書を締結した後、初めて設立された基金でもあった。

基金会の重要な方針決定については、設立時に制定された規程をもとに、理事会が責任を負う。初代理事会のメンバーは9名で、主に残友グループと深セン・ボランティアチームのスタッフで構成され、基金会が公益という特性を維持できるようにした。株式の移譲によって鄭衛寧慈善基金会は、残友グループと各子会社の財産権の所有者となり、この二つをコントロール下に置くことになった。理事会では、鄭氏を含む各メンバーがそれぞれ同等の投票権を持っている。

この他、残友はこれまでに、いくつかの社会公益団体を設立していた。2005年に登録された深セン市情報バリアフリー化研究会、2009年9月に設立された民弁非企業組織の深セン市残友社工サービス社、および中華障害者サービスネットワーク・ボランティアチーム等だ。これらの公益団体の法廷代表者は鄭氏であり、それぞれ登録形式とサービス内容は異なるが、事業の性質と目標は同じである。それは、障害者に関連する情報と権利を保護・推進し、障害者が平等に社会参入できるように手助けすることだ。これらの公益団体と基金会、そして残友グループは、「三位一体」を成している。基金会は管理の頂点として方針決定を行い、公益団体と残友グループは発展の両翼を担う。残友グループは商業組織として障害者に一日8時間以内の仕事を提供し、公益団体は仕事以外での生活に必要なサービスを提供している。

鄭氏によれば、このような構造によって残友内部の分権が確保されている。まず基金会が「立法」を担う。企業の収益は基金会に上納され、基金会が残友グループ本社と子会社すべての経営者の人事決定権を持つ。次には残友グループの総務が「行政」にあたる。そして公益団体(深セン市情報バリアフリー化研究会、深セン市残友社工サービス社、中華障害者サービスネットワーク・ボランティアチーム等)が監督を行い、「司法」の役割を担っている。

一般的な状況下では、残友スタッフのほとんどのニーズを内部で満たすことができている。たとえば残友の深セン支社では、職場環境をバリアフリーに改装し、従業員の生活エリアも職場から一番近い宅地にある。会社でエレベーター付きの従業員宿舎を借り、必要な場所にはバリアフリー化の改修を行った。このような改善によって、障害者の仕事と生活の上でのニーズを満たすことはできるが、障害者がこのエリアから出て、現地のコミュニティーに融けこめるようになるには、まだいくらかの道のりを歩まなければならないだろう。

現在、残友のスタッフの飲食、洗濯、宿舎、車両、心理カウンセリング等のさまざまなニーズは、主に残友内部の公益団体によって満たされているが、外部の社会団体による提供も除外はしていない。関連経費は残友の基金会からの支出によってまかなわれている。

2011年5月7日に召集された鄭衛寧慈善基金会の理事会では、理事を2名追加し、計11名にまで増やすことを決定した。2名の内の一人は鄭氏の娘で、新理事長に就任。同時に鄭氏は基金会の執行理事長となったが、これは鄭氏が残友の経営陣を退き、経営陣の引継ぎがスムーズに行われるようにすることが目的だ。

基金会の曾偉秘書長によれば、これは南都公益基金会の徐永光理事長からのアドバイスによるところが大きいそうだ。徐理事長は、家族ベースの基金会は私的財産の管理にもっとも適しており、鄭衛寧慈善基金会もそのような発展をすることが好ましいと考えている。

次のステップは残友モデル

残友の将来の活動の焦点となるのは、基金会の方針決定のもと、すでに蓄積されている経験と事業のモデルを広く推進し、より多くの障害者のためになるようにすることだ。

残友の社会的企業インキュベーション・モデルでは、地方政府が事業に必要な場所にまつわる問題を解決し、残友グループが管理方式、プロジェクトや技術訓練等を提供する。協力の前提は、残友が各子会社の株式の51%を保有し、子会社の総経理は基金会とグループから派遣すること。さらにグループが子会社の資金の使い道を決定し、各子会社の従業員は70%以上が障害者であることだ。

このような事業を立ち上げる際、残友は多大な経費を支出しなければならない。特に、建物の改装やハードウェアの購入など、子会社を立ち上げるために必要な初期投資は相当な額になる。これは残友がインキュベーション・モデルを推進する上で直面している大きな難題だ。鄭氏は、積極的に外部から資金を集めるようとしているが、寄付金よりもローンや株式による資金を好んでいる。社会的企業ではあっても、収益をあげ、ローンを返済する能力がなければならないと考えているからだ。しかし誰が投資するか、という問題については目下検討中だ。

鄭氏は、資本と政府の介入には警戒心を持っている。残友における商業資本の比率が高くなりすぎれば、企業が残友を営利目的に利用しやすくなってしまうことを憂慮しているのだ。また政府が介入した場合、残友の社会的な資産が政府の財産になってしまうことも心配している。このため、鄭氏は、残友と類似の理念やミッションを持つ基金会などの公益団体が投資家となり、残友グループの株を保有することで、グループの公益的な性質を維持したいと考えている。このため現在残友と鄭氏は、南都公益基金会や友成企業家貧困扶助基金会等と話し合い、支持を要請している。

鄭氏のリーダーシップのもと、残友の「三位一体」構造のおかげで、残友という大きな組織が滞りなく稼動できている。ハイテク技術をベースに数千名の障害者に職業と生活面で新しいチャンスを提供し、障害者が尊厳ある生活を送り、発展できるように道を切り開いているのだ。このような実践は、国内における社会的企業が歩む道を模索する上で、他の公益団体の参考になるだろう。

筆者: 王輝
出典: 中国発展簡報(China Development Brief)2011年秋号
(一部抜粋・編集)

翻訳:A.K

校正:松江直子

 

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