2010/12/22 by Matsue

李兆偉:孝行を尽くす心が継続の力–上海浦東新区青之翼社会事業サービスセンター

李兆偉さんは、「80後」(1980年代生まれ)で、上海浦東新区青之翼社会事業サービスセンターの創始者だ。卒業後、李さんは社会事業協会でとても良い職に就いていたが、それを放棄して社会事業ネットワークウェブサイトをつくることを選んだ。現在このサイトは、一日の閲覧回数が10万以上で、社会事業分野で最もホットなサイトだ。5〜6年間、李さんは、自腹を切ってこの事業を続けてきた。この度、上海浦東新区青之翼社会事業サービスセンターが登録に成功し、李さんと彼のチームの努力は遂に花開き、実を結ぶことができた。

農村で生まれ、小さい頃から父親の苦労を見て育った私は、世の中の広さは自分の視界に入る広さと同じだと思っていた。だが、最初はクラスで成績が一番悪かった自分が、 6ヶ月の猛勉強を経て学年で10位以内に入るようになり、華東理工大学に首尾よく合格することができた。このとき初めて、人生には様々な可能性があることを知った。

何年も後、年少の頃のあれこれを思い起こしたとき、私がある程度職業的に成功できたのは、孝行心が重要な要素ではないかと考えるようになった。私の両親は、畑仕事に精を出す農民で、数百坪の土地を一生懸命耕すことで、私と妹が学校に通えるようにしてくれた。このため、両親への恩返しは、小さい頃から私の信念となり、大学受験のために奮闘した際にも、その後に青翼を創立した際にも、この想いは常に私と共にあり、どのような状況においても、私が継続していく動力となっている。

「青翼ネットは、自分の子供のように私が自らの手でつくり、ここまで大きく育て上げたものだ。私がいなければ、青翼ネットは存在しなかったが、青翼ネットがなければ、私も存在し得ない」

大学時代、インターネットに初めて触れる機会を持った私は、 すぐに魅了された。大学3年生の時には、自分でウェブサイトをつくりたいという考えが生まれた。アイディアがあればすぐ実現するのが一貫して私のやり方で、美術、デザイン、プロセス等の役割を自分で担い、「青翼社会事業ネット」を創設した。実は当時このウェブサイトがここまで発展するとは予測していなかったが、それでも続けた。経費面の状況が厳しく、よく自分の食費を節約してサイトの運営を維持していたが、そのため大学時代私は非常に痩せていた。

卒業後、私は上海陽光コミュニティー青少年事務センターで、情報関連の仕事に就いた。同センターで働いた日々は、教科書の世界から飛び出して、実際に上海の社会事業業界の発展の現状を理解し、多くの実務経験を積んだ時期で、その後青翼を創設するための良い基盤となった。最も幸運だったことは、私が青翼社会事業ネットの運営を続けており、嬉しいことに青翼ネットのユーザーが次第に増え、影響力も大きくなっていったことだ。青翼ネットは、自分の子供のように私が自らの手でつくり、ここまで大きく育て上げたものだ。私がいなければ、青翼ネットは存在しなかったが、青翼ネットがなければ、私も存在し得ない。

陽光コミュニティー・センターで勤め始めて2年余りたった2006年、仕事は順調だったが、父親が末期癌との知らせを受けた私は、じっとしていることができなくなった。陽光の総マネージャーになるようにとのトップからの要請を断り、上海での職務を全て辞め、父親のもとに戻り、最期の日々を一緒に過ごした。6ヶ月後、父親は逝去し、その後の諸事を処理した後、母親に別れを告げ、再び上海に戻った。

「私達は、次々と小規模な事業を行っていったが、成果は限られていた。組織の運営は困難で、一緒に奮闘してきた仲間も、現実を前にして青翼を離れていった」

青翼がインキュベーションを受けるまでは、上海自強コミュニティー・サービス総社で働いていたが、いつも何か心の奥の願望が発揮できていない気がしていた。 2008年、NPI公益組織発展センターから連絡があり、青翼への起業支援(インキュベーション)の提案を受けた。当時青翼社会事業ネットは、すでに業界内で最も知られたサイトの一つとなっており、実体的な組織を設立することはごく自然なことだと考え、喜んで同意した。青翼ネットの知名度は高かったが、実際に組織を設立することについては全くの素人で、NPIのスタッフは、 私達のために、苦労もいとわず様々な手続きに奔走してくれた。青翼の転生は、こうして一歩一歩完成にむかっていった。

2008年9月、青翼社会事業人材サービスセンターは、上海の松江にて正式に設立された。私を含めて当初は3名のスタッフで構成され、最も悩ましい問題は運営資金だった。NPIは、多くの資金調達の機会を提供してくれた。私達は、次々と小規模な事業を行っていったが、成果は限られていた。組織の運営は困難で、一緒に奮闘してきた仲間も、現実を前にして青翼を離れていった。私は、組織の運営、資金調達、リクルートという周期の中で多忙な日々を送り、一方では資金不足、一方では組織をどのように発展させていくかが不明確だった。

「私は興奮で飛び跳ねそうになった。長年の蓄積と沈殿がその時ついに結実したのだ。私は3日間も、夜よく眠れなかった」

2008年5月12日の四川大地震後、私達は「翼起美麗」プロジェクトを展開し、心を尽くし、多くの同業者たちと交流した。震災地のブン川から戻った後、私は組織の発展について考え続けた。青翼はいったい何をすればよいのか、どのようにすればこの業界で立脚できるのだろうか。長い間思案し模索した後、青翼のミッションは、社会事業に従事する人材の専門化・職業化を行い、現行の大学における社会事業教育の不足部分を補い、社会事業を学ぶ学生達の理想実現を手助けすること、と定めた。この考えが生まれたとき、私は興奮で飛び跳ねそうになった。 長年の蓄積と沈殿がその時ついに結実したのだ。私は3日間も、夜よく眠れなかった。

その次には、団体登録という問題に直面した。幸いにも浦東新区の民政局からの強力なサポートを得て、2009年12月、ついに待ちに待った営業許可証等一連のライセンスを入手することができた。青翼の正式名は、「上海浦東新区青之翼社会事業サービス・センター」とした。また、時間の蓄積と業務状況の確認を経て、ついに4名のスタッフを探し出した。彼らは、青翼の柱として組織の屋根を支えることになった。

田を耕せばその分だけ収穫がある、という言葉のとおり、2009年、青翼は、上海民政局の公益ベンチャー投資コンテストで2つの事業を獲得し、民政局の資金援助も得た。北京では、南都基金会への申請プロジェクトも承認取得に成功した。更にNPIから紹介を受けたいくつかの事業も現在鋭意準備中だ。2009年にしっかりした基礎を築いたため、2010年は青翼が急速に発展する一年になると信じている。

人が多ければそれだけ力も大きくなる。青翼は団体内部の管理体系と組織の枠組みを絶えず改善している。業務が増えるにつれ、既存のスタッフでは組織のニーズを満たすことができなくなったため、NPIは私達の状況に合わせた各種の従業員教育を提供してくれた。

2003年に青翼社会事業ネットが設立されてから、2009年に上海浦東新区青之翼社会事業サービス・センターが正式に設立・登録されるまで、青翼の人々は6年におよぶ模索と堅持を経験している。私達は、苦難は急速な成長を促す触媒であり、様々な風雨にさらされた後に初めて虹を見ることができる、と信じている。

上海浦東新区青之翼社会事業サービスセンター

中国国内初、そして現在最も知名度の高い社会事業コンサルティング及び情報交流プラットフォーム。社会事業に従事する人材に対し、実習、インターンシップ、技術トレーニングを広範囲にわたって行い、社会事業組織や関連政府部門に対し人材交流サービスを提供する。

ウェブサイト:http://www.sowosky.com

メールアドレス:laoshu@sowosky.com

『社会起業家雑誌』3月号46-47ページより翻訳して転載

http://www.npi.org.cn/uploads/magazines/npo/2_1474_165059.pdf

翻訳:A.K

校正:松江直子・廖芳芳


This post is also available in: 簡体中国語

Facebook Twitter 微博

CATEGOLY