2008/11/30 by GLI Japan

【広瀬敏通】進化をつづける日本の災害救援ボランティア・NPO

今年の春節(旧正月・今年は2月7日)前後、中国南部は50年ぶりという雪害に見舞われた。大勢の帰省客が、駅や空港、高速道路上で疲労と寒さに苦 しんだこの間に、中国のNPOによる救援活動の動きはあまり伝えられず、議論が巻き起こった。GLI上海事務所では、海外のNPOとボランティアによる災 害救援の事例を集めて特別号として発行し、この問題を考えるヒントを提供することになった。

特別号のために日本の誰を取材したらいいのか相談していたとき、ある方から広瀬敏通さんの事を教えていただいた。「彼はあちこちの災害現場を指揮し た経験を持つ、伝説的人物だよ!」 そこで、さっそく取材を申し込むと、広瀬さんはお忙しい中、快く応じてくださり、私たちは広瀬さんが代表理事をつとめ る「日本エコツーリズムセンター」事務所を訪問した。

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広瀬さんは、タイ、アフガニスタン、インドなどのアジア地域でNGOや「国際緊急援助隊」としての豊富な活動経験がある。1982年には、日本で最初の自然学校として富士山麓に「ホールアース自然学校」 を設立し、自然体験プログラムなどの環境教育・エコツーリズム研究・地域振興などの活動のほか、危機管理室を設置して災害教育や救援活動を行っている。設 立から26年がたった今日、自然学校は、その野外技術、高いコミュニケーション能力や対人理解能力、全国に2000ヶ所を超える自然学校のネットワークを 活かし、日本の民間災害救援活動の主力となっているほか、海外でも災害救援を行っている。また、『自然災害ボランティアABC』という本を出版し、市民ボ ランティアが災害救援活動に参加する際のやり方をわかりやすく説明している。

阪神・淡路大震災で誕生した市民ボランティア

よく知られているように、日本のボランティアは、阪神・淡路大震災でのめざましい活躍が社会に高く評価され、NPO法制定の重要な基礎となった。地 震発生後、仲間とともに即座に現地入りした広瀬さんは、翌日には、最も混乱を極めていた「東灘小学校」を避難所と定めて、校長、PTA会長、自治会、およ び区職員と相談しながら、倒壊家屋で道も路地もふさがれた中、救援活動を始めた。

最初、広瀬さんたちは野外技術を活かして被災者の救助活動に当たるつもりだったが、避難所は人であふれ、何がどこにあり、誰が何をしているのかが全 く分からない状況だった。そこで、彼らはまず避難所の機能を整理し、教員、区職員、住民、ボランティアの各々の役割をきめ、相互に助け合う形を作った。日 本各地から大勢の個人や団体のボランティアが続々と集まってきたが、毎日彼らと合同ミーティングを開いて、状況報告、仕事のリストアップ、役割分担を、効 率的に決めていった。バラバラだった人々が担当ごとにひとつのチームとなり、これらのチームが集まって完全な救援体制となった。

阪神大震災の救援活動は2ヶ月半に及んだ。150万人の市民がボランティア活動に参加し、野外教育・自然学校からも、延べ300人のボランティアが 自炊しつつ常駐した。参加した若者たちにとっても、多くを学んだ現場であった。「野外教育やキャンプは本来、非常時に備えるトレーニングから始まったこと を考えると、私たちが此処で働けるのは当然の役割だし、日々そのために腕を磨いてきたと言っても過言ではない」と広瀬さんは言う。

阪神大震災以前は、災害救援といえば、自衛隊・警察・消防署の仕事と思われており、市民も参加するが、組織された動きはなかったという。阪神大震災 ののちは、一般市民がボランティアとして災害救援に参加することは全く普通のこととなったが、なぜそのきっかけが阪神大震災だったのだろうか。

広瀬さんによれば、これには3つの原因がある。第一に、阪神大震は地震大国日本においてもまれに見る規模だったため。第二に、発生地点が神戸という 大都市で、一瞬のうちに都市のほとんどが破壊されたことに人々が大きな衝撃を受けたため。第三に、これは私たちが最も興味深かった点だが、タイミングの問 題である。

阪神大震災は1995年に発生したが、当時、日本の一般市民の社会参加意識はすでに高まっており、多くの人は何か社会に対し、自分の出来る貢献をし たいと感じていた。市民活動団体の数も増え、1960~70年代に公害問題解決の活動に参加した人々が、その蓄積した経験を市民社会全体の活動に応用しよ うとしていた。そのため、阪神大震災では、個人のほか、自然学校や地域のNPOなどの市民団体が救援チームに真っ先に加わった。

「もし、80年とか、85年に起こっていたら、結果は違ったものになったでしょう」、と広瀬さんははっきりと語った。阪神大震災の救援に一般市民が 参加したことは、その後の救援活動に対する先例となり、その後発生した地震の救援活動の中で絶えず実践されながら、市民参加の救援活動モデルが形作されて いった。

新潟県中越地震で成熟

2004年の新潟県中越地震でも、広瀬さんたちは救援活動に向かったが、この時の活動は、阪神と比較して以下の違いがあった。

まず、阪神大震災後、日本政府は災害対策本部を設置すると同時に、民間組織である「社会福祉協議会」(社協)をボランティア受け入れ・統括組織とし て指定したこと。新潟地震では、北海道から九州まで、多くの社協が被災地に入り、対策を検討した。広瀬さんたちが担当した川口町は、最も激しい揺れで道路 も寸断され、報道も入れない空白地帯だった。彼らは被災者しかいない川口町に入り、町の社協と共同でボランティアセンターの役割を担ったが、他県の社協ス タッフが駆けつけると、すぐに担当を交代した。新潟以降の地震では、社協の仕組みがよく機能するようになり、一旦災害が発生すると、すぐに「ボランティア センター」を設立し、NPOとボランティアの申込み受付を行っている。

つぎに、コミュニケーションと情報公開が進んだこと。災害発生時、人はパニックを起こしやすいが、情報を得ることで情緒を落ち着かせることができ る。これには救援スタッフが極めて短い時間内に断片的な情報を整理し、客観的かつ速やかに伝えることが必要となる。これは、まさに自然学校の教育活動で重 視されていることでもある。新潟地震では、彼らはボランティアセンターで一日4回決まった時間にボランティア全体ミーティングを開き、ありのままの被災状 況を集まったボランティアや被災者に伝えた。また、簡単な「ボランティアセンター新聞」を発行したほか、ホームページを開設して情報公開を強化した。ホー ムページのアクセス件数は一日で5000件を越え、新聞はボランティアに慣れない被災者が状況を理解するのに役立った。

三番目に、ボランティアチームの管理を改善したこと。ボランティア専用の寄付を募ったり、生活物資を被災者とは分けて管理したり、ボランティアのた めのボランティアを作って、ボランティア活動自体を支援した。ほかのボランティアセンターでは、押し寄せるボランティアでパンクして、受け入れを中止した が、川口町では最後までボランティアを受け入れ続けた。

通常、ボランティアの仕事は、朝に割り振られるため、それ以降にやってきたボランティアには仕事がない、という状況が発生するが、広瀬さんたちはそ れでも彼らを留めて全体ミーティングに参加してもらい、現場の状況を理解してもらった。その後、そのボランティアが各地に戻り、状況をより広く伝達してく れるからである。「多くの人が会社に休暇を申請して救援活動に参加しており、同僚たちからの支援金などを持ってきてくれる人もいます。彼らの参加を断って しまったら、次に災害が起こった時にボランティアをしてくれなくなってしまう、と思うのです」。広瀬さんは、最後までボランティアを受け入れ続けた訳をこ う話すと同時に、現場教育の重要性にも言及した。「身をもって被災地の雰囲気を知ることは、災害救援能力の養成にとって非常に重要なので、できるだけ多く の人参加してもらいたいのです。あなたがどんな人で、どんな能力があろうとなかろうと、災害救援活動に参加することはできるし、そこにはあなたにしかでき ないボランティアがきっとあるはずです」。

災害救援NPO/ボランティアの利点とは

第一に、「速度」。実際に災害が発生したとき、最も必要なことは、現場に駆けつけて被災者を救助し、救援物資を迅速に彼らに手渡すことだが、一番早く動けるのはNPOやボランティアだ。

次に、「質」の問題である。緊急事態が発生した際、物資と人員の組織動員能力から言えば、政府がもっとも強大であるが、災害が持続的に発生している ときは、こまかく柔軟に救援作業を展開することが非常に重要である。たとえば、災害現場の情報の収集と伝達(特に辺鄙な場所)について、災害救援ボラン ティアに参加経験のある友達は、一軒一軒被災地の家を回って情報を集め、忘れられている住民がいないかどうか探す仕事をしたという。また、被災者のうち、 特に高齢者・障害者・病人・子供などの弱者に対する支援も必要である。

老人の中には、家族を失った悲しみが精神的ダメージとなって亡くなる人もいる。そこで、NPOが老人のためのメンタルケアを行い、情緒の安定をもた らすこともできるのである。新潟地震では、マッサージサービスも行い、被災者の体と心の苦痛を緩和した。また、子供たちとゲームを行い、災害の恐怖を忘れ させて笑顔を取り戻す手伝いをしたり、体の不自由な方の外出に付き添ったり、避難所に家の再建や尋ね人の相談コーナーを作り、被災者の今後の生活に対する 不安を軽くすることもできる。これら「ソフト」のサービスは、NPOやボランティアだからこそできることであり、被災者が最も必要とするものなのである。

中国のNPOに寄せて

最後に中国のNPOへのメッセージとして、広瀬さんは次のように語った。

「NPOの最も根本的な目的は“社会のため”であり、社会に重大な危機が起こったとき、NPOがまずしなければならないことは、自分に何ができるか を考える、ということです。できることは沢山あり、やろうという気持ちさえあれば、必ず自分が役に立つ場所を見つけることができます。 また、緊急時での 高いコミュニケーション能力を持つ“自然学校”は、災害発生時、その専門性を生かして被災住民や地元行政とボランティアをつなぐコアな役割を担うチームと なることができます。今、私たちは世界各地の“自然学校”設立への動きを支援しており、中国でも今後、このようなチームとネットワークを作る動きがでてく れば、是非お手伝いしたいと思います」。

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