2011/08/11 by Matsue

【藤田和芳】大地を守る会:日本人が安全野菜を手にするまで(小康雑誌より―前編)

“農薬の危険性を100万回叫ぶよりも、1本の無農薬の大根を作り、運び、食べることからはじめよう”

 35年にわたり、日本の“大地を守る会”は契約会員という形式で農業生産者と消費者をつなぎ、消費者はより一層健康で安全な食品を手にする為に、農家と共同で生産のリスクを担い収益を分け合ってきた。

 2010年、民間の投票による今年の日本社会を現わす漢字は「暑」であった。 
 今は冷たい雨の降る冬だと言うのに、多くの日本人は今年の夏の酷暑がまだ骨身に沁みている様だ。東京で日本人と話している時にしばしば話題になった。最高平均気温を記録した夏は、多くの人が熱中症になり、ひどい場合は死亡者も出た。東京等の大都市では野菜の価格もこれに伴い高騰したのも記憶に新しい。
 言語、語彙のユーモア感覚や創作力に関して日本人は中国人に及ばないだろう。同様に野菜の価格が急騰しても“豆你玩”(訳注:豆に弄ばれる)  “ 蒜(ニンニク)你狠”(訳注:冷酷なヤツ)、“糖(唐)高宗”(訳注:砂糖の価格が高い事を唐代の皇帝、高宗の名にひっかけている)の様な、人々をなるほどと笑わす新語は日本では出てこない。
 東京で中国語教師とガイドをしている広瀬由美子さんは今年の野菜価格についてただ笑うばかり。“トマトも食べられないわ”彼女の御主人は三菱銀行の行員、彼女の収入も足せば決して生活に困るような家ではないが、それでも一個200円のトマトは買えないという。
 しかし、ある農家のグループは野菜価格高騰の中にあって毅然として動ぜず、市場価格をはるかに下回る値段で“大地を守る会”という組織に野菜を売っていた。中国人から見ると、“頭がおかしくなったのでは?”と多くの人は考えるだろう。しかしながら、何故この農民達は市場経済の常識と全く違う選択をするのであろう?

大地を守る会の選択:
農薬を散布しない“安全野菜”の為に
 1975年に設立された大地を守る会は、有害な農薬を無くし、有機栽培農産物の安定供給を当初の目的として登場した。1975年の日本は今の中国とかなり似たところがあり、人々は食品の安全、特に農薬や化学肥料で促成栽培された野菜や果物について憂慮していた。
 当時の日本は高度経済成長期にあり、敗戦後の貧困生活を経て、人々は大量生産、大量消費という発展のスタイルを切望していた。工場の煙突からは真っ黒な煤が吐き出され、近代化のシンボルとされた。農村では何百年にもわたり営まれて来た丹念に耕作する伝統の農業スタイルは、時代遅れと見なされた。都市では、野菜や果物は見た目が新鮮かつ艶やかで美しいものが人々に好まれるようになっていった。種々の原因から、大量の農薬散布、広範な化学肥料の使用に因って農作物の生産効率を向上させる“効率革命”が日本の農村で全面的に展開されることとなった。

 当時、有識者と主婦達は、農薬や化学肥料促成栽培で育った野菜がもたらす危険性について憂慮し始めていた。1974~1975年、有吉佐和子氏は朝日新聞に《複合汚染》を連載し、農薬が人体に与える危害から、更に掘り下げて、長期にわたる農薬使用が土壌に永久的な汚染をもたらすという深刻な結果について、多くの事例を挙げて証明した。当時、まだインターネットもない時代であったが、有吉佐和子の文章は社会的に大きな反響を引き起こした。
 大地を守る会はこの様な背景の下に必然的に誕生した。創始者の藤田和芳氏は農村の出身、1960年代東京の上智大学で学生運動のリーダーをやっていた。今でも毛沢東に対して特別な思いを抱いている。卒業後は小さな出版社で働き始めるや否や、ミネラル肥料で野菜を栽培している農家を助けたいと考えた。彼らの野菜は大変味が良いのだが、農薬を散布しない為に虫食いの穴があり、他の生産物と比べ良い値段で売れなかった。
 熱心な藤田氏は農家の人たちを連れ、東京の農産物流通を担う生協などを訪ね歩いたが、責任者は、みずみずしくもなく、虫食い穴の有る野菜を全く気に入らず、農家の人々に対して、当時の市場価格と比べて割高な価格を提示するなんて、全く理解できないと言った。販路開拓の望みを断たれた藤田氏は自ら街で野菜を売り始めた。
 東京のとある住宅地、ベテラン主婦達は物を見る目があり、藤田氏の車の中の“安全な無農薬野菜”を争うように買った。この後、藤田氏の“安全な野菜”はここから徐々に販売地域を拡大していった。1年後、1975年8月、“大地を守る会”は設立された。300人近い農家の人々と消費者が参加した。彼らは大地を守る会の最初の支持者たちでありメンバーであった。1977年、株式会社を設立した。
35年が過ぎ、現在、大地を守る会は2500人の生産者会員、91000人の消費者会員を有し、年間取引高は153億2613万円(10億2000万人民元余)に達する膨大な組織に発展した。営業内容は宅配、インターネットの有機農産物販売、食材の卸売、自然住宅事業、マルシェ事業、日本料理店、キャフェ等である。
東京では至る所で大地を守る会のマークを目にする事ができる:華やかな銀座にある、歴史ある高級デパート、三越にある大地のマルシェコーナーは食指を動かさずにはいられない。また、東京の住宅地では、野菜入り段ボールを満載した“大地宅配”の緑色の配送車をしばしば見かける。

詐欺行為の契約農家は即解約
 学生運動を経験した藤田氏だが、大変現実的な考えの持ち主でもある:ただ単にスローガンを叫んで農薬使用反対を叫ぶのみでは何の意味もなさない。新しい価値観を提唱し普及させるには、小さな事、たとえ一本の大根でも消費者の手元に届ければ、スローガンを百語叫ぶよりその効果を得る事が出来るのだ。
“我々は新しい栽培行程、流通システム、及び新しいスタイルの消費文化を創り出すことを願っています。大地を守る会が発展するためには、この三者のうちのどれ一つが欠けてもだめなのです”藤田社長は《小康》記者にこう述べた。彼の言う新しい栽培行程とは、極力農薬、消毒剤を使用せず、有機肥料を土に撒き、調和のとれた循環型の農業を創ること。新しい流通システムとは、契約会員の形で農家と消費者を繋ぐこと。消費者は、より一層健康で安全な野菜を手にする為に、農家と共同で生産のリスクを担い、収益を分け合う。農家は有機栽培法で新鮮で栄養のある食料を提供する。生産者と消費者が絆を結ぶことにより、消費者の長期にわたる健康を守るだけでなく、農家の安定した収益も守り、そして最も重要な事は土地が永く生命力を持つことが出来るのだ。新しい消費文化とは、野菜、果物の外観はさして重要ではなく、美味しさと安全が最も重要であると消費者が理解する事である。

 大地を守る会のこの理論は言うのは易しいが、35年の発展の過程は紆余曲折、ようやく利益パターンと社会責任の均衡点を見つけた。
 性格はオープンで、お酒も踊りも大好きな長谷川さんは同会の設立にかかわった一人である。35年間、彼は一貫して藤田氏の傍らにおり、大地を守る会が種々の挫折を克服するのを見てきた証人でもある。最初の5年は営業も物流も経験がなく、失敗は免れなかった。
 更に、当時農薬を使用しない農家は既に大変少なく、大地を守る会の主張は農家の人々から見れば原始的な生産への逆戻りとみなされた。農薬を使用しないと病害虫を防除するのが難しく、消費者の多くも虫食いのある野菜は認めてくれなかった。最初の数年間は色々な障害にも出会った。経済的な苦境は長谷川氏と藤田氏の生活が維持できないほどであった。“当時、明日はもう行けない、と何回も考えたものです”と長谷川氏は笑いながら回想する。続けられたのは、消費者が健康で安全な野菜を食べて彼らに言う“有難う”の一言であった。“もともとは売り手が買い手に対し‘有難うございます’と言うものですが、大地を守る会の消費者達は、健康で安全な食品を口にすることが出来ることに対し、我々に‘有難う’と言うのです。我々もそれが誇らしくてね。我々が築こうと考えた新しい流通関係は、消費者と生産者が互いに信頼し合い、農家は市場価格の変動に因り損失を出すことのない事、また利益追求の為に不健康な農産物を生産しない事であり、これが我々の前進の原動力となりました”

 今回、東京近郊の千葉県、群馬県等で大地を守る会と契約した農家を見学したが、彼らは丹精込めて農地を芸術品の様に作り変え、尽きることのない知恵と栄養を肥沃な土に注ぎ込んでいた。クレヨンしんちゃんの故郷埼玉県(東京の南100キロ)本庄市に瀬山家の経営する農園がある。中国に2年留学した経験がある瀬山さんは、除草剤を決して使用しない。父とともに灌水法で植物抽出物を散布し、害虫の天敵であるトンボや青ガエルを使って病虫の害を防いでいる。1980年代の終わりより、瀬山家は3ヘクタールの土地の作付けを開始し、今では一家4人はここを生気あふれる土地にすっかり造り換えた。瀬山家の前庭には緑色の春菊が繁茂しており、一行の一人が葉っぱをつまんで口に入れ、懐かしい味がすると言った。
 瀬山家の傍らには作柄の良い立派に成長したネギがあり、二つの土地の間には2メートルの距離が空けてある。瀬山さんによると、隣は有機農業には関心が無く、農薬を散布しているので、お互いに影響を受けないように2メートルの隔離地帯を設けているのだという。隔離地帯の左側にある瀬山家の土は肥沃で柔らかいが、右側は乾いて固まった塊が多くみられる。
 大地を守る会の契約農家にとってちょっと厄介なのは、多くの文書の署名を我慢してやらなければならないことだ。覚書や生産者保管書類や材料表(予め農薬以外の肥料の全成分を登録する)や、作付け計画書等、農家の基本的情況、購入した種子、防虫、除草等栽培の仔細に亘って全て書類上に記録し、いかなる不実もあってはならず、いかなる詐欺行為でも見つかり次第、取引は停止する。
 大地を守る会の農産部で働いている吉原清美さんは本誌記者に語った。以前、ある農家が玉ねぎ作付け時に書いた材料表と計画書で、如何なる農薬も使用しないと承諾したにも拘らず、その後の生産物検査で同会が禁止している農薬の使用が判明した。この農家は一生懸命謝ったが、話し合いを停止した。一方で有機農業の精度を高める為に、同会は農林水産省と協力して新しい有機農業の基準を出すように働きかけている。更に、2000年1月、大地を守る会の各種契約販売農産物の生産加工細則を社会に公表した。10年間この細則は更なる改善を求めて更新を続けている。

後編に続く)

文:陳艶涛
編集: 龔紫陌
小康雑誌ウェブサイトより翻訳して転載
http://xkzz.chinaxiaokang.com/xkzz3/1.asp?id=4949
翻訳:西口友紀子
校正:松江直子

This post is also available in: 簡体中国語

投稿記事一覧:

Facebook Twitter 微博

CATEGOLY