2015/04/29 by Tanada

「樹海の洞窟探検」から自然体験活動を語る

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世界で一番ぞっとする場所は?

世界で一番暗い場所は?

この二つが一緒になった場所こそが、日本の青木が原樹海である。

「青木が原樹海」は面積3000ヘクタール、9世紀の火山噴火後に徐々に形成された原始森林である。このうっそうとした森は、高所から見下ろすと、まるで樹木の海のようだ。そよ風が吹くと、大波が果てなく押し寄せて来るようで、かなりの壮観である。しかし、この樹海について最も良く知られているのは景色の美しさではなく、ここに来て自殺をする日本人が多い由縁で、「自殺の森」と呼ばれていることであり、世界10大恐怖スポットの一つとなっている。Googleで「青木が原樹海」を検索すると、「自殺の聖地」に関する大量の情報が見つかり、「神秘」、「恐怖」、「身の毛がよだつ」といった句に溢れ、思わず、怖いというイメージを抱いてしまう。

樹海の奥、富士山周辺には大小百余りの洞窟が隠れており、探検家により発見、調査されているが、ネット上で洞窟の紹介を探すのが難しいため、その神秘感が増している。

我々の旅行経験を踏まえ、このような場所を探検したら、どんな体験ができ、どんなことを感じるだろうか?

教師ならではの観察眼を引っ提げ、ぞくぞくする気持ちを抱きながら、ホール・アースの丁丁先生のあとについて、火山の麓にやって来ると、交差点には消防車とパトカーが停まっており、失踪した人を探しているのか、演習をしているのかはわからなかったが、緊張した雰囲気がさらに増していった。

丁丁先生はこの話題を避けることはなかったが、表情を変えずに話をしながら我々を連れて森林に入った。知らず知らずのうちに、我々の意識は目の前の植生へと移り・・・先生の解説と共に、毎日目にする富士山への新たな認識が始まった。

864年、富士山が噴火し、流出した大量の溶岩が流れた場所の全てを溶かしてしまった。

当初数十年、この一帯はひっそりと静まり返っていたが、だんだんと地衣類が生え、固い石が柔らかくなり、コケが次々に生えると、大地は再び緑をまとった。土壌が蓄積すると、より多くの植物が成長、小動物がここを住み家とし、また、針葉樹林が徐々に形成された。土の堆積がまだ十分でないのに、植物が上へと伸びようとした結果、あらわになった根っこはしっかりと岩を抱きかかえている。今日、クヌギとカエデの木には空間があり、多くの動物がそこを住みかとしている。生物の変遷を演目にした場合、ストーリーにするのも難しいが、脚本の内容は豊富である。出演者は順を追って登場するが、中途退場することはない。自然は最も良い演出家であると同時に最も大きな舞台を提供している。ハッピーエンドの結末には、まだほど遠いけれども。

火山の噴火後、流れた溶岩が急速に冷やされる過程で形成されるいくつもの溶岩洞窟では、地上の生物がゆっくりと変遷しているにもかかわらず、その中は千年以上前の様子をとどめている。

洞窟の入り口に着くと、レインウエアを着、長靴を履き、ヘルメットをかぶり、注意深く身を乗り出しながら、洞窟へと降りた。ヘッドライトが照らしているあたりは、でこぼこした岩が見えるだけであったが、湿っぽい場所や、つららが下がっている場所もあった。洞窟の面積は私が中国国内で見た鍾乳洞と比べると、その差は非常に大きかった。その洞窟は、ありふれてはいたが、先生の話を聞くにつれ、私は徐々に心を開き、自身の眼で、より多くの物を見ることができた。岩肌からしたたり落ちるしずくはどこから来て、どこへ行くのだろうか。地面の小さな氷の柱はどれほどの時を経てこれほどの大きさに成長したのだろうか。数百年前の人々が、かつてこの静まり返った洞窟に来て見たものと、今、我々が見ているのは同じ光景なのだろうか・・・。

私は以前、桂林へ行き、著名な鍾乳洞をいくつか見学したことがある。その中には壮観なカルスト地形のものもあった。ガイドは、「美しい」伝説を次々と話してくれたが、最初の目新しさが過ぎてしまうと、どこも同じという印象が残っただけで、「老僧入定」、「二龍戯珠」などの文字や、俗っぽい美しさの照明に対してはただ飽き飽きとするだけであった。

しかしながら、ホール・アースの先生に付いて、この「自殺の森」に分け入り、狭くて暗い洞窟に入って感じたのは、美しさや時間の流れ、自然が人の心を揺り動かす力であった。これは当然、先生の意識的な案内によるところが大きいが、たとえ真っ暗闇であろうとも、暗闇の中で水の滴る音が聞こえ、洞窟の入り口には一筋の青い光が差し込んでいる。氷の上で転んだり、洞窟の中で古人の残した遺跡を見たり、暗闇の中で皆が協力して狭く長い洞窟からはい出る・・・この一つ一つの瞬間が人の心を打つ力となり、富士山に対する親しみが自然に湧いてくるのだ。

自然体験の陰にあるのは、指導者の活動に対する入念な計画と案内である。同じような洞窟探検でも、桂林の鍾乳洞と富士山の洞窟とでは明らかに違った印象が残る。これは当然、地形の違いだけでなく、活動の背後にある目的も違っているためだ。鍾乳洞観光では、旅行者の目新しいものや不思議への探求のために、相応の物語や照明があり、旅行者が満足できれば、その写真や体験を旅行の思い出の一ページとして持ち帰るのだ。それに対して、樹海の洞窟探検では、人々が自然や生命について理解し、考えることで、人と自然との深い結びつきが生まれる。結びついたことで生まれる自然への愛、愛によって生まれる自然への愛護の気持ちは始まっても終わることはない。

樹海の洞窟探検の活動はすでに30年続いており、この3時間の活動の中で、知ることができるのは、火山の噴火後の地形形成のプロセス、生態系がゼロの状態から進化していく過程、この地の植物や動物、洞窟や水・・・。自然体験の過程でこれらの知識を理解していくと、一つ一つの具体的な生命をいたわる気持ち、自然に対する畏敬の念が生まれる。毎年非常に多くの参加者があり、4~6月の活動の最盛期には、ホール・アースの講師たち全員を動員し、日々の案内、毎日の練習を行っているが、彼らは忙しい中でも、絶えず富士山の調査、火山知識についての学習、森林の変化の観察を行っている。閑散期には訓練を行い、参加者により良い体験をしてもらえるよう、準備をしている。

半月後、ホール・アースに別れを告げる前、再び樹海の洞窟体験へと出かけた。今回は洞窟、講師、活動共に違っていた。同じようなコース、場所ではあったが、講師や参加者も違い、説明の内容や形式も違っていた。だが、変わらないのは富士山や、樹海の洞窟そのものと、富士山や樹海の洞窟が無言で訴えていることであった。時間が造りだす物語にはやはり心から感動させられるのだ。

執筆者 长袜子皮西亚
執筆者所属  
翻訳と校正 翻訳:藤澤美歩 校正:棚田由紀子
メディア

http://pythiah.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html

藤澤美歩

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