2012/02/24 by Matsue

壹基金が深圳で登録できるまで

「2006名の孤児と障害児に一人300元ずつのお年玉を贈る。」2011年2月1日、壹基金の「大きな愛のお年玉」募金活動が深圳で予定通りに行われた。18日間で、6,385名の思いやりのある人々が、現場、ネット、銀行振り込みの方法により、子供たちのために、7万5,256元の「お年玉」を集めた。   その翌月、壹基金はこれらのお年玉を、青海玉樹二完小学校、雲南曲靖児童福利院、阿坝州児童福利院など11の機構の2006名の孤児と障害児のもとに届けた。

これは従来からの愛を捧げるプロジェクトのように見えるが、壹基金が独立公募基金に転換した後に、最初に打ち出した公募プロジェクトである。自身の独立した口座で市民からの寄付金を受け入れ、かつ、効率的に、透明性、独自性をもって運営するプロジェクトである。見たところは何ら複雑ではない基金のこの公募運営メカニズムは、3年前の壹基金には望んでも近づけない目標だった。

2007年4月、李連杰(ジェット・リー)は、映画スターとして、「壹基金、壹家人」の慈善理念を持ち、中国赤十字会と手を組んで、「中国赤十字会李連杰壹基金計画」を発動させた。独立公募基金会の資格を持っていなかった壹基金計画は、運営面において、様々な制約を受けていた。相対的に独立した運営のプラットフォームを求めて、李連杰らは2008年10月、「壹基金」計画の実行機構として、上海で、公募ではない「上海李連杰壹基金公益基金会」を設立した。

2009年末から、壹基金は、独立公募の資格への申請を試み始めた。しかし、多くの制度面の障壁により、見通しがつかないこともあった。万事休すの時、チャンスがやってきた。深圳、この中国改革開放の「実験田(パイロット実験地)」は、ふたたび中国社会改革の最前線に歩み出たのである。「先行先試(先行してまず試験的に行う)」のコンセプトの下で、深圳市は社会メカニズムのイノベーションの風に乗って、壹基金に援助の手を差し出した。

壹基金は困難に満ちた3年を経験した後、やっと生まれ変わりを迎えた。

公募基金でないために直面した困難

2011年1月11日、午後1時過ぎ、深圳市市民センターで、大きな拍手の中“深圳壹基金壹基金公益基金会”がオープンした。

その前の2010年12月3日に、深圳民政策局は“深圳壹基金”の登録申請を正式に承認した。創設者の李連杰は「1から2、2から3、3から万物が生み出される」という老子の言葉を信じているため、承認日が12月3日になるよう希望していたのである。

これを機に、壹基金は独立した公募基金会への転換に成功した。「深圳壹基金公益基金会」は3つ目の壹基金であり、以前、赤十字社に属した1つ目の壹基金計画とは違う。なぜなら、深圳壹基金公益基金会は独立法人の資格を持ち、独自の口座があり、自主的に活動を展開することができるからだ。また、深圳壹基金公益基金会は上海で設立した2つ目の非公募基金会とも違う。深圳壹基金公益基金会は正式な公募資格を持っているので、“ひとり、毎月、1元”という壱基金の資金調達理念を真に実現できる。

3つ目の壹基金の設立は、簡単なものではなかった。

2007年、壹基金が誕生した当初、李連杰は「みんなは家族、お互いに愛し、助け合うべき」という理念の下、みんなが参加でき、持続可能な公益の場を設立したいと考えた。 「壹基金の理念からすれば、それが公募の基金会になる運命は定められていた。」と中国社会科学院米国研究所前所長の資中筠は言う。また、李連杰のような自身の影響力を通じて、社会の人々に寄付活動への参加を促し、公募基金会を成立することは、欧米諸国ではとても普遍的なことだとも述べている。

しかし、《基金会管理登記条例》によると、基金会を登録する際には、“二重管理”が必要となる。すなわち、民政部での登録以外に、チャリティーの業務に関連する“業務主管団体”も必要なのである。李連杰が提唱者であっても、彼と一緒にやってくれる“主管団体”を見つけることは難しかった。

たとえ“主管団体”が見つかったとしても、公募基金会を設立する際の条件は、非公募基金会より厳しい。政府は募金活動における過当競争や不法な行為を防止するために、公募基金会に対し、一貫して“総量コントロール”の政策をとっている。清華大学公共管理学院副教授・賈西津によると、このような政策が策定されたのは、資源の分散により、資源が有効利用されなくなることを心配したからである。「言い換えれば、現存の基金会の独占的地位を保証できなくなるからだ」と賈は言う。このため、現段階では、国内の公募基金会は、政府の力を背景とした“官製基金会”が多くなっている。

以上をふまえて、李連杰は赤十字社との提携を開始し、“中国赤十字社李連杰壹基金計画”を設立した。ひとり当たり毎月1元の資金調達の理念の下、当計画が中断された時点までに、1億9千万元近くの募金が集まった。

しかし、このような提携方式は、実際に運営する際にいろいろな問題を引き起こした。

壹基金の元執行主席の周惟彦は以下のように説明した。独立した口座がないため、財務面の手続きが複雑になり、作業工程、仕事の効率性および時間面で、双方の協調が不充分になる。また、独立法人でないため、壹基金は、自身の機構と職員を有することができない。プロジェクトの展開につれて、資金調達と実行が乖離していることのデメリットもだんだん顕著になってきた。

プロジェクト実施における問題を解決するために、2008年末、2つ目の壹基金―上海李連杰壹基金公益基金会(以下、上海壹基金と省略)が設立された。上海壹基金は赤十字社と実施協定を結び、壹基金計画の実行機構になった。市民が赤十字社の口座を通して壹基金計画に募金した資金は、壹基金管理委員会の承認を得てから上海壹基金に送られ、上海壹基金が使用できるようになる。このような混合型の運営方式は、資金の使用について明確な法律の定めがなく、一部の市民からは疑いの目を向けられた。

2009年末、上海壹基金は、名実ともに筋の通った公募基金になるための申請書類を正式に民政部へ提出したが、民政部からの返事は一切なかった。

2011年3月8日、民政部長李立国は、「両会(全国人民代表大会と全国人民政治協商会議)」の開催期間中に、メディアの質問に対し、民政部が“壹基金”の設立に注目しているだけでなく、“支持”もしていると初めて認めた。しかし、李立国は、「(李連杰は)有名人として、単に自分の財産を使うだけでなく、社会の力を利用して社会公益チャリティー活動を行うにあたり、壹基金が民衆から充分な信頼を得ているのか、充分な運営管理能力を備えているのかを検討することは、民政部門が壹基金の登録申請を承認する際の当然の課題である。」と述べた。

内情をよく知る人は、「政府部門は規則に沿って物事を進める慣習があり、小学生のテストのように、答えが模範解答と同じであれば、丸をつける。」と言う。民政部に登録しようとしたら、いろいろと厳しく要求され、国の政策の制度設計を考慮しつつ、社会への影響も配慮しなければならない。だが壹基金の一部の制度は独自のものであり、現行の法規に完全に則ったものとは言えない。そのため、「民政部が壹基金の登録申請について議論する際に意見が分かれ、一部の人が疑問を提出し、技術的な問題によって申請過程が放置状態になった。」と前出の内情を知る人は言う。

2010年9月12日、李連杰は、中央テレビの番組《顔を合わせて》に出演した際に、今の壹基金は重大な危機に直面し、場合によっては、中断する恐れもあり、これは想像以上の困難な問題で、壹基金は身分証明書のない子供のようだと話した。さらに、「この3年間で、この子は少なくとも健康に成長しているし、何の問題もなかった。しかし、身分証明書を持っていない。だから、非公募基金会がどのように公募のプロジェクトを行うのか、どうやってプロジェクトを請け負うのか、法的構造がはっきりしているのかどうかなどについて、一部の人たちからますます疑問視されるようになってしまった。この人たちは中国のチャリティー事業が、より専門的、かつ透明化されることを望んでいる。」とも述べた。

李連杰の中央テレビの番組でのこの発言が、社会からの注目を集め、壹基金会は重大な危機を回避できた。

深圳からの招待

2010年11月初め、李連杰がマスコミに困難を伝えた20日後、深圳市民政局の劉潤華局長は、北京師範大学壹基金公益研究院の院長で、民政部の元役人の王振耀に電話をし、深圳で登録してはどうかという申し出を、李連杰に伝えるよう依頼した。劉局長は王に、もし李連杰が深圳に来ることを望むなら、全力でサポートすると言った。

王の回想によれば、電話に出たときには、ちょうど李連杰と北京でのイベントに参加していて、その場で彼に電話を渡したら、彼の目はぱっと輝いたそうである。

それより前の2009年12月4日、李連杰は、企業家の友人と一緒に、壹基金が公的な身分を得るための準備委員会を設立していた。その友人達には、騰訊(テンセント―IT企業)の取締役、CEOである馬化騰、阿里巴巴(アリババ―IT企業)の取締役、CEOである馬雲,招商銀行の社長である馬蔚華、蒙牛(乳製品メーカー)を起業した牛根生、そして、この度深圳壹基金の執行理事長となった王石,万通地産(不動産開発企業)の取締役の馮侖らがいた。準備委員会は幾つかの都市と連絡をとったが、どこも良い結果は出ていなかった。

電話の後、壹基金の楊鵬代表はすぐに深圳に行って、深圳市の民政局局長の劉潤華と会った。会談は4時間に渡り、その後、王石も自ら出向いて劉潤華局長と会った。

劉局長は、王に深圳の一連の新しい社会管理システムを紹介した。そして、これらのシステムが、事実上壹基金が深圳で展開するために講じられた政策的な条件であることを示した。さらに、「我々は決して気まぐれではなく、この数年来、理念も方向性も持ち、段階も踏んで一歩一歩に着実にやって来た。私を信じて。我々は絶対にやれる。」と言った。

実際に、深圳市が懸命に改革を行った5年間で、民間チャリティーの実力と市民の参加意識も急速に成長した。「現在、地方の民政部門は、活力ある公募基金がどんどん出てくることを望んでいる。寄付金額を増やすことを通じて、国営の昔からの基金会に競争のプレッシャーをかけることになるだろう」と、南都公益基金会副理事長徐永光が紹介した。

壹基金が深圳市で登録して活動をすることは、先行事例となる。民政部李立国部長は次のように言う。「基金会管理条例」により、基金会の登録権限は国家と省レベルの民政部門にある。深圳市に権限を与えてこの試みを行うのは、深圳市が計画単列市(中国の行政区分のひとつで、財政面で省政府を経由せずに中央政府と直接つながっている)であり、改革開放の前線を行く都市であり、経済体制改革と経済発展において、全国に先駆けて多くの先行経験を蓄積したからである。社会体制改革と社会管理のイノベーションに関して、「深圳は積極性があり、市の共産党委員会や市政府も重視しサポートしている。我々も彼らが幾つかの新しい経験を創りだすことを望んでいる。」

劉潤華は、「全国各地の状況はそれぞれ違って、1つのモデルで改革することは難しく、全国的な改革では抵抗に直面することも多い。もし、あるより小さな場所、とくに深圳市のような特区で試行して、経験を積むことが出来れば、全国的な改革を直接推進することができる」と言う。

この時の会談を基礎に、両者の連携の意向がまず固まった。その後、2010年11月28日、深圳壹基金は、深圳招商銀行本社ビルのテレビ会議室で理事会議を行なって、理事会、監事会と理事長を選出した。この会議によって、エコノミストの周其仁が理事長、楊鵬が秘書長、深圳市民間組織管理局長である馬宏が監事長に選ばれた。

この組織のガバナンス構造の中で、政府の役割を考えることには意味がある。壹基金の監事長を、深圳市民間組織管理局長である馬宏に委任することについて、楊鵬は、「公募基金には、独立した厳しい監督が必要である。政府から監事長を派遣してもらうのは、壹基金理事会からの求めである。」言った。

2010年12月3日午後、退勤時刻が近づいていたが、壹基金の登録審査に関する知らせはなかった。周惟彦の回想によると、その時、李連杰はこの日にはもう登録できないと覚悟していた。しかし、なんと午後5時半に、出張中の馬宏から李連杰にメールがあり、「私に任せられたことはすべてやり終えた」という一文がみんなを喜ばせた。後から知ったことだが、馬宏は飛行機の中で、書類審査を完了させたのである。

新たなる挑戦

12月3日は、全ての起点に過ぎない。正式に公募の身分を持つようになった壹基金は、組織内部のガバナンスの調整をはじめとして、資金の調達・使用や、情報の公開と透明化にいたるまで、今なおより多くの挑戦に直面している。

「以前の様々な問題は全部とてもよい言い訳ができる。体制のせいにできるのである。しかし、公募基金に転換後は、体制の原因はもう存在しない。全ての問題は、直接、壹基金自体の運営、ガバナンスのあり方を指し示すことになる。」と、賈西津は述べた。

「私はひとりの庭師であり、壹基金は一本の木である。」と劉潤華は言った。そして、「この木がちゃんと正常に成長するなら、見た目はそんなにきれいでなくても構わない。それは生態多様性であるから。でも、もし台風に吹かれ、歪んで倒れたら、私はその木を助け起こす。」と続けた。

劉潤華によれば、民政局は、壹基金の具体的なプロジェクトには干渉せず、ただ基金の後ろに立ち、正常に成長できるかどうかを見るだけであるという。劉はさらに、「正常とはどういうことか? 第一は法を守ること、第二は規則通りに物事をやること、第三は寄付者の意志に沿って資金を使用し、募集したお金を確実に公益慈善事業に用いることである。」と述べた。

劉は、壹基金をスタートに、「政府は唱導してもよいが、強制的に要求したり「必ず守るべき指標」を定めたりしない」という決まりをうちたてることを望んでいる。
壹基金は持続的な発展のプラットフォームを見つけたが、新しい問題は次々に深圳に投げかけられている。今後深圳には、民間慈善に対してさらに開放するというはっきりした計画があるのかどうか? 壹基金に続いて他の民間機構が基金会として登録しようとしたら、同様な待遇を受けられるのかどうか?

劉潤華によれば、壹基金の今後の進み方について、彼自身はタイムテーブルを持っておらず、政府の役割は“見張番”であり、壹基金という小さな木が正常に成長できる“生態環境”を維持しないといけない、とのことである。また、「民政部門の責任は、慈善事業の発展を推進することである。私たちは慈善事業に有利なあらゆる機構、個人や活動をサポートするが、最も重要なのは社会発展の方向や、社会発展の方向と一致するものを探すことである。」とも率直に述べた。

劉はさらに、「私たちにとって最も重要なのは、一種のメカニズム、一種の競争的な環境を形成し、このような競争的な環境の下で強いものが生き残り弱いものが淘汰されるようにするということである。壹基金がこの領域に入ったことで、この領域はすぐさまプレシャーと衝撃を感じている。」と語る。劉の目から見て、このような競争とプレシャーは“非常に有益”だが、もし公募基金への参入許可を直ちに徹底的に開放したら、公募事業全体には大きな変動が生じるかもしれない。ゆえに、今、開放するにあたっては、“非常に慎重“である。

劉によれば、もしある組織が壹基金に続いて申請しようとしたら、市側はきっと「ちょっと様子を見てから」と言うだろうとのことだ。「壹基金の運営状況はどうか、どんな問題があるかを見て、はっきり理解し経験をまとめてから、我々はようやく決心することができる。我々は必ず責任を持って慎重に対処していかなければならない。」

劉潤華の発言の中にあった“有序開放(秩序を守りながら開放する)”という枠組みは、北京、上海などの都市でも萌芽的に現れている。2009年9月に、中華少年児童慈善救助基金会が正式に成立し、民間の色彩が濃い全国規模の公募基金会となった。同年に、恩派公益組織発展センター(NPI)は、上海で上海公益事業発展基金会の設立を発起し、“United Way”(国際公益団体)の理念を取り入れて、寄付者と民間公益組織との間の架け橋となった。また、中国西部の農村教育とコミュニティ発展を支援している非公募基金会も、北京で公募基金会の申請手続きをしている最中であることがわかっている。

ある公益業界の人はこう指摘する。深圳の“先行”は、北京、上海のような社会建設に尽力する都市にプレシャーをもたらしている。また、都市間の競争は、事実上、民間機構の発展に、これまでは考えられなかったチャンスを大いに与える。
「深圳市における社会管理のイノベーションの経験が、全国に広まり、またその経験が各方面で重視され参考にされることを私は望んでいる。」と李立国は言った。

深圳市における社会組織の発展の社会的背景について(紹介)

近年、社会経済の発展につれて、深圳市の各種の社会組織も早いスピードで発展してきた。「発展が早く、数量が大きく、種類が多く、範囲が広い」と表現されている。2000年には、深圳市の社会組織数はわずか968だったが、2008年年末には、3,343に達し、平均の毎年の伸び率は30.7%である。2009年年末までに、深圳市で登録されている社会組織数は3,760、1万人当たりの社会組織数は3.9で、全国平均2.7を遥かに超えている。

改革開放30周年にあたり、深圳は、全国改革の「実験田」として、国家から重大な歴史的使命を引き続き担わされた。2009年、民政部は、社会組織の領域における制度イノベーションの「(民政)部(深圳)市協議」を深圳市と締結し、その後、深圳市は基金会登録管理の権利を与えられた。その指導の下で、深圳市は、すでに2つの非公募基金会を登録している。今後は、基金会の登録基準の調整、基金会登録管理の強化が、深圳の社会組織管理の重要な仕事の一つになるだろう。

文:卡納

『社会起業家』雑誌2011年3月号より

http://www.npi.org.cn/uploads/magazines/npo/2_1357_124051.pdf

背景に関する資料は同誌の別の文章「あなたとともに深く発展する(同誌編集部)」より

翻訳:王唯一、史家琪、魏文、Emily Lek

校正:南 裕子、松江直子

This post is also available in: 簡体中国語

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