2011/07/10 by Matsue

【広瀬敏通】RQのこれから―広瀬敏通@RQシンポジウム

6月30日に行われた「RQシンポジウム」第二部の冒頭で、広瀬敏通総本部長がRQのこれまでとこれからについて総括的なスピーチをされました。録音を元に編集したものを掲載します。
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 そもそもRQとは一体なんなのだろう。私がいいだしっぺでもあるのですが、もともとこういう組織があったわけではありません。震災のために生まれた活動なのです。最初は「組織」と言うのをちょっとためらいました。「組織」というと、三角形のヒエラルキーがあって、意思伝達が上から降りてくるしくみを想像しますけれども、私たちがやっているのは、それではない。もしかすると「ネットワーク」と言う言葉が似合いなのかもしれない。でもそれよりも、「アメーバのような」という言い方がずいぶんされてきました。こんな活動、こんな動きをする組織を見たことがない、と。たとえば、アメーバはどこを切っても再生します。つまり、きわめてユニークなリーダーがいたとしても、その人が帰ってしまったらそこで活動がストップするなんてことがない。これまで、2日、3日とめまぐるしく交代しながら、しかも同じ所を堂々巡りではなくて、発展進化してきたのがRQです。これって一体なんなのだろうとよく言われていますが、やっぱりアメーバなのですね。ところが、ただのアメーバではなくて、ひとつの心を共有しているアメーバ。みんなが同じ方向を持っているので、誰が交代しようがどんどん進化することができる。そんなような形が、この東北震災で私たちが活動のベースとして作ってきたRQというものです。

 RQはいろんなキーワードでも語られてきました。たとえばとても柔らかい。つまり柔軟である。一度決めたことにとらわれない。ひとつの方針で動くということが全くない。方針なんて、もしかしたらないのかもしれない。それから、とても多様であるといわれていました。たとえば今回の震災のボランティアは、みんなヘルメットかぶって、防塵マスクをして、ゴーグルつけて、というイメージ図が新聞などでも随分紹介されました。でもRQは決してそれだけではない。全く普通の格好で行く人も、自分のスタイルでそれなりの役割をつくることができた。つまり人間の社会をこの震災の地で、緊急支援でありながら、なんとか作ろうと考えてきた。だからボランティアの人たちがみんな同じ顔、同じ格好、同じ動きをするのではなくて、多様な動きをすることによって本来被災している人々や地域が求めているものに、できる限り細やかに手を伸ばして行く、そういう形を取ってきました。

 それから、創造性=オリジナリティが豊かだと、いわれてきました。あるいはアイディアがそのまま形になる。ただ、こうすればよいのにとか、ああすればよいとか口でぼやくだけではなくて、それは必ずその日のうちに誰かやり始める。あるいは、自分ではできなくて申し送った人がいたとすれば、翌日には誰かがそれを受け継ぐ。そんな形がとられてきました。
それから言うまでもなく「即行動」ですね。考えて、熟慮してから動くのではなく、走りながら考えて行く、そんなスタイルがとられてきました。佐々木豊志さんや私を見てもらえば分かりやすいでしょう。
また、私たちは公平なことはやろうとしなかった。全く不公平。それで仕方がない、それでいいのだ、と。公平をどうしてもとろうとする行政や行政系のボランティア組織と私たちの大きな違い、それは私たちが目の前にあることにすぐ手をつけて始めるということ。そこの限りにおいてはかなり不公平かもしれない。被災地域全域に行き渡る力を持ってから動くのではないから。でもそれはそれで、そこから、どんどん広げて行くことができます。

 私たちは3月11日の震災翌日に救援組織を立ち上げて動くということを決定し、13日には被災地に動き始めました。仙台、天童、登米とめまぐるしく動き、情報収集しながら、腰を落ち着けて活動できる場所を探し、登米で3月20日から活動を始めた。そこでまず沢山の物資を送り届けました。それは、今回の震災が、阪神大震災や中越地震などこれまで我々が体験した様々な震災と違って、局地的ではなく広域的であった、右も左も縦も横もみんな消えてしまうような甚大な災害だったからです。そのために、まず我々自身が後方支援を持つような体制を同時に構築しながらやっていこうということで、物資の支援をどんどんやりながら、自分達の体制を作ってきました。

 そして4月の頭ごろ、「モノから人へ」という合言葉を使い始めました。それは、緊急的にまず第一陣の物資を届けるのが一通りほぼ達成できたと判断したからです。でもおそらく実際は、3分の一か半分だったかもしれませんが、おおよそ私たちが把握しているところへは大体行き渡った。それから「人へ(の支援)」として、「笑顔を届ける、心を届ける」などの言葉が使われました。つまり、自分達の自然の言葉で、しっかりと被災者の方、地域の方と向き合って、細やかな支援を作っていくということで、ボランティアの人たちは実にエネルギッシュに活動しました。 そんな物資と人の心を届ける両面作戦をそれからおよそ2ヶ月以上ずっとやってきました。

 5月下旬ころから「人から地域へ」という合言葉へと少しずつ移行してきました。被災した人たちにとって、まず自分自身が助かった、自分と家族が何とか落ち着いたら、次はコミュニティ=地域づくりです。人間は自分達だけでは生きていけない。ばらばらに孤立して色んな所に住みなさいと言われても、そこでは耐えられないことも一杯あるわけです。何より何百年も継がれてきた文化・歴史、三陸沿岸の人たちの持つ強烈なアイデンティティが、ばらばらになった途端に危機に陥る。それはなんとか避けたい。だから皆さんは異口同音に「地域を作らなければならない」とそれを今、一生懸命に言っています。私たちもそこに向かって力を注いでいこうと考えています。 
(編注)7月下旬からは「聞き書き」の活動をはじめる予定。チームを作って、失われた地域の生活、歴史、文化や祭りを全部記録し、これから地域を作る上で復興の基盤とする。

 RQは、7/1から第2フェーズという次の段階に入ります。3月13日にRQをはじめた当初は、3ヶ月あればこれまでの災害と同じように事態の終息を得られると考えていましたが、活動開始してすぐ、この震災が到底そんな規模ではないと気づきました。

 「RQはこれからどう動けばいいのか?」それは私たち自身がボランティア団体ではなく、姿を変えることによって、地域と付き合って復興に力を尽くしていくことを計画するしかない。
そこで、頭に浮かんだのが自然学校という形です。実は、3月2日に自然学校全国調査の報告発表会が行われたのですが、全国には自然学校が3700校あり、過去の調査にはない新しい姿を見せていることが分かりました。今まで「自然保護、環境教育、青少年教育」というキーワードが自然学校のテーマだったのですが、現在日本中の自然学校のかなりの人たちが「地域再生」に取り組んで活動していることがわかったのです。ですから、私たちは自然学校の次の展開として、「地域と向き合う自然学校」を具体化する形を作っていきたいと話していた。その直後に震災が起こったのです。
 私たちは必死になって救援活動をやる傍ら、頭の中では自然学校という形がもしかするととても使えるかもしれないと考えていました。なぜなら自然学校はこれまで災害救援で活動してきた実績があり、長期的に地域の復興を支える拠点になることができると言って来たからです。ですから、今回もボランティア団体ではいつまでもやっていられないけれども、もう少し形を変えたものにしていけば、長期的に地域に根を下ろしてやっていくことができるかもしれない。それが「次世代自然学校の共創を核にした復興支援構想」です。共創とは聴き慣れない言葉かもしれませんが、私たちが勝手に自然学校を作って勝手に動くのではない、地域の住民の皆さん、被災者、学校、行政、NGO/NPO、つまり、今、地域社会や復興に関わるできる限り多くの人々が、共に同じ方向を向けるような、ひとつのアクションとしての自然学校が作れないか、ということです。その過程で名前がどう変わってもかまわない。ひとつの場を作りたい。それがRQの考える次世代自然学校の姿です。

 自然学校は、これまで子供たちを自然の中で楽しく過ごさせるというイメージが多かったと思いますが、実はこれまでの災害の中で強みを発揮してきました。野外生活技術があり、コミュニケーション能力が高く、機動力があり、さまざまな活動をプログラムにしてわかりやすく人々に提供することができる。そして、全国にネットワークを持っています。

 RQの各拠点がいずれ自然学校になっていくことを考えています。そこで活動するボランティア、地域の方々、被災者の方々が一緒になって自然学校で働く姿を理想としています。すべてがならないにしても、いくつかは必ずなるだろうと確信しています。

 こうした自然学校が何をやるのかというと、今のボランティア活動の延長線上にはない。ボランティアと地域住民、被災されている方々、さらには行政など色んな立場の人が一緒になって、地域のこれからについて話ができる場をつくろうと。そうすれば、たとえば仮設に入って、顔を合わさなくなったり、情報が得られなくなった人に「日刊新聞」を発行して、地域の情報を伝えたり、是非ここで一緒にやりましょうという呼びかけができるかもしれません。

 そしてRQのもうひとつの特徴、もしかすると最大の特徴かもしれないが、やってくる人たちちが、二度、三度、四度、五度と、何回もやってくる人たちであること。毎日夜のミーティングでその日新しく来た人の自己紹介をしますが、つい先日は、なんと全員がリピーター、最後の人だけが初めての参加だった。リピーター率が高いということは、そこの活動がボランティアにとって手ごたえのある活動になっているということ。それはボランティアの勝手な思い込みではなくて、彼らは被災者と話をしてRQの評価も聞いていますから、RQにまた再び来る事が自分達の役割で、今できることだと思ってくれている。
 また、東北本部がある登米市の市長さんと議長さんが先日来て、「ボランティアが全国から来てくれるのはありがたいが、被災地に行って夜帰ってくるだけで、活動のベースとしているこの登米のことをどれほどの人が理解できているかわからない。できればこの登米のファンにもなってもらえないだろうか」と言われました。それはまさに私たちの気持ちと全く同じだった。私たちは今活動しているこの東北の地が、ものすごく美しい自然に裏付けられている場だということをこの三ヶ月寝起きするなかでしっかり実感してきた。自然の移ろいの美しさ、そこに住んでいる人々の気持ちの純粋な熱さ、を感じてきた。そして東北は「祭りで生きている」といわれる土地柄なのです。普段はなかなか外に向かって色々なことを言わない人たちが、祭りのときには燃える。歌津は塩釜に次ぐ祭りの本場で、とても見事な神輿があるそうです。祭りのときにおじいちゃんから父母、息子、孫まで代々役割を受け継いで参加するのを誇りにしてきたと聞きました。そうしたものが本当に復興できるまで、私たちはなんとかしていきたいと思っています。

 こうしたことを可能にするのは、私たちがボランティアで現地に行っているというのではできない。そこの土地を本当に好きになって、その土地と自分自身の生き方とを重ね合わせるところにいくと、何とかできていくのではないか。全員がそうできる訳ではないですが、先ほどここに登壇してくれた人たちはそういう人です。更に毎日様々なボランティアを受け入れながら、そういう場を着々と作り、雇用の場として少しずつ作り上げてきた。そこ、つまり自然学校が拠点となって、企業の方々や色々な新しい事業を呼び込むような企画も行いつつ、ひとつの地域産業の生み出る場としていきたいと思っています。随分ボランティア団体とイメージが違うなと思われる方もいるでしょう。でもこれは、ボランティア活動がベースになってはじめてそう言えるのです。我々がボランティア活動をやっていなければ言えないことばかりです。できれば年内はボランティア団体として頑張り、越冬隊も組みます。そして一周年になる3月11日には、自然学校を各地に立ち上げるような宣言が生まれるととてもうれしいと思っています。そのようなことを皆さんと一緒にやるために、この7月1日から第2フェーズをはじめます。是非みなさんも関心を持っていただきたいし、できれば参加していただきたいと思っています。

 動画はこちら→ http://www.ustream.tv/recorded/15709845
 配布資料「次世代『自然学校』の共創を核にした復興支援構想」
    → http://bit.ly/kST5IO

資料整理:松江直子

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