2010/11/30 by Matsue

ブルーセーター(2)~Acumen Fund創始者Jacqueline Novogratz

一体どうやって?

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 Venkataswamy医師と会ったのは、暑い午後の南インド タミル ナドゥ州にある小さなマデュライ空港だった。医師は当時80歳くらいで、リウマチ関節炎に悩まされていると聞いていた。予期していなかったのは、細い体と白髪頭に、なめし革のような皮膚を持った医師の活発な明るさだった。野球帽を被って佇み、木製の松葉杖をくしゃくしゃの手で握っている医師の拳の上に、金色の指輪が光っているのが見えた。医師の大きな笑顔と、その風貌が私にジョン ガードナーを思い起こさせた。Venkataswamy医師は活気に溢れていて、高潔さの歩く見本であり、至る所で美を見つけていた。

 「わざわざ迎えに来て頂かなくてもよかったのに。」と私は自己紹介しながら笑った。

 「なぜですか?」と彼は聞いた。「貴女は私たちのゲストです。是非お近づきになりたいのです。」

 ゲストハウスへ行く為、運転席に座ったV医師(普段はこう呼ばれている)は、またしても私を驚かせた。医師は、絶え間なく改革の構想について話しながら、まるで10代の若者のように急ハンドルを切って渋滞を切り抜け、1分間に最低でも15回はクラクションを鳴らしていた。私は、驚きながら医師の話を聞きつつ、その場に馴染もうと試み、医師の近くにいるだけで感じる開放感を味わっていた。

 「Aravind眼科専門病院をマクドナルドのように経営しているんです。」と医師は説明した。「清潔かつ整理整頓、全ての手順が理解されているので、効率性を最大限に引き出す事が出来るのです。患者の3分の2は、支払いを全くしないか、殆どすることがないのですが、それでも病院は継続的に収益を上げ、成長しているのです。」

 「一体どうやっているのですか?」私は、動物やトラック、そして埃だらけの道を走っている子供たちに気をとられないように医師を見据えながら聞いた。

 「私が今説明したシステムがあるからです。」と医師が言った。「そして、単に誰も断らないのです。どうなっているのかは、見たらわかるでしょう。」

 初めに私たちは、病院から数ブロック離れた静かな通りにあるゲストハウスに行った。ゲストハウスは新築で、涼しげな白い大理石の床と小さな食堂、二階には個室が備えてあった。私の個室は、ベッドと天井には扇風機、小さなクローゼットと、とても小さいお風呂場が備えられていた。そして、Venkataswamy医師が崇拝する精神的指導者、スリ・オーロビンドの写真が壁にかけられていた。至る所で静寂と敬意、統制と優雅さが感じられた。

 病院自体はもっと騒々しかったが、地に足のついた堅実さと平穏が行き渡っていた。1700人の若い女性従業員は、皆、業務ごとに分けられた違う色のサリを着ていた。1人の医師が女性の乱れたサリを、その華奢な体に上品にかけ直す手助けしているのを見かけた。この医師と女性の純粋に洗練されたやりとりをみて涙が出そうになった。こういった心のこもったケアは、米国の病院では欠けがちであるのだ。Venkataswamy医師にとっては、どうやっているかは、何をするかと同じ位重要であり、強靭なパワーと精神的な充足感は、成果を挙げた神聖な仕事から得られるものであると信じているのだ。

とにかく始めてみて、その仕事から学びなさい

 初期において、私たちの小さなチームが直面した最大のチャレンジは、投資する起業家とその構想を見つける事だった。私たちは、インドや東アフリカに焦点を当てたヘスルテクノロジー分野から取り掛かろうと決めた。財団法人と国連のコネがあれば、投資できる社会起業家を特定するのは問題がないと踏んでいた。私たちは、大規模な社会問題の解決に向け、ビジネスの手法を利用する先見の明のある指導者がいるベンチャー企業を探していた。その企業とは、財政的に持続可能であり、長期間に渡って100万人以上の顧客に接触できる見込みのある事が条件であった。ヘルスケア分野と地理的に10億人以上を抱えている関係上、パイプラインを獲得するチャンスを特定するのに問題はないと見ていた。

 しかし、私たちは間違っていた。数え切れないほどの人たちと話をし、アドバイスや人脈を頼んだ。多くは、コミュニティーレベルで活動をしている素晴らしい改革者を紹介してくれたが、そのアイデアが、私たちの持つビジネスの構想へと膨らむかどうかに自信がもてなかった。夏の間、2人の研修員を雇い、インターネットリサーチに1日中費やし、可能性のある候補者を特定しようとした。最終的に、私たちは700以上の企業を検討したが、リーダーシップ、持続性、スケールという私たちの掲げる3つの基準に幾分でも当てはまるものは一つとしてなかった。なぜなら、1年目の夏、私たちは最も交流関係が広い非営利団体というセクターに限って模索していたからだ。

 その夏の終わり頃には、私たちはちょっとしたパニック状態に陥っていた。そんな時、とあるヘルスケア会社の聡明なCEOが忘れもしないアドバイスをくれた。「とにかく始めてみなさい。完璧を求めてはいけません。始めてみて、そこから学ぶものがあるはずです。誰も一番初めからうまくいくとは思っていません。それに、初期の成功からより、間違いから学ぶ事の方が多いものです。そんなに心配するのは止めて、今ある最善策を見極め、そこから始めればいいのです。」とそのCEOは言った。

 それでも尚、私は、私たちの構想は正しい社会起業家を選択する事にかかっているのだと議論した。

 「それなら、知っている一番いい起業家を見つけて、そこから始めたらいいでしょう。」

 私たちの理想に合う指導者とは、インドのムンバイにAravind眼科専門病院を設立したGovindappa Venkataswamy医師だった。この類まれな医師は、1976年に58歳でインドの公務を国で最も誉れの高い眼科外科医として退職した際、母国と更には世界における無意味な盲目をなくす手助けをするため、眼科専門病院を設立することに決めた。インドは、成人と小児共に、恐らく遺伝子と食事が原因であろう、高い糖尿病発症率の為、過度に高い盲目人口に悩まされている。インドの数百万人以上が盲目という事実も、簡素な家でたった11床で病院をはじめるV医師を怖気づかす事はなかった。

 今日、Aravind眼科専門病院は、年に230万人の患者を診察し、支払能力に関わらず、人々の視力を修復する白内障手術を28万件以上行っている。この病院の各医師は、平均して1日約80の手術を行っている。これと比較して、米国での平均はたったの6件である。もし厳しい規律と寛大な思いやりとを融合させる社会起業家がいるとすれば、それはVenkataswamy医師だろう。私たちは、医師と会い、医師が取り組んでいる革新的事業を見てみる事に決めた。

原文:http://www.socialedge.org/blogs/the-blue-sweater

翻訳:丸山志野
校正:小嶋祝夫

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