2014/12/12 by Tanada

汶川地震 ~5年後の今~(最終回)綿竹【前編】

最終回:綿竹

被害の現状:11117人死亡、90%の農民家屋損壊、被害額1423億元

復興規模:124億元、9分野にわたる108プロジェクトを実施

復興支援都市:江蘇省

20141212-01

綿竹の新しい街の様子

綿竹は、四川大地震で10か所の重大被災地の一つに数えられていた。その年、街全体が、剣南春酒工場から発せられた酒のにおいに包まれていたのを覚えている。その他の重大被災地と同じで、3年も経たずに、この町は一変した。江蘇省の復興支援のもと、この県級の都市はその他の重大被災地と比べても、さらに精巧で立派になり、特に綿竹の郷・村の再建にそれが表れている。孝徳鎮の年画村、清平鎮の深山明珠繁栄村(地震と土石流に見舞われ九死に一生を得た場所)、梨花小鎮の遵道は、いわゆる四川化した江南小鎮と呼ばれ、江南と見まごうほどだ。

こぎれいな家々については既にたくさん語ってきたので、もう多くを語るまい。このとても思い入れのある地での、友人たちとの再会の物語を語りたいと思う。彼らはボランティアであったり、災害後にメディアが担ぎ上げたスターであったり、地元の人だったりする。彼らとの再会を通して、大地震が一部の人々に与えた影響と変化を垣間見ることができるかもしれない。

成都を出た日から、綿竹に着いてやっと友人たちに会えた時、既に20日近くが経っていた。

まず会ったのはボランティアの高さんと李傑さん。高さんは深圳人、李傑さんは河南人である。地震が起きた年、高さんは「移動通信公司」の顧客サービスの仕事を辞めたところであり、李傑さんは兵役から戻ったところであった。地震によって、縁によって、遵道に来たのだった。初め、彼らは遵道で「楽しい休日」プロジェクトのボランティア教師となった。2008年8月1日以前―遵道の先生と生徒たちがプレハブ校舎に引っ越してくる前、深圳登山協会、万科公民社会プロジェクトオフィス、成都四川大地震民間救助センター、友成基金等多数の民間団体からなる「遵道ボランティア調整オフィス」が設立された。彼らの初めてのプロジェクトが「楽しい休日」であり、このプロジェクトでは、遵道の10か所の村に12か所の学校が設置され、目的は子どもたちに対し安全で楽しい学習環境を提供し、同時に親たちが安心して仕事できるようにすることであった。このプロジェクトは、国内外で400名余ものボランティアの応募があった。「楽しい休日」プロジェクトが終了してからは、生活設計復興プロジェクト--ウサギや魚類の養殖プロジェクト、綿竹年画村復興プロジェクトも開始された。

再会した時、彼らは綿竹市半辺街の住宅地の2階で、「莱吧」という名前の小さなカフェを開いていた。1年間のカフェの経営は惨憺たる状況で、時には600元の家賃さえも払えないほどであった。「こんな経営状態で、それでもなぜ続けるのか?」と聞くと、高さんは「子供たちから離れられないから」と答えた。この時、子供たちから「高おじさん」と呼ばれていた若い深圳人は、過去4,5年ほどこの地を離れ、深圳に戻って地元のNGOで働いていた。しかし1年も経たないうちに、多くのNGO組織は「資金集め第一」であって、高さんの個人の思いに反するものであると感じた。2011年秋、高さんは遵道に戻ることになる。もともと、カフェ経営で生計を維持したいと思っていた。そうすれば、腰を落ち着けて、遵道の子どもたちの面倒を見ることができる。あの柴静アナウンサーの番組で取り上げられたドイツのボランティア、エッカルト・ロエベ氏のように、この深圳の若者の理想は、子供たちに「寄り添う者」になることであった。しかし彼は依然として彼のままであるが、子供たちは既に成長している。2008年に少年であった学生たちは、この時点では既に成熟しかけの青年になっており、結婚した者もいた。長いような短いような4,5年の間に、純粋だった子供たちは複雑に変化し、良くない生活に染まる者もいた。もう一人のパートナー、李傑も同様に、自分の生活の問題で悩んでいた。この小さなカフェを数か月続けても、取るに足らない売上額にしかならず、彼はこのように続けることに意味があるのか、考え始めていた。彼も過去に何年かこの地を離れ、北京では1年間警備の仕事をやっていた。しかし、彼の言葉を借りると「離れがたく」、いてもたってもいられず帰って来た。実際、ここで奮闘したことのあるボランティアたちはみな「離れがたい」気持ちを持っている。特に、震災後の復旧時期には、小さなオフィスが毎月何百万元もの支援物資を受け取り、絶えず被災者に対し温かい気持ちを届け続けることで、彼らは人を助ける喜びを感じていたのだ。プロジェクトを策定し、実行する過程の中で、彼らは自分の能力と価値を感じたことだろう、、、ボランティアは、そのような段階と雰囲気の中ではまさに一種の魅力であり、中には自分が苦しい思いをしても他の人を助けたいという中毒に陥ってしまう人もいる。遵道には、よく仲間内で議論になるが全く理解できない例がある。それは我々のチームの一人で、以前「徳陽日報」にも載ったことのあるボランティアであるが、その時彼は西安の自宅が火災になり、5万元の現金が灰になった。家は全く裕福ではないし、家で唯一の男性が彼であるのに、問題が解決しないうちにここにボランティアにやってきた。私は無遠慮にも、「君たちはボランティア中毒になっているのではないか?」と聞いたものだ。しかし高さんも李傑さんもそろって否定した。「自分の好きなことをし、自分の道を歩みたいだけだろう」というのが、この同志に対する答えだった。彼らは、自分の選んだこの道で、自分の生活設計の問題も解決し、自分の理想を実現し、自分にも他人にも喜びをもたらすことができることを望んでいる。高さんや李傑さんのように、四川大地震の際にボランティアとなり、その後もこの地に残っている者は少ない。しかし多くの者は、ボランティアをやったあと、長いこと元の生活スタイルには戻らずにいる。私の体験から分析すると、英雄主義の雰囲気が充満した一部の層では、ロマンや理想が先に立ち、もとの現実の世界に戻ることには、心理的に大きな抵抗があるようだ。

(後編につづく)

執筆者  譚斯穎
執筆者所属
翻訳と校正 翻訳:三津間由佳 校正:棚田由紀子
メディア

http://www.cdb.org.cn/newsview.php?id=7466

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