2011/05/27 by Matsue

李鵬―「社会芸術家」が世界を変える

李鵬氏は、新疆ウルムチ市出身で、18歳で北京へ上京した。音楽と芸術に関心を持っていたが、公益事業に身を投じるようになり、以前は「花旦工作室」(注1)の中国プロジェクト・マネージャーとして、四川大震災後の事業や北京の出稼ぎ労働者の子供たちの教育事業等を担当。また、NGO、大学や企業等にて多数の演劇ワークショップを実施。その後はフリーランスの公益事業者となり、美麗中国(China Education Initiative、CEI)による「真夏の夜の夢」演劇プロジェクトの監督とPR、「抓馬ベビー教育劇場フォーラム」、北京の798芸術区にある画廊「長征空間」による「根茎フォーラム」等の事業を担当。2011年は、「社会芸術家」の発展に専心している。

「花旦」と「真夏の夜の夢」に別れを告げて

李鵬が公益事業の分野に入ってからの3年間、彼は自分と同じように胸一杯の夢を抱いている人々に出会って交友を深め、全く知らなかった公益事業の分野とも深い縁で結ばれることになった。

「花旦」は、李鵬の旅路において最初の「停車駅」だった。「花旦」とともに成長した数年の間、彼は同僚達と一緒に、四川省の被災地域において子供たちのために事業を展開し、北京の出稼ぎ労働者の子供達のために「小超のお話」上演の演技指導をした。また、様々な参加型演劇ワークショップにも携わった。これらの経験から、彼は演劇を教える方法を学び、弱者グループとの密切な関わりを通じて中国の公益事業の発展についても理解を深め、公益事業と社会問題の関係についてより深く考えるようになった。

「文学青年」は皆多感なのかも知れない。仕事場では「花旦」の同僚達が一生懸命に働くのを見て、帰宅途中には地下鉄の乗客らが行く末もはかり知れない巨大な都市に呑まれていくのを見て、李鵬は、なぜ益々多くの人が都市に職を求めてくるのだろうか、と考えるようになった。背後にはどんな原因があるのだろうか?西部の農村に住んだことがある彼は、若者が、外に出て「稼ぐ」こともせず、そこにある耕地を頼りにしているだけでは、「見込みがない」と思われることをよく知っている。周りの親戚や友人がみな家を新築し、大きな家電に買い換えた時、自分が如何に「無能」と見なされるか、ということも。

「経済発展のニーズや社会の進歩を離れたとき、人々の価値感の体系はどのような影響を受けたのだろうか。都市に出稼ぎに来る人々ばかりでなく、我々の環境、教育、少数民族文化の継承、都市部におけるクオリティ・オブ・ライフ等、種々の相関する問題と社会全体の価値の傾向の間には、どのような関係と影響があるのだろうか」。このような疑問を抱えて、李鵬は「花旦」に別れを告げた。

「私は、公益事業の第一線には、「花旦」のような団体がもっと多くあるべきで、人々が直面している様々な問題の解決を手助けするべきだと思います。しかし同時に、問題の原因について深く掘り下げ、価値観と思想の面で社会に影響を与えようとする人も必要だと思います」

2010年、春が終わり夏になろうとする頃、李鵬は興味深い短期プロジェクトに参加する機会があった。「美麗」による「真夏の夜の夢」だ。このプロジェクトを始めたのは、「美麗中国」(China Education Initiative,略称CEI)という、米国プリンストン大学と清華大学の卒業生が共同でつくった教育団体だ。プリンストン大学、ハーバード大学、北京大学、清華大学等の大学で公開選抜を行い、選ばれた学生達は、体系的な研修を経て、中国中西部の貧困地域の小中学校に、ボランティア教師として1年間派遣された。

この枠組みの中で、李鵬と同僚達は、演劇教育事業の試験的実施を行った。雲南省鶴慶の彭屯中学校で、1学期間、現地の生徒や先生と共にシェークスピアの「夏の夜の夢」を稽古し、現地の少数民族白族の言葉、英語、そして中国語を使って上演した。事業は大成功をおさめ、現地のメディアや中国の中央テレビでも報道された。地元の鶴慶県でも大きな話題となった。「この事業により、教育としての芸術の力を再び感じました。監督とPR担当者として参加者の情熱と地元の農民達の反応を見た私は、『芸術+公益』を自分の進む方向にすることを決めました」

「バイク青年」と思考の継続

8月、雲南省から北京に戻った後、李鵬は更に広く「社会的思考」を続けるとともに、生活と仕事の上でも新しい局面を迎えた。郊外に引越し、フリーランスとなり、バイクを入手した。「都市とその周辺地域やプロジェクトの所在地の間を行き交うことができるだけでなく、チェ・ゲバラが若い頃バイクで旅し、世界観と革命への情熱がよびおこされたことを真似たいと思ったのです」と語った李氏は、快活に笑った。

バイクを持ってから移動が便利になったせいか、様々な人と会う機会がより多くなり、色々なグループの声に耳を傾けるようになった。彼は、その後の半年間に、色々な形態の「芸術+公益」事業に参加した。最初は「Leaders Quest(聚賢坊)」という国際的な社会的企業の文化芸術交流プロジェクト、その後は英国のIOU芸術機構と北京の出稼ぎ労働者の子供のための学校による試験的音楽プロジェクト、さらには「抓馬ベビー教育劇場フォーラム:第一部」、そして友人の燕文君氏とともに「空間・自然」参加型ワークショップをリードした。

「2010年後半の半年間に私がもっとも刺激を受けたのは、長征空間の『根茎フォーラム』です。フォード財団の資金援助による事業で、財団が以前サポートした文化芸術系のNGO同士をつないで、互いに交流し、経験を分かち合うことで、共に前進しようという意図です」。李   鵬は、この事業を通じて、国内で文化芸術関連の公益事業に携わっている団体について理解を深めた。「土風計画」の陳哲先生、「蒲公英(タンポポ)計画」の謝麗芳先生等の英知と勇気あふれる先輩方や、「工友之家」の孫恒氏等、草の根NGOの人々と知り合うことができたのだ。これらの団体と全面的に接触することで、思考の方向が更に明確になった。「芸術+公益」という形態の事業にはずっと惹かれてきたが、それは正に、「芸術」が展開する伝統的な問題解決方法と異なる浸透力、そして「公益」事業の社会性のためだ。そしてこの二つが結合することで、より大きな可能性と創造空間が生まれる。ビジネスとグローバル化という強力な潮流の中で、中国の社会が発展するためには、正にこのような創造力が必要とされている。

答えは「社会芸術家」

半年に及ぶ「つらくも楽しい」集中した考察を経て、李鵬の思いはより明らかになった。新年を迎える前後の数日、芸術家の友人らとの集まりでのブレーンストーミングから出た火花が、彼に明確な答えを与えてくれた。「社会芸術家」だ。

「『公益』という枠を超えて考えてみると、『WABCバリアフリーな芸術の道』の苗世明氏が言うように、『社会の様々な資源や団体を絵の色彩と素材に見立てると、これらが作り出すプロジェクトが芸術作品だ』。芸術家のやり方で我々の世界を考察して描き出し、創作し、影響を与えよう」

李鵬は、「社会芸術家」の定義は、まだはっきりしておらず、知っている人も少ない、と語る。初期の頃の「CSR(企業の社会的責任)」や、今の「社会的企業」の発展と同じだろう。「だからこそ我々の仕事は有意義だと思っています。今すでに『社会芸術家』として活動している人々がいて、その一人一人や各団体が、故意或いは無意識の内に、「社会芸術家」という概念に意味を与えていくからです」

2010年、李鵬はしばらくの間歩みを止めた。そうしたからこそ、遠くの空が見え、明日進むべき方向を見出すことができたのだ。新しい一年の初めから、明確な方向に向かって努力することができる。彼は新しい旅路に出たのだ。

(執筆:李鵬、編集:周丹薇)

注1:「花旦工作室」について
2004年に創設され、参加型演劇の手法と芸術活動を通じ、中国の出稼ぎ労働者の個人の能力、社会的地位と経済水準を高めることを目的としている。参加型演劇という活動を通じて、コミュニケーション能力、自己意識、チームワーク、リーダーシップ、自信等を高め、参加者の生活の質を向上させる。団体ウェブサイト:www.hua-dan.org
(訳注:花旦とは、京劇などの中国の伝統劇の色女形で、元気のよい女性役の名称。)

《社会创业家》2011/1-2より翻訳して転載
http://www.npi.org.cn/uploads/magazines/npo/2_1849_103317.pdf

翻訳:A.K
校正:松江直子

This post is also available in: 簡体中国語

Facebook Twitter 微博

CATEGOLY