2010/10/18 by Matsue

ブルーセーター 序章 ~Acumen Fund創始者Jacqueline Novogratzの著書より

 千里の道も一歩からという。私の一歩は、見事にも顔面から転ぶ結果となってしまった。年端も行かない一人の女が、世界を変えることを夢見ていた。20代のときに、アフリカ大陸を救おうと意気込みアフリカへ行ったが、アフリカの人たちは救済というものを欲しいとも、必要だとも思っていない事を学んだのみに終わった。実際にそこで私が目にしたのは、善意や普通の慈善活動や救済事業が、最悪の結果を生み出す事もあるという事実だった。あまりにも多くのプログラムが失敗に終わり、人々を何も変えないままか、もしくは更に悪化した状況にしているのだ。私の愛する人々にもたらされたルワンダの大虐殺という絶望的なインパクトが、私の夢を更に萎縮させた。

 私は、世界をほんの少しそっと突くことができれば、たぶん、それだけで十分だと思っていた。しかし、軽いプッシュでは十分ではないのだ。富裕層と貧困層の差は世界中で広がりつつあり、社会的にも経済的にも維持することのできない悲惨な状況を作りだしている。更に、一生懸命仕事をしていないからではなく、多くの様々な障害の為に、貧困が現実となっている人々には、驚異的な回復力があるという事を、私はアフリカでの仕事から学んだ。重病を抱えた子供や夫の死で、家庭の蓄えを根こそぎ使い果たし、一生貧困に苦しむ借金地獄の悪循環に陥ってしまうのである。

 他の方法もあるはずだ。成る程、私の20代の頃の理想主義は40代になって戻ってきたが、それは単に事実無根の希望に満ちた考えから戻ったのではなく、根深く育っている実益主義に基づく楽観主義から戻ったのである。貧困をより洞察力のある方法で対処していく為に、私は、2001年にAcumen(洞察力)基金というNPOを設立した。慈善寄付を募り、そのお金をただ施すのではなく、世界の最も困難とされる問題への挑戦を引き受ける起業家に対し、慎重に投資をするのである。私達は、政府や慈善活動のプログラムがうまくいっていない地域、極貧生活を強いられている村やアフリカや南アジアのスラム街の様な場所に、手頃な医療サービスや、清潔な水、住宅、代替エネルギー等の必要不可欠なサービス提供の構想を持つ起業家を求めている。その投資効果は、財務面と同時に社会的な面からも評価し、世界中でその教訓と見識を共有するのである。起業家が、犠牲者ではなく消費者として見た低所得者層の好みに合わせてサービスや商品をカスタマイズし、その市場を情報源として見た時に何が起こり得るかという事を、私たちは目の当たりにしている。

 起業家は、やがては自分たちを支えることができ、最終的には幅広い人々への提供が可能となるシステムを作り上げようとする。その様な投資への見返りは、莫大なものになり得る。本当に低所得の人たちが支払いをするわけがないという全ての一般通例に反して、Acumen基金では、インドの貧しい田舎に住む25万人以上の人々へ清潔な水を供給する会社を設立する起業家と取り組みを行ったことがある。また、世界の27万5000戸もの小規模農家の収穫高と収入を2倍にすることを可能にした、ドリップ灌漑システムを販売した農業関連商品のデザイナーを支援したりもした。アフリカのマラリア蚊帳製造会社にも投資をし、今では主に、技術のない女性からなる7万5千人以上の従業員を雇い、年間1000万の、命を救う丈夫で長持ちする蚊帳を生産している。今日、私は若い頃よりも強く、貧困を絶つ事が出来ると信じている。歴史上で今ほど、貧困を解決する為の技術や資源、テクノロジー、想像力が豊富な時代はない。加えて、私は貧困解決を信じている。なぜなら、根本的変化が一世代で可能という事を個人的に目にしてきたからだ。

 私の祖母のステラは、1906年に生まれた。彼女の両親は、ハンガリーとの国境付近にあるオーストリアのワイン生産地であるブルゲンラントの農場に住んでいたが、オーストリアやチェコ、ハンガリーから富を求めてやってくる他の多くの人々同様、ペンシルベニアのノーザンプトンという小さな町に住むようになった。両親はステラの面倒を見る余裕がなく、彼女が3歳の時、養えるようになったらすぐに迎えに行くと約束して、妹のエマと一緒にオーストリアへ送り返した。

 10年以上もの間、2人の少女は、家から家へたらい回しにされ、どの家庭にもしっかり受け入れられた事はなかった。彼女たちは、家事使用人としての人生を送り、時には虐待され、日曜日にのみ彼女たちのたった一足の靴を履く事を許された。彼女たちは、一生懸命働く事、神を信じる事、そして希望を捨てない事の他は、本当の教育を与えられなかった。私の祖母の時代の女性は、結婚後すぐに子供を生み、手仕事で収入を得、家事の全てをこなす事を求められていた。私の祖母は、織物工場で出来高払い労働者のような苛酷な状況の下、苦労して働き、日曜日は一日中料理をし、男達が食べ終わるまでは自分が席に着くのを待ち、ただの一度も不満を漏らさなかった。彼女は、9人の子供のうち3人を5歳前に亡くした。毎日教会へ行き、いつも伏目がちな、はにかんだ美しい笑い方をしていた。私は、アフリカ大陸の多くの女性が同じ様な微笑をするのを目にした。

 アメリカで、私の祖父母は6人の子供を育て、その子供たちは25人もの子孫をこの世に生み出した。いとこ達と私は、祖父母や彼ら のような人達の偉業の上に存在しているのだ。彼らは一度も施しを乞わず、助け合いながら、重労働と決意を通して、少なくとも希望と機会を約束するこの国で、自分たちの子供によりよい未来を与えた。

 今日、世界中の貧しい人々は、人生の尊厳をもつための機会と選択を模索しており、たとえ小さな希望すらなくても、自分達で成し遂げたいと思っている。そして今日、私たちは、世界中の人々に本当のチャンスをもたらす事の出来る、手段と技術を持っているのだ。

 私達が大切にしてきた基本原理を、この地球上の全ての人々へ差し伸べる時がきたのだ。全ての人間の命の尊さは平等である。世界を文明や階級の違いで分けてしまうのではなく、私たちが共有する未来は、全ての人類が繋がっている一つの世界というビジョンを受け入れることに基づいているのである。正に、この人類のつながりという概念は、私たちの時代において最も重要且つ複雑な挑戦かもしれない。市場はこのビジョンに基づき役割を果たし、社会政策も、慈善活動もまた同様にその役割を果たしている。私たちは皆、変化に必要な役割を果たしているのだ。

 しかし、何処から始めたらいいのか?スキルのある現在の多くの若者同様、世界を変えるために貢献したいという25年前の私の願いは、真っ当な行動計画とは合わなかった。どうしたらいいかのアイデアも全くなかった。私は、自分で稼いだお金で大学に行った、唯の中流階級の子供だった。初め、非営利の人生を追い求める事は、巨大な挑戦のように思われた。そして、その時、私が切望する仕事をしている人を誰も知らなかった。私の手本となった人たちの殆どは、本の中か、或いは既に死んでいるかだった。

 そこで、私は、今私が若者に教えている様な事をした。出来る事から、出来る機会が与えられた時に始めたのだ。この本は、私の旅についてである。知識を伴った旅、そうでない時も心から楽しんだ旅。もっとグローバルで、全ての人類が繋がっているというビジョンに集中した人生を送ろうと、銀行の職を離れた若き女性冒険家を振り返ってみると、才能と、教育とスキルを持ち合わせているものの、それらの要素だけがいつも成功に繋がるわけではないという事を繰り返し学ばなければならなかった。

 この本は、簡単な解決策を手にいれようとしない人、または世界にイデオロギーは1つではないと主張する人のために書かれている。この本は、人々が実際に稼いだお金の額を気にするよりは、人々が基本サービスを利用できるかどうか、人間として生まれながらに持つ権利である、自由と尊厳のある人生を送れているかという事を考える人に向いている。そして、この本は、今日の複雑な問題が同等に複雑な解決策を要するということを認識しつつ、単純な真実を求める読者の為の本である。

 私の旅路は、私の最も基本的な考え方にさえ疑問を投げかけてきた。ブードゥー教と毒への恐怖と直面するだけに終わったアフリカへの初めての旅では、開発における外部者の役割を考えさせられた。私が何年も一緒に働いていた女性のグループが、ルワンダの大虐殺で被害者として苦しみ、同時に加害者としても加担したのをみて、人間の本質とは一体何かということを再度考えさせられた。「資本主義の勝利」という信条が広がる結果となり、また抑制の効かない資本主義システムが、極貧の人々に課す残酷さを経験することとなった、ベルリンの壁の崩壊を見て、世界経済の機会が全ての人に与えられるようになる代替解決策を模索した。世界の富豪と呼ばれる人々と出会い、一緒に仕事をすることで、慈善活動の役割と、特に貧困に関して、大きな変化をもたらす民間主導の役割を探索した。

 私の話とは、私の人生を形成した類まれな人々の話である。カンボジアの僧、年配のアメリカ人大物政治家、アフリカの泥小屋で一生を過ごした男性、ロックフェラー財団の総裁、小屋で踊るケニアの女性、パキスタンで家を失った少女、たった4リットルのミルクで命を勝ち取った虐殺からの生存者等、世界のいたるところに居る人々だ。その1人1人、そして更に多くの人々が、不屈の人間の精神や、いかに私達人類が基本的なところで似通っているか、そして、尊厳という個人的かつ共有の感覚がいかに大切かについて素晴らしい教育を私に与えてくれた。この忘れがたき人たちは、信じ難い苦しみに耐えしのびながらも、決して人生の意味やユーモアを忘れた事はなかった。

 私自身を支えている自信と可能性は、そういった人たちから得ているのである。地球上の全ての人が、人生を形成するのに必要な資源を使える世界を作り出すことができる、すなわち作り出さなければならないのだと言う事を彼らは私に信じさせてくれた。そこでこそ、尊厳が生まれるのである。極貧の人たちだけでなく、私たち全てに。

文:Jacqueline Novogratz
翻訳:丸山志野

校正:小嶋祝夫

原文:http://www.socialedge.org/blogs/the-blue-sweater 

GLIサイトより転載:http://www.glijapan.eu/inspire/?p=477

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