2011/04/11 by Matsue

都市を離れ、農耕生活を満喫する

中国の大卒者と言えば、「上昇志向が強く、社会的地位や収入を追い求める」という印象が日本では強いかも知れません。しかし、ここで紹介する人々は、生きることの基本である「食」とりわけ農業に、全く別の価値を見いだし、自らの理想をしなやかに実践しながら、それを仲間とともに社会に広げようとしています。彼らの心の軌跡をご覧ください。

写真:「他の生き物に空間を与える」ため、野菜は十分間隔を置いて植える

賈 瑞明 : 汚れなき金を稼ぎたくて

物質主義がはびこる現在、都市の住民、賈瑞明は農村に回帰した。自然農法で米や野菜を栽培し、肥料も撒かず、農薬も散布しないというやり方は、ただ単に食品安全に対する心配から発したものではなく、主流派の価値観や現在の生活スタイルを深く見直すための行動なのである。
11月、水稲が収穫され1ムー(≒666.7㎡)当たり平均収穫高は400キロに達し、一応の成功を収めた。そして彼は農耕生活の中で都市とは全く違った、生きているという実感を得ている。大地は多くのもの、精神的満足感を与えてくれた。〝人生は勝ち負けで見るべきではない、もしどうしても勝敗を語るというなら、それは自我を探し当てる事ができたかどうか、である″彼は、自分は自我を探し当てた、と考えている。
上海の一部のホワイトカラーの間で、賈氏は〝精神的カリスマ″とまで見なされている。彼らは「健康消費購買団」を設立し、高い代金を払って自然農法で栽培した米や野菜を購入、これに因って、自然や生態系への配慮を示そうとしている。
河北農業大学を卒業した賈氏は当初、河北省保定市のある国営企業に勤務していた。2005年から2006年までは、深圳の一企業でエンジニアリング・プロジェクトマネジャーだった。これらの企業では結構な収入を得ることができたが、賄賂を使って業績を上げなければならなかった。彼は深圳での業務をこなすうち、会社が手抜き工事や材料のごまかし等の違法行為をしているのを発見してしまった。そこで、賈氏は汚れのない金を稼ぎたいと思い、前後してこの企業を辞めたが、生活は普通の暮らしから遠くなる一方であった:手作りの皮製品店を経営したり、民間学校でボランティア教師をしたり等等である。ボランティア教師をしている時にLizという上海出身の女性ボランティアと知り合い、彼女は彼の妻となった。
2006年、賈氏は妻と共に上海にやって来た。彼はもうオフィスビルの雰囲気になじめなくなっており、仕事と生活は一致させるべきだと考えた。後に農村を拠点にした調査の仕事を得たが、この仕事をきっかけに、彼は農民として活きることや、土地が自分自身の活きる糧となるかを考えるようになった。そこで2008年、彼は当時の上海南汇区(2009年、南汇区は浦東新区に合併される)に4ムーの土地を請負い、自然農耕―つまり自然農法を始めた。それは自然の法則に従い人為的な干渉を減らすというやり方だ。人と土地は合作の関係であり、隷属の関係ではない。人は土地に対し無限に搾取することはできない、と賈氏は考える。これが、彼の人生に於いて転機となる重要な一年となった。
2008年、土地を請け負った賈氏は、最初は現代農業をやろうと考えていた。しかし、現代農業は浸種の段階から、大量に農薬を使用するということに気付き、人体に有害であると心配した。そこで有機農業に着目したが、蜜柑の樹に有機農薬を噴射し、虫が身を捩じらせもがいているのを見た時、これはある種の殺戮であり、蜜柑の収穫に対する人間の貪欲さを現わすものだと考えてしまった。
同年5月、台湾の友人から賈氏の所に自然農法で栽培された茶葉一包みが送られて来てきた。彼はこれにインスピレーションを得て、ネット上で関連知識を検索、日本の大地を守る会の本や、《わら一本の革命》、《新世紀の農耕》を閲覧し、自然農法で耕作を行うことを決定した。(訳注:大地を守る会代表藤田和芳氏の著書「ダイコン一本からの革命」か福岡伸一著「わら一本の革命」及び鮑伯著「新世紀農耕」を指すと思われる) 6月、彼は2ムーの土地に水稲を栽培、その原則は、間隔を十分あけて植え付ける、農薬は散布しない、草は伸びてから切除する、肥料は菜種の絞りかすを使用する、である。彼はしょっちゅう田んぼの間を散歩し、或いはしゃがみ込み、あたかも旧友とおしゃべりする様に農作物と向き合うのだった。付近の農家は彼に収穫できるはずがないと見なしていたが、結果は400キロの水稲を収穫したのである。
賈氏は農作業をする傍ら、ネット上で仲間と栽培に関する経験の交流を図った。いつも利用するのは豆瓣ネットの“農耕禅”と“三七論壇”のサイトで、どちらも自然農業、養生、仏教学、儒教学に注目したサイトである。ネットを通じて浙江省杭州、湖州の人と知り合い、意気投合した。そこで2009年、彼らは結束して浙江省湖州で土地を請負った。資金はNGOの友人から融通してもらった。
彼はこの一年間、多くの実験を試み、不耕起栽培を採り入れた。種子は農家が自ら保存しているもので、種子販売店から買ったものではない。種子は地域を越えて栽培するものではなく、その土地にある種子はその土地の気候・土壌に最も適しており、除草の必要もない、というのが彼の総括した考えであった。但し、不耕起栽培や自家採種といった方法はそれ相応の条件の下で行わなければならない。つまり土地は元来肥沃でなければならないのだが、彼が請け負った土地は以前に大量の農薬や化学肥料を使用していた為、既に貧しい土地に変貌してしまっていた。そこで、藁や草を土地に鋤き込んで自然に修復していった。彼はまた農薬を散布しなくても、虫は思ったほど多くは出て来ないのだ、ということも発見した。
2010年、賈氏は上海に戻り,崇明島の建設鎮にある蟠南村で100ムーの土地を見つけた。今回は妻のLizも仕事を辞めて彼について行った。彼女は7万元の貯蓄を提供し、二つのNGO組織の友人も株式投資し、総投資額は20万元になった。彼は言う。“自然を尊重しよう。土地は命を育むもの。土地の自然な生産を尊重し、無制限に土地に対して搾取を行ってはならない”と。
現代農業はただ単に生産量の追求を目的としている。自然農法の採用は生産量低下をもたらすと心配する人もいるが、賈氏は以下のように述べている。“現在生産されている食糧の多くは浪費されている。物欲を抑えて浪費を減らせば自然農法栽培の食糧で十分なのである”
 今年、100ムーの土地のうち、彼は90ムーに水稲を栽培し、多くの試みをとり入れた。全て農薬、化学肥料、除草剤を使用しないが、あるものは草を抜かず、あるものは一、二回草を抜く。肥料も一部は全く使用しないが、あるものは菜種の絞りかすを使用する。その結果は、菜種使用のものと草取りを多数回行ったものの生産量が良好だった。

写真:今年の水稲収穫量は脱穀後の米約20トン、賈氏は販売のストレスも無し。

崇明島では、農薬と化学肥料を使用した水田のムー当たり生産量は約550キロから600キロ、賈氏のムー当たり平均生産量は400キロ、一部の地質の良いところは500キロ以上になった。これに因り、彼は自然農法に自信を持てるようになった。
現在、品種の違いにより、キロ当たり13元から14元と価格に差をつけて米を販売しており、2010年の利益は推計3~4万元になる。11月、水稲のもみ殻を田んぼに戻し、小麦を作付けした。

易 暁武 : 理想は台湾の“主婦連盟”結成

賈氏の販売ルートは、主にあるNGO団体の無償の推薦・紹介による。ほかは友達同士の口コミだ。彼はお決まりの商業パターンで米の販売をしようとは思わず、販売の際に、ある種の人情味の有る人間関係を築いていくことを望んでいる。消費者と生産者が直接対話できれば、消費者はより一層安心できるからだ。固定客である“上海健康消費購買団”と賈氏の精神的な気概は、ぴったりと符合している。
“上海健康消費購買団”の発起人である易暁武は特殊な経歴の持ち主である。彼は江西省の農村の出身、現在はネットワークエンジニアである。2000年に何人かの教会の友人と知り合い、彼らと一緒に病院に行き臨終のケアをする仕事をした。また、白血病の子どもたちを救う募金を始めたが、何人かの子は最終的にはやはり死んでしまう。“ちょっと前まで楽しそうに一緒に遊んでいた子ども達が数日後に死んでしまう。これにより多くのことを考えさせられた。環境が人々に与えるダメージはあまりにも大きすぎる”。
易暁武は環境保護団体を探し始め“自然の友”に辿り着き、上海支部の会員になり、後に支部長になった。2008年、“自然の友”上海支部の座談会で賈氏が農業をしていると知り、支部長として即座にこう言った。“あなたは農作業をしてください。我々が買い上げる”。2009年、易氏は果たして12人を組織し、ムー当たり2500元で手付金を提供し、賈氏への投資とした。協議書にはムー当たり生産量は米370キロ、生産された米は彼らのもの、と規定された。しかしながら、収穫された時、ムー当たり150キロしかなかった。
上海健康消費購買団は2010年9月に設立され、定期的に賈氏の栽培した米を買い入れている。易暁武の理想は台湾の“主婦連盟”のようになることだ。“主婦連盟”のモデルでは、自前の土地と物流を所有し、生産者への完全な依存から脱却し、物流のコストを下げ、食品価格を値下げする。そして財団を設立し、メンバーは少量の利益配当を得ることができる他は、主に公益事業に従事する。
上海健康消費購買団は現在35名の会員を有し、環境保護分野でのボランティアが中心となっている。彼らは一人毎月10キロの米を購入する。宅配のコストも入れ、1キロ当たりの米の価格は14.8元である。彼らは他にも陳帥俊という上海の青年の所から新鮮な野菜を毎週一二回購入している。その野菜も自然農法で栽培し、輸送費も含めキロ当たり平均価格は15元である。
30歳の陳帥俊は上海浦東発展銀行の職員であり、妻も共に結構な職に就いている為、野菜の栽培に頼って金儲けをする必要は何もない。が、彼は崇明県の郷里に50ムーの土地を請負い、両親に自然農法で野菜の栽培をしてもらっている。普段、“健康自然購買団”は生産者を実際に見学することができ、メンバーにこっそり調査するよう奨励している。協議書では、一回でも農薬・化学肥料の使用が発見された場合、生産者は全て払い戻すことが規定されている。
“健康消費購買団”のメンバーは一人毎年100元の会費を支払うほか、100元消費する都度、8%の積立金を納める、これらの用途は会員大会(―これは購買団の最高権力機構であり、授権理事が執行する―)によって決定される。易氏の希望はこれらの資金は全て公益事業に充てたいというもの。“我々がやろうとしているのは団体購買ではなく、単純消費でもない。商業化されすぎると自然保護の本題から離れてしまう”
“健康消費購買団の管理は民主的であり、仮に多数のメンバーが有機農作物購入も良いと見なせば、私も受け入れる。しかし、我々が向かうところは依然として自然農法である。これは一種の環境保護理念である”と易暁武は言う。

“ 喜んで働き、心底より受け入れること”
 賈氏にしても易暁武にしても、両氏共に未来について自信に満ちている。農作業に関しては皆で技術交流を図り、販売面では穀物生産者と野菜生産者が、互いに顧客を紹介し合う。崇明島は“エコ・アイランド”と位置づけられ、目下少なからぬ外来者が土地を請負い、有機農業を発展させているところである。
現在、Lisの島の友人は都市で暮らしている友人より多いが、養生に関心をもつ者もいれば、自然農法に関心を持つ者もいる。又、見知らぬ人からの電話が時として喜びをもたらしてくれることもある。今年の稲の収穫時には、4人の上海の若者が自発的にやって来て手伝ってくれた。さらに何組かの夫婦が都市部からやって来て崇明島で土地を請負い、同様に自然農法で野菜を栽培する事を既に計画しているという。
彼ら都会人は、農耕生活の中で以前と違う生命体験を得た。自然の力を目の当たりにし、自然に対してより一層畏敬の念を抱く様になり、植物の栄枯を見て死ぬことを恐れなくなる。“あなたの体も自然の一部分であり、多くのものを自然から恵まれているのだから、あなたも自然に回帰するべきである”
以前、賈氏は責任を負うのが怖くて、敢えて子どもを欲しがらなかった。今では草花を受け入れるのと同じように子どもを受け入れられるようになった。子どもを受け入れてこそ両親や他人に対して、より多くの責任を持つことができる、と考えられるようになった。彼は自身が完全に金銭や物質へのこだわりから解放されたと感じ、何カ月もの間上海に帰らなくても平気になった。たとえ上海に戻り、ホワイトカラーの人々の中に座っていても彼は自信に満ちているであろう。
農耕生活のもつ面倒で骨の折れる肉体労働を自ら望んで受け入れる、それは“喜んで働き、心底より受け入れること”だ。彼らの生産した穀物は“喜願”と名付けられたのであった。

写真:扇風機で米に混じるゴミを吹き飛ばす
文と写真:《南方都市報》鮑 小東

《社会起業家雑誌》2010年12月号P.25-27より翻訳して転載
http://www.npi.org.cn/uploads/magazines/npo/2_1369_122625.pdf
翻訳:西口友紀子
校正:松江直子

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