2010/04/02 by GLI Japan

二人のアメリカ人女性の中国でのマイクロクレジット事業

2008年、二人の25歳のアメリカ人女性がマイクロクレジット団体――「我開(訳注:私は起業する)」を立ち上げた。アメリカから集めてき たお金を、“毎日の生活費が1.25㌦に満たない中国の貧しい人”に貸し付ける。業務開始以来、「我開」はすでに内蒙古の赤峰と四川省儀隴の両地区の 200余人の農民のために、10万㌦近い資金を募った。

記者◎陸晴 実習記者◎丘濂

「我開」金融専門担当員白福文(Fulton Breen)さんの物語

「私はシカゴ出身で、マサチューセッツ州ウイリアムス単科大学(Williams College)経済学専攻。卒業後はロンドンで会社の財務管理に従事しながら、マイクロクレジット関係の情報を調べましたが、イギリスでマイクロクレ ジットはあまり普及していませんでした。私はマイクロクレジットの仕事をしたくて、海外で働きたかったのです。中国経済の将来性に惹かれていましたが、中 国が世界第2の経済大国になろうとしているという報道について、真実かどうかこの目で見たかったのです」

「私はいくつかの文章から、『我開』のしていることを理解しました。2008年末に、『我開』サイトがほぼ出来上がり、私はクリックを通じ100 ドルを40歳の内蒙古の一人の女性に貸し、彼女の乳牛牧場の毎日の経営を支援しました。彼女は合計6百㌦を必要とし、私以外に5人から援助を受けました。 私は、このお金が地球のあちら側に住む一人の生活をどのように変えるかを見たいと思いました。これは実際、マイクロクレジットの典型的な例です。私たちは 彼女に1枚の小切手を投げ与えるのではなく、彼女にお金を貸して1頭の牛を買わせることができました。その牛が出産すればお金は返され、乳牛はその後も出 産するので、彼女は子供を学校に行かせることなどができます。彼女は借金の前にそのお金を何に使うか必ず計画を立て、これ(借金)により成果を出さければ ならない。これは、持続可能な発展の過程でなければならないのです」

「貸し付けをした後、私はサイトを通じて絶えず彼女の状況について新しい情報を得ました。100㌦はロンドンで暮らしている私にとって、大きな額ではあ りませんが、地球のあちら側の人の生活をさらに良くしていることが、私にとっては励みになっています。このお金が返済された後、私は再び次の内蒙古の支援 対象を選びました。現在までのところ、このお金はまだ彼女の手中にあり、私はこの1年ですでに二人を援助しています。お金はこのように絶えず循環し再利用 されています」

我開

魏可欣(Casey Wilson)さんは今年25歳。アメリカ・カリフォルニア州オークランド市の生まれで、高校卒業の年にスペイン語の授業で一人の上海の同級生と知り合っ た。中国語を学びたいという考えが芽生え、本格的に中国語を学ぶのは大学に入ったあとだ。現在、魏可欣さんの北京語はかなり流暢で、李世氷さんは、彼女は 四川語を聞いてわかるほどだと言う。

魏可欣さんの大学での専攻は経済学で、彼女はずっと経済の発展と救貧活動に対して興味を持ち、大学卒業後に中国に来た。彼女は「中国は、一方で は、貧困ライン以下の貧困人口は世界第2位にあるが、もう一方では、5,6年いるだけでも、国家経済の発展を目の当たりにすることが出来る」と言う。 2006年9月、彼女は精華大学で、中国で商売か経済活動に従事したい人を対象にした養成訓練プロジェクトに参加し、彼女より6か月年上の孟康妮 (Courtney McColgan)さん――「我開」の共同創設者――と知り合った。

孟康妮さんが学んだのは中国の民間貸し付けで、当時、彼女はすでに中国で3年、マイクロクレジット業務を行っており、中国社会科学院と UNDP(国連開発計画署)でも働いたことがあった。彼女はアメリカに帰って金融機関で働き、のちに自分のマイクロクレジット基金を始めるつもりだった。

この頃、魏可欣さんも自分が中国で何の仕事をするかを考え始めていた。「私は中国の農村と都市の大きな格差を見た。農村にはあんなにも多くの貧し い人がいる。持続性のある方法でこの問題を解決するには、マイクロクレジットは最も良い問題解決の方法だろうと考え、二人で、マイクロクレジットのNGO 団体を開設しようと思った」と言う。

始めは2つの方法を考えた。1つは「我開」のような団体を創ることであり、もう1つは中国のマイクロクレジット業務に対する専門の養成訓練団体をつくるこ と。魏可欣さんは第1の方ががよいと感じた。次の日彼らは雲南旅行にでかけ、雲南での6日間、ずっと団体の名称と運営のモデルを考え、帰ってきてからの3 か月間は、多くのマイクロクレジット団体と知り合い、専門家に相談し、「我開」は正式にスタートした。「我開」設立の初志は他の人が会社を始めるのを助け ようということで、この名称の意味は、実際のところ「自分の生活の改善を始めたい」ということである。

「我開」の出資者は90%が中国と関係があるか、或いは中国を理解するアメリカ人、例えば外国籍中国人、中国留学或いは生活経験者、中国から養子 を迎えたアメリカ人である。出資額は最低が10㌦、最高は100㌦で、一般的に一人の借り手は、7,8人の出資者を必要とする。出資者がしなければならな いことは、サイトに登録し、借り手のストーリーを読んで援助したい人を選び、クレジットカード番号を入力することだけだ。3か月ごとにストーリーが更新さ れると、システムが自動的に出資者に連絡する。貸し付けが返還されるたびに、お金は「我開」のその他の借り手に使われて循環し、「我開」は出資ごとに記録 し3年追跡する、今まで「我開」が受け取った最高額は5万㌦で、出資者はすでに亡くなった中国系アメリカ人である。

470bf257t77fe4ce28d05&690魏可欣(Casey Wilson)

資金の募集について、魏可欣さんは本刊に対し、次のように紹介した。現在「我開」はサンフランシスコ、ニューヨーク、シアトル、北京、香港にボラ ンティアの支部があり、合計150余人が従事している。彼らは夜或いは週末に集いや活動や講演を行っている。また、現地の組織や企業との協力、さらにメ ディアやサイトの宣伝を通じ、例えば「航空券1枚につき1㌦を寄付して、中国のマイクロクレジットの発展を支持しよう」といった呼びかけをしている。

中国版マイクロクレジット

四川省儀儱県は、川北と呼ばれる地域にあり、朱徳総司令官(訳注:開国の元勲)の故郷で国家級貧困県である。2005年の農民の1人当たりの収入 は2511元で、全国平均の水準以下。14年前に、儀隴は農村発展協会を設立した。10あまりの国際支援団体の協力で、中国の貧困農村の発展の需要に見 合った貧困支援の金融サービス体制をずっと模索してきたが、ついに同地の特性にふさわしいマイクロクレジットシステムを開発し、中国版マイクロクレジット の発展の模範となった。

「我開」は中国側の協力団体として儀隴農村発展協会と、内蒙古の赤峰にある団体を選んだ。「我開」の中国地区責任者の張聖さんは、本刊に向かい、 「我開」は業務展開を始めるにあたり、中国マイクロクレジットネットワークにメンバーリストを提供させ、10団体を候補として選び、その中から儀隴と赤峰 を選んだと説明。「私たちには協力団体の選択にあたり、4つの規準があります。まず95%の返済率を満たさなければなりません。次に借り手にサービスと支 援を与えられること、三番目に比較的透明な財務システムを持っていること、最後は発展しようという望み及びそのための能力を持っていることです」と述べ る。張聖さんは「私は二番目と四番目が非常に重要と考えています。彼らは大きく発展しようとし、それを促す内的因子を持っていなければならない。現状に満 足していてはいけない。実際、協力団体を選ぶ時は、95%の返済率が最低で、一般的には99%から100%だ。相手の財務状況を出させた後、私たちは1週 間から10日をかけて訪問し、従業員の業務遂行状況と借り手に問題があるかどうかを見ます。私たちが借り手に尋ねる問題は、最も多いのが『あなたは(貸し 付け団体に対し)満足していますか』と『続けて使用を望みますか』です」。「我開」は協力団体の選定には、非常に厳しく、現地の協会の管理員、財務員、貸 し付け員と借り手について多くの取材を行い、彼らの政策とモデルを評価し、帰ってから一つの評価報告を書きます。「私たちには国際的な投資理事会があり、 国際的マイクロクレジット専門家からなっており、彼らはこの協会と協力するかどうか、また協会がどの水準に達したら、私たちのお金を受けることができるか を決めます」。魏可欣さんが紹介した。「例えば儀隴は、協力団体として決定する前に、非常に多くの財務面の訓練を行い、彼らの金融活動が国際水準に達する ことを求めました」という。

協力を始めてのち、張聖さんは3カ月ごとに現地へ監督視察に出かけ、現地の貸し付け員と一緒に借り手を訪ねる。「お金を貸したあと、貸し付け員は 毎週お客のもとへ行って彼らの生産状況を理解しているうちに、貸し付け員と借り手は親しくなります。一度、私と貸し付け員が一緒に借り手を訪問すると、彼 らは私たちを引き止め食事に誘い、非常に大きくて甘いザボンを食べました。貸し付け員は、借り手がお金を返すのは、規律に加え、このような親密さによると 考えています。友達にお金を返さないわけにはいかないからです」

「これら貧しい人の担保は信用担保です。ある時、私は四川に行って、一人の借り手に、3000-4000元を借りて、返済の時に手元不如意の時が あるかを問うと、彼はあり得ると答え、閑散期最盛期があり、商売が失敗する時があるからと言いました。そこで私は彼に、返済できないなら逃げてしまえとい う考え方があるかどうか訊ねると、彼はこう言いました。ごらんなさい、私は今山の上に住んでいるが、お金がありさえすれば、私も山の上に住むはずがない。 そのうえ、ここには隣人と私の生活がある。山の上に住むのと町に住むのは貧富の差は非常に大きい。つまり彼は、約束を違えて信用を無くすコストの方が、お 金を借りるコストより大きいから、私はアルバイトや、そのほかの小さな商いをしてでも、このお金を完済する、と言うのです」

張聖さんは、ろうあ者の弟と一緒に住んでいる一人の猫背の借り手が、最初に最低の300元を借りてブタの子を買い、のちに大きくして2000元で 売り、さらに彼はこのお金で牛を買ったことを覚えている。お金を借りる前は二人ともトウモロコシすらも食べるにこと欠き、いつも自分の力で出来ることをし て他人を手伝い、他人に食べさせてもらっていた。「貸し付け後、信用貸し付け員は村人に、彼らにお金を与えることができるなら、与えてくださいと言いまし た。私は次の年に彼に会いましたが、彼は現在、この牛を使って他人の土地の耕作を助け、1回耕して10数元稼ぐ。あの300元が彼らを救ったと言えます。 彼らは非常にもてなし好きで、私たちに合うと、袖でベンチをぬぐって私たちを座らせ、まるでテレビのドラマを演じているようです」。

魏可欣さんも非常に多くの農民の家に行ったことがあり、本刊の記者は思いつくままに一人の「借り手」の状況を描写すると、彼女はいともたやすくそ の借り手の名前を言った。魏可欣さんは「我開」は今、創業を始めた段階で、出資者と借り手の数は比較的少ないが、目標は毎年1万人の出資者及び1500人 から2000人の借り手を集めることだと言う。

魏可欣さんは、寧夏の視察の際、一つの研究を見た。1000元ごとの貸し付けが1人の年収を約730元高めたという。「これが私の最も理想とする 仕事で、私は私のチームや、私たちがもたらすことのできる影響を大いに愛しています。そのようにして世界を変えるという考え方は素晴らしい」。

「私は小さい時から、社会を助けることは非常に大切なことだという教育を受けてきました。私は生まれつき父に似ているのか、或いは家庭環境の影響 を受けたせいかどうか知らないけれども、それが私を変えたことは確かです」。魏可欣さんの父親はフランス人とスペイン人の混血で、黒人。アメリカ本土人で あり、1921年生まれ。其の当時のアメリカでは、人種族差蔑のため、黒人はいい仕事を得られなかったが、彼は「第二次世界大戦」に参加し、戦後は無料で 大学に進み、法律学校で勉強をしてのち、弁護士となった。彼女の父は勉強をしているときに、たびたび地図を売る会社へアルバイトに行っていたが、経営者が 突然心臓病で倒れ、彼ともう一人で会社を買い取り、数十年後には大きな地図会社となった。「父にとって、更に重要なことは、従業員を助けることであり、そ の多くがメキシコ移民でした。父は会社を売却後、儲けたお金で一つの基金を設立し、あまり豊かでないオークランドでさまざまな教育プロジェクトの展開を助 け、同時にいつも無料で弁護士を雇うことのできない人に対する、法律コンサルタントをやっています」。

魏可欣さんは北京に多くの「流動人口」の友人がいる。例えば、以前小さな飲食店で知り合った店員とかで、彼らが毎月苦労してわずか1000元の給料である のを知って、魏可欣さんは彼らに英語を特別に教えたいと思った。そうすればスターバックス或いは比較的条件の良いところで働いて、肉体的にも生活的にも少 し良くなると思ったから。「2か月試した後に、私はもう遅すぎることを発見しました。かれらの人生の在り方はすでに固まっており、おそらく貴方ができるこ とはいい友人になることだけ。彼らの状況を変える方法はない。これが10数年前、彼らの父母が少しお金があって、小さな商いをし、少しのお金を稼ぐことが できたころだったなら、彼らの人生は完全に変わっていたはず。このことは、私が現在『我開』をしている動機の一つかも知れません」と彼女は話した。

我開 :   http://www.wokai.org/

以下の三聯生活周刊サイトより翻訳して転載
http://blog.sina.com.cn/s/blog_470bf2570100faxe.html

翻訳:岡田由一

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