2011/11/16 by Matsue

【康雪】東日本大震災被災地を中国環境NGOが訪問(1)―ENVIROASIAより

  日本での“東アジア気候フォーラム”に参加した折、李力(環友科学技術研究センター主任)と私(康雪:自然之友副理事長)はフォーラム終了後、東北の被災地である宮城県へ赴き、2日間の視察を行った。短時間ではあったが、そこで見聞きしたことは深く脳裏に刻まれ、多くのことを考えさせられ、私たちに行動を起こさせた。

 9月4日午前、東アジア環境情報発伝所のボランティアである通訳の洪石峰を伴い、私たちは東北行きの新幹線に乗った。地震の後、放射能漏れにより有名になった福島を通過する時、窓の外の世界には何も変わったことを見出すことはできなかった。空にも、建物にも、あぜ道にも…。ただ、私の鞄の中には一枚の紙が入っている。それには北京を離れる時に新華社が発表した福島の放射能の指標に関する最新の報道が印刷されており、それは私たちにそこに確かに存在する危険を示していた。

 70歳の伊勢さんはすでに目的地の宮城県白石市の駅で待っていた。彼は、長年環境教育に携わっている李力の友人である。地震が発生した時、伊勢さんはちょうど中国にいて環境教育活動に参加しており、家にいる夫人とペット、家のことなどをしきりに心配していたことを私はお会いする前に知っていた。やっと故郷に戻った後も、彼は夫人を家に置いたまま、2ヶ月間ずっと災害ボランティアとして活動していた。その伊勢さんのご尽力により、私たちは今回の訪問を実現することができた。地元の名物である短い麺をいただいた後、伊勢さんは車で私たちをボランティアの活動拠点に連れて行ってくれた。

 白石市山元町の災害対策本部。地震によって倒壊の危険があると判断されたため、山元町役場はすでに無人となっていた。門の前の広場には臨時のJRの駅があるものの、地震と津波によって線路が損傷を受けたためにJRは運休しており、現在は電車の代わりにJRバスが運行している。駐車場に止まっている車には、全て“山元町災害福祉協議会”・“災害復興支援”などの文字が書かれており、ここで活動を行っている人々は皆、災害復興業務に関わっている人々であるということを表している。屋外に設置されたテントでは、ボランティアたちが物資を整理したり配ったりしていた。私たちが主に見学したのは、ボランティア達による写真整理業務である。

 写真整理をしているボランティアの溝口佑爾さんは、私たちにそれらの写真がどこから来たかを教えてくれた。彼は京都大学のIT専攻の大学院生であり、4月下旬からボランティアとしてここで活動している。これまで心血を注いで来た被災地の写真の整理を諦めることができず、新学期が始まってからもここに留まりボランティアを続けている。彼の左腕の腕章には「日本社会情報学会」と書かれている。この業務はすでに経済的な援助を受けた研究活動となっており、彼は自分の持っているIT技術を、思い出の保存と未来への展望に生かしたいと望んでいる。彼らは辛抱強く念入りに自衛隊が集めて来た写真を洗浄・分類・コピーしてパソコンに入力、人々が検索できるようにし、写真は持ち主に引き取られるのを待っている。あるとき、災害時に妻と娘を失い、遺体をまだ見つけることができないという男性がここで家族の写真を見つけた。“これで妻と娘の墓参りをすることができる”と言ったこの男性の言葉を聞き、溝口さんは、この人はこの写真をきっかけに、前向きに一歩前進することができたのだと感じた。また、(かなり痛んだ)一枚の写真は、人物の腕だけが残るのみだったが、それでも持ち帰る人がいた。この時、溝口さんは大きな衝撃を受け、自分の活動には大きな意義があると感じた。

 ちょうど私たちがそこで見学をしているとき、二人の人物が何冊かのアルバムを引き取るのを見ることができた。地震と津波から半年も過ぎてからである!何冊かのアルバムの中身は、全部結婚式の写真だった。その時、私たちはこの一家のために祈り、溝口さんと彼の仲間たちの苦労が報われたと感じた。これらの名前もわからず、もしかしたら永遠に誰にも引き取られて行かない膨大な量の写真を手に取り、私たちは溝口さんとその仲間達のここでの活動の理由と、これらの洗浄された写真に記録された持ち主のかつての喜びや成長、栄光や幸福などを感じ取った。そして私は心の中で、写真に写っている鮮やかな命、彼らはまだ存在するのだろうか?と人知れず思った。そして写真というものが持つ意義に対し、新しい認識さえ得るに至った。人の生活や命の営みにおいて、写真は記憶に等しく、記憶は命に等しいのだ。

 当然、思い出は写真の中だけにあるわけではない。大きな棚の中には、多くの回収された物品が保管されている。半年を過ぎても、未だ引き取り手のないさまざまなものがある。小学生のランドセル・テニスラケット・トロフィー・東北地区の名産であるこけし・位牌や財布など。財布は拾われた時には空だった!と溝口さんは語った。人間の別な一面が、ここから垣間見える。

 伊勢さんの案内により、私たちは思いがけず一つの部屋に入ることができた。ここは当地の特産品であるりんごの名前をつけた、震災後10日で放送開始した“りんごラジオ”放送局である!運よく、私たちは目の前で彼らの生放送の様子を見ることができた。自分も放送に携わっているため、私はラジオ放送局に対し、人一倍親近感を持っている。確かにここは私が訪れた中では最も小さなラジオ放送局ではあるが、だからこそ、本来なら退職した後、この地で老後を楽しんで暮らしているはずであった高橋厚さんと彼の同僚に深く敬意を表す。彼らの活動から、人々は皆、自身の長所を生かして他人を助けることができるということを知ることができた。この狭い空間の中で、この数ヶ月の苦しい歳月の中、彼らはどのような奇跡を起こし、被災地の人々を慰め、鼓舞して来たのだろうか?彼らの活動を邪魔することを恐れ、私たちは多くを聞くことができなかったが、壁に貼られたたくさんの写真やメッセージからそのいくつかを感じることができた。私はラジオ放送局のために贈り物を持って来なかったことを大変残念に思った。また機会を得て、彼らのために何か協力できることを望んでいる。  

日中韓3言語環境情報サイトENVIROASIAより転載
http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/C11092102J

日付 2011-09-21
筆者 康 雪 (KAN, Xue)
媒体 寄稿
団体名 自然の友
(Friends of Nature)
URL http://www.fon.org.cn/
翻訳者 中文日訳チームC班 富川玲子

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