2012/01/14 by Matsue

アリクン・オスマン氏と「農村学校ボランティア」

新疆ウイグル自治区ウルムチ市の税関検査所のアリクン・オスマン副所長にとって、2007年10月までは「公益」や「慈善」は抽象的な概念でしかなかった。当時オスマン氏はマイホームもマイカーもあり、家族と幸せな日々を過ごしていた。ある友人との一つの約束によって彼の生活が大きく変わるとは、その時まで予想だにしていなかった。

工事現場監督のボランティアから

オスマン氏が初めて「ボランティア」という言葉を耳にしたのは、1985年のことだった。密輸事件の調査を同僚とともに担当していたオスマン氏は、米泉県の水稲栽培ステーションで調査を行なっていた。そのとき数名の日本人が頻繁に出入りしていることに気付いたオスマン氏は、「彼らは一体何の用で来ているのですか?」と所長に尋ねた。「ボランティアだよ」と答える所長に、「ボランティアって何ですか?」とオスマン氏は興味津々で聞き返した。「ただで仕事してくれる人達だよ!」との所長の返事に対しオスマン氏は、「そんなにおいしい話があるわけありませんよ。給料や食事、住む所や交通費は誰が負担しているんですか?」と言った。所長は「給料は無し、交通費も無し。お米を一袋支給して、部屋を一室提供しただけだよ」と答えた。

オスマン氏は日記の中で次のように書いている。「所長の答えはとても簡潔なものだったが、無意識の内にボランティアとは何かを教えてくれた。このとき初めてボランティアという呼び方を知った」。その後の様々な経験を通じ、オスマン氏は次第に「ボランティア」というものに対してぼんやりとした認識を形成していった。

2007年10月末、北京の友人の周宣氏から、貧困農村地域の学校に5万人民元の寄付をしたいから、学校を選ぶ手伝いをしてくれないか、という電話があった。快く同意したオスマン氏はその後別の友人の紹介を経て、和静県和静鎮の査汗通古村第二小学校と連絡を取った。その寄付金を使って校舎の修理工事が行なわれていた最中の2008年3月29日、オスマン氏は列車に乗って小学校に赴き、休暇を利用して工事現場監督のボランティアをした。

「8日間現場監督を務め、労働者が仕事を始めれば一緒に仕事し、彼らが休みに入れば一緒に休みました。これが初めて公益事業にかかわった経験でした。痩せたし日焼けもしましたが、とても楽しい経験でした」

工事が終わる頃、オスマン氏を見送ったある村民は、「あなたの好意は、全ての村人の心に刻まれました」と少し恥ずかしそうに語り始めた。当時その村は、水不足という難題に直面していた。毎年7月、8月には周辺地域の全ての村が水の供給を待っている状態になり、時には数日間も待たなければならず、水が原因でもめごとになることもよくあった。その村民は、「村に井戸を掘ってもらえないでしょうか」とオスマン氏に頼んだのだ。

オスマン氏はその時、引き受けるとも断るとも言わなかった。「その時私は、校舎の修理はただ単に友達との約束を果たしただけのことで、井戸を掘るとなればさらに8万元は必要になるな、と考えたため、はっきりとした態度をとらなかったのです。しかしその方はがっかりしていることが見てとれました」。その後、オスマン氏が友人の周宣氏に電話した際、たまたま井戸のことが話にのぼった。思いもよらず周氏は井戸掘り事業への出資に同意し、村に予算の提出を求めたのだ。オスマン氏は、友人の暖かい心に感動して、「あなたがお金を出してくれるなら、私は労働力を提供しますよ。起工式や竣工式にも出席します」と周氏に伝えた。

2008年6月2日、オスマン氏は井戸の場所選びや起工式に参加し、その後井戸は完成し水が出るようになった。竣工式の当日、村民らはまるでお祭りのように祝い、各家庭が10元ずつ出し合い、数百人が総出で井戸の横に大鍋を設置し、地元名物料理の混ぜご飯を作った。「水をのむ時には井戸を掘った人を忘れない」と書かれた横断幕がはられ、井戸は「周宣井」と名付けられた。ウルムチから駆け付けたオスマン氏が30分ほど遅れて到着したとき、混ぜご飯はすでに出来ていたが、まだ誰も手をつけていなかった。村民の前にはそれぞれ混ぜご飯一皿とお椀に入った井戸水が置かれており、皆静かに待っていた。あごひげの白いウイグル族の老人がオスマン氏に言った。「今日、我々は食事をするために集まったのではない。君を待っていたのだ」。この言葉を聞いたオスマン氏は、目頭が熱くなった。

農村学校ボランティアの設立

オスマン氏は、校舎で工事現場監督のボランティアをしていたときに小学生と交わした会話が忘れられなかった。それは5日目の早朝、清々しい太陽が校舎を照らし、辺りが静まりかえっているときだった。オスマン氏は、間もなく工事が終わろうとしていた校舎のそばをゆっくりと歩いていたところ、3年生の教室に子供が一人いるのが見えた。その生徒は、学校が新しく購入した一人用の机を抱きかかえるようにして座り、頬をクリーム色の机の表面に触れてうっとりしているように見えた。

オスマン氏は、「学校の新しい雰囲気はどう?」とその男の子に尋ねた。「好きだよ」とその子ははにかみながら答えた。「おじさんがお金出してくれたの?」と聞くその子にオスマン氏は、「私じゃなくて、私の友達がお金を出してくれたんだよ。私は友達のお手伝いをしているだけ」と答えた。その生徒は澄んだひとみでオスマン氏を見つめ、笑っているような、いないような顔で言った。「それならなんで毎日ここにいるの?」オスマン氏はこれ以上説明しなくてもいいと思って黙っていたが、その時の子供の目と、子供と交わした言葉がずっと忘れられなかった。「農村の学校の子供たちのために、何か私ができる限りのことをしたいと思いました」

あの時の体験が、オスマン氏が農村学校ボランティア組織をつくるきっかけとなった。たまたま関わることになったこのボランティア経験が、オスマン氏と公益事業との縁の始まりだった。

2008年1月、農村学校ボランティア(Village School Volunteers、略称VSV)が正式に設立された。VSVの趣旨は、「自発的で、報酬を求めず、利他的で、平等なアプローチで、余暇の時間を利用して農村学校への支援を行うボランティア」だ。VSVの活動への参加は全てが任意。寄付者にとってもボランティア自身にとっても負担がかからないように、ボランティアは活動の際には農家に寝泊まりする。多くの人は活動に参加してみることで、徐々にVSVの活動内容に惹かれていった。

現在VSVのメンバーは100人余り。オスマン氏によれば、非常にゆるやかな団体だということだが、それでも明確な分担・協力の仕組みがある。「中心メンバー30名、特に熱心なメンバー30名が、企画を立てるなどします。その他のメンバーは、ネットでの情報伝達を手伝ってくれる応援団です」

2009年5月、VSVは新疆ボランティア協会直属の団体となり、草の根組織から「正規軍」へと身分をあらためた。

農村学校パソコン室プロジェクト

2010年10月、VSVのボランティア8名が、温宿県吐木秀克郷欄杆村にパソコン教育用の部屋を寄付した。これは、阿克蘇地区の村レベルの小学校では初めてのパソコン室だった。ボランティアが撮ったばかりの写真をラップトップに保存していると、子供たちが次々に集まってきて、自分の写真を見つけたり、写真に写っている同級生の表情をあれこれ論評したりする子もいたが、大半の子供たちはコンピューターの不思議に夢中になった。喜び、驚きや満足の表情がまだ幼い子供たち一人ひとりの顔に表れていた。

「子供たちの顔や小さな手は、ゴビ砂漠の風に吹かれて乾ききっていました。彼らはその手で注意深くパソコンに触り、私がキーボードで文字を打つと、『字は印刷されるんじゃないの?』と聞いてきました」。その時、オスマン氏の目頭は熱くなっていた。「この子供たちは、外の世界を理解する手段が必要で、都会の子供たちと同じようにパソコンが使えるようになるべきなのだと思いました」

2010年12月、VSVは「陳光標公益事業」(訳注:陳光標氏は富豪の慈善家)の申請に成功し、現地の小学校に100台のパソコンを寄付した。パソコン室はVSVの予想を遥かに越えて子供たちに喜ばれ、学校の先生によれば以前は体育の授業が一番人気だったが、今ではコンピューターの授業が一番喜ばれているそうだ。

VSVはこれまでに100万元にのぼる寄付を善意ある企業や個人から受け、新疆内で計35の学校にパソコン室を設立し、390台のパソコンを寄付した。その間、新疆の6つの州・市を訪れ、数万キロメートルを旅し、対象となる生徒が5000名を超えた。。

農村教師育成事業

2009年、オスマン氏はテレビで紹介された崔永元氏(訳注:著名なジャーナリスト、テレビ番組司会者)の話を知り、深い啓発を受けた。崔氏がある農村の学校で、生徒が教師に「飛行機では人はどこに座りますか」と質問したのをきいたときのことだ。その教師は「羽の中に座ります」と答えたという。その後崔氏は、農村の教師を北京に招待し、飛行機に乗ったりホテルに泊まったり、演劇や映画を見たり、経験豊かな教師の授業を受けたりする経験を提供する、専用の基金を設立した。オスマン氏は「新疆の農村の小学校の先生も、ウルムチに来てもらって『国際標準』の経験をしてもらうことができる」と考えた。

2009年の初め、新疆の農村地域の小学校教師26名が最初の訪問団としてウルムチ市に招かれた。先生達は、オスマン氏と彼のチームメンバーらの手配によって、5つ星ホテルに泊まり、学者達によるセミナーに参加し、有名企業の見学をした。オスマン氏によれば、これまでに5期におよぶ農村教師育成事業を行なっており、プログラムは2つの部分で構成されている。一つは農村の教師を都市部に招待すること。もう一つは都市部の専門家らを農村に派遣することだ。いまはちょうど7月に予定されている専門家を農村に派遣して授業を行うプログラムの準備中だという。

オスマン氏のVSVパソコン教室事業は、「2010年度全国十大教育公益事業」に選ばれ、オスマン氏自身も第8回中国優秀青年ボランティアに選ばれた。

オスマン氏が好きな言葉は、「愛の深さによってどこまで歩めるかが決まる」、という言葉だそうだ。

筆者: 王泳
原文:http://epaper.rmzxb.com.cn/2011/20110517/t20110517_388991.htm
筆者から本文の使用をご承諾いただきました。この場をお借りして感謝申し上げます。
(写真はオスマン氏による提供。)

翻訳:A.K
校正:松江直子、李妍焱

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