2011/11/07 by Matsue

呉世先: 「有機農業」のプロモーター

「流芳」という、耳に心地良いこの地名は、貴州省黔東南州黎平県茅貢郷のトン族の集落に位置している。この辺境の地で、呉世先さんと村人たちは協力し合い、有機農法により昔ながらの品種のコメを植えることで、新たにトン族の伝統農耕文化を復興しようとしている。2006年から、村の中のすべての土地には化学肥料も農薬も使用しておらず、「有機米」は徐々に流芳のブランドとして、外部に知られるところとなった。

「私たちは、有機農業だけでなく、有機的な生活を必要としているのです。自分たちで植えたものを食べ、食べるためのものを自分たちで植えるということです」。これは、呉世先さん個人が掲げている理念というだけでなく、既にすべての村人の信じるところとなっている。

トン族の伝統を取り戻そう

45歳の呉世先さんは、流芳村のトン族の農民。1982年に中学を卒業後、家業である農業のかたわら、雑貨を扱うなどして生計を立てていた。また家から5㎞ほどの場所にある、地元の塤寨マーケットに服装店を開き、時間のある時やマーケットに行くときに店を開けていた。このような平々凡々な農民が大きなことをやりとげるとは、だれも思っていなかった。

2005年以前は、流芳村も中国のほとんどの農村と同じように、農業には大量の交雑品種を用い、化学肥料や農薬を使っていた。このような方法により土壌がやせ、地区の住民や外部の消費者に食品の安全問題を引き起こしたばかりか、トン族の伝統的な「稲・魚・アヒル」の生態系の維持にも影響が出ていた。

2005年、貴州大学資源環境研究所でのエコ農業プロジェクトの一環で、流芳村は有機農業の試験と実践を推進することとなった。呉さんはそれを聞くと、自ら参画したいと申し出、マーケットの服装店を人に譲り、田舎に戻って有機農業の生産と、協会の幹部としての仕事をするようになった。

写真キャプション:呉さんの描く有機農業生産の流れのイメージ図

呉さんと、31戸の村人は率先して、40畝(1畝は約6.67アール)の田で有機栽培の試行をした。農薬を使わないと収穫量が減るのではないかという村人たちの心配を打ち消すため、呉さんはスタッフ何人かとともに、トン族の伝統である「稲・魚・アヒル」農法を復活させようと村人たちに呼びかけ、雑草や虫を食べさせるために、田に適切な数の魚とアヒルを放した。また、田の中への黄色の虫捕り板や殺虫灯の配置について専門家の指導を仰いだほか、伝統的な生物農薬の秘伝の配合についても地域の人々から聞き出した。

呉さんの指導の下、流芳村の人々はデリス(マメ科のつる植物)、楠の葉、タバコの葉、カエデの葉など、土地の自然資源を用い、何種類かの効果的な生物農薬を作り出した。有機農薬の試験は成功し、さらに呉さんらは村を一軒一軒説得して回ったので、2006年には流芳村の164戸の村人の700畝の田は、奇跡的にもすべて有機農法にて水稲栽培を行うようになった。呉さんは流芳村の有機農業協会の初代の会長に選ばれた。

有機協会会長に選ばれる前は、呉さんは木工と服装店によって比較的高い収入を得ていたが、全村人の利益のために、彼個人の収入は著しく減った。協会の幹部たちの実際の仕事に対しては、一日3.2元の手当しかなかったのだ。それでも呉さんはこう言った。「皆が私を信頼して、会長に選んでくれたからには、私にはその責任を担う必要がある」

あきらめないイノベーター
数年という短い間に、呉さんは地方政府から部分的な資金援助を得、また多くの準備作業を経て、ついに流芳村のコメの有機認証登録に成功した。しかし、当地のコメ会社との協力の中で、呉さんはこの会社が、流芳村の有機米認証とそのブランドを利用して、ほかの土地のコメを売ろうとしていることに気が付いた。この会社はその後高額のバックマージンを払おうとしたが、呉さんは村人と話し合った末、最終的にはこの会社との協力を打ち切ることにした。

呉さんはまた、村人が自分たちで栽培した有機米をすべて高額で売り、自分たちは安価な非有機米を買って食べるということにも反対した。2009年、広西チワン族自治区のあるコメ会社は高額で100トンの有機米を買おうとしたが、呉さんは言った。「全村でも毎年20トンの自家消費米しかないのに、自分たちの食べる分まで売ることはできない。そのようにしたら、この地区はまた不健康な状態に戻ってしまう」

現在までに、呉さんは信頼のおける数社の小さな会社を通し、いくつかの街の消費者と提携して、毎年地区の有機米約10万斤(注:5万キログラム)を販売している。

販売する過程で、呉さんは消費者に有機農産品と、現段階の農村について理解してもらうことに注力した。呉さんは貴陽、広州、成都などの消費者団体と次々に提携し、健康的で適正な価格のコメを消費者に売るだけでなく、黎平県流芳村の現状とトン族の文化まで彼らに紹介した。このような、都市と農村との良い相互関係は、信頼関係と健康的な農業生産システムを新たに作っていくことにとって、非常に重要なことだった。

「有機農業」は村人たちを豊かにしただけでなく、土地の生態環境にも明らかに良好な変化をもたらした。田の土は空気を含んでふかふかになり、魚、エビ、ミミズ、カエルが増えた。地区はトン族伝統の「稲・魚・アヒル」エコ農耕文化を取り戻し、村人たちは今、胸を張って話している。「やっぱり先祖からの伝統が一番!」と。

呉さんはどこへ行っても、自分の故郷が有機農業を実施することで得た変化について、周りの友人たちに話して聞かせている。彼の影響で、2006年には、近隣の高近村の6戸の村人が、有機農業を始めることとなった。2011年には、山ひとつ越えた場所にある几炭村が流芳村に話を聞きに来て、100畝の田で試験を行うことを予定している。流芳村での有機農業の成功後、茅貢郷政府も有機農業を全郷に発展させることを重要視し始めた。2009年から、茅貢郷は有機農業を全郷の農業発展の重要な方向性と位置づけ、これを推進している。

資料提供:SEE基金会
『社会起業家雑誌』2011年6月号より転載

http://www.npi.org.cn/magazines.php?pid=2

編集:周丹薇 写真は取材先より提供

翻訳:三津間由佳
校正:松江直子

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