2011/04/07 by Matsue

【広瀬敏通】EARTHLING 2011:東日本大震災現場からの報告-RQ広瀬さん発言の記録

4月2日、エコロジーとエコノミーの共存をテーマとして活動するNPO「Think The Eath プロジェクト」のトークイベント「EARTHLING 2011:ほんとうの震災を知ろう 東日本大震災現場からの報告」が行われ、ピースウィンズ・ジャパン難民を助ける会シャンティ国際ボランティア会ピースボートと共にRQ市民災害救援センター広瀬敏通本部長が救援活動を報告しました。UST中継された当該部分を、CSネット翻訳ボランティアの西口友紀子さんが書き起こしてくださいましたので、以下に掲載します。 
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 RQ市民災害救援センターの広瀬と申します。
 私達は、今回の東日本大震災を受けて3月13日に急遽結成されました。これまで私自身を含めて、例えばカンボジア難民の救援活動で一緒に仕事した皆さんが、後に1982年に国際緊急援助隊を作り、それから阪神大震災や中越以後の様々な震災(の救援)に加わった仲間達がいます。(その仲間達で)自然学校とか野外活動のメンバーを中心にネットワークを組んで来ました。今回は、私自身が所属している日本エコツーリズムセンターを軸に最初活動を始め、途中からRQ市民災害救援センターとなり、非常に多くの団体が加わって来て大きなネットワークとして活動しています。
 私達は最初、仙台の方に入りました。仙台は交通の便が良く、甚大な被災地が前に広がり、すぐにでも救援できるステージがあるわけですが、更にその北の方が非常にまだ手薄だという情報を色々な方に頂いたので、結果として女川地区から気仙沼までの沿岸120㎞をカバーするような体制をとって活動を開始しました。現在、登米というおばあちゃんの名前の様な町があるわけですが、ここが地図上の扇の要の様な位置にあり、宮城県北部の被災地を全て一時間から一時間ちょっとの範囲でカバーできる場所にあります。ここの小学校を中継拠点・現地本部として、常時60人ほどのRQボランティアの方と地元住民のボランティアの方達で、一緒に活動しています。この120キロ圏内に数多く点在する、小さな避難している場所、つまり避難所としては特に指定されていない様な場所に避難されている方がたくさんいらっしゃいます。そういうところを口コミで探し当てて色々な援助を行うという活動を展開しております。

 私達の活動の特徴ですが、これまでの阪神・中越や様々な災害は局地的な災害であった為、物資支援というよりもそこにボランティアセンターを設置して、色々な直接的な支援・ケアに入っていく活動が多かったのですが、今回は大変広域的であるということと、悉く失われているという状況があり、物資がままならないという状況下、緊急支援をまず物資支援という形で取り組み、モンベルさんを中心として展開しているアウトドア義援隊を通して集まってくる物資を現地に届けるという形で、最初は行いました。
 続いて、物資をただ置いて行くのではなくて、必ず現地の被災者の人達に声を掛けて挨拶し、何に困っているのか、どういうものが必要な状況なのか話を伺って必要な物資を渡す、結構手のかかる事ですが、これをまめに行って来ました。
 そして3つ目は、現在色々なネットワークの仲間達が被災者の方々を受け入れるという体制をとって、既に各地の自然学校が受け入れを実際に開始しています。そして私達は「ボランティアの為のボランティア」という活動も非常に強めており、現地に行っているボランティア、RQだけでなく様々な団体も支援できる体制をとっております。
 これまでの初動段階から現在まで既に3週間経過しており、3月31日現在、延べ140tに及ぶ物資を被災地の60ヶ所(細かいところは省略)ほどに配布を連日行っております。これは、登米の本部から2回転3回転、或いは4回転ピストンで送っている。およそ20数台の車を稼働してやっております。
 現在まで女川から気仙沼までカバーしましたが、今、岩手県の大船渡まで行っております。そして更にそこから北の釜石から大槌町、ここはやはり我々の仲間が遠野にベースを置いてカバーするという形で徐々に北に延ばしている最中です。現在までにおよそ790人のボランティアの人が現地で活動しています。
 こうした私達の物資支援が様々行われていく中で、色々なニーズを拾い上げているわけですが、それに応える為に被災地にコンテナ型やその他残っている建屋を使ってボランティアセンターを設置し始めております。ちょっと無事に残っている建物は被災者の方が入っているので、私たちがそれを使うわけにいかず、コンテナを設置するような手配をしながら進めております。
 被災者の方々は、これまで色々な方がお話した様に、自分が被災というみじめな状況に陥っているのを見られる事を、やはり、恥と思う様な部分もあります。勿論、未曾有の体験をしてしまった自分の思いを何とか伝えたい、話したいという思いも強い。そういうまだまだ混乱した状況があるわけですが、今後そうした方々が、だんだん沈潜していくようになる、つまり自分の置かれた状況の悲惨さを客観的に見る段階を迎えると、相当厳しい状況が来るのではないか。その時に私たちが、身近な位置でその人を支えて行くような事が非常に重要だろうと考え、ボランティアセンターを現地に、他のNGOの方々と協力しながら、今、お話した女川から北に30カ所ぐらいは設置していく様な形をとっていきたい、本当に細やかなボランティアセンターをやっていきたいと考えております。

 この写真のように中学生も来てくれ、おととい離任式が終わって学校からそのまま駆けつけてくれました。被災した方との聞き取り調査、記録も今どんどんやっている最中です。
 ここで私たちはこういう小学校の体育館をベースにしており、左下の写真は仮設トイレに見えますが、避難所に物がなくて急遽こしらえた温水シャワー装置で、温泉バスですとか、カフェの活動ですとか現在様々な活動を展開しております。こうした活動全体を私たちのウェブサイトで紹介しておりますが、ぜひご覧になって頂きたいと思います。私達は現在たくさんの物資をお届けしたのはいいのですが、先ほどシャンティの方も言われた様に、物資はやはり緊急物資であり、いつまでもそれを届けないで、つまり、地元の経済が復興するのに合わせて支援の形を私達はどんどん多様にもっていく必要があるだろう。そういう中で、今後私たちが最も強めていきたいのは、ボランティアの人を一人でも多く被災地に送り届けるという活動です。
 ただ物見遊山に行く連中を入れてどうするんだという声があるかもしれませんが、日本のように災害に非常に多く遭う国に生きるものとして、一体自分がどういう行動をとったら良いか、何をそこで学ぶ事が出来るのか、これは現地で一番学べるわけです。私が、インドネシアの津波も含めて、色々な所にスタッフを送り込んで活動している中で、被災現場が最も学べる事が出来、そこで多くを学んだスタッフが自分で又新たな活動を作ってくれている、ということを見ているので、ぜひ、被災地に人々を送り込んでいきたい。そしてその人々が被災者の方から直接話を伺う、或いはボランティアの人からどのような活動をしているのか、何故しているのか、そういうことを聞く、そんな活動をどんどん強めていきたい、と思います。私はこれを「災害教育」という風に呼んで、出来れば、もう少し落ち着いてからには当然なりますが、修学旅行を沿岸被災地にどんどん行ってもらう様な事が必要だろうと思ってます。
 私達が被災地を被災地としてしか見ないのではなく、又そこで生産されるものが放射能に汚染されているから買えないとか、あまり触れたくないと思う部分がまだまだ一般の人々には多少なりともあります。そういうのを払しょくして、本当に日本人全体で支えて行く為には、まず被災現場に立って、物事を見てみる、そして自分のできること、どんな方でも色々な事ができるわけです。別に体力だけではありませんので、それを多様に生かした多様な取り組みを細やかに被災現場で作ってやっていきたいと思っておりまして、そのための取り組みを今進めているところです。
 ぜひ、様々な団体の皆様と協力しながら、その辺の活動の多様性を構築し効果的な活動にするというのを一緒に作っていきたいと思っておりますのでどうぞ宜しくお願い致します。

 私たちは自然学校を30年ほど前からやっていますが、自然学校の活動のスキルは、コミュニケーション・スキルやアウトドア・スキルを含めて、こういう非常時に大変役に立つということは、体験的にとても感じています。海外の自然学校や野外教育の団体が、制度的にこうした災害に取り組むというシステムはありますし、日本でも阪神以来、私たちの仲間が常にネットワークを組んで災害の現場に立つということをやっています。このことと同時に、「災害教育」という言葉を是非共有してほしい。自治体で養成されている災害コーディネーターは沢山いるが、現場で学ぶ機会はとても少ないので、是非来ていただきたいと思います。

*下記URLにて1時間04分40秒あたりから【RQの活動現場からの報告】が見られます。

http://bit.ly/fP8ZAG 

写真提供:RQ市民災害救援センター

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