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2016/03/14 by Tanada

【郷村建設コラム】黄志友×蒋黎婕 :村作りに取り組む“80后”の“Uターン”

20160314-2

●当記事の出典について

当記事は、『新華月報』2015年7月号の「郷村建設」コラムとして発表された。

「郷村建設」コラムは、新華月報と西南大学の中国郷村建設学院、中国人民大学の郷村建設センター、福建農林大学の海峡郷村建設学院、および中国国内で郷村建設を実践している複数の団体による合作で執筆されている。

黄志友:北京“小ロバ市民農園”(Little Donkey Farm)の副所長で、「愛・故郷計画」の発起人の一人。
蒋黎婕:上海師範大学修士(専攻:現代文学)、北京梁漱溟郷村建設センター・昆山青澄創業園宣伝部。

郷村建設に関する情報については、「郷村建設研究」をご覧ください。

編者注:
2012年、梁漱溟郷村建設センター(以下、梁センター)は「若者のUターン計画」を立ち上げ、様々なUターンの方法を提唱し、中国国内の様々な省で「若者のUターングループ」を作った。2015年正月、Uターン日記がもたらした「郷愁」に関して広く討論が展開された後、梁センターは「Uターン物語」計画を実行し、すでにUターンを果たした若者たちが自分の意見を言ってくれることを期待した。

この記事は、1980年代生まれの郷村建設の実践者である黄志友のインタビューである。彼は、2000年より大学生が農業を支え農村に赴く活動に参加し、続いて河北省定州の晏陽初郷村建設学院と北京“小ロバ市民農園”で生態農業推進事業に従事し、2012年には全国「愛・故郷」運動の創設に関わった。十数年来、ひとつひとつの変化を黄氏は「故郷へ帰る道」と読んでいた。インタビューでは、自身が持つ農業に対する知識について詳しく述べるだけでなく、広く社会環境を俯瞰する視点から若者のUターンの歴史と現実について分析してくれている。

1.自然とつながりのある農業生活と文化

蒋黎婕(以下、):黄さんは長い間農業に携わっていらっしゃいますが、農業生活とはどのようなものだとお考えになっていますか。

黄志友(以下、黄):農民の生活は、植物に似ているところがあると思います。私達は、植物が発芽し、花開き、実を結ぶ様子を見て美しいと思いますが、それは外部者としての観点と想像にもとづく感想で、農民にとって見れば、それは自然な命の有様にすぎません。伝統的な農業社会においては、夏は辛い農作業に汗を流し、冬場の農閑期には歌や踊りに興じるというのが農民の真の生活です。私達は農村の生活に対し文学的な想像をはたらかせ、美しい里村での生活を思い浮かべがちです。しかし、歌って踊る魅力的な一面だけを見て、夏に農民が辛い労働に従事している一面は、その場に居合わせないために余り見る機会がありません。私達の「小ロバ市民農園」の見学者も似たようなものです。農民の生活の輝かしい側面だけを見て、やっとの思いでお金を稼ぎ生計を立て、更に社会にも貢献しているという側面を見ることはないのです。

毎年の「地域社会が支援する農業(CSA)大会」(注1)では、私達の「小ロバ市民農園」が全国から注目され、輝かしく見えるかも知れません。しかし、3月から10月まで畑を耕し、農園の経営によって収入を得て多くの人を養うために努力している私達の姿は皆さんには見えません。冬の農閑期には労働力が余っているため、人的資源や経費を提供し、農業コミュニティ全体を支援するために、民間による公益エコ農業大会を開催しています。開催に当たっては前後2ヶ月を費やし、スタッフの半分以上が大会が滞り無く実施できるように様々な作業を手伝っています。これが「小ロバ市民農園」が自然界のリズムに則った生き方の背後にある経済学の理論なのです。

農耕文化とはどのようにして生まれたのでしょうか。それは社会が安定し、ある程度物質的にも豊かで時間的にも余裕がある時代の産物でしょう。農閑期には歌って踊り、家系図を編纂する。そうしているうちに文化が誕生したのだと思います。陶淵明(訳注: 中国の魏晋南北朝時代、東晋末から南朝宋の文学者)は多くの詩を残しましたが、もし彼が自ら数ヘクタールもある畑を耕さなければならなかったら、詩を書くことはできなかったでしょう。30平米程度の家庭菜園は持っていたかも知れませんが、農業で生計を立てていたのではないと思います。本物の農民は、忙しくて詩を詠む時間や余裕などありません。工業文明は私達の両手を労働から解放してくれましたが、脳みそまで解放してくれたわけではありませんでした。期待されていたような時間と心の余裕はもたらされず、逆に人々は工業文明時代以前よりも更に忙しくなり、ストレスも多くなりました。それは私達が土壌や農業、そして人間の本来の生活から離れてしまったからです。

2.「無能」のUターン青年と歴史の中のチャンス

蒋:最近、社会資本を手に入れるために努力したいと思っても、社会の中で勝ち上がることができず、かといって百姓に甘んじることはできないと思っている若者がいるようですが、このような心理状態についてどのようにお考えですか。

黄:それはごく正常な心境だと思います。今のようにペースが速く情報が爆発的に多い社会では、実に多くのことが人々に要求されています。人々が比較される物差しは長く、幅広い範囲を網羅しており、非常に不公平な社会です。多くの人はこのような状況に直面した場合、うまく適応したり、コントロールすることができません。勝ち組になれる見込みがない、或いは勝ち組になんかなりたくないと思う一方で、農民や労働者という位置に甘んじたくないのであれば、自ら新しい基準をつくり、新しい集団を形成するしかありません。都会の世俗的な基準に従うのでもなく、農民の伝統的なルールに則っているわけでもない集団、正にそれがUターン青年です。彼らは都会で活路を見出すことができなかった、というよりも逃げ道が余りなかった、と言ったほうがよいでしょう。

しかし、それは恒久的な状態ではありません。Uターンの過程で、社会の主流にも認められるような勝ち組になることもできるし、自分自身が感じ取れる喜びを守り通しことも可能です。大切なのは、自らの能力と選択、そして歴史の流れの中で時期を逸さずにチャンスを掴むことができるかどうかです。歴史の中で人に与えられるチャンスはそう多くはありませんが、一旦チャンスが到来し、あなたがそれを掴んで正しい方向に歩み始めたならば、順調に成功への道を歩んでいける可能性があります。

「晏陽初郷村建設学院」で農民のための学校を開校するに当たっても、小ロバ市民農園で今までとは違うスタイルや方法で市民とともに農作業をするに当たっても、私達は大きなチームに支えられています。 例えば潘家恩さん(訳注: 晏陽初郷村建設学院の創設メンバー。重慶大学の講師で農村地域の発展をテーマに研究を行っている)や石嫣博士(訳注: 中国における地域社会が支援する農業の第一人者の一人で、小ロバ市民農園の創始者で名誉園長)は、自身の才能を十二分に発揮し、政府の組織内に入ることで、民間の社会と交流し、資源の融合を促進する良き橋渡し役となっています。しかし彼らは私達の集団の一部にすぎません。歴史の流れの中で、ある一つのチャンスが時・場所・人の全ての条件が揃った際に到来し、私達はUターン青年の集団となったのです。潘さん、石さんの二人の他にも、厳暁輝さん、郝冠輝さん、袁清華さん、鐘芳さん、 程存旺さん、王寧さん等の多くの人が、農業という世界の中で自分の居場所を持っており、彼らの心は活動を始めた当初と基本的に変わっていません。

特定の時期と条件下で私達が自ら選択をした結果、集団の力と社会の触媒作用によって、今のような素晴らしい社会的効果を生み出すことができたのです。自分の人生だけでなく、Uターン青年集団全体、農業界全体、そして更には国全体にまで、穏やかながらも建設的な変化をもたらしたことは、喜ばしいことです。

「晏陽初郷村建設学院」や小ロバ市民農園の空間と文化が、私達の集団や社会を促進させる触媒のような効果をもたらしてくれました。その後何が起きるかは自分がコントロールできることではなく、自然に発酵が進み、社会全体が車輪に動かされる自動車のように動き出し、急速に建設的な変革が生まれるのです。

ですから、勝ち組に成れる見込みは無いが平凡な人生に甘んじることができないというのは、偽りの問題だと言えます。なぜなら、このような状態は一時的なことで、一生続くことではないからです。私達が必要なのは時間と落ち着くことです。常に上に登って行きたい人もいれば、底辺を守りぬく人もいます。大切なことは、自分に与えられたチャンスや選択肢と能力にもとづいて、どのような生き方を選ぶかです。初心さえ忘れなければ何事もうまくいくでしょう。

いずれにしても、青春を無駄に過ごしてはなりません。

3.Uターン青年という言葉や尺度

蒋:Uターン青年やエコファームという世の中の流れが手本となるに当たって、何らかの法則があると思いますか?

黄:Uターンは、十年前の言葉でいうと、農業支援や教育支援、農村建設と表現されていました。決して新しい事柄ではありません。十年前、私たちは晏陽初郷村建設学院でエコ農業を学んでおり、新しい農業人です。でも、当時は今のような言い方ではありませんでした。

まず第一に、時期によって、言い方が違います。Uターン青年と言っても、十年前に学院でやっていたことは経験にならないとは言えません。五六十年代はよく知識青年という言葉が使われましたが、今の私たちは知識青年ではないとは言えません。それぞれの時代で使われる言葉は異なりますが、本質は一緒です。

第二に、空間によって標準が違います。たとえば、小ロバ市民農園の標準価値は全国の尺度を元に決めました。小ロバ市民農園が育成したCSAの研修生が、河南や広西に戻ってエコ農業を始めると、地元のメディアに注目されるでしょう。そうなると、彼らはあっという間にそこの手本になって、一歩先行く新しい農業人となるでしょう。姚慧峰は沃土工坊が支援した江西のUターン青年ですが、江西のエコ農業界ではすでに有名人で手本とされています。これが地域性の長所です。地方で開拓するUターン青年たちは、北京で働いている私たちより劣っているとは決して言えません。地元の農業を進めていく中で、彼らは決定的な存在なのかもしれないからです。組織に属する者として、中国人民大学などの大学の資源を有する社会団体として、私たちは仕事場を作って組織を動かすようになりました。地方で開拓する人たちの道しるべにもなりました。彼らには能力がありましたが、道しるべだけがありませんでした。私たちが磁石のようになって、各地から農業発展や農村建設をやりたい青年たちが集まってきました。

最後に、90年代末期から、国が西部計画ボランティア活動や大学生村官(訳注:大卒の若者が村幹部として在来の幹部を補佐する仕組み)を推進するともに、中国人民大学農村建設センターが民間で大学生農村支援活動や持続可能な農村青年人材育成計画(注2)を進めています。これらのプロジェクトの本質は全部青年のUターンです。このような方法を通じて、就職ストレスを解消し、農村発展を支援し、民族や国家の安定につなげます。つまり、Uターン青年が自分を救うためであろうが、国家が就職ストレスを解消し三農発展を促進する戦略であろうが、Uターン青年自身は時代にしたがって変わっていきます。それには法則があるので、根拠もなく存在しているわけではないのです。


[1] 全国コミュニティー互助農業(CSA)大会:中国人民大学農村建設センター及び国仁城郷(北京)科技発展センター(小ロバ市民農園)が主催し、2009年から現在までで6回開催。

[2]中国人民大学農村建設センター及び北京梁漱溟農村建設センターが2005年に開始した人材育成計画。毎年20名ほどの青年幹部を育成し、農村建設に従事させている。現在までで10期開催し、200名ほどの青年ボランティアを育成。現在でも農村の仕事(帰郷、合作社など)を続けている人や、農村公益事業をやっている人は全部で89名で、70箇所以上の拠点で働いている。

執筆者  
執筆者所属 『新華月報』2015年7月号
翻訳と校正 翻訳:川口晶子、ヒョウウン 校正:棚田由紀子
メディア

http://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MjM5MDg0MjQwNg==&mid=207432575&idx=1&sn=1d587b5ed322cf02ab3aeb520a03a711&scene=1&from=singlemessage&isappinstalled=0#rd

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