2011/09/23 by Matsue

【広瀬敏通】広瀬総本部長:9/10RQ説明会「RQを発展させ、さらなる支援を続けよう」

 9月10日、東京本部のRQ説明会では、広瀬敏通RQ総本部長がボランティアとして続けてきたRQの活動を来年も行っていくために、新たな体制を作っていくことを呼びかけました。
 
被災地の現状
 
 RQの言いだしっぺの広瀬といいます。宜しくお願いします。
 
 東北の被災地は甚大な被害を被って半年経ちました。ちょうど明日で6カ月です。明日はN.Y.の9.11の日であるのですが、東北の震災から6カ月目の日でもあります。明日は東北ではいろいろと鎮魂の祈りなどもあると思います。
 私たちは、阪神など、これまでいろいろな現場で救援活動をやってきましたが、だいたい6カ月が経つと被災地は変わります。ところが、東北は変わっていないんです。
 たしかに、見た目はがれきが片付けられたところもあります。避難所の人々は政府の約束通り、8月いっぱいで仮設に入りました。宮城県内はだいたい入りました。岩手県は少し残っています。
 ところが福島県を見てみるとわかるように、半年どころか今後30年経っても現在進行中の災害がずっと起こり続けます。そのために、被災地の片づけも壊れた家の片づけや清掃も一切できていない状況が起きているわけです。
 我々が主な拠点にしている宮城県を見ても、一部のがれきは片付いてはいますが、三陸の動脈になっている国道45号線を外れると傾いたままの家、壊れたままの家、津波が押し寄せて汚れたままの家など全然片付いていない地区があちこちにあります。
 
 仮設住宅入居による孤立化
 
 そうした目に見えるもの以上に、被災者が仮設住宅に入り、マスコミの報道では「ようやくこれで自分の空間ができてほっとします」という被災者の声を届けていますが、被災者の方と身近に接して、いろいろなお話を伺うと、仮設に入ることによって引き起こされた問題が多く発生していることが分かります。
 たとえば、今回の震災は、今生きている私たちが記憶している災害では起こり得なかったくらい甚大なもので、おびただしい人が家族を失い、仕事も失っています。そうした人たちは、身近な相談相手を失ってしまいました。着のみ着のままでたどり着いた避難所では、お隣同志でお互いに支えあい、悩みも打ち明け合って、いろいろと助け合う関係ができ上がったのですが、避難所から仮設に移転し、集団で給食を受けたりミーティングを持ったりすることが無くなるとドアを閉ざした状態になってしまい、顔が見えなくなって来ました。阪神大震災の時に起きたような仮設入居を引き金にした大量の孤独死のような恐れが現実に発生しています。
  
 コミュニティの崩壊と情報過疎
 
 さらに、地域の再建の問題に付いても、避難所では皆さんで顔を付き合わせ、話合いができていたのですが、避難所から個々人抽選で各地の仮設にばらばらに入り、せっかくまとまりかけていた避難所コミュニティや地区のつながりが再び解体されて、それぞれ自分の仕事を確保することに必死な状況の中で、地域について話し合う場が揺らいでいます。
 そうなると、政府が復興のための補正の予算付けを行い、片づけをした家、あるいは商店を再開した家、漁業や農業を再開する家は、これこれの補助がおりるということが明確になるまでは逆に動けなくなっている。これまでも動けなかった。ただ、それでもみんなで声をあげようと言っていたんです。それが声もあげられなくなった。もし、自分が知らないところで、助成金や補助金がおりたりしたら、自分は取り残されてしまうのではないかという不安やストレスのある状況にある。
 
 ボランティアだからできる親身な動き
 
 先ほども言ったとおり、現地はまだまだ大変な状況でとても片付いていない。そこに政府や専門家の調査団ではなく、一般市民のボランティアである私たちが、モノを片づけたりするだけじゃなく、被災者の強いストレスに痛んだこころをホッとさせる支援を沢山してきた。実際、被災地の方々や被災地のリーダーの方々から「RQがいてくれたおかげで、なんとかここまで来ることができた。支えてもらえた。気持ちが折れずに来られた」と言っていただきました。
 これは自画自賛しているわけではなくて、本当に被災地では顔も覚えられない日替わりのボランティアではなく、身近に相談でき、親身になってなんとかしようと動いてくれる人がつねにいることがとても大事なんです。それが今とても求められている段階に来たんだと思います。
 
 RQの活動の特徴について
 
 ここに集まった、これからボランティアに行こうと思っている皆さんに、この半年、RQがどのような形で活動してきたのかを、お話ししておきましょう。
 
 「現場から学ぶ」
 
 私たちは、マニュアルを持たずに活動を始めました。私たちが、一番大事にしてきたことは、「現場から学ぶ」ということです。「現場から学ぶ」というのは、他のいろいろな事柄でももちろん大切ですが、特に災害現場では状況が刻々と変化することによって、昨日決めたこと、今朝決めたことが全然役に立たなくなったりします。
 目の前で発生していることは、もうすでに今朝決めたことをはるかに上まわる事態が進行しているんですね。1日が24時間以上に濃厚に感じられます。これは初期のボランティアたちの多くが口にしたことです。私たち災害ボランティアは現場に立って考え、現場で行動して現場から学びます。
 
 「徹底した情報の共有」
 
 私たちRQは、徹底的に持てる情報の全てを全員で共有することにこだわってやってきました。私が持っている情報は、今ここに参加している人が手にする情報と同じ質のものです。
 6年前の中越地震の時にも私は川口町のボランティアセンターを運営しながら、1日に4回の全員ミーティングをやりました。さすがに今回4回はできず、朝と夜の1日2回にしましたが、もちろん全員参加です。そこでは、リーダーだけが情報を独占するのではなく、情報という財産を全部共有しようということをやりました。
 なぜ、そんな手間のかかることをやってきたのかとかいうと、ボランティア個々人は、それぞれ独立した人格で大人ですから、情報を共有することで自分で自己判断することができます。どんなことが起きていて、自分はどんなことができるのか。自分で自立した活動やチームを提案して作ることができます。
 実際、RQの各ボランティアセンターでは、実に沢山のチームが毎日新陳代謝を繰り返し、生まれては消え、生まれて消えています。私たちは個々の活動が消えていくことを躊躇しません。必要がなくなったらやめる。その代わりに新しい活動が新しい状況で生まれてくる。それは私が指示するのではなく、ボランティアたちが提案し、創ります。提案は撥ね退けないという約束。未経験の人の提案でも取り入れて、皆で改善していく。もちろん、みんなが納得すればですが。
 
 「誰も責任は負わない」
 
 これは良く言われた言葉ですが、「ボランティアは自己責任」です。ここまでは一般にメディアの報道でも言われてきました。ところが、私たちは自己責任という言葉を「誰も責任を負わないよ」と伝えてきました。これは通常の会社やNPOではありえないことです。日本社会では常に三角形のヒエラルキーの仕組みがあり、責任は自分以外の誰かが負います。でも私たちは、全員が自己判断で動く、災害支援ではその場で判断をしなければならない場面がいっぱいある。したがって、その責任は自分が負って動く、誰も責任を負わない。
 「お前、責任逃れしているのか」と言われるかもしれないかもしれませんが、災害ボランティアが、会社のように上が責任を負う仕組みであったら、すべての活動はおびただしい押印を必要として、骨抜きの活動しかできなくなってしまう。自分だけで、ほかの誰も責任を負わないから、大胆で、臨機応変な活動ができるわけです。
 
 「ルールを最小限に」
 
 昨日までお互い知らない人同士が大勢集まっているので、ほって置くといっぱいルールができているはずです。そうしたルールをいっぱい作って、ルールブックができていくと、ルールを守るためのルールが必要になります。そうするとルールを守るための番人が必要になります。
 そういった組織はここでは無用です。我々はその場限りの、本当に今被災地に役に立つことをやろうということに徹しているし、それができるだけの情報の共有をもち、しかも全員が目的も共有しています。だから、ルールは最小でいい。最低限のオリエンテーションはやりますが、基本的なルールは最小限にしてきました。
 
 「ボランティアのためのボランティア」
 
 ボランティアは、被災地の現場に立って、被災者の方と顔を合わして行うのがボランティアだと思いがちですが、全員がそうなってしまうと活動が成り立たなくなってしまう。ボランティアのすべての活動を無事にできるよう調整し、被災地や他のボランティア団体とも活動をスムーズに行うための調整が必要になります。
 それから、我々は朝、昼、晩と、食事を提供しています。飯を食えなければ何もできない。キッチンの体制を最初から作ってきました。
 番頭というチームもあります。ボランティアが沢山集まっている活動している現場ではいろんなことが発生していて、それを細かくフォローしたり、施設の営繕や清掃など縁の下の力持ちが必要になる。それをいつのまに番頭と呼ぶことになりました。
 それから、東京と現地を結ぶRQバスもボランティアです。ドライバーもボランティア、バス自体もボランティアです。全部ボランティアで担って、とても安上がりに運営することで、ボランティアの負担を減らし、現地の活動をより長くできるようにしています。ところが、バスに乗ると、なんとなく営業バスに乗った気になってゴミをそのままにして降りる人もいるみたいです。ドライバーさんが車内で案内をするときにもおしゃべりしたままで全然聞いてくれないと、ボランティアでやっているドライバーさんも辛くなることがあるわけです。お互いに気を配りあって、みんなが気持ちよく活動できるようにするのが基本的なスタンスですから、そのことをみんなに知ってもらいたいです。
 
 「不公平な活動でもよい」
 
 RQは公平な活動ではなく、不公平な活動をやっています。一般的に、社協や行政などでは、集まってきた支援物資が人数分に足りないと、不公平になってしまうので配れないという発想になり、その結果、時期を失したり、食品なら腐らせたりしてしまうこともあるようです。私たちは、支援物資を小分けして皆で分け合えばいいじゃないか、それが無理なら本当に必要としている人を優先して配ればいいではないかと考えます。
 ただし、私たちが手を伸ばせるのは、夥しい何百万人といる被災者の中のごく一部です。それを良く理解して、できるところには徹底してできることをやっていこう、その代わり隣の手の届かない人にはとても不公平な状況が生まれているということをしっかり理解していこうと考え、活動をしてきました。公平にするために最初にしっかりした仕組みを作って、活動自体は後回しにするということはせず、とにかく機動性、スピードを優先して動けるところで動いてきた。それはとても不公平な活動でした。
 
 「臨機応変」
 
 とにかく行動が大事。考えや議論は後に回そうということも度々ありました。目の前に発生している事態でコトを作ります。そのために事前に決めたことにこだわらない。そういったことは、通常の会社では問題になりますが、災害ボランティアではむしろ、当然なのです。
 
 「適材適所」
 
 全員がヘルメットと防塵マスクと安全靴を履いて、みんなに重い瓦礫の片付けを強いるというようなことをしませんでした。できることをできる人がやる。私はおしゃべりが得意。ご飯づくりが得意。マッサージができます。私は足湯が好きだから、足湯をやってみたい。そういうアイデアをどんどん取り入れて、全く普段着でボランティアに来てもらってもいいようにしました。
 ただ、これはRQ内でも議論があります。そんなことを言ったら、ろくでもない人が来たら、どうするんだということで、ボランティアに来る人にある程度の「覚悟」を持って欲しいので、安全装備を全部揃えてくるようにボランティアの参加条件から消さないようにと言う意見もあります。これには私自身、けっこう戦ってきました。私は最初の説明会から「普段着」でいいといっています。「広瀬さんがそういうことをいうので、訳がわかんない人が来たりするんですよ」と言われますが、訳がわかんない人もRQのボラセンにくれば納得して自分で動き出します。それでも動こうとしない人が稀にいてもいいじゃないか。できる人ができることをやればいいと思っています。
 
 「柔軟な考え方」

 人の多様な意見やスタイルを拒否せず、まずは受けとめようということを大事にしてきました。それから、どんなことが必要とされているのかを的確にキャッチするアンテナを磨いておこう。そこから活動を作っていき、行動に移す。行動を起こすまでにいろんな人に許可をとったり、会議で合意を得ようというのはマストではない、ときにはすぐに始めてもいいじゃないか。それは、災害ボランティアだからなんです。災害ボランティアは、速さというか、「今求められていることに今応えるということ」がとても大事です。
 
 「アメーバ組織」
 
 長く現地で活動していると、自分の存在がそこそこ大きくなっていて、自分がいなくなったら、この活動はダメになると思いがちですが、実はそんなことはありません。人間は、とても融通のきく能力のある生き物です。だから、誰か一人がいなくなっても、なんとかなります。優秀な現場リーダーの抜けた穴は痛いことは事実ですが、それで活動が消滅することはないのです。やり方は変わっても必要があればまた動いていくものです。アメーバは、どこを切り取っても再生します。ボランティアは、2、3日、長くても一週間。中には「2、3日だけです」と言って参加して、3カ月、4カ月もいる人がいますが、それでもその人が帰れば他の人が埋めていきます。
 
 「責任者はいらない」
 
 私たちは、全員がボランティアで指揮官はいらないと考えてきました。日本人は「責任者」という言葉が好きですよね。「あの、すいません。責任者はどなたですか」と登米本部にいると毎日誰かが訪問して来ます。そうすると、私が呼ばれていくんですが、私は責任者だと思っていません。この言葉は一見、潔く聞こえますが、チーム個々人の自己責任を弱めてしまう力を持っています。みんながみんなの活動にそれぞれに責任を負っていることで、気持ち良い活動ができています。RQは三角錘ではなく、平面な組織なのです。
 
 さて、以上のようなことを日々のミーティングで毎日言っているわけではありません。行けばわかるんです、行けば。
 たとえば、RQに初参加の人が、ミーティングに参加してみると、責任者とおぼしき人やリーダーが延々話して、自分はじっと聞いていればいいと思っていたら、いろんな人が立ちあがって、いろんな話をしている。そして、その場で決まっている。そうしたら、私も言えるんじゃないか、私も考えてきたことを言ってみようとなるんですね。それがRQです。みなさんが現地に行った時に、現地では、指示を待っていても何もできないことに気づきます。自分で手を挙げて自分が動きださないといけません。
 
来年もボランティア活動を続けよう
 
 6月30日までを第1フェーズ、緊急支援期と位置付けてやってきました。7月1日以降のことは未定でした。
 3月13日に私たちは、ここの場所から現地に行きました。それをきっかけに14日に救援組織を立ち上げて、18日に仙台に現地本部を作った。仙台は、交通の便もよく、大都市だし、被災の状況も軽かったために政府機関や大手のNGOが集まってくることがわかったので、石巻から北のエリアをわれわれの活動場所にしようと、登米に行きました。
 なぜ登米に拠点を置いたかというと、江戸時代よりもずっと前から三陸沿岸の町々は、内陸の方に入る道がなかったので、海の幸を細々歩く道や馬で引っ張る道しかなくて、細い道の集まった場所、あるいは北上川の水運の拠点が登米だったんです。
 そういう歴史的な位置にあった場所を我々はたまたま拠点にしました。
 
 今、登米にはいろんなボランティア団体が集まっています。そこで、3月の時点には、6月末まではボランティア活動をしよう、その後は中長期的な支援が必要になるだろうから、復興拠点となる自然学校を各所に作っていこうということを話し合っていました。
 ここでいう自然学校とは、自然の豊かなところで子どもたちを集めて、自然観察をしたり、ゲームで遊んだりすることだけをしようとするものではなく、現在全国に3700ある自然学校の多くは過疎地域などで地域の担い手となって活動しています。多くの過疎化高齢化した地域で若い人を見たら自然学校だと言えるほどに、各地で地道に地域を元気にするために一生懸命に自然学校をやっている人が増えています。
 その自然学校が災害被災地でこれまでも中核的に活動して来ました。たとえば、3年前の中国四川大地震の時に、100万人近いボランティアが中国で動いた歴史的なでき事が起きたんですが、1年半ほどで大半のボランティアが引きあげてしまって、今は被災者と壊れたままの町が残っている状態。この町の復興はだれがするのかということで、四川に自然学校を作ろうという話合いが今、動き始めています。
 私たちも、被災地域の復興と再生の担い手となる自然学校を作ろうと考えてきました。5月ごろには6月に終わるのはありえない、7月以降もさらに来年もボランティア活動は続くということで今日に至りました。
 
 活動を続けるために新しいRQを作ろう
 
 私たちは、宮城県内に5か所のほか、岩手に1か所、福島に1か所の仲間の拠点を持ち、毎日大勢のボランティアが集まってくるRQという大きな図体なのですが、その大きな体でエネルギーも資金もたくさん使う図体は年内までで終わっていきます。
 それ以降は冬越しができる省エネの小さな図体で活動を継続し、できれば来春には新しいRQができたらいいなと考えています。新しいRQとは、すでにRQという名前も使っていないかもしれませんが、現在のようなボランティアだけのチームではなくて、冬越しの間にトレーニングを経て専業化した小数のスタッフを軸に、ボランティアや地域住民、行政などとの協働の体制を作って動ける中長期的なスパンを持つ復興活動や交流活動の拠点となる組織、それを私たちは「自然学校」と呼んでいますが、その自然学校を作ろうと考えています。
 これはRQが生まれた3月時点から一貫して構想してきたことです。そのために、現地の自然学校(名前はどんな名称になるかだれも分かっていませんが)を作ることや運営することをバックアップしていく全国機関として、“一般社団「RQ自然学校センター」”を作ることを決めました。ここがあらたな第2ステージのRQを支援する人的、資金的サポートの機関と位置づけています。
 
 その辺を少し解説すると、震災当初の「緊急支援期」では、とにかくボランティアが自分でできることをやろうとかけつけた時期で、物資や食糧を被災者に届け、避難所の応援、ボラセンの運営など様々な活動をやってきました。緊急的な時期が終了して現在では被災者の自立のための雇用や仕事作りといった「自立支援期」動きだしています。
 同時に、仮設入居で始まった被災者の個々人のケアや生活をさまざま支援していく「生活支援期」も動いており、そこに加えて、失われた地域を再生、復興させていく「地域支援期」が始まりました。例えば仮設商店街を作ろう、地域の復興を担う組織を作ろう、地域資源を生かした産業を作ろう、現地に有益な企業をどんどん誘致して、企業がしっかりと復興ビジネスとして現地に関わってもらおうというような地域支援が動いています。
 我々RQがボランティア体制の延長で取り組めるのは、おおよそ生活支援までの範囲になってくる。そうすると、今から大きく始まる地域支援や今後も続く自立支援や生活支援はある程度しっかりした組織が長期にやっていく体制が必要になる。そこでプロパーのスタッフチームが地元行政や住民とともに全国のボランティアに引き続き来てもらって仕事していく体制に切り替えようと考えています。
 
来年以降のRQの活動を現地で担う自然学校というか、復興センターというか、名前は未定ですが、その現地の拠点を支えていくための後方支援を行うのが一般社団RQ 自然学校センターというわけです。
 
 できれば、来春ぐらいまでに、地元の住民、被災者の若者、ボランティアの長期の人などが中心になって、ボランティア体制ではなく、少数の専業スタッフ体制として、現在のRQボランティア拠点が専業チームの運営する組織として生まれ変わることを期待しています。
 「期待」というのは、実際にそれを担う人が幾人も現れて必要なスキルを学ぶトレーニング(RQで今秋から実施します)を受けてもらい、晴れてスタッフとして活動してもらえる状態になることであって、私自身がその現場で仕事できるわけではないからです。私はその皆さんが仕事しやすいように様々なバックアップ、後方支援をするつもりです。
 
 現地の「RQ自然学校(仮称)」は、どんなことをやるのか。被災者の生活支援や自立支援を続けます。ですが、より重要になってくるのは地域支援になるでしょう。さらに、地域の交流産業を生み出して現地に全国の人々がボランティアやお客として集まってきてお金を落としていく仕組みを作っていきたいと思っています。そのためには、被災地や周辺地域の資源を生かしたプログラムを作ったり、資源を磨いたり、人材を発掘したりすることも重要です。
 
 繰り返しますが、RQは年内にボランティアの受け入れをやめるのではなく、来年もボランティアを呼びかけます。その受入れ団体が現ボランティアチームから自然学校のような組織的なチームとなって、より専門性を高めていくでしょう。それをサポートして側面でコーディネートする「一般社団RQ自然学校センター」も生まれます。
 
 12月9日にはRQの活動の総決算というか、これまでの災害ボランティアとして刻んできた短い歴史を総括するシンポジウムをやります。ぜひご参加ください。
 

 日程:2011年12月9日 15時~20時
 会場:東京・国立オリンピック記念青少年総合センター(オリセン)

RQ市民災害救援センターウェブサイトより転載
http://www.rq-center.net/tokyo/14657

This post is also available in: 簡体中国語

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