2011/10/31 by Matsue

Norlha:未来へ続く虹

2011年3月、アメリカ出身のMarie は中国甘粛南部のチベット族の小さな村を訪れた。朝霧が晴れると、緩やかな起伏を持つ丘の上には黒い小さなテントがあり、ヤクと羊の群れが悠々と草を食んでいた。放牧地域を何年にも渡り旅行してきた経験を持つMarieは、こういう美しい光景にはもうすっかり慣れていて、このとき彼女はただこの仁多瑪村でしばし足を休めたいと思っただけだった。しかし、彼女が友人に連れられて伝統的なチベット式の小屋に入った時、「なんてこと!ほんとに?」という言葉が口をついて出た。彼女の目の前で数十人のチベット族のスタッフがガラス張りの天窓の下で整然と順序良く作業している。彼らは最高級のヤクの毛を使い、チベット文化の文様をあしらった非常に質の良いスカーフをすべて手作業で織っていた。このような芸術作品は出来上がるや否やHermès、LOUIS VUITTON、Sonia Rykielのフランスのショップに送られ、世界中からやってきた贅沢品を求める人たちに購入されるのだ。しかしMarieがどうしても忘れられなかったのは、作業途中のスタッフが頭を上げて彼女に向けた屈託ない笑顔と尊厳に満ち溢れた作業の様子だった。

この甘粛南部の海抜3200mに位置する小さな工場が「Norlha」だ。工場設立の目的は、現地の村民に放牧以外で生計を立てるという選択肢を与えることであったが、努力すること4年で放牧区の継続可能な代替経済の実践者となった。

村民の素朴な願い

仁多瑪村は広々としたチベット自治区ではあまり目立たない村だ。村は200戸あまり、1500人ほどの村民が甘南合作市から23km離れた場所に居住している。海抜3200mの広々とした草原には6000頭以上のヤクが放牧されている。

山間の仁多瑪村

ここを生活圏としない人から見れば、一頭のヤクは何千元という金額で売れるのだから、普通の4人家族が40頭のヤクと100頭の羊を飼うとすると、数十万元、或いはそれ以上の百万元という財産を所有していることになり、牧畜民はとても裕福なはずだと思うだろう。しかし実際は、牛と羊は牧畜民にとって、都会に住む人にとっての家のようなものだ。牧畜民は自分が持てるすべての財産を草原の上で行き来させているようなもので、いったん雪害に遭うと全財産を水の泡にしてしまうこともありえるのだ。
しかも、ヤクと羊は最適な時期に出荷しなければ、見合った金額で売れない。普通の家庭では、毎年適切な時期まで育ったヤクを数頭とおおよそ20頭の羊が売れるだけで、1万3、4千元の小銭程度の金額にしかならないのだ。
このお金で(主食の)裸麦や野菜、子供の学費、年に一度の一家全員分の服を買った後、基本的には余るお金はない。もし重病にかかる者がいたり、子供におもちゃやお菓子を買ってあげたり、また或いは子供が家を離れて高校に通う必要が出てきた場合、生活は相当厳しいものになる。
チベット自治区の多くの場所の牧畜民は、冬虫夏草を採取するか外でアルバイトをし、家計の足しにしている。但し、仁多瑪村の周りの草原には基本的には冬虫夏草資源はないため、採集したければ遠方まで出かけていくしかない。、そしてそれは辛く危険な仕事だ。しかしそれ以外に専門的な訓練がないので、村民はアルバイトといっても給料の最も安い簡単な仕事しか選ぶことが出来ないのである。しかも家から離れるので、子供の世話や老人の介護などの面で家族に大きな苦労を与えてしまう。

そこで、仁多瑪村の人には非常に素朴な願いが生まれた。それは他の地域の人々と交流を多く持ちたいということだ。単に牛と羊を売る以外に、よりよい方法で家畜資源を利用して、村民により多くの収入をもたらしたい。この願いが幸運にも合作市政府の大きな支持を得たのである。
2007年合作市政府と村所属の佐蓋多瑪郷政府の全面的な支援と指導の下、村に牧畜流通援助協会を設立し、合作市に正式に登録された。協会は出来たものの、何をしたら、牛と羊を育てる、売る、また牛を飼うという現金をほとんど使わない消費モデルを変えることが出来るのだろう?仁多瑪の人は再び、彼らに付き添い何度も厳しい冬を越したヤクに目を向けるのだった。

ヤクはチベット族の人々の宝

アカ(チベット語で:叔父さん)東周は山の斜面に座り、自分の30数頭のヤクを見ながら、愛情をこめてこう言った。「ヤクは我々伝統的なチベット族の人間にとっては不可欠なもので、酥油(チベット地方の飲料:バター茶)や曲拉(チベット地方のチーズの一種)、テントを織るための毛はすべて彼らからもたらされたものだ。物を引っ張るにも最高の助っ人だよ。ヤクは家族と一緒だね。」

ヤクの親子

何千年にもわたり、ヤクはチベット族の人々と長く凍てつくような厳しい冬を越し、数百年もの間、ヤクの引く車は遥かなる高原を行き交い、シルクロードに沿って東西の物資を運んできた。海抜2500メートルという、普通の動物が生存できないような冷涼な高地に生息し、チベット族のパートナーとなったヤクは零下30℃でも難なく生活できる。これは彼らのもじゃもじゃの黒い毛の下に、濃密でやわらかい非常に貴重な毛の層があり、現地の牧畜民はそれを親しみをこめて「Khullu」と呼ぶ。春になると一層目の「Khullu」が自然に抜け落ちる。一頭のヤクからは少しの「Khullu」が採れるだけで、最高級の「Khullu」は2歳のヤクから採れ、更に稀少価値が高い。

氷原の舟

以前ある人が仁多瑪で「Khullu」を買い上げ、ヤクのセーターを作った。買い取り価格が低い上に、ヤクの繊維は手で優しく採集するため時間がかかり、牧畜民は皆やりたくなかった。仁多瑪の村人は思った。それなら自分で毛を集めて紡織品を作ったらいいのでは?ヤクの毛は集めなければ抜け落ちるだけだし、ヤクの毛を使った製品は、大規模な飼育も必要なければ屠殺もしない。毛を集めることで牧畜民にとって公平な価格をもたらし、村民の仕事も増えるのではないか?しかもヤクの繊維製品はカシミア製品に比べ、非常に入手しにくく、市場での認知度はとても高い。こうして、工場の雛形が徐々に出来始めたのだ。

尋常ではない忍耐

早速、仁多瑪村の人は村に試しに小さな工場Norlhaを作ってみた。現地で集めた最高の「Khullu」を使用して、美しく柔らかな手作りのスカーフを作った。Norlhaという名前はチベット語に由来し、「ヤクは宝物」という意味だ。スカーフを織れなかったので方法を学び、工場がなかったので自分で建てた。目の粗いテントばかり織ってきた自らの手が、細くて柔らかなスカーフを織り、(石造りの家に住む)伝統的なチベット族の人が、しっかりとした木の家を建てることができるとは、自分達も信じられなかった。しかし、多くの友の支援の下、村民たちはカンボジアとネパールから招いたハイレベルな技術者に繊維の選別、つむぎ方、コーミング、生地の織り方や房飾りの結び方などの技術を少しずつ学び、また漢民族の師匠に家作りを学んで、自ら広々として明るい工房を建てた。
このプロセスにおいて皆の自信も少しずつ強くなり、我々は牧畜以外のことも学べば出来るのだ、と思うようになった。

テントで訓練を受けるおばあさんたち
この訓練に、2007年から2008年までのまる1年をかけた。とがめだてもなく、限りない暖かさと耐える心があるだけだった。現実の商業社会の中では我々はあまりにも多くの「速さ」を見る。速く儲けて、速く大規模になり、速く市場に出回る。ただ、どれほどの人が「速さ」の中で本当の成長と貴重な精神的体験を得ているだろうか?もしかしたら、あるときはゆっくりやったほうがより速いということもある。事実が証明するように、一見、ゆっくりとした訓練プロセスのように見えるが、実はこれこそがNorlha製品のクオリティーとその後の迅速な発展にとって、とりわけ堅実な基礎を築くもとになった。

常識はずれの募集基準

Norlhaの工場の建設が始まり、紡織ブロック、仕上げブロック、染付け工房、倉庫、事務所も出来た。しかし誰がこの工場の主人公になるのか?スタッフは村から集めることにした。まず高齢者、弱者、病人、障害者である村民が集められた。まったくおかしなことである。街には若くて力もあり、頭の良い人もいるではないか?そこで阿卡東周などの高齢者グループ、女性など体力の弱い軽作業スタッフや障害を持ったスタッフ、貧しい村民をまず入れた。2008年、30数名のスタッフ一期生が新しく建った工場の入り口で、笑いながら記念撮影をしたが、3年後の今、彼らは一人として離れていったものはいない。それどころか周りには更に多くの村人が集まるようになった。

今Norlhaには110名のスタッフがおり、そのうちの72名が女性である。考えさせられるのは、Norlhaはこれまでに一度もスタッフを解雇したことがない、ということだ。たとえば、もし染色業務に不向きなスタッフがいれば、その人を他の部署へ配置してやらせてみる。その人が好きで自分にあっていると思う仕事が見つかるまで探し続けるのだ。もしスタッフが家庭の事情でしばらく仕事を離れなければならないときは、その作業はその人が復帰するまで保留となるのだ。
多くの人は言う。手織りは非常に時間がかかり、平均して1人が3.4日でやっと一枚のスカーフを織るなんて、と。しかし、もし大きな織機を用いる生産に乗り換えれば、そんなに多くの村民の職は必要なくなり、工場を建てた本来の目的に背き、手作りのオーダーメードの魅力が損なわれる。それで、今日までNorlhaはハンドメイド生産を堅持しているのである。

このような我慢強さや一風変わった採用基準と訓練制度はすべてNorlha建設当初の志に由来する。人、つまり村人に就職の機会を与え、村人のこれ以後も続く幸せを思ってのことである。

幸せを伝える美しい品々

 このようにして毎年おおよそ9000本の美しいハンドメイドのヤクスカーフが仁多瑪村の人の手の中から生まれ始めている。種類も始めたばかりのときの単一な色と模様から、その後毎年発表される春夏物と秋冬物の二つのシリーズまで広がり、市場に対しても、当初のなすすべがなかった状態から、LOUIS VUITTON、Hermès、Sonia Rykiel向けのオーダーメイドまで発展した。Norlhaの人への尊重と初期の堅実な訓練が早くも強みとなって現れ、製品はヨーローッパの得意先だけでなく、中国国内でも多くのハンドメイド好きな人々に受け入れられ始めている。

 

この一本一本のスカーフに備わった精巧な技術、優雅な色彩、暖かく軽い質感にも増して、さらに重要なのは、人々に向けて届けられるそれらの背景にある物語なのである。この僻地の村の村民は都市の人々と交流したいと願っている。、単純ではあるが純粋な幸福感、故郷で安定した仕事に就けるという尊厳と未来に対する希望を、都市の人と一緒に分かち合いたいのである。Norlhaのスカーフは、事実すでに多くの機会において、気持ちを通わせ、幸せのエネルギーを伝える架け橋となっている。

 

 

Norlhaの未来

Norlhaの人々は糸車を回して働きながら、実はそのほかにも願いを持っている。現地の村民をもっと雇用すること、例えば、ベア人形やヤク人形、手袋などの編み物やフェルトの帽子、柔らかいマットなどスカーフ以外の趣のあるハイクオリティーの製品を生産すること、スタッフたちが一日働いたあと汗を流せる場所を作ること、女性スタッフの子供が託児サービスを受けられるようにすることなど。
Norlhaはまた、現地の環境保護活動の試みも絶えず行っている。高価であるが汚染の少ない輸入染料の使用、毎年行なっているごみ収集の宣伝活動、特別なごみ箱の製作、スタッフたちによる植樹を毎年行ない、更に多くの環境保護活動によって草原や水や土壌を守りたいと願っている。
Marieが村を去るとき、雨上がりの草原の空に綺麗な一筋の虹がかかった。Norlhaと仁多瑪村の人は、純朴な幸福感によって、この一刹那にも未来へ続く虹を織り成しているのだ。

Norlha诺乐のHP:http://eng.norlha.fr/homepage
社会起業家雑誌 8月号より
翻訳:ダラックマふいめい
校正:松江直子

 

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