2015/09/07 by Tanada

やっぱりスゴい日本

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信力建/文

地理的距離は近い日本。しかし心の距離は遙かに遠い。日本の街には漢字が溢れているから読めば分かるけれど、会話はさっぱり聞き取れないし、日本人も中国語がさっぱり分からない。結局、英語を使って会話をしないといけないのだが、中国人と日本人が日本で英語を使って会話をする様子は、「鶏と鴨が会話をする」(=お互いに通じない言葉で会話をするので、意思疎通できない)ようなもので、滑稽だ。

なぜ中日両国の人々の気持ちは、米国との気持ちの距離と比べて、ずっと遠いのか?その理由は、日本人の心はまだ「脱亜入欧」(アジアを脱して、欧州列強の一員になる)だからだ。しかも、両国の特殊な歴史と恩讐もあるので、中国人が日本人と交流する際は、米国人と交流するより壁が高くなる。

はぁ~・・・(ため息)。

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清潔さの背景にある力

日本へ行って一番感心するのは、何と言ってもこれだろう。「清潔!」。米国よりもずっときれいだ。基本的なことは何でも兼ね備えている欧米のチャイナタウンへ足繁く通う『花儿朵朵』の馬沂茹も、日本のチャイナタウンが一番清潔だという。

日本では、大都市の主要幹線道路だけが清潔なのではなく、横丁や裏通りまでもが本当に清潔だ。それに、誰かが街路樹を切っている場面にも出くわさない。日本国内では街路樹は決して伐採してはいけないことになっている。また、日本でむき出しの地面を見たこともなかった。すべてアスファルトか芝生で覆われている。

日本の大都市で一番感心するのは、空気中にほこりが舞っておらず、壁やガラス窓に至るまでピカピカなことだ。自動車はたくさん走っているのに排気ガスが出ていない。黒煙を吐きながら走る車なんて皆無だ。

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東京にいた3日間、渋滞にもほとんど巻き込まれなかったので、その理由をガイドに聞いた。ガイドの話では、平日は一般的に(特に経営者は)自家用車では通勤せず、みんな電車や地下鉄を使っているという。その方が確実に時間が読めるから。街を走る車はたいてい営業車だ。

日本の公共交通機関は本当に発達している。日本を代表する新幹線は1964年の東京オリンピック開催の年に開通したが、今日に至るまで運行はスムーズで、現在では日本全土に新幹線の路線が張り巡らされている。輸送能率も非常に高く、一般の公共交通機関の如く運行されている。地下鉄とバスの接続も良く、乗り換えがとても便利だ。

だから、中国のような「マイカー推進」というのは非常に宜しくない国策なのである。香港やシンガポールではマイカー規制が行われているのに、中国では何の規制もない。目の前のGDPだけのために、中国の長期的な発展潜在力を犠牲にしている。

日本がただ清潔な国というわけでもないし、清潔さを保つ努力もさほど大変でもないだろう。では、どうして中国ではできないのだろう?それは、中国人には公共マナーを守る心が無いから。だからあちこちにゴミを捨てているのだ。では、どうして中国人はあちこちにゴミを捨てるのか?それは、中国人の目は環境が悪くても良くてもすんなり適応できるから。では、どうして中国人の目はそうなったのか?それは、中国人の精神がそうだからである。

清潔さは習慣のひとつなので、身につけられる。1994年に広島で開催されたアジア競技大会では、開会式終了後、数十万人の日本人が退場した後の競技場には、紙くずひとつ落ちていなかったことに世界中の人が驚いた。日本人ってスゴくないかい?

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もうひとつ、私の友人の話をしよう。彼は三菱重工で働いているのだが、大陸の印刷工場にプリンターを売る際に、中国の印刷業界で手広く商売をしている某社長を連れて日本の視察に訪れたことがあった。その社長は商売の規模も大きく、順調に成長していたので、少々天狗になっていたらしい。

その視察で、社長は日本人に印刷工場に入る前に靴を脱ぐように言われた。印刷工場から出た後、社長は自分の白い靴下が白いままだったことに驚いた。その工場での生産はすべてオートメーション化されていて、作業員がほとんどいなかった。中国国内の印刷工場の環境と比べると天と地ほどの差がある。その社長は帰国後、行く先々でこのエピソードを披露したという。それほどインパクトが大きかったのだ。

その時思った。清潔を保つという簡単なことが、どうして中国人にはできないのか、と。

やがて、ついにそれが明らかになった。

中国では、幼稚園が清潔ではない。小学校も清潔ではないのは確実だ。小学校がそうなら中学・高校もそうで、中高がそうなら大学もそうだ。実際、学生寮の汚さや臭いは今でも忘れられない。で、そのままの感覚で社会人になるから、社会が清潔になんかなるわけがないのだ。

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地下鉄内に響く革靴の音

東京都庁近くの京王プラザホテルに泊まっていたのだが、ホテル近くには大きな地下鉄乗り換え駅があった。早朝にその駅に行くと、洪水のように人が流れているが、その流れは整然としている。たいていの場合、喋っている人はいないし、携帯電話を片手に大声で話をする人もいない。革靴の音が怖いくらいに響いているだけだ。

日本人が物事を進める際は、周りに迷惑をかけず、他者の邪魔はしないことを原則としている。これは日本人の心の奥深くに存在しており、骨の髄まで染み込んでいる。

孔子が説いた「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」という言葉も、中国人はただ口にするだけ。「五講四美三熱愛」(訳注:1980年代に中国で「精神・文明・礼儀活動に関する呼びかけ」として提唱されたスローガン)も、壁に書かれているだけでおしまいだ。中国人は言うだけで行動が伴わないか、行動しても一定の水準に達しないか、行動してもどこかで手を抜いてしまう、そんな集団なのだ。もしかしたら、専ら人を騙す時に「話す」のかもしれない。

共産党の党規約には良い言葉が並んでいるし、憲法の文言も素晴らしい。政治の科目の宿題でも立派な文章を書く。でも全部言うだけで、本当にそう思ってはいない。

将来、こんな風に言われるかもしれない。どうして中国の人々は信号を守らないのか?それは、この国の社会の上層部にいる人間が決まり事を守らないから。そんな国で、庶民が信号を守るわけないだろう?シンガポールが見事なのは、リー・クァンユーが自ら決めたルールを自分から率先して守っていたところだよ、と。

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日本の教育と中国の教育の違いは?

日本人は幼児期の教育を特に重視しているので、出産後に仕事を辞めて専業主婦になる母親が多い。その理由は、子どもが3歳になる前を幼少期として特に重要だと考えているから(中国にも古くから言われている言葉、「3歳の頃の様子から青少年期の頃の姿が伺え、7歳の頃の様子から中年以降の人となりが伺える」がある)。子どもの成長過程で問題が起きたら、更生させるのは非常に困難だ。

しかも日本人はこう考えている。男がさらに仕事に精を出し、辛抱強く取り組み、収入もさらに増やす。そして母親は家庭に入り、子どもが3歳を過ぎてから再就職する。そうしても、社会的効率性は全く影響を受けないし、子ども達の成長には特に有益だ、と。

他にも、日本人の育児は「腹八分と薄着」が原則だ。一般的に日本人は子どもにお腹一杯になるまで食べさせないし、薄着にさせるのもへっちゃらだ。秋になって、子ども達がシャツ1枚で外で水遊びをしても、風邪を引いたりしないか気にしない。だから、日本では肥満児を見かけないのだ。

まだある。子どもが病気になっても、中国のように、すぐに点滴を打とうとはしない。子どもには強力な自己治癒能力があると考えられている。日本人の平均寿命は世界一だが、それは日本人の衛生状態、医療体制、生態環境、食生活、運動に対する取り組みが良好であることを物語っている。

さらに、日本の学校は特に制服を重視しているように思えた。学校の制服は非常にきれいで、デザインも様々、仕立てもいい。なぜ制服を大切にするのか聞いてみたところ、目からウロコの答えが返ってきた。

「制服を着ることは、『母校の顔となっていることを忘れるな』という戒めになります。制服姿で悪いことをすると、誰でも落ち着かない気持ちになります」。

あと、びっくりしたのだが、日本ではどの家庭でも家計簿をつけている。主婦が家計簿をつけないなんて考えられないことらしい。そういえば、スーパーで買い物をすると、レジ係が必ずこう聞いてきた。「レシートはいりますか?」。日本の主婦がスーパーで買い物をする際、たいていの場合、品目毎に分類されたレシートが発行される。その方が家計簿をつけるのに便利だからだ。

文房具は文房具類、書籍は書籍類、食品は食品として、毎月家計簿を締めて月計を算出している。家庭での貯蓄や財テクに対する考え方は、物心つく頃から養われているのだ。

そうそう、面白いことも発見した。日本では女性が家庭に入るが、男性の財布の紐は女性が握っている。毎月、妻が夫に小遣いを渡しているのだが、残業代はへそくりに回している。

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一生懸命に打ち込むことこそが愛国主義

日本滞在中、日本人から受けたことの中で最も多かったのは「お辞儀」だ。統計によると、日本の百貨店の、エレベーター乗降口にいるエレベーターガールは、一日で2500回もお辞儀をするという。

私は企業でマネージャーをしているので、よく分かった。来る日も来る日もお辞儀し続けるのはなかなかできないことで、そういう生活を長年続けていく上での支えとなっているのは、「一生懸命に打ち込むことが天職だ」という哲学であることを。

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そこで翌日、会社のガードマンに出社する人々にお辞儀をするよう、命じてみた。その日は100%お辞儀をしたらしいが、二日目は95%、三日目は90%になり、最後にはうやむやのまま終わってしまった。私の口癖は、「一生懸命に打ち込むことこそが愛国主義」だ。教師が自分の学生を大切にするのは、愛国。編集者が校正ミスのない書籍を出版することも、愛国。警察が街の安全を守り、職務に勤しむことも、愛国だ。

もっとも反対しているスローガンは「困った時は警察へ」だ。何とも無責任な言葉で、うまくいかなかった時は政治屋の宣伝に使われ、矢面に立たされた警察は本職と関係ない揉め事に巻き込まれる。迷惑千万な話だ。

清掃員が担当範囲をきれいにする、これも愛国だ。

ネット上で愛国主義者になるのは、コストも代価もかからず、とても簡単だ。そういう人間に問いたい。「君の本職は何だい?」と。この質問は、真の愛国主義者を見分ける虫眼鏡である。

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中国と日本の差はどれくらい?

日本に行ったことのない友人の多くは、こう質問してくる。「我々の経済発展レベルと日本のレベルは、いったいどれくらい違うのか?」。私はこう反問する。「中国のサッカーチームと欧米の強豪チームのレベル差はどれくらい?」と。

すると、こう返事が返ってくる。「個々の選手の技術レベルや身体能力については、そう変わらないと思う。だが、チームとして試合が始まると、レベル差がありすぎる。勝つチャンスがまったく見られないからだ」。

そこで、私はこう答える。「君の言う通り。中国と、欧米や日本といった先進国の発展レベルの差は、中国のサッカーチームと欧米の強豪チームとの差と同じだ。差は無いように思えるが、実際は大きな隔たりがある。なぜなら、彼らはすでにその地位を確立していて、追いつくのはまだできても、超えるのは本当に大変だからだ」。

中国人の生活レベルが向上しても、生活の質は向上していない。生活の質が向上しても、生活の品位は向上していない。当時、私は例を挙げて話していた。「中国にはベンツを愛車にできる経営者が大勢いるが、決して忘れてはいけない、ベンツに乗る民族とベンツを造る民族は、確実にまったく異なる民族同士だということを」。

100万元以上あればベンツS320を買えるが、同等の価格性能比を持つベンツを製造するには、100億元投資してもできるとは限らない。

今回、特別にパナソニックの研究所を視察したのだが、中国製造業における幻想を見た。

多くの商品の背面にはMade in Chinaと刻印されているのだが、実際は組み立てが中国というものが多く、設計やブランド、核となる電子部品、製造ツール、工作機械、どれも中国製ではない。市場ルート管理も中国で行われていなければ、精密加工の多くも中国では行われていない。管理でさえも、中国人は関与していないのだ。

日本の出版業界最大手の東販の物流センターを視察した際は、誤配送率は1万分の2以内に抑えられていた。新華字典に1文字だけ誤植があるのと同じ確率だ。

日本の真の強さは、表舞台で見えているものではなく、舞台裏とその舞台裏を設計できる高い素質を持つ才能にあるのだ。

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心の在り方が未来を決める

日本の人口は1億2800万人で、中国は13億人。中国の人口は日本の10倍で、国土面積は、中国は日本の26倍もある。しかし、中国の国土のうち40%は利用不可能だ。その点日本は、砂漠は無いし、海岸線も長く、経済水域も大きい。海産物の種類も豊富だ。なので、人口ひとり当たりの資源占有率で見ると、日本の方がずっと優位に立っている。

この文章を執筆するのに、大変苦労した。日本人から学ぶべきものが多いことや、我々中国人の性根の悪さについて書かないといけないし、その性根の悪さは、すべての中国人の心の奥深くや無意識下にあまねく潜んでいることも書かないといけないからだ。

昔、会社内でこのテーマで講演したことがあるが、抗日の青年達をいたく興奮させてしまった。その後、とある教育出版社でも講演したのだが、今度は逆に何の反応も見られなかったので(年長者の威光で志気が下がってしまったのか?)、それ以上掘り下げて話をする気になれず、企業における一意専心の精神について話を進めた。そのせいで、講演は論理的にいささか混乱してしまい、テーマがぼやけてしまった。

ひとりの人間が自分を自己否定し、心を入れ替えて努力し向上を目指すのは困難だ。ましてや、5000年の歴史の間、ずっと「大中華」を気取っていた民族がそうするなど、言わずもがなである。

いつの世でも、強者は横暴なもの。強者を超えるためには、「韓信の股くぐり」の如く、その横暴に耐えなければならない。

中国人は謙虚になる必要がある。かつて、中国は日本の師であったが、今や日本が中国の師である。だから、中国人は頭を白紙に戻し、「大中華(偉大なる中国)」「小日本(卑小な日本)」という考えは真っ先に捨てなければならない。そうすることで初めてどんどん学びが進み、どんどん日本を追い越せるのだ。

中国人が他人の長所と自分の短所を話す時は、絶対に自分を卑下せず、自信や自分の強さを見せようとする。祖先の栄光を語らない、あるいは少な目に語ったとしても、祖先の栄光の存在を否定するわけではない。それに、民族の自信は祖先の栄光の上に構築されたりはしない。

卑下もせず、自惚れもせず、足をしっかりと地につけて、謙虚に学び、敢然とイノベーションに立ち向かおう。今の心の在り方が未来を決めるのだ。

(翻訳:棚田由紀子)

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<筆者紹介>

信力建

教育アナリスト、エッセイスト。21世紀教育研究院理事、中国民間教育協会常務理事。雑誌『看世界』名誉副社長、香港孔教学院終身名誉院長、凱迪(kaidi)企業家理事会会長。中山大学、四川大学、肇慶教育学院客員教授。ブログ「信力建ブログ」を開設。

<出典元>投資理財師

<転載元URL>

http://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MjM5NzMyOTU0MA==&mid=211171117&idx=5&sn=ccf0739fb00ccd27d0d78b4d5fed3a75&scene=1&from=singlemessage&isappinstalled=0#rd

 

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