2008/07/30 by GLI Japan

あすなろ学校 聴導犬育成と若者自立支援の試み

「ピピピピピ・・」
タイマーが鳴り、パピヨン犬の「ひびき」は一目散に冷蔵庫に走り寄り、タイマーが張ってあるドアに足をかける。「グッド!」、R君はひびきをまず褒め、ご褒美のレバースライスをやる。

ここは横浜市旭区にあるあすなろ学校。クリーム色と白木で統一した内部は、学校施設というより、大家族が住む家のようだ。盲導犬・介助犬・聴導犬を育成するNPO法人「日本補助犬協会」が、日本サムスン株式会社の全面的な支援を受けて今年5月に設立した同校では、聴導犬育成と若者自立支援を組み合わせた世界初のプログラムを行っている。

聴導犬とは

聴覚障がい者の耳代わりとなって生活を助ける犬のこと。日本に約36万人と言われる聴覚障がい者に対し、聴導犬は現在わずか17頭だという。聴導犬 は、目覚まし時計・ドアベル・電話・赤ちゃんの泣き声・火災警報など様々な音を聞き分けて、聴覚障がい者に知らせ、音の出ている所に案内する。音が聞こえ ない事からくる不安を軽減し、彼らの快適で安全な生活を支えるのが聴導犬の役目だ。
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あすなろ学校で、訓練をうけるのは、保護された犬だ。日本では年間18万頭もの犬が保健所に保護され処分されるという悲しい現実があるが、聴導犬育成は、 この数字を少しでも減らすことに貢献できる。今訓練をうけている「ひびき」と「ハニー」も数回のチェックの上引取り、ボランティアのパピーウォーカーによ る保護観察を行ったのちに、聴導犬に向く性格だとしてあすなろ学校の訓練を受けることとなった。

一般的に、保護された犬たちは虐待を受けていることが多く、訓練にも時間がかかるという。ひびきはトイレのしつけがなかなかできず、ハニーは散歩に つれて行って貰った経験がないため、はじめは外を歩けなかったという。部屋中を走り回って遊ぶこの二頭に、そのようなところは全く感じられなかったが、 「もともとそういう天真爛漫な性格があって、ここに来た事がきっかけとなり、それがやっと出てきたということです」と施設長で訓練士の朴善子先生が説明し てくださった。

訓練は続いて、次はハニーの番。アラーム音に走り寄る。その横で布団に見立てたバスタオルを足にかけたS君が、タオルの下でトリーツを動かす。ハ ニーがそこをカリカリと掘るしぐさをすればOK。ゆくゆくは毎朝の目覚まし時計の役目を果たさなければならないハニーに、音と布と人を起こす動作を関連づ けるための訓練だ。それにしても何回も繰り返して褒め、トリーツをやっている。

「朝は犬も人も眠くてテンションが低い状態です。それでも聴導犬は目覚まし任務をこなさなければなりません。そのため、まずは“音を人に知らせるこ とは楽しい”、と犬に感じさせることが大事なんです。だから、訓練では、人も犬もテンションを上げて、楽しい状態で行うのです。」と朴先生。

同校では、この聴導犬候補犬と入学した若者(あすなろ生)がペアを組み、寄宿生活を送りながら半年の訓練を行う。前半の3ヶ月は基礎訓練、後半の 3ヶ月は聴導動作訓練にあてられる。卒業後、候補犬は協会による専門訓練を更に3~4ヶ月間受け、40数項目にもわたるテストに合格すれば、晴れて聴導犬 となり聴覚障がい者に無償貸与される。

若者の自立支援

同校の入学対象となる若者は、若者自立塾(注)、児童養護施設などを卒業し、様々な事情で社会自立を求めている18歳から30歳の青少年。犬から信頼される喜びとそれに伴う責任など、多くのことを学ぶとともに仲間同士からも良い刺激を受けることを期待している。

一人1頭の聴導犬候補犬をまかされ、外出時以外は基本的にいつも一緒に生活し、夜も個人の居室で一緒に休む。グルーミング・トリミング・聴導動作な どの実技訓練のほか、犬関連・福祉関連の講義や手話などの座学も行う。同校には自立支援の青少年指導者も交代で常駐し、週一回は臨床心理士による個別カウ ンセリングを受ける。また、プログラム前半には月2回の日本サムスンの社員によるビジネス講座が行われ、後半は同社でのインターンシップが予定されてい る。

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取材した日は、実技訓練のあとに手話の授業があった。聴覚障がいのある手話の先生と手話通訳者がペアで教えて下さるのだが、当事者から見て感じのよい手話 と悪い手話があったり、地方によって使う手話も違うことなど、思わず引き込まれる授業だった。犬たちは机の下で休み、朴先生以下全員で和気藹々と学ぶ。
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なぜ聴導犬育成と若者自立支援を結びつけた事業をはじめようと思い立ったのですか、という質問に対し、朴先生はこう答えた。
「もともと協会では、補助犬の育成・無償貸与、啓発事業、子どもの情操教育事業を三つの大きな使命として行っています。特に子どもの情操教育事業の中で、 登校拒否の子や少年院生たちが、動物を介在させることにより、より安定した情緒を獲得できたり、人との関係構築がスムーズに行えるようになるといった例を 見てきましたから、引きこもりの若者が社会的自立を果たすまでのワンクッションとして、役割を担うことはできると思いました」

しかし、いざ始まってみると、予想とは違った生徒の反応に頭を抱えたこともあったという。「時間割のある寄宿生活も、彼らには最初はしんどかったと 思いますよ。でもね、ここを生活訓練施設にはしたくないんです。細かい規則で縛って上からそれを監督するというより、普段の生活の人間関係の中で、自然に 話しあってお互いにある程度の所を保っていければいいと思うんです」

朴先生は彼らの心の動きをよく見て、あくまでも自然体で言葉かけの工夫を積み重ねた。そして彼らにも気持ちのコントロールや人への働きかけの面で、 よい変化があった。「たとえば、犬同士の問題で、その担当者同士で文句を言ったり言われたりといったこともあります。自分のことだったら引っ込んでしまう 神経質な若者も、犬のことだったら、心穏やかにとはいかないまでも、話し合いも受け入れやすい。それは、いい経験になります。そういうことを、どんどん やったらいいと思っているんです」
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入学から2ヶ月あまり、二人のあすなろ生はとても自然で感じのいい青年たちだった。「でも、今日は知らない人がいるので、はじめはすごく緊張してました。 先ほどの訓練でも犬に気持ちが入っていませんでしたね」と朴先生。「緊張すると、自分のことしか考えられなくなる。でもどんな状態でも、自分が守るべき担 当犬の気持ちに自分の気持ちをスイッチすることができるようにならなくてはいけません。だから、緊張をほどいて受け入れやすい状態にするためには、言葉で 『緊張するな』と言ってもだめで、自分ではない第三者、たとえば犬の話で笑う。とにかく笑わないとだめです」

そしてアットホームな雰囲気も大切だ。建物のつくりやインテリアも普通の家のように自然な雰囲気で、落ち着けるように工夫した。訓練や座学、もちろ ん食事もダイニングキッチンで行う。食事は当番制だが、臨機応変にうまく回っており、時々は残業した職員の分も作ってくれるそうだ。

この学校を始めて一番よかったことはなんですか、と朴先生に聞いてみた。「もともと私は障がい者やつまずいた子供の福祉のために働いてきて、若者の 自立支援には、実はあまり興味がなかったのです。でも、この学校を始めたお陰で、彼らのことがとても大切な存在になりました。それが一番よかった。そし て、この思いは彼らにも伝わっていると思います。だからこそ、セラピーになったとか、就職できたとかで終わるのではなく、人との和が図れるとか、幅広い考 え方ができるといった、精神的体力を彼らにつけてもらいたい。ここにいる半年はただのきっかけでいい。でも人間関係が築けなければきっかけにもならない。 この半年はその勝負でもあります。そして卒業しても見守っていきたい」

訪れた日は猛暑日だったが、午後から街頭募金活動に出かけると言う。「あすなろ生も一緒にやってくれます。いまや彼らは私たちにとって頼もしい存在なんです!」事務所に明るい笑い声が響いた。
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現在、学校では10月から始まる第二期のあすなろ生を募集している。幸せそうな犬たちと、自然体で接する朴先生やスタッフに囲まれて、きっと多くの若者が自立のきっかけをつかめることだろう。(募集の詳細はこちら

(注)若者自立塾 平成17年度から厚生労働省の若者再チャレンジ政策のひとつとしてスタートさせた若者自立支援事業。様々な要因から働く自信をな くした若者に対して、合宿形式による集団生活の中での労働体験等を通じて、働く自信と意欲をはぐくみ就労等へと導くことを目的としている。 財団法人社会経済生産性本部が「若者自立塾」実施者を認定、平成19年度は30団体が実施。

文責:松江直子



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