2011/10/20 by Matsue

第2回富平LEAD and Beyond 来日研修・事例報告交流会記録

2011年9月9日午後、飯田橋の東京市民活動・ボランティア活動センター会議室において、富平LEAD and Beyond 来日研修の内部総括会議ならびに公開事例報告交流会が行われ、5日間に亘る活動の成果について総括を行うと共に、中国の公益分野の現状やメンバーの取り組みを日本の市民に紹介し、交流を行った。

総括会議では、まず李代表が日本の市民力の源泉と社会的企業の発展について解説したのち、今回の訪問先から学んだことについて、各団体ごとにキーワードを挙げながら全員で討論を行った。共通する特徴として、理想主義でありながら地道に取り組む、絶えず工夫・改善を重ねる、小さなことも疎かにしない、常に理念を堅持、人間本位などが挙げられた。

引き続き、「中国のソーシャル・イノベーション事例報告交流会」と題して公開交流会が行われ、約10名が外部から参加した。はじめに李代表より今回のプログラムの概要を説明し、その後メンバー12名のうちの5名が発表を行った。
1.王燕 (上海のコンサルタント会社勤務)「中国市民社会・NGOの現状」
中国のNGOは、1980年代に黒龍江省で鶴の保護活動をしている民間団体があったが、正式に認められたものとしては1994年設立の環境NGO「自然之友」が始まりと言われている。しかし、NGOとして法定登録できるのは、財団・民弁非企業単位・社会団体の三種類だけで、上部管理団体の後ろ盾が必要となるため、登録できる団体はごく一部に限られている。民間の財団が出てきたのはここ数年。それも公募ではなく、企業がまとまって資金を出すような形が多い。一般市民の募金は官製・半官製財団にしかいかないしくみになっている。雪害・四川大地震が起こった2008年が市民社会元年と言われ、ボランティアたちの活躍で政府の態度が変わり、こうした活動に資金を提供するようになった。上海や広州などの大都市では、NGOが合法的身分を取得するようサポートする地方民政局の動きもある。NGOの活動分野としては、環境・高齢者・女性・学校に行けない子供の支援・法律支援など。政府は欧米に視察に行って、「ソーシャル・イノベーション」を学んできた。イノベーションが見られる団体やプロジェクトにはお金を出すので、NGOもそれに向けて申請をする傾向が見られる。中国は今、羽振りがいいと思われがちだが、イノベーションをもたらそうとしている市民は、日本と同じように常に資金に困っている。今回、自分の目で日本の社会起業家の業績や課題を見て、大変勉強になった。

2.胡昕 (北京富平学校 LEADプロジェクトマネージャー) 北京富平学校は著名な経済学者らにより2002年設立、すぐにSARSに見舞われたが、実業出身の敏腕校長・沈東曙氏のお陰で乗り切った。理念は、社会起業家の精神と手法を用いて、すべての人に幸福をもたらす事業を展開すること。
1)家政学校・紹介会社…無料。地方からの交通費は地方行政機関が補助。計2万人以上を育成、仕事の紹介も無料。
2)社会投資会社…2008年に設立。山西省で2年間に7000万元の実績。プロジェクト形式で成都でも5000~20000元を中国の農村の将来を支えるような農民に融資する。融資対象者は創造力が豊かで勤勉な人が多く、回収率は99%以上。
3)社会起業家の育成…LEAD は、実際に活動している社会起業家の生態系を作るため、今年からLEAD and Beyondと改名し、山水自然保護センター・NPI・北京大学自然保護研究センターとの合同プロジェクトとなった。地域のニーズに基づく実践者を発掘してその事業を強固なものにする。
*関連記事:北京富平学校―社会的起業の試み

3.孫姍 山水生態パートナー自然保護センター
 2007年設立、パンダの保護する北京大学の研究グループから始まった。中国西部を中心に貴重な自然資源の保護を行う。地元の人を主体とした、経済と環境のバランスを重視したやり方を模索。中国人自身も自然の貴重さを知らない人が多く、地元の人材を育て外界の架け橋となってもらう。生物多様性が残る西部のチベット高原を主なフィールドとし、独特の自然条件や人文環境を広く紹介している。現地の生態系は大変脆弱で、生態系も文化も外来種が主流になり、もともとあるものが消え、大学の先生でも説明のつかない多くの問題が起こっている。草原は50%退化。都会の学生が牧畜民を訪ねて牧畜民の技術や、収入構成・生活の変遷などを記録する。大きな自然環境に身を置くこと自体が環境教育。村の社会的管理は政府より実際的には寺が役割を果たしているが、それをどう評価し、政府側と関連付けていくかという問題がある。この地に足りないのは、技術でも知識でもなく、漢民族でもチベット族でもいいが、この土地を愛する「人」。
*関連記事:「柔らかさ」が希望を与えてくれた・孫姍 山水生態パートナー自然保護センター

4.蒲智勇 兎王貧困扶助研究センター 

事業は80年代からやっていたが、組織を設立したのは2006年。農村コミュニティの発展と農家の生計を助ける。創立者・任旭平は13歳のとき、貧しさから学校をやめ、偶然手に入れた二羽の兎を元手に事業をはじめた。途中、2度の大きな危機に見舞われた。はじめは兎を増やしたら病気で全滅したこと。国際NGOの援助と四川農業大学で2年間技術を学んだことで乗り切り、1985年には養殖技術の学校や加工工場を造り地域の収入向上に貢献。二度目は1997年、一族経営の弊害により倒産し、1000万元以上の資産を失う。2万元の再創業資金をもとに1年後再興。地元の4000世帯を組織し2万羽を飼育。これでは規模が小さいので、貧困扶助を専門的に実施・研究するセンターを2006年に設立し、自社工場の利益の3%を事業費にあてるほか、財団、政府組織、富平、国際NGO、中国障がい者連合会などとの協力プロジェクトを行う。中国の農村問題の根幹は収入不足。そのあとに環境や教育の問題が出てくる。しかし収入が安定してもさらに別のニーズがでてくる。我々の強みは農民のニーズや変化をよく把握する人材を多く持つこと。目標は、楽しく社会起業家の仕事をし、健康で息の長い社会的企業をやっていくこと。
関連記事;兎王貧困扶助研究センター 

5.張慧祥(祥子) Brandnu  エコファッションプロジェクト

 カナダに留学、帰国後はファッション誌の編集をやっていた。農家女技術訓練学校と知り合い、貧しい農村出身の女性が作った手工芸品の販売を頼まれて、2009年にフェアトレードと古着の店を作ったが、中国人は古着を着る習慣がなくて失敗、フェアトレードは商品に魅力がなくて失敗。自分がデザインする必要を痛感して、環境保護ファッションというコンセプトを定義した。do good(社会的に良い事業), look good(センスの良い商品), feel good.(買った方も売った方もうれしい、公益性だけでは長続きしない)の原則の下、古着をつかったセンスが良くてシンプルなショールをデザインし、農村出身の女性たちに縫製してもらっている。今回日本に来て色々学んだが、この3つ条件を満たす商品のヒントも色々得た。日本に来るまで、稼ぐことといいことをすることのバランスにゆれていたが、困難に負けないでいいことを続けるサンフォーレの社長の姿勢に感銘を受けた。これからは自分もdo goodを堅持することを表明しなければならない。

6.楊出雲 NORLHA (NORL= ヤク、HA=神)

 甘粛省の拉卜楞寺(仏教聖地)に近い仁多玛村は、たとえば放牧で暮らす6人家族の一人当たりの月収が400元に満たないという地域。食べてはいけるが、贅沢はできず、医療や学校は村外にしかない。羊やヤクは売るのに適した時期がある関係で年に羊は20頭ヤクは3頭ほどしか売ることができず、工事現場の単純作業に従事して現金を稼ぐが、牧畜民の生活習慣には合わない。冬虫夏草は環境的に問題がある上、遠くに行かなければ採れない。そこで羊やヤクをそのまま売るのではく、もっと高く売るしくみを作るためにZAMAAという組織を設立した。現地と別の地域、特に漢民族との文化の交流促進も目標のひとつ。2007年、牧畜以外の現金収入を得るためNORLHAプロジェクトをはじめ2008年に自分達で工場を建てた。1年間をまるまる研修に使い、ネパールの技術者を招いて、短いヤクの毛を糸にして織物を織る技術を習得、ショールなどを作ってエルメスやルイ・ヴィトンなど有名ブランドに毎年5000-6000枚を納品している。職員は非常に尊厳のある働き方をしており、村の40%の家庭が恩恵を受け、解雇をしたことがない。今後は、ヤクの毛の更なる活用を図るためじゅうたん工場を建設して149人の雇用を継続したい。また、診療所の設置や、母語のチベット語に加え中国語教育も受けることになる学齢期前の子供の支援なども行いたい。今年になって、私たちの事業は社会的企業だとかフェアトレードだとか言われるが、自分たちのしていることは呼吸とおなじように自然で簡単なこと。しかし、今回藤田さんの話をきいて、下から上への社会改革をもたらす作用があるかもしれないと思った。

質疑応答
Q:(NORLHAに対し)、高級ブランドに納入するには、競争相手も多いと思うが、どのように勝ち取ったのか。
A:高原に棲むヤクの毛の質は独特で、保温性が普通のカシミヤより高い。有名ブランドと契約できたのは、紹介してくれる人がいたから。(楊出雲)

Q:(富平学校に対し)家政学校の学生は卒業後、北京で働くだろうが、一定期間働いたあとは地方に戻るのか、それとも北京に留まるのか。「北京化」させることに対してどう思うか。
A:5-6年前は、家政学校に入るのは若い中卒・高卒が多く、23.24歳で地方に戻るひとが多かった。もしくは子供がある程度大きくなったら帰るとか。今は、半年とか1年やったあと、進路も多様化している。転職したり、北京に留まって店を開いたり、留学を考えたりするようになってきた。家政学校は経営の安定を図るため、甘粛省の婦女連合会と協力関係にあり、ほとんどの学生が甘粛省から来るため文化的にあまり多様性はない。研修も北京流を押し付けているのではなく、企業から寄付された最新の家電製品の使いかたや、バスの乗り方など生活面での指導が主だ。その後の進路にはそれほどこだわっていないが、家に帰りたいという人がやはり多い。(胡欣)

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  質疑応答に十分な時間が取れなかったので、会議終了後、一部の参加者は夕食を共にしながら更に交流を深めた。メンバーたちは5日間の思い出を振り返りながら、日本の最後の夜を楽しみ、混んだ電車に揺られながら宿舎に戻っていった。

文責:松江直子

 

 

 

 

 

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