2011/07/20 by Matsue

RQ市民災害救援センター現地本部のボランティア体験記

未曾有の災害から4ヶ月となる7月11日の朝、私はいつものように家族を送り出し、大急ぎで洗濯物を干してから、家を出て駅に向かった。3泊4日の日程で、宮城県登米市にあるRQ市民災害救援センターの現地本部にボランティアに行くのだ。

  東京・西日暮里の東京本部に集合して説明を受けたあと乗り込んだマイクロバスは、福島県のもくもく自然塾が震災後の早い時期から週2往復便を提供してきたもので、今日がラストラン。夏休みでボランティアが増えるため、帰りの便からは中型バスにバージョンアップするとのことだ。

窓からの熱風(!)を楽しみながら、周りの人としゃべったり、うとうとしたりしつつ東北道をひた走り、現地本部の鱒渕小学校体育館についたのは夕方。河北、歌津、唐桑、小泉の各拠点で作業していた人々も続々と本部に戻り、三々五々夕食をとる。夜7時半からの全体ミーティングは、黙祷から始まった。デリバリー、フロア、キッチン、ますぶち(本部の隣の校舎に非難されている方たちの支援)、番頭、総務、そして各拠点のチームごとにその日の報告をし、翌日の作業予定と必要な人数を発表する。

私は体力に自信がないので、キッチンを手伝うつもりで来たのだが、物資管理をするフロア係の募集に思わず手を挙げた。たまたま、学校向けの図書整理係を募集していたのだ。私は絵本や児童書が大好きで、子供の学校のPTAで図書ボランティアとして読み聞かせの授業を担当していたこともあり、子供のための本の作業に是非関わりたかった。ミーティング後は、キッチンを少し手伝い、翌日に備えて11時の消灯前に寝袋にもぐりこんだ。 夜半、比較的大きな余震があり、体育館の天井がきしむ音で目が覚めた。照明とテレビが点く。身を起こす人もいれば、気づかず眠っている人もいて、私もすぐに再び眠りの国へ。

翌朝起きると、遠くの活動拠点に行くチームの人たちが、自分でおにぎりを握っていた。毎晩、キッチン係は、二升炊きのお釜のいくつかを、5時半に炊き上がるようにしかけているそうだ。6時半の朝食前に出発するチームもある。8時半の作業開始までは、キッチンでたけのこの皮をむいたり、ジャガイモの芽をとったり。60~70人分の食事を作るキッチン担当は、この日なんと二人しかいなかったのだが、少しでも時間のある人が、かわるがわる手伝いに来る。

8時半になり、いよいよ作業開始。倉庫にしまわれていた児童書と絵本のダンボールをフロアに運び出し、幼稚園向けと小・中学生向けに分類し、汚れているものや名前の書いてあるものなどをより分ける。懐かしさについ広げたくなるが、そんな時間はない。遠くの倉庫に保管してあった分も届き、その全体量の多さに唖然とする。全国から贈られて来た児童書や絵本の中には、どうみても人に贈るのにはふさわしくないようなものもあり、物資支援のむずかしさを仲間と話したりした。「体は疲れないけど、頭は疲れるわね」と仲間。寄贈者の想いがこもった本を、できれば全て活用したい…。 なんとか翌日学校に届ける本を選んだが、学校との打ち合わせから戻ったリーダーによれば、学校にはすでに相当数の寄贈本があり、明日は運び込んだものの中から、ほしいものを選ぶとのこと。むしろ一緒に寄贈する本棚に期待されているようだ。

翌日は朝食後、バケツリレーで本と本棚の材料である組手什(くでじゅう)を軽トラックに積み込み、6人で出発した。組手什とは、間伐杉材の組み立て棚キットで、2mと1mの二種類の板材に組手切り加工がしてあり、釘を使わずに様々なサイズの棚などを作ることができる。関連情報:http://www.nnn.co.jp/news/110423/20110423001.html

向かった先は登米市の善王寺小学校。壊滅的な被害を受けた南三陸町の戸倉小学校・中学校が、廃校になっていた内陸の善王寺小学校に避難している。子供たちは避難所や、避難先などからスクールバスなどで通っているとのこと。七夕飾りも懐かしい昇降口をお借りして、いざ本棚作りだ。「慣れれば一つ15分でできるはず」だったが、結構梃子摺り、午後からはかなりスピードアップして仕上げた。コツは体重をかけて、組手をはめ込むことと体得。汗を拭き拭き作業していたら、見兼ねた教頭先生がアイスを差し入れてくださったが、ちょうど戸外活動からもどってきた子供たちに見つかって、散々うらやましがられてしまった。それでも、子供たちの明るくて元気な笑顔を見ることができて、疲れも吹き飛んだ。

夕方、本は半分以上持ち帰る結果となったが、本部に残ったもう一人のリーダーが、うれしい段取りをつけてくれていた。岩手県の遠野文化研究センターが被災地の公共図書館支援のため、100万冊の本を募集しているというのだ。(後日知ったのだが、我が家の近くの神奈川大学が「東北ボランティア駅伝」と銘打って、このプロジェクトを支援し、学生や教職員が途切れることなく図書の分類・整理・データ入力に取り組んでいるとのこと) 一安心して、その日の夕方は近所の地域福祉センターでお風呂に入れていただき、夕食後は他の拠点からもどった人に被災地の写真を見せてもらったり、それぞれの経験を披露しあったりした。

そして最終日、遠野への本をバケツリレーでトラックに積み込み、仲間を見送ったあと、総務から声がかかったゆかたプロジェクトの手伝いをし、10時発の東京行きボランティアバスに乗り込んだのだった。

RQでのボランティアは、泥かきや瓦礫撤去などガテン系の仕事から、写真クリーニングのような静かな仕事、はたまた食事や総務系などのボランティアのためのボランティア、本当に多様な仕事があり、誰でも自分のスタイルで役割を見つけることができる。そして、背景や年齢もまちまちな、ユニークな人々が参加していて、そういう人々との交流がとても刺激的だった。

また、韓国から二人のボランティアが参加していて、一人は全く日本語ができない中、1ヶ月も留まってやってくれていた。16日には、夜のミーティングに代えて日韓ボランティアフォーラムが行われ、韓国から訪れた16名のボランティアと日本の70名ほどのボランティアがともに活動し、国を超えた人間としてのつながりや絆について話し合ったそうだ。総本部長の広瀬さんは、「日中もやりたいね」と言っている。
関連情報:http://www.rq-center.net/tome/11024

そして7月下旬からは「聞き書きプロジェクト」が始まる。根こそぎ失われた町を復興するには、そこの生活や文化、そして亡くなった方々の人生を、生き残った人から聞き取って記録する必要があるという考えだ。壮大な文化復興のプロジェクトとなる。

RQは、少なくとも年内はボランティアを続け、その後、拠点を自然学校化していく予定とのことだが、もともと高齢化や第一次産業の担い手不足が深刻な東北で、今後どのように復興の道筋をつけていくのか。そして都会に住む私たちはどのように支援できるのか。少なくとも私は、今後もRQの活動に注目し、できることに参加していこう。 そんな気持ちを確かめつつ、田んぼ一面の緑が美しい登米を後にした。

文責:松江直子

写真提供:もくもく自然塾/南三陸町立戸倉小学校

RQ市民災害救援センターついて、詳しくはホームページをご覧ください。
http://www.rq-center.net/

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