2015/02/20 by Tanada

汶川地震 ~5年後の今~(最終回)綿竹【後編】

前編は、こちらから → http://csnet.asia/archives/16817

莱吧で一番会いたかった友達の琪ちゃんに会えた。彼女は当時私が遵道で初めて知り合った友達である。私は「私が英語を教えて、彼女が刺繍を教える」という形で彼女の信頼を得た。彼女は震災時のスターだったと言っていいだろう。「震災後生産によって自力で復興する模範」として国内のメディアに打ち立てられた。今でも毎年512記念日直前は5、6社のメディアからインタビューの電話を受けている。それだけではなく、彼女は2009年、日本の大学に招かれて、自分の経験を伝えた。

彼女の人生は震災で劇的に変わった。彼女は遵道棚花村四組の村民で、震災の時、一番可愛がってくれた祖母を失った。刺繍が出来る彼女は苦しみを和らげる為に、刺繍で心を落ち着かせた。その後、ボランティアオフィスに一つ提案を出した。「村で女子刺繍工房を作って、村の若い女性が一日も早く震災で受けた心の傷を治せるようにしたい」。なんと翌日、彼女はインターネットで「震災後生産によって自力で復興する模範」として多くの人に知られた。それから、彼女は無名な刺繍女から遵道棚花村の大スターに変身した。外からの視察団は必ず彼女の刺繍工房を訪れる。有名になったおかげで、彼女が作った綿竹年画刺繍も3〜5千元ほどの高値で売れた。また、ペアリング援助元の常熟投資が千万元を掛けた年画伝習所のプロジェクトが棚花村に定着することも間接的に促成した。

再び彼女に会った時、彼女は2歳の女の子を抱いてきた。彼女はもう結婚して母親になっていた。今回の再会では思ったより興奮しなかった。疎遠な感じは隠せなかったが、彼女は最初に四川弁で広東人の私に「慣れてないね」と言った。過去の数年に、彼女の人生は何回も大きく変わった。特に結婚という人生の転換点において、周りに心を打ち明けられる友達は一人もいなかった。彼女は、昔信頼していた友達の私が数年間ずっと連絡しなかったことを気にしている。「結婚の時、あなたに何回も何回も電話をしたが、あなたの電話は繋がらなかった。なんで電話してくれなかったの?」と彼女が言った。こういう質問を聞いて、私は自分を責めた。過去は過去だと思っていたし、生活の環境や場所も違うし、知らぬ間に友達を忘れてしまっていた。やましく感じながら、彼女に近況を聞いた。彼女は「一人で家にいて、子供の世話をしている」と答えた。多くの農村家庭と同じように、彼女と子供が留守番をしていた。義理の両親は新疆で農業をやっていて、夫は海南で内装業をやっている。家族は春節の時だけ集まることができる。

ほとんど一人で子供を育てているこの若い母親は、メディアに対して、歓迎的な態度ではなかった。元ボランティアに対しても、彼女は疑問を持ち始めていた。彼女は、外の人間は実際、心から被災地を思っているわけではなく、ほとんどは自分の仕事や役割のためにやっているのだと感じていた。遵道での復興が最終段階に入った時、ボランティアや再建担当都市のペアリング支援者たちはぞろぞろ帰って行き、遵道の若者にとっては逆に慣れないことだった。つまり、新鮮で面白いコミュニティがまたもとの、活気が無く保守的な、つまらない農村の社会に戻ってしまったのだ。彼女のような、震災によって多くの人々と知り合い、大きなことをやってきた女性にしてみれば、彼女に大きな理想を抱かせた、あちこちからやってきたボランティアたちだけでなく、彼女を生み育てた保守的な村もまた彼女を捨てたのである。彼女は、震災前よりもさらに孤独になってしまった。

李加英さんは、私の親友。彼女は、被災地で私が会った人々の中で、自分の運命を変えることに最も成功したストーリーである。

もともと、李さんは服飾工場の女工だった。工場は震災で倒壊し、彼女は自然に失業者になってしまった。もともと楽観的で、苦労にも慣れている彼女は、すぐに登録して、遵道のボランティア調整オフィス「楽しい休日」秦家坎教室のボランティア教師になった。才能のある人はどこにいても光を放つもので、彼女の仕事ぶり、真面目さ、その経験によって、すぐにボランティアたちのスターになってしまった。ボランティアオフィスでの、半年間のフルタイムボランティアの経験は、彼女の輝かしい人生の重要なターニングポイントになった。2008年12月、中国扶貧(貧困支援)基金会のマイクロファイナンス部門―中和農信有限公司が、プロジェクト担当者を募集した。もともと、募集の要件として、学歴が少なくとも専門学校以上となっていたが、高卒の学歴しかない加英さんは、誠意と自分のボランティアとしての経験によって面接で試験官の心を動かし、この部門の最初の特別採用オフィサーとなったのだった。試験官に見る目があったことは事実が証明した。2009年、被災地の農村復興がピーク時にあったとき、入職してたった1年の加英さんは、マイクロファイナンス貸付け成績が全国一位となり、北京に招かれて表彰された。しかも世界のマイクロファイナンスの父と言われる、バングラデシュのグラミン銀行の創始者、ムハマド・ユヌス氏から賞ももらったのである。

李さんに再会したとき、既にオフィサーからマネージャーになっていた。しかし彼女は、マネージャーになっても、当時の熱意を変わらず持っていた。

彼女は私を、再建された新居に連れて行ってくれた。

遵道は大きく変わった。「玉妃のふるさと」と村の入り口に掲げられているとおり、ここの文化的ブランドは玉妃である。伝説によると、玉妃は蜀王の寵愛を受けた妃で、故郷を思うあまり心を病んで亡くなったそうである。死後は神となり、故郷が干ばつで農作物が全滅したことに心を痛め、自ら泉に姿を変えたそうである。震災の年、ここの学校は全てが全壊し、「歓歓」という名の幼稚園では64名の子どもが犠牲となった。鎮政府のリーダーらも震災で瓦礫の下敷きになり、全鎮の98%の家屋が倒壊した。たった半年で、遵道の村の大部分は復興が始まり、例えば棚花村などの村は復興が完了し、村人たちは新居で2009年の春節を迎えることができた。

李さんの村、秦家坎は大きな後ろ盾のある棚花村のように幸運ではなかった。棚花村の村人はほとんど自己負担なしで、しかも一番に新しい居住地に引越しすることができた。しかし李さんが得られたのは、国からの、2万元に満たない復興手当だけだった。棚花村の村人が新しい居住区に移った時、李さんの家はまだ工事も始まっていなかった。一棟120平米の家は、外装だけで約7,8万元かかり、内装を加えると約12万元になった。これは、夫婦ともに失業した子持ちの一家にとって天文学的数字である。様子を見に来てこの話を聞いた彼女の上司は、自主的に10万元の再建費用援助を申し出た。しかし彼女は言った。「ありがとうございます。でも私は、自分の手で家を建てられると信じています」

2008年末に、幸運にも中和農信のマイクロファイナンスオフィサーに採用されたとき、彼女はこの得難い機会をむげにしなかった。高卒の学歴しかない中年女性にとって、この仕事はまさに大きな挑戦だった。その時、彼女はパソコンも使えず、ピンインで文字を打つことさえ知らなかった。昼間は男性用のバイクで一軒一軒名刺を持って営業に回り、夜は家でエクセルの勉強をした。毎日忙しく、夜中の1時2時までかかった。しかし、努力する人を天は見捨てないもので、第一四半期が終わるころには、字も打てなかった農村の主婦は、綿竹地区で一位の成績を収めていた。1年後、彼女は一人で480万元の貸付けに成功し、中国扶貧基金会の全国トップオフィサーとなった。2010年には、再度「一位」を獲得し、得意先の最も多いオフィサーとなった。

これらのたくさんの「一位」は、遵道のボランティア調整オフィスで半年間ボランティアの経験をしたことのおかげだと彼女は言う。この半年で、遵道の10か所の村を走り回り、村々の人々、弱者(当時の言葉でいうと、支援を待っている人たち)と向き合ってきたのだから当然である。2009年1月、マイクロクレジットのパンフレットを持って村へ行ったとき、村長たちは彼女がボランティア調整オフィスの代表として慰問に来たのかと思った。彼女のパンフレットは「遵道ボランティア」の信用ラベルが貼られ、人々はボランティアとしての李さんが、復興期に最も資金が必要な時に、まるで雪が降る中で炭を持ってきてくれたように感じたのだ。

「借金は返し終わったの?」「とっくに返しました」彼女は自慢そうに言った。以前は10万元もの負債を抱えていた家庭が、今は貯金も、車もある、中流家庭になったのだ。彼女は、仕事の上で大きなステップアップをしただけでなく、自分の知恵で人がうらやむ幸せな家庭を築き上げた。以前は酒に溺れた夫も変わり、綿竹と遵道の間でタクシー営業をして、一家の重要な経済の柱となっている。娘は綿竹で一番の中学に合格し、成績はクラスで1,2番を争う。15歳の娘は自慢そうに、自分の母親を「英雄」と呼ぶ。

現在、復興の仕事は最終段階に入っており、貸付けの業務量は少なくならざるを得ないが、彼女はさらに忙しくなっているようだ。また新しい役割への挑戦が待っている。この活力に満ちた熱いマイクロクレジットオフィサーは、成功の経験を伝えてほしいと、各支社から引っ張りだこなのだ。彼女は、同僚たちにこう伝えたいという。「自らを助ける者は、人がこれを助け、人を助ける者は、天がこれを助ける」。

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新しくなった綿竹

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執筆者 譚斯穎
執筆者所属  
翻訳と校正 翻訳:ヒョウウン、三津間由佳 校正:棚田由紀子
メディア http://www.cdb.org.cn/newsview.php?id=7466
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