2014/10/06 by Tanada

日本の自然学校 研修日記(7)―共に成長

1980年代

1980年代は、日本の自然学校の基礎作りにおける重要な時期でした。

1980年代は、東京ディズニーランドがオープンし、多くの大型遊園地が建てられ、任天堂のテレビゲームが盛んに行われる時代でした。子供たちは、遊園地とテレビゲームで占められていました。

1980年代、日本では環境公害が深刻になるにしたがって、多くの自然保護団体が現れ、より多くの市民が参加するよう、自然観察や自然体験活動を実施しました。

1982年に、広瀬敏通氏がWhole Earth自然学校(以下WENS)を創設しました。1983年に、川嶋直氏がKEEP協会内に環境教育部を設立、同年、佐々木豊志氏がテレビ局を通じて、子供のアウトドア体験活動を実施し始めました。当時、見知らぬ同士だった3人は、期せずして同じ時代に、同じような自然体験活動をスタートさせたのです。

その後、更に多くの自然学校がゼロから出発する形で現れました。それぞれ独自の活動を展開していましたが、1987年に開催された、第一回清里ミーティングにより、日本の自然学校ネットワークが形成されました。

広場には柵がなく、中心の噴水しかない

1987年に、KEEP協会の川嶋氏は、あるマスコミ関係者の友達と一緒に自然学校のネットワーク交流会を提唱しましたが、二人だけでどれほどの規模の交流会ができるでしょう?その後、記者が政府職員に声を掛け、政府職員が企業主に声を掛け、他にも野鳥会、NACSJなどの団体の関係者が仲間に加わりました。準備委員会の人数も、心細いばかりの2人から7人まで増え、準備委員会からたくさんの団体に招待状を出しました。

自然学校の定義は何か?どんな団体を招待すればいいのか?ネットワーク交流会について、川嶋氏は面白い論点をまとめました。ここでは一応「広場論」としておきましょう。準備委員会が期待する交流会のあり方は、「柵のない広場で、中心に噴水があるだけ」です。噴水が人目を引き付けるのであって、柵で人を囲い込むのではない、ということです。招待する団体には、「“広場”の中心にある“噴水”とは、自然を通して、自然の情報を伝達することです。関心のある組織は、どなたでも歓迎します」と伝えるだけです。このような自由な雰囲気の下で、第一回自然学校ネットワーク交流会には90人が集まり、各分野で自然学校を作りたいと考えている人に、交流や学びのできるプラットフォームを提供しました。

2013年、清里ミーティングは26周年を迎えました。このシステムの下、日本環境教育フォーラム、エコツーリズムセンター、COA自然体験活動推進センターなどの多くの専門ネットワークの構築を推進しました。

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分かち合い

日本自然学校での研修の初日に、「日本のすべての自然学校は、自分の経験を包み隠さずに皆さんと分かち合うと信じています。実り多い研修となることをお祈りします」と、風と土の自然学校の梅崎靖志氏は言いました。

それからの研修の日々で、我々は正真正銘の分かち合いを体感しました。どの自然学校の研修でも、何らかの問題に対して、講師たちが誠実に回答してくれました。WENSでサマーキャンプの費用を聞いた時は、先生が黒板を使って1つ1つコストを計算してくれました。田贯湖ふれあい自然塾で研修生が準備期間を聞いた時は、すぐに本部に電話をして具体的なデータを聞いてくれました。KEEP協会では、ホワイトボードに書かれた講義内容のコピーを研修生の私たちに持たせてくれました。このような、包み隠すところの無い分かち合いに、私たち全員が感動しました。

今年の9月に実施された、雲南省のシーサンパンナ・フォーラムでは、梅崎氏は以下のような言葉を言いました。他の先生も何度も言ったことがあります。「現在は経験を隠す時ではない、自分の成功や失敗を皆と分かち合って初めて、この分野が更に発展できるのです」。”速く行きたいのなら、一人で行きなさい。遠くへ行きたいのなら、みんなで行きなさい”。

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執筆者 茉莉
執筆者所属
翻訳と校正 翻訳:季新 校正:棚田由紀子
メディア

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