2009/04/24 by GLI Japan

「NEET」自立の園(K2インターナショナル)

(なお、関連記事「K2インターナショナル」もご覧ください)

NEET という言葉は1990年代の末にイギリスで生まれた。ot inducation、  mployment  or  rainingの頭文字の省略語で、「学ばず、働かず、育成訓練も受けない」人を指す。日本の労働経済学者は日本におけるNEETを4種類のタイプに分類している。
.社会的・道徳的制約に反対し、自由な生 活を楽しむことを求める享楽型
.人との交流を避け、家に引きこもる隠遁型
.社会に対して名状しがたい恐怖を感じる不安感
4.
自分に少しもいいところがないと思っている挫折型

中国においてNEETに関する世論は、基本的に生計の問題に集中している―「親のすねかじり」と言われる問題だ。そのため「すねかじり族」がNEET族に取って代わっている。報道によると、中国では現在、成人の約30%は依然として両親に養ってもらっているという。

これからお話するのは、成長を拒んだピーターパンが住むネバーランドでも、アリスが足を踏み外して転がりこんだ不思議の国の物語でもない。これはK2の開拓者達が作り上げた、働くことで黙々と青少年の現実を変えてきた自立の園の物語だ。

「私は‘NEET’という言葉が大嫌いです」 K2創始者の金森京子さんはスピーチの出だしから私たちの興味を引きつけた。「このような言葉を発明 する人は、おそらく書斎から出ない研究一点張りの人じゃないでしょうか。彼らは現実を全く理解していません。実際、すべての若い人は皆それぞれ具体的な問 題を抱えているのです」

「K2では、‘NEET’という言葉を使わず、‘生きづらさを抱える若者’と言っています」4人の子供を持つ母である金森さんは微笑みながら言った。「私達の目的はとてもシンプル。彼らの顔に再び笑顔を取り戻したい、ということです」

お好み焼きに隠された、笑顔をつくる秘密のレシピ

「今日のメニュー」は豚しゃぶ鍋に麺、「今日の映画」は涙の喜劇《自虐の詩》。早春の夕方、20歳前後の若者達が熱いなべを囲んで忙しく立ち働いて いるさまが、暖かい部屋をさらに和やかにしていた。ここは根岸にある古いオフィスビルの2階、K2の関連NPOが運営するユース・プラザ。青年支援事業を 行う民間団体として、彼らはここで3つの相談室と集会室を持つ活動センターを設立した。訪問したのはちょうど金曜日の晩で、定例プログラムである夕食交流 会が行われていた。 ―日本の高度に発達したデジタル生活の時代に生きるコミュニティの青年にとって、ここは貴重なオフラインの交流空間となっている。

不登校・不就労・引きこもり・家庭内暴力などに苦しみ、支援を求めてやってくる若者の年齢層は15歳から35歳まで。その社会的背景と問題の原因は 人によってさまざまに違う。「悩みの当事者にとって、口先の励ましや形式的なプロジェクトは意味がありません。」K2で15年働いてきた岩本真実さんは語 る。「彼らが必要としているのは、本当に彼らのことを考えてくれる人と環境、そして自力更生できる場所なのです」

クラス会のように楽しげな「豚しゃぶ&映画鑑賞会」に別れを告げて、私達は歩いてK2が運営する近所のお好み焼きレストランに向かった。店名は「こ ろんぶす」、店のつくりは日本式に改良された広々として明るい欧風だった。鉄板の上は「ひっきりなしに花が咲く」ように次々と料理が作られ、気がつくとま わりはすでに満席になっていた。店の若者は、カウンターやキッチンとお客の間をひっきりなしに往来し、その笑顔は日本人の看板であるビジネススマイルに比 べてずっと光り輝いており、「NEET」の影は全く見出せなかった。

「お客さまの‘ありがとう’という言葉を聞くと、必要とされていると感じますよね。これが、最も効き目がある励ましなのです!」岩本さんは笑って 言った。彼女はY-MAC(横浜青年自立塾)のプロジェクト責任者で、2008年『日経woman』が選出した2008年度女性リーダートップ10に入選 した。「私達が若者に提供するのは、具体的な実践の場所とモデルですが、より重要なのは、何回でも失敗できるという環境です」

こうしてみると、K2人の笑顔をつくる秘密のレシピは、お好み焼きの美食哲学にとても似ている。一人一人が、自分の好きな新鮮な材料を使い、特製ソースをかけ、鉄板という実験の場において、細心の注意を払った経営という火加減をしながら作り上げるのだ。

サポートネットワーク:K2の小さなプラットフォームと大きな社会

にぎやかなお好み焼き店も、K2が若者のために根岸駅周辺に作り上げたサポートプラットフォームのひとつに過ぎない。それらは互いに繋がりあった一連のネットワークだ。

まず共同生活の基礎。ユース・プラザとお好み焼き店のほか、ここには6棟の共同生活寮、3軒の飲食店とK2本部がある。寮は住宅街の中にあり、入寮 には毎月8万~10万円の食費・宿泊費・生活費(日本の普通の大学生の毎月の生活費に相当)を納めなければならないが、30ある部屋はすでに満室だそう だ。これらの宿舎や事務スペースの多くは、空き店舗や行政施設を改築したものだ。事務所のとなりの小さな部屋も、ニート予防のために行う子育て支援活動室 となっていた。

K2にサポートを求めてやってきた若者は、寮に住み、K2の飲食店やレストランでの体験就労や研修を受けられる。ほかにも、コミュニティ内の企業で のインターン、ビルの清掃、ポスティングなど、さまざまな仕事を体験することができる。また、若者のなかには、日本社会を息苦しく感じ、「全く新しい」環 境を体験したい人もいるが、K2は彼らにニュージーランドとオーストラリアへの渡航を勧める。現地のK2支部で行われている共同生活やお好み焼き店をはじ めとする就労体験プログラムに参加するためだ。そこでも生活や仕事上の問題は、いつでもカウンセラーに相談することができる。K2はまた、要望があれば無 期限のアフターサービスを提供して、サポートネットワークが切れることのないようにしている。

一方、K2はコミュニティ生活のつなぎ役にもなっている。彼らの飲食店は、コミュニティの高校や老人ホーム、そしてK2の学生のために食事を提供 し、その収入が団体の経営に役立つだけでなく、学生にとっては実習の機会となっている。K2の発展的プロジェクトもコミュニティのニーズに沿って展開し、 たとえば商店街の空き店舗を利用して臨時託児所を開き、親と子供の集いの場としている。このようなコミュニティの支援を得て、K2が若者のために構築した ネットワークは、世間と隔絶されたユートピアや風雨を凌げる温室ではなく、持続可能な自立のためのプラットフォームとなっている。

支援を「経営」するビジネスマインド

「若者が生きづらさを解決する方法を見つけるのを手伝うため、K2は彼らと一緒に成長したのです」 金森京子さんは、K2の発展の経緯について語り始めた。

1980年代、子どもの「不登校」はすでに日本の社会問題の1つとなっていた。金森さんは1989年にコロンブス・アカデミー(Columbus Academy)という非営利団体を創立した。横浜とニュージーランドという共に港の美しさで有名な二つの場所での共同生活を基礎に、金森さんは、不登校 や引きこもり、家庭内暴力などに苦しむ子ども達を、ヨットクルーズなどの探険活動に参加させたいと考えた。楽しみながら学び、度量を広げたい。しかし不登 校で学歴のない彼らには就職の機会がないという、厳しい競争社会の現実に直面した。そこで、3年後、アカデミーでは試験的にお好み焼きレストランを開業、 思いがけず大いに好評を博した。それからは、学生達は体験就労の場を確保でき、スタッフには安定した収入が入るようになったので、アカデミーは経営を維持 しつつ、規模を拡大していった。

「組織自体が自立してこそ、支援を受ける側の自立を保証できる」 金森夫妻は「自立」の二重の意味を意識するようになり、アカデミーは、1996年 に株式会社化した。現在の「株式会社K2インターナショナル」である。いまでは、株式会社、有限会社と2つのNPOの法人を設立し、プロジェクトも子育て 支援、障がい者カフェ、屋台起業、青年無職者に対する福祉支援など、様々なことに取り組んでいる。

20年間の努力を通じ、K2は700名あまりの若者を支援してきた。K2の総合支援策は、世間一般で考えられている臨時的な支援の意識と方法をはる かに超えている。同時にK2は組織自体も絶えず進化し、内部は分業体制を整え、対外的にはリソースを集めて有効に運営するという総合的社会的企業となっ た。若い世代の岩本さんは、これは「社会問題を解決する過程を、1つの事業に発展させて経営する」という社会起業家の特徴に当てはまると思っている。

自分だけの人生を開拓する

日本社会が「NEET」の問題に注目し始めたのは、6、7年前のことだが、当時の大方の世論は、「税金や年金保険料も払えない若者が際限なく増加すれば、日本の経済と社会の基盤が脅かされることになる」というものだった。

K2での長期に及ぶ共同生活と支援の経験から、岩本さんは次のことを切実に感じていた。「NEET」の問題はただ「働かない」という簡単なことでは なく、それまでのさまざまな青少年問題が長期的に蓄積した結果であり、これらの隠れた病と不安定な就職環境および社会環境が重なって、更に深刻な「慢性 病」になったものだ。政府は支援プロジェクトに税金を投入し始めたが、社会の各種の支援策と関連団体が提供するものの多くは、一時的な助けで、彼らを本当 の自立まで導くことができない。

しかし、K2の努力は無駄ではなかった。海外経験の紹介と国の関連調査研究の進展につれ、民間の各種支援プロジェクトが活発になり、その実績が次第に市民の意識を変えると同時に日本政府の発想の転換を促し、政府も彼らの就職サポートを行うようになっていった。

2005年、日本の厚生労働省が「若者の再チャレンジプロジェクト」の1つとして「青年自立塾(Y-MAC)プロジェクト」をスタートさせた。Y- MACはK2のすでに成熟したプロジェクトを基礎に、更に細分化した段階的な支援計画を策定した。具体的には、本人インタビュー、カウンセリング、共同生 活、研修、ボランティア、自営店舗での研修(PreOJT)、外部企業での研修(OJT)など。「私達の活動には、多くの人とのインタラクティブな関係が 絶対に必要で、そうしてこそ開放的なプラットフォームになれるのです」

K2から巣立った若者に対する岩本さんの望みは、「他の人をまねることなく、自分だけの人生を開拓してほしい」ということだ。K2の全てのサポート 過程において、最も革新的なことは、彼らの創造した“職”ではなく、自らを発見し人生を切り開いて楽しむことのできる若者を“再生”していることなのかも 知れない。それは、彼らが自らの体験を通じて若者に伝える、人生の価値でもある。

K2は、出世競争のために闘う者、あるいは社会システムにただ合わせるだけの若者を育てていくつもりはない。苦境に陥っている若者にまったく新しい 環境を見せてあげたいのだ。このような環境の中でこそ、若者は自らを社会に迎合させることなく、その個性と能力を生かすことで自立し尊厳を勝ち取り、互い に支えあって生きていけるのだから。

文責:王国慧

《東方企業家》2009年4月号より転載

翻訳:松江直子

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