2015/08/26 by Tanada

引き算をする知恵

辻信一氏は、日本におけるスローライフの提唱者の一人として、現代社会では一般に消極的に捉えられがちな「遅い」、「怠け」、「弱い」、「小さい」といった言葉に対し、温かく、寛大な物の見方をしている。彼は読者に対して、自分たちの生活が過度に効率を追求した生活となっていないかを顧みるような気付きを与えてくれる。

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辻信一氏:「ナマケモノ倶楽部」を設立、スローやナマケモノに関する著作も多数

「私は、自分のスローライフをとても忙しく生きています。」辻信一は、半分冗談めいてそう言った。彼がちょうど送ったメールには、新しく作った俳句が書いてあった。

「『忙しい』と言うのはあまり正確ではないですね。『充実している』というほうが適切です。」「もしあなたがある事に時間や気持ちを費やせば、しなければならないことはとても多くなるでしょう。」記者が問いただしたとき、この文化人類学者、そして環境保護活動家はそのように言った。「日本語には、『手間』という言葉があります。自分の労力や時間を費やすということですが、多くの事は、このふたつを費やして取り組む必要があります。例えばある人を愛するとき、それをどのように実感するのかというと、たくさんの時間、ひいては全く生産的でない時間をも費やしたいと思うことで実感するのです。つまり、愛する人のために、時間を『ムダに』したいと思うのです。」

日本におけるスローライフの提唱者の一人としての辻信一の観察は、彼が日本を離れることから始まった。彼が大人になった時代は、日本がまさに今の中国と同じく高スピードで成長していた時期だったが、辻信一はどうにも好きになれず、北米に行き数十年を過ごした。「そのとき、私はたくさんのアメリカの先住民や中南米系の黒人の人々と触れ合いました。彼らに共通するのは、とてもスローなリズムの生活を送っているということです。もちろん彼らも、貧困や薬物など、多くの社会的問題に直面することもあります。ただ、私の感覚では、彼らの幸福度はメインストリームの社会に比べて高いと思います。」辻信一の「slow」に関する発想はまさに、普通は差別されたり、嘲笑されたりするこうした人々の間から芽生えたものなのだ。

辻信一は、自身の思想と作品の中で、「遅い」「怠け」「弱い」「小さい」といった言葉に対し、温かく、寛大な物の見方をしている。彼は読者に対して、自分たちの生活が過度に効率を追求した生活となっていないかを顧み、引き算による生活を学ぶことで、スローダウンした暮らしを創り出そうと思うような気付きを与えてくれる。最近中国で出版された『スロー・イズ・ビューティフル』の中で、辻信一はこう書いている。「ちょうどいい」という文化の基準に則った生活こそ、幸せの基礎なのだ。」と。

「ナマケモノ倶楽部」の創始者である辻信一は、先週行われた「アジアの知恵と持続可能な発展-2015年東アジア地球市民村」の会場で、集中した様子でありながら、ユーモアにあふれ、また力強い姿を見せた。彼は、確かにとても「充実した」スローライフを送っている。『スロー・イズ・ビューティフル』以外にも、彼は『ナマケモノ教授のぶらぶら人類学』、『弱さの思想』など「スロー」や「ナマケる」といった名を冠した作品を多く発表している。彼は、著作を発表し、授業を行い、ドキュメンタリーを撮影し、環境・文化活動を企画している。それと同時に、俳句を詠み、瞑想をし、座禅をし、素食(精進料理)を食べている。彼は家の玄関に鈴をぶら下げており、出かけるときにそれを少し鳴らす。「大概こうしてバスに遅れる。だけどこうして一日が変わる。」と彼は笑って言った。

彼は一心にその俳句を詠み終わってから、周囲の喧騒にもかかわらず、とても集中し注目した面持ちで、微笑みながら「第一財経日報」の取材に応じれくれた。

第一財経日報(以下、日報):北米での生活で、辻さんはどのようなスローライフのインスピレーションを得られたのでしょうか。

辻信一(以下、辻):アメリカの先住民や中南米の黒人には、共通する点がひとつあります。リズムが非常にスローだということです。メキシコ人には、とても好んで使う言葉があります。「明日」という言葉です。例えば、あることに取り掛かっているときに、ある人がやって来て「時間が来たよ」と言うと、彼は「明日」と言います。また明日にしましょうと。彼らはとても急いで次の時間帯に移るのではなく、現在やっていることをとても大切にし、できる限りちゃんと、ひいては必要以上にやろうとします。

これは哲学的にとても重要です。これは、私たちの東洋哲学における道教とインドの思想の中でとても重要な概念なのです。(先の事ではなく)“今、ここ”が重要なものであり、結果よりもプロセスのほうが重要、という考えです。ただ、メキシコ人は往々にしてアメリカ人に嘲笑われるのです。彼らはいつも遅れてやってくる、彼らはみんなナマケモノだ、と。アメリカの先住民も往々にして怠け者と言われます。これは、とくに興味深いことです。

私が哲学を学び始めたころ、時間という概念に対してとても強い興味を持ちました。その後気付いたのは、私たちは時間をお金に変えているのだ、ということです。それに対して、私が出会った先住民は、お金よりも重要なものがあると考えていたのです。

日報:辻さんは、「遅い」「怠け」「弱い」といった概念が、なぜ工業化された社会では消極的に捉えられるのだと思いますか。

辻:現在奨励されているのは効率です。つまり、一定の時間内にできるだけ多くのものを生産する、あるいは同質のものを生産するのにかかる時間をできるだけ短くする、ということです。どのように理解してみても、どちらも時間と関係があります。私たちの社会の基本テーマは、一定の時間内にできるだけ多く生産する、ということです。この二つの意義において、時間は私たちにとって乗り越えねばならない障害であり、敵であるのです。時間をかけずにものを創り出すのが最も良いことなのです。

競争も、時間の競争です。私たちは時間という競争の海の中に投げ出されているのです。ただ、競争には必ず相手が必要です。競争というのは、2人の人が同じ目的地に向かうからこそ競争なのです。

ただ、いつの頃から、人々の目的は同じになったのでしょうか。メキシコ人は少しスローなので、ぐうたらと罵られています。でも、その人が目指している場所が、あなたの目指している場所ではないのに、その人が怠けているかどうかなんて考える人はいません。

現在の教育制度も、私たちを効率的になるようにしようとしています。日本の子どもは、10歳になる前に何度急かされることか。本当の意味での、“今”という時を十分に楽しむことができる人がいないのです。私たちは、未来のためのツールになってしまい、未来を得るために現在を犠牲にしています。このような教育理念で、子どもたちは大人になってから幸せになれるでしょうか。怠けている人は、実はそのように遊ぶことができる人、未来のためではなく、現在を十分に楽しむために遊ぶことができる人なのです。

日報:てきぱきと働き、さらに高い効率性を求めるということは、実は人間が考えるところの怠けに端を発していて、私たちの存在理由を顧みていない、と理解していいでしょうか。

辻:いわゆるよく言われている効率とは、けっして真の効率ではありません。大型機器や農薬を用いて効率をあげているわけで、そういう意味では、いかなる物も付け加えることなく、自分の両手だけで食糧を作り出すのと、どちらがより効率的でしょうか?いわゆる一般にいわれる効率とは、非常に短い時間内で、かつ一定の限られた範囲内で計算されたものに過ぎないのです。

経済学ではこのような計算を必要としていて、一つの小さな範囲を決め、そのあと計算し、それを“科学”と称しています。それではその範囲の外にあるものは?経済学では外部と称され、経済とは相容れないものとされています。例えば未来は外部で、100年後のことと経済は関係がないし、自然界とも関係がないと言うのです。

あまりに小さな範囲内で物事を考えることにとらわれ、まるで三つの解決策を出したかのようですが、どの解決策も若干問題をもたらします。その問題は、構造的な設定にあります。アインシュタインの言葉を引用すると、「問題を引き起こすのがこの種の思考方法であるならば、同様の思考方法を用いていては解決することはできない」です。現在、「“脱・経済”(経済から脱却する)」という言葉が日本で言われ始めました。私たちが追い求めるのは、経済学から脱却した経済なのです。

日報:つまり、スローライフとは、過去と未来を全体として捉えた考え方なのですね。

辻:“スロー”という日本語は英語の“slow”を的確に表現しているとは言い難い。より適切なのは、“つながり”という言葉です。いったん加速すると、この種のつながりは簡単に切れてしまいます。

仏教の考えでは、私たちの世界は無数のつながりから構成されていて、どのつながりも自身に必要で適した時間を備えています。つながりは、この種のリズムを必要としていて、速くなればすぐに破壊されてしまいます。私たちがスローを必要としているのは、この種のつながりを大切にしているからです。現在はあまりにスピードが速すぎるので、ちょうどよい速度に戻す必要があります。

例えば企業の中で、もし従業員の仕事のスピードが速すぎたら、彼と自己の精神とのつながりや、彼と周囲の人(顧客など)とのつながりが影響を受けるでしょう。現在、いわゆる効率が非常に高く、非常にリズムの速い人のことを“できる社員”とみなす風潮にありますが、これは彼らを使い捨ての対象とみなしていることになります。

日報:生活が忙しすぎて、大きなストレスを抱えているために、スローライフを追い求める人がたくさんいます。彼らにとってスローライフはまた、完成する必要のある目標にもなっています。スローライフがある種の負担とならないようにするには、どうしたらいいのでしょうか?

辻:肝心なのは、白黒はっきりさせようとしたり、ゼロか100かで考えたりする必要はないということです。現実は純粋な黒でも白でもないし、各種多様な濃淡を持つ灰色なのです。

このように考えたらどうでしょう、私たちは一つの目標に向かう途中にいます。私たちはみな旅人で、よりよい自己やよりよい社会に向けて歩んでいる途中であり、その中で現在を享受しています。現在を享受することで、矛盾を感じる自分を発見するのです。スローライフは果てしなく遠い目標ではなく、自分の心の中にあるのです。

もしあなたに子供がいるなら、子どもをよく観察してみてください。子どもはスローライフを身につけています。遊ぶ時は100%全力で遊んでいます。これこそまさにスローライフなのです。もしあなたと配偶者が一緒にレストランに行ってご飯を食べるときは、これ以上他のことをしたり、携帯をみたりしてはいけません。携帯電話を介したつながりは本物のつながりではありません。一つ一つのつながりを大切にし、真剣に物事に取り組む。これこそがスローライフです。

日報:ご著書に『「しないこと」リストのすすめ』がありますが、あなたの考えをお聞かせください。

辻:この本は中国語にも翻訳されましたが、すなわち老子の哲学なのです。私たちはずっと足し算、掛け算の思考方法をしてきたので、引き算をすることを忘れてしまいました。引き算の発想は、実は本当に重要で、またとても難しいのです。

真の芸術は引き算から生まれます。《星の王子さま》の作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリはかつてこのように述べています、 “何を完璧というのか、完璧とは即ちもうこれ以上引き算できない状態のことを指す”と。現代社会の特徴は、過剰であり、行き過ぎ状態なのですから、引き算をしましょう。

日頃みなそれぞれに何をするのかという「することリスト」が自分の中にあり、このリストは永遠に完成しません。もしリストが短くなったら、あたかもやることがなくなったように感じ、すぐに不安になってしまうでしょう。それなら、「することリスト」のとなりに、「しないことリスト」を書くのはどうでしょうか。この長所は、「することリスト」を忘れると焦ってしまいますが、「しないことリスト」は、たとえ忘れても大した関係はないという点です。

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『スロー・イズ・ビューティフル』の中国語翻訳本、2015年4月刊行

人物紹介

辻信一、文化人類学者で環境保護活動家。明治学院大学国際学部教授。1999年に「ナマケモノ倶楽部」を創設し、「スローライフ」を提唱している。著書『スロー・イズ・ビューティフル』、『ナマケモノ教授のぶらぶら人類学』、共著『弱さの思想』、『自然農法』など。他にも、DVD映像シリーズ『アジアの知恵』の制作に関わる。2014年6月に大人向けの「学び直し」の場である「ゆっくり小学校」を“開校”した。

執筆者 编辑:罗敏
執筆者所属 一财网
翻訳と校正 翻訳:三浦祐介、佐藤祐子 校正:棚田由紀子
メディア

http://www.yicai.com/news/2015/03/4588423.html

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