2015/07/23 by Tanada

≪ソーシャル・イノベーションの星≫ 何磊

何磊:持続可能な方法を使って、都市と農村の生態を改善

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推薦の言葉:

野草生態コミュニティ(社区)発展センターの発展過程を見ると、何磊のソーシャル・イノベーターとしての成長心境が分かる。彼も困難や失敗に遭遇したが、心の中で変化する感度の良いアンテナを張り巡らせた結果、最終的にはボトルネックを突破し、組織が正しい方向を見つけるよう導いた。

都市での農村体験広場

20150723-11何磊さんは野草文化の創始者で、現職は成都ハイテク産業開発区の野草生態コミュニティ発展センターの執行主任である。1980年、綿陽市塩亭で生まれ、18歳の時に徴兵に行き、定期刊行物の発行や広告、記者、編集、副所長等の職務に従事したが、これらの経験によって中国の環境に注目する情熱が培われた。その後、師と仰ぐ人から啓示と励ましを受けた何磊さんは、環境保護の仕事に専従することにした。2005年にグリーンコミュニティネットを始め、二年後には野草文化を始めた。彼は文化が変遷する中で環境問題を分析し、「環境汚染の実態は、心の汚染だ」と考えるようになった。

2007年、野草文化は都市と農村が連携する「1+1計画」をスタートし、都市コミュニティと保護区コミュニティをマッチングさせ、需要と供給の循環モデルを見つけようとした。しかし、始めてからの1年、予想した目標に全く届かなかった。都市&農村1+1の双方向プラットフォームは作り上げることができず、団体のやる気も下がってしまった。年末までに、組織の専任メンバーも3人にまで減少してしまい、野草文化は事実上解散してしまった。

その後、野草文化は内部の整理統合を進め、創立時からいる管理委員会委員の3分の2をアドバイザーに変え、同時に何磊さんの努力の下、中華環保基金会の資金援助を受けた。これを機に基金会とのパイプができ、基金の申請を始めた。5.12地震(訳注:2008年5月12日に四川省ブン川で発生した大地震)の際、野草文化は、バイオトイレプロジェクトを展開し、公衆の注目を浴び始めた。専属スタッフも増え始め、野草文化はシステム的機構的発展に向かい始めたのである。

20150723-122011年、何磊さんは「都市農村計画」の研究に専念し始め、生態系における物質循環を都市部で実現するための技術とプランの研究に心血を注いだ。1年後、野草文化は成都の泡桐樹小学校で「都市農村体験広場」計画を展開した。これは、公立小学校がこのサービスとデザイン理念を購入して自然教育を学校の教育過程の中に組み込んだ国内で最初の事例となった。その後、野草文化は成都市老人ホームとインテル成都支部に「都市農夫」生態体験広場を相次いで設立した。受け手が異なる農耕体験を通じて、生態系の理念を普及させ、都市部における合理的な消費行動と生活グループを徐々に育成していった。都市部のモデルチェンジについて言うと、都市と農村における生態消費(訳注:持続可能な発展に適合する消費行動)への効果は著しいものだった。

数年間努力しつづけた結果、2012年に何磊さんの野草文化は最終的に民間非企業単位として登録し、成都ハイテク産業地区に野草文化生態コミュニティ発展センターを設立した。

新しい1年で、野草文化は香港の社区伙伴(PCD)の支援の下、華潤置地(不動産売買の企業)の翡翠城で三期に渡る「都市農夫計画」を展開した。不動産会社と不動産のオーナー委員会とNGO組織が協力し、「生態コミュニティ」構築やロハスな生活様式の普及とPR活動を推し進めるべく尽力した。計画は一年のプロジェクトで、コミュニティ内部でノウハウの蓄積や気運を高めた後、コミュニティが自ら立ち上げた農耕グループを育てていくことで、プロジェクトの実現とコミュニティの持続可能な発展を図る。

執筆者
執筆者所属 社会創業家
翻訳と校正 翻訳:萩原千瑛 校正:棚田由紀子
メディア http://csnet.asia/wp-content/uploads/6ce108d384e3efef49169dfdb28c3542.pdf

 

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