2011/10/31 by Matsue

哈希・扎西多杰:三江源の番人

果てしない砂漠、荒涼として人家もなく、孤独、寂寞、零落があるのみ・・・密猟者と命がけで闘い、窮地から這い上がり再び泰然と構える。
これはまさしく、あの《可可西里》(注1)という映画の蒼茫とした土地を見た瞬間に人々が感じたものであろう。
然しながら、三江源(注2)一帯の番人として、哈希・扎西多杰(ハシ・ジャシドジエ)が目にしたもの、経験した事は映画の中のエキサイティングなシーンだけではなかった。無数の密猟者との生死を賭けた闘いの後、環境保護活動家に転身し、長年三江源の生態環境の為に奔走し訴えてきた。

哈希・扎西多杰は、青海省三江源生態環境保護協会の秘書長である。
彼は教師になった事もあり、銃を握った事もあり、役人になった事もあるが、世間体の良い公職を捨てて環境保護のボランティアとなり、三江源一帯の生態環境の番人となった。現在、哈希・扎西多杰の身分は三江源生態環境保護協会の秘書長である。人々は親しげに彼を扎多(ジャド)と呼ぶ。

往時を振り返り、彼はこう繰り返す。“我々の故郷はひどい田舎で、人生の選択肢は実際そんなに多くなかった。私はこのように歩んできた自分の人生を光栄に思う”

誤った道を歩んでいると人は言った

扎多の故郷は治多県索加郷(注3)で、索加郷は治多県の県政府所在地から200キロあまりのところに位置し,四つの郷の中では海抜が一番高く、気候が最も厳しくそして交通条件は一番遅れている。
毎年大地が結氷する数カ月間のみ、県政府所在地への道はかろうじて通行可能となるが、その他の時期では、河の水が融け大地がぬかるみになると索加は世間と隔絶された孤島となる。8歳の時、両親が亡くなり、孤児となった扎多は母方の伯父におんぶされ措池村から河を渡り索加郷にやってきた。それからというもの、食べるのも着るのもあちらこちらの家に世話になり、村人の情けに頼って生きてきた。そこで勉強し、試験を受け、様々な教育を受けたのち、治多県民族中学の教師となった。

1992年7月のある日、治多県共産党委員会は街に告示を貼り出した。可可西里の開発を推進する為、時の治多県共産党委員会副書記の索南達杰(スオナンダジエ)は西部工作委員会(注4)を立ち上げ職員を募集した。当時救国の偉大な理想を抱いていた扎多は失意の中、丁度家に居たときであった。“私はどうも新しいものを追求するのが好きで、おまけに当時は学校を辞めたばかりで行き詰っていました。可可西里に行くしかなかったのです”扎多は笑って言う。“可可西里は私の運命だったのかもしれません”こうして扎多は索南達杰が募集した最初の“志願兵”となった。

“私に忠告するような家族はいませんでした。ただ陰で私が誤った道を歩んでいるとか、ビジネス、役人の様な世間体の良いまっとうな道を歩むべきだとか、あれこれと指摘する人達はいました”と彼は言う。

1994月1月8日、索南達杰が密猟者に銃撃され亡くなるという事件があった。膝をついて銃を構える姿勢を保った彼の遺体はすぐに発見され、(編者注:当時の現場の気候は寒冷で人体はかちんかちんに凍っていた)周辺には(密猟者から奪った)車二台分の2000枚余りのチベットカモシカの皮があった。2月10日、旧暦の新年に遺体は可可西里から治多県に運ばれた。

事件の後、扎多は西部工作委員会を離任した。彼はいつも“逃避”という言葉でこの一件を表現する。“その後の数年間、私は繰り返し索南達杰の夢を見た。先日可可西里に行き、事件発生の場所を訪問し、彼の死は私にとってあまりにも大きなショックであったと感じた”

そして扎多は索加郷の共産党委員会書記、治多県委員会の宣伝部長を経て、チベット昌都で有名な“天珠”(注5)商人、如凱・嘎玛桑珠(ルカイ・ガマサンジュ)、青海玉樹州チベット医学学校校長の尼瑪仁増(ニマレンツェン)らと共に三江源生態保護協会を設立し、どのように青海高原地域に於ける民間の環境保護のマンパワーを発掘するかについて一心不乱に研究した。

自然発生したものほど良く成長する

2005年から、三江源生態環境保護協会は澜滄江源流地帯でチベット族のエコロジーフェスティバルを始めた。彼らの伝統である神山のお祭り行事を足場として、演技や競馬や放生や殺生戒(野生動物)等の形で現地の人々にエコ消費の理念を宣伝した。今では村民達は絶滅危惧動物を使った製品は身につけなくなった。

さらに、三江源生態環境保護協会は環境保護活動に携わる幹部を青海から出して、内陸部の国際会議に参加させて視野を広げ、撮影養成講座にも参加させた。これは自分のアングルで故郷の美しさを発見し、これらの美しい風景の流失を記録する為である。
組織のメンバーが撮影した絶滅危惧植物の映像資料は、現地のエコ普及教材として採用され、“エコ啓蒙テキスト”となった。協会は更に現地で“緑のゆりかご”という環境教育プロジェクトを推進、現地の小中学生に記者、画家、カメラマン等になってもらい、自分の作品を冊子にまとめさせた。

扎多の得意とするところは、エコ地域ネットワークである。このプロジェクトで現地のチベット族の人々に自分の地域の環境保護活動への参加を促す。全部で六つのプロジェクト地点があり、玉樹州曲麻莱県曲麻河郷措池村はそのうちの一つである。この二百戸に満たない“村”は、草原保護のやり方について独特な解答を示している。その解答は“協議保護”と呼ばれ、世界でも流行している“開放式保護”の一種である。保護区(管理者)は保護区を村民に開放し、村民は保護協議に署名し、そのまま保護地区に住み続けると同時に自然保護のそれ相応の責任を担うのである。

多くの人は協議保護が扎多の考え出したものと思っている。然し彼ははっきりと言った。“実際、これは措池村の人達が考えたもので、私はせいぜい外側からちょっと推した程度です。それに今では、当時私が外部から関与したことも、おそらく間違っていたと考えています。自然に発生したものほど良く成長するものです。それは天然のダイヤモンドの様にね。人工の宝石よりはるかに勝るものです”

彼は、措池村の管理方法を用いれば、自然環境が外来の力によるダメージを受けない、或いは受ける力を弱くさせることができるし、牧畜民の伝統的な牧畜生活は自然にとって大変有益なものであると考えている。彼の考えは非常に風変りである。“人を移動させるのは決して最上の保護方法とは言えない。村民が現地でうまく生活しているならば彼らは破壊力になるはずは無く、保護力となり得るのである。ならばどうしてこれらの人々を生態移民させてしまう必要があるだろうか?可可西里は無人地区、ここ数年ここでどんな事が起こっているか?もし内部に保護意識のある牧畜民が住んでいれば彼らは一体となって最も堅固な草原の保護力となり、又水源の保護力となり、更に野生動物の保護力となる。何も不都合な事等ないのです。つまり私は、保護を行うには絶対人は必要で、人を移住させるべきではないと考えます。移住してしまったら、この地方は誰が守るのでしょう。誰もいなくなったら、悪い事をする人は簡単に悪事を働いてしまうでしょう”

訳注1:中国映画『可可西里』(ココシリ:Kekexili)は陸川監督による2004年の制作。チベット高原を舞台に、実話に基づくチベットカモシカの密猟者と民間の山岳パトロール隊の死闘を描く。映画を機にココシリが自然保護区に登録された。
注2:三江源とは中国北西部の青海省にある揚子江、黄河、瀾滄江(メコン川)の水源地帯
注3:青海省玉樹チベット族自治州治多県
注4:西部工作委員会は、中国初の武装密猟取締りチーム。ヤクチームとも言われた。目的は、ココシリ地区の自然資源の保護。
注5:天珠とはチベットで採れる宝石の一種

『外灘画報』、『新民周刊』、『公益時報』、『環境教育』より
編集:周丹薇
『社会起業家雑誌』2011年6月号より翻訳して転載
http://www.npi.org.cn/magazines.php?pid=2

参考:三江源生態環境保護協会
三江源生態環境保護協会は、民政局に登録したチベット人を主体とした民間環境保護団体。青海・チベット高原地区の生態環境及び優れた伝統生態文化の保護と普及に尽力し、同地区の持続可能な発展を模索している。
連絡先:hashi.tashidorjee@gmail.com

翻訳:西口友紀子
校正:松江直子

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