2011/03/30 by Matsue

麦田基金会誕生記

   5年前、一人のフリーランスの画家が、貧困地区の教育をサポートする教師として、雲南省の山地の小学校にやってきた。校長先生は、「子供達は幼い頃から教科書以外の本を読んだことがなく、白雪姫もアンデルセンも知りません。古本でもいいから、本を集めてもらえないでしょうか。」と彼に頼んだ。彼は承諾し、深圳に戻ってネット上で「麦田計画」を始めた。

   一つのシンプルな約束から5年が経った。「麦田計画」は、4500名のボランティアを有し、2892人の子供達と150名の代行教師(訳注:正式な資格をもたない貧困地域の臨時教員)を支援し、13の小学校と200の図書室を農村に建設する教育支援団体に成長した。2010年10月1日、「麦田計画」は、広東省民政庁にて「麦田教育基金会」として正式に登録され、法的な身分を獲得した。「草の根の教育援助団体が、基金会として登録に成功した国内では初めての事例ではないだろうか」と驚いた人もいた。  5年間、「麦田」はどのような道を歩んできたのだろうか。

周囲から推されながら発展

   「私は麦畑にあこがれを抱いていました。私の心の中では、麦畑は希望と収穫に満ちあふれている場所だったので、子供達やスポンサー、そしてボランティア達が多くの希望を得られるように願って、このように名付けました。」「麦田計画」発起人の莫凡氏は、名前の由来をこのように説明した。

   莫氏の予想に反し、本の寄付を募ったネットへの書き込みには、すぐに反応があった。それは2005年6月16日のことだ。ある女の子は、「読者」(訳注:文芸雑誌)を寄付しても良いか、と質問した。「種子」というニックネームを名乗っていたその子は、後に麦田の歴代二人目のボランティアとなり、今では基金会の秘書長だ。他のネット市民も「種子」のように加入しはじめた。「本を寄付しよう」という呼びかけは、今では「麦田8行動」の一つである「麦浪行動:小さな図書室」事業へと発展している。

   ボランティアらは、子供達を経済的にも援助することを提案したが、莫氏は不安だった。「図書室をつくるには、資金は一切必要ありません。最悪の場合でも、古本を何冊か横領しただろう、等ととがめられるにすぎませんが、子供達を経済的に援助することは、そんなに簡単ではありません。」しかし最終的には、援助したい人という「供給」と貧困地区という「需要」があることの誘惑に勝てず、「麦田計画」は教育支援事業を開始した。これが今日の「麦田行動:就学支援」事業となった。

   そしてすぐに更に大きな転機が訪れた。2005年10月の初め、莫氏は、「垣根の中の子供」と題する書き込みをし、「全世界から思いやりのある200人、 1人当たり200人民元を募ります。」と、小学校建設のために寄付を募った。「当時は天文学的に思える数字で、私としては、試してみようと思っただけでした」と莫氏は語る。その書き込みは、思いがけずもポータルサイトである「網易」に推薦され、サイトのトップに掲載された。ヒット数はすぐに20万以上にのぼった。「グループをつくったところ、すぐに満員になりました。あまりに多くの質問に答えることもできず、めまいがしました。」10月末には資金集めが終わり、11月の初めには建設計画を始動した。そして2006年2月16日には「麦田計画第一小学校」が完成。行動開始から5ヶ月もたっていなかった。これがその後「麦田計画」の3つ目の事業である「麦想行動:麦田学校」に成長する。

   山地で病気を患っている学童に医療救助を提供する「麦言行動:命への思いやり」事業のきっかけは、もっと意外なところからやって来た。「麦田計画」のロゴが気に入った香港の裕福な慈善家が、莫氏を探し出し、ロゴの設計を依頼してきたのだ。「3度目に会った時、彼は100万元を取り出し、これで事業をしてくれ、と言ったのです。領収書さえ必要ないと言われました。」

   代行教師に資金援助を行う「麦香行動:山を支える屋台骨」事業の資金源は、陳夫妻からの用途指定寄付金。「麦愛行動:文房具」事業は、あるボランティアが子供服を寄付したいと提案したことから始まった。

   麦田は、ほとんど周りから推されるようにして発展してきた。この強い力の背後には、決しておろそかにできない二つの流れがある。それは、ネットの急速な発展と中国市民の慈善意識の目覚めだ。

   麦田計画は、2005年6月16日に創設され、2005年末にはその文化、制度、組織の枠組み、8つの主要事業(上述の6事業、及び「麦風行動:第2の教室」と「麦青行動:感動の旅」)が基本的に出来上がった。2010年6月16日までの5年間に、麦田のボランティアが足跡を残した場所は、四川、雲南、新彊等10余りの省と自治区に及ぶ。また、全国358ヶ所での都市巡回展示会と211ヶ所での大学巡回展示会に参加し、60回の全国被災者救済活動、そして58回にのぼる「麦田ボランティアの旅路」報告会を実施した。

   「麦田の原則や理念の多くは初めからありましたが、唯一予測できなかったことは、麦田の発展の速度と、その後の私の人生に与えた変化です。」と莫氏は言う。

「監督管理は大歓迎。開示はより多いほうがよい」

   しかし、「周知の理由」により、麦田計画は「身寄りの無い子供」であり、お役所的に言えば即ち「違法民間組織」だった。

   この「周知の理由」とは、中国では非営利団体に対し、業務主管部門の特定と管理機関への登録というダブル管理体制がとられていることを指す。この体制の難しさは、「業務主管部門」を見つけること、即ち政府機関内に(民間団体が一種の下部組織として)「所属する部門」を特定することにある。関連法規は、業務主管部門の範囲を定めるにとどまり、その義務を明確にしていない。そのため、「所管事項が増えれば手間も増える」という原則により、政府の関連部門は一般的に「熱々の山芋は受け取りたがらない。また、たとえ受けてくれたとしても、その部門自体へのリスクを軽減するために、民間団体が制約と干渉を受けることは避けられない。

  「身分が無い」ということは、合法的に資金を得られないことを意味している。麦田計画が山地での教育事業のために集めた寄付金は、2010年4月30日までで合計約983万元に上ったが、このような多額の資金の取り扱いには大きなリスクが伴うことは想像できる。

   実際、多くの民間慈善団体で問題が発生しているが、原因は全て財務関連の問題だ。厳しい会計監査や監督管理を受けている団体でさえそうならば、監督管理が行われない草の根NGOを信用することができるだろうか、と心配せずにはいられない。

   「民間団体が、5年間活動を継続し、健全に発展を続けているとすれば、財務面であまり大きな問題はないと言えるでしょう。問題があったなら、5年ももたないはずです。」と莫氏は言う。「収入と支出の一つ一つを透明性をもって行うのは、インターネットがあれば、難しいことではありません。」

   麦田の主な資金源は、麦田の会員からの寄付金、基金会からの委託金と企業からの寄付金だ。お金が出資側から援助を受ける側に渡るプロセスは、次のようになっている。まず出資者は、麦田が持つ唯一の銀行口座にお金を振り込む。(寄付金は現金では一切受け取らない。)さらに麦田の口座から指定の目的の事業に支払いが行われ、麦田の支部が具体的な分配、追跡と監督管理、及び本部への情報フィードバックを担う。

   麦田の口座の安全性をどのように確保するかについて、麦田基金会の秘書長である「種子」氏は、次の様に説明する。「口座は私の名義で開かれ、通帳とカードは莫が保管、そして(ネットバンキングで支払いを行う際に認証に使用される)USBデバイスは、財務担当者が保管しています。つまり、私は暗証番号を知っていますがカードを持たず、莫はカードを持っていますが暗証番号を知らない。財務担当者が口座から振込をしたら、私達はそれをチェックできます。」

   また、賞金の支払いについては、資金がどのようにして受取手一人一人に渡っているか、ボランティアの訪問により確認している。例えば教育支援事業では、資金の支払いは1年に2回行われ、麦田のボランティアが自ら受取り側を訪問して手渡し、その際には学校側と保護者と子供が同時にいなければならない決まりだ。子供は署名をし、更に写真撮影を行ってファイル保管している。
会計面での開示と透明性のほかに、莫氏は2009年に自ら3万元を出資して「麦田保証金」をつくった。例えば麦田計画の支援金が流用されたり、用途が不明になってしまった場合、この保証金を使って埋め合わせたり、基金の補填をすることが目的だ。「国から監督管理を受けていなかったために、会計と管理面では、自ら厳しく行うようにしました。」と莫氏は語る。

   団体登録する前に、会計事務所に監査を依頼したこともあるが、ほとんど断られた。「教育援助事業の会計監査は非常に面倒で、多くの場合略式の伝票が使われ、公式の領収書がないためです。例えば、お金を子供に渡す際、領収書を発行できる子供はいませんよね。」基金会として団体登録に成功した後、「やっと監査と監督管理を受けることができました。私達は監督管理を歓迎していますし、開示は多ければ多いほどよいと考えています。そうすることで、麦田の安全性と持続性を確保できるのです。」

   話の途中で、突如莫氏から逆に質問された。「なぜ一部の民間団体では財務関連の問題が発生するのでしょうか。いつも不思議に思います。」

「戸籍無し」の状態から、「法的な身分のある子供」へ

   「法的な身分がないために、苦労することもありました。」と、麦田の初代ボランティア5名の内の一人である「水瓶」氏は語る。5年の間、数えきれないほどの疑いと拒絶に面してきたのだ。

   法的な身分がないために、麦田は運営管理費のための資金を受けることができなかった。つまり、麦田が受け入れる資金は、100パーセント援助される側のために使わなければならず、その過程で発生する費用は、すべてボランティアが負担した。莫氏は、この数年で既に数十万元を使っており、他のボランティアによる支出も少なくなかった。また、運営管理費が無いため、専任の管理チームをつくることもできなかった。「寄付金を集める力から計算すると、麦田は1万人の子供を援助することができるはずですが、今のところ3000人ほどしか援助できていません。管理が追いつかないからです。」と莫氏は言う。

過去5年間、麦田は「合法化」を求めてきた

   国内の著名な基金会と協力して、彼らの口座を借用することは、多くの民間草の根団体が採用している折衷策だ。「例えば中国青少年発展基金会と協力すれば、金銭の受理は合法化されますが、支出については彼らの同意を得なければならなくなり、更に5〜10%の管理費を支払わなければなりません。」北京のある民間教育援助団体の責任者は、こう語った。「そして様々な面において、彼らの指示を受けなければなりません。」

   麦田の初期の頃、莫氏はいくつかの基金に連絡を取ったこともある。「電話に出た人のほとんどは、『なぜあなたと協力する必要があるんですか。』と聞き返してきました。この質問に答えることはできませんでした。」

   2009年、麦田が4周年を迎えた頃になると、逆に麦田を下部組織にしたいと願う数多くの基金会から連絡が来るようになった。「彼らも優良な事業と成果を求めているのです。」と莫氏は言う。基金会との協力について、麦田の内部で論争が起きた。最終的には、「自由を保つため」に、これらの好意を断った。

   誰も予期しなかったことに、麦田の法的身分は突如として得られた。「麦田が登録に成功した理由には、まず広東省政府の先見の明が挙げられます。」と莫氏は感慨を込めて言う。

   2009年12月21日、広東省は「広東省民政庁:公益サービス型社会団体発展の更なる促進に関する規定」を公布し、以前の規定にあった「業務主管部門」を「業務指導部門」に変更するとともに、登録の敷居を低くし、手続きも簡略化した。これはつまり、所属する部門を見つけなくてもよいことを意味していた。

   「資料を準備し、申請書を提出してから2ヶ月余りで承認がおりました。」莫氏は、「決められた手続きに従って申請し、いかなるカラクリも使いませんでした。ですが、麦田が成果をあげており、社会的にも一定の影響力があり、政府外の専門家からも指導を受けていたことも影響したかもしれません。」
中山大学公民社会発展研究センターの朱健剛主任によれば、彼の知る限りでは、新規定が公布された後、麦田計画の他に2つの民間団体が登録に成功している。「千禾コミュニティー公益基金会」と「華南和諧コミュニティー発展センター」だ。

   「広東省は、最も早くから業界団体の登録において業務主管部門を必要としない体制をとっている試験地点でした。開始当初はいくつかの問題もありましたが、実施してみると、このようなモデルが明らかに優れていることがわかりました。現在、広東省ではこのモデルを更に推し進めていますが、これは注目に値することです。全国的に見ても、広東省はパイロット地点です。もしこのようなモデルが実施可能であれば、これが将来の流れとなるでしょう。」と清華大学公共管理学院NGO研究所の賈西津副所長は話す。

   「海南日報」の2010年9月12日付けの報道によれば、海南省民政庁は、広東省の経験から学ぶために視察団を派遣し、社会団体の登録管理体制を刷新し、登録条件を緩めるつもりだ。更には「社会団体登録管理体制の改革刷新に関する意見」を起草している。

法的身分を持たない数多くのNGOにとって、これは間違いなく期待に値する傾向だ。

「麦田モデル」は存在するのか

   「今までに麦田が遭遇した中で、最も困難だったことは何ですか。」

   「困難なことはありません。」莫氏と「種子」氏は、二人ともこのように答えた。この時私は言葉につまり、インタビューを続けることが若干困難になった。彼らは急いで次のように説明を続けた。麦田が遭遇した困難は、どの民間団体も経験することで、「国中の全ての人が貧しければ、貧困という概念がないことと同じです。」

   「そして成功したときの感銘のほうが、困難なときの感情よりもずっと大きいため、困難な事については忘れてしまうのです。」莫氏は笑って言った。

   麦田で一番よく見るのは、「愛情を表現するチャンスを与えてくれた子供達に感謝します。」という言葉だ。一般的に慈善活動において思い起こすのは「与える」ということだ。しかし麦田では、別の公益理念を見る事ができる。麦田の文化は、愛情の表現、愛情の貢献、愛情の分かち合い、愛情の体験、愛情の伝達、だ。

   「愛情の伝達」について、莫氏は次の様に説明する。「中国には、『善事は匿名で行う』という考え方が以前からありますが、私は『善事は名乗って行う』ことを主張しています。自分自身を励ますだけでなく、もっと大切なことは他人の手本となり、更に多くの人が教育支援事業に参加するよう呼びかけることです。」このため、法的身分を持たない団体の多くが控えめな態度をとることで安全を確保しようとしている中、麦田は逆に目立つようにメディアの取材を受け、全国の都市や大学の巡回展示会で報告を行っている。麦田計画に関する報道は、2010年6月16日現在で、テレビは60回、新聞は198回、そして雑誌は25回にのぼる。

   麦田には、固有のロゴ、スローガン、そして「麦田の歌」まである。「麦客」と呼ばれる麦田のボランティアは、統一された制服、帽子と記章、更には赤いブレスレットをし、標準的な動作まである。そして全てがオリジナルだ。

   「麦田モデル」は存在するのだろうか。「もちろんあります。」と莫氏は答える。「数多くの団体が『麦田モデル』を真似ており、字体までそっくりにしている団体もあります。」

麦田計画とずっと連絡を取り合ってきた朱健剛先生は、次のように語る。「このようなモデルを普及させることは、簡単ではないと言えます。莫さんのような芸術家の創造性と想像力は真似ることは困難です。しかし、麦田計画の文化、記号、字体や管理方式は普及可能です。」

   麦田は、本部と支部から成る管理組織を採用している。本部には、管理チーム、幹事長、ブレーン・チーム(戦略・計画の策定、発展方向の決定を行う)とその他の機能的な部門が置かれている。支部は、ブレーン・チームが無い以外、本部と同じ管理体系になっている。つまり、一つの「大きな麦田」が数多くの「小さな麦田」を率いるかたちだ。活動は主に支部によって展開され、「事業は主にボランティアが提案し、支部の管理チームによる審査を経て、事業責任者を定めます。各責任者が事業の準備と実施をリードし、我々がサポートします。」麦田の仏山支部幹事の「阿忠」氏によれば、彼自身も麦田の初代ボランティアの一人だ。麦田には、非常に細かいボランティア管理条例があるが、阿忠幹事によれば、「実際には、民間団体で制度や規則を実施することは難しいのです。理念を同じくする人は自然に留まりますし、一致しない人には私達からも辞めるように勧めています。」莫氏は、「支部に行った際に、ボランティアからのフィードバックとして一番よく聞くのは、麦田との一体感です。」

   理念や一体感。これが麦田が持つ最大の魅力なのかも知れない。だが、「種子」氏は、「以前は、麦田の受ける制約は主に道徳的なものでしたが、基金会として設立された後には、法的な制約がより多くなりました。」と指摘する。

   麦田は、すでに規範化への転換を進めている。ボランティアへの番号制度適用、今後5年間でシンプルな教育支援から複合的な教育支援へと変化すること、等だ。

   麦田教育基金の今後の発展における重点についても、莫氏と「種子」氏の方向性は同じだ。それは、専任の管理チームを組織し、財務会計面で更に改善を行うことだ。

   これについて朱健剛先生は、専門家の立場から次のようにアドバイスする。「まず、盲目的ではなく、秩序に従って規模を拡大すること。次にはボランティアへの研修を強化し、核心となるメンバーが自身の能力を向上できるようにすることです。」

   「種子」氏は、麦田計画は、ゆるやかな民間団体だったので、基金会としてつくり直す必要がある、と言う。莫氏は、これはモデルチェンジではなく、ただ更にプロフェッショナルな組織になる事だと思う、と言う。

   位置の定め方は異なるかもしれないが、彼らは皆、麦田が更に発展することを願っている。将来については、莫氏は、基金会が彼を必要としない日が来て、自分の芸術家としての夢を追求することが出来るようになることを願っている、と言う。「種子」氏は、麦田に必要とされなくなるまで続ける、と語る。

筆者:曾言
原文:南風窓オンライン  
http://www.nfcmag.com/articles/2491
翻訳:A.K
校正:松江直子

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