2014/09/12 by Tanada

【pal*system】新しい自分に出会えました ~「避難」から脱却して次のステップへ~

「つながろう!放射能から避難したママネット」 菅野久美子さん

なによりも大切なわが子の健康。

原発事故の福島から避難したママたちでつくるネットワーク「つながろう!放射能から避難したママネット」。会員の菅野久美子さんから伺った震災後の2年間の軌跡は衝撃的でした。

転居に次ぐ転居

「チェルノブイリ事故(1986年)のとき、母が私の子育て真っ最中で、いま私は娘の子育て中なんです。どういう巡りあわせなんでしょう」と、淡々と話すのは、震災直後に福島県から東京に避難してきた菅野久美子さん。この4月、小学校にあがる娘さんがいるシングルマザーです。

「つながろう!放射能から避難したママネット(代表・増子理香さん)」は、福島原発事故による放射能被害を避けようと福島県の各地から避難してきたママたちのネットワーク。

福島県に夫や親を残し、小さなわが子を守りたい一心で避難されてきたママさんたちの集まりです。

菅野さんは福島県伊達市の出身で、いわゆる「自主避難」の組です。ですから強制避難者のような行政の支援はなかなか受けられません。苦労の日々が始まりました。

菅野さんは事故直後、「子どもは外には出さないほうがいい」という母親の助言をきっかけにネットで情報を集め、原発事故の深刻なことを改めて認識したといいます。事故直後の3月21日には東京の友人宅に身を寄せ、翌月には、川崎市の家にホームステイしながら仕事と保育園を探し始めました。保育園の申込みには住民票の移動が必要でした。

20140912-10写真:菅野久美子さん。福島県伊達市から避難してきました。

けれど、このころ、菅野さんの妹さんもまた、お子さんを連れて福島から避難するという話が持ち上がり、妹さんと一緒に住むにはもう少し広い部屋が必要です。またまた部屋探しとなったのですが、それにはまず、保育園を探さないといけません。「6月から通える保育園が見つかると、そこに通える家を探しました。やっと見つかったのは隣接する東京都稲城市。そのため、また住民票を移しました」。

このころの菅野さんの精神状態は極限に近づいていたようです。

「ストレスが溜まり、自分のことが心配でした」

それでも、菅野さんはめげることなく前を向いて動き出します。もともと田舎の町で小さな印刷所に勤め、DTPの仕事ができたということもあり、さらにウェブデザイナーの勉強をしようと基金訓練の受講にも通います。

「地方での仕事の経験がこちらで通用するか、不安があったので、スキルアップしようと思ったんです。ハローワークにも通いました」

菅野さんは幸い、被災者緊急雇用で稲城市役所の嘱託社員となることができました。「やっと生活基盤ができたと思い、ホッとしました。妹もさいわいなことに、近くの山形県に移住することができました」

「平均台」を全力疾走

菅野さんが稲城市の保育園で出会ったのが「ママネット」の副代表伊藤千恵さんでした。伊藤さんの勧めで一昨年の10月に第1回のママネットの集まりに参加します。「食べ物の話や、行政への不満、個人の悩みなどを互いに打ち明けるうちに、だんだんと心の悶々が晴れていくような気がしました」。

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写真:今日はママネットの茶話会。話がはずむ憩いのひと時。

避難生活のなかで菅野さんは、生きていくには自分が変わらなければいけないと思うようになります。「だけど、どう変わっていいのか、わかりませんでした。私たちは細い平均台の上を全力疾走してきたようなものです。いつそのバランスが崩れるかわからないんです。ちょっとしたことですぐ落っこちてしまいます」

その危ういバランスをとるためのつながりが「ママネット」の集まりだったのです。危ない平均台から広い床体操に居場所を移したということかも知れません。「1年半たった頃から、やっと将来が見据えられるようになりました。当初は震災前の暮らしを取り戻すことに必死でしたが、保・職・住(保育園・仕事・住まい)を取り戻してみると、自分の生活が落ち着いたらそれで良いかといえばそうではなかった。福島に残る家族、友人、同じように避難してきた他の人たちが気になった。見ないふりはできなかった。そうしたら、自分がどう変わりたいのか、見えてきた気がしました」

岡山県玉野市へ

菅野さんは「ママネット」に参加する中で、社会的な活動に目が向くようになります。「新しい自分に出会えた」と菅野さんは表現します。「働き方を見直したい。これからは地方が大事なのではないかとも思うようになったんです」。そしてこうも言います。「これからの暮らしは、お互いにシェアすることで広がりをもつ、縁をつくっていくという方向なのではないでしょうか。それには、東京のスケールはちょっと大きすぎます」。

いま菅野さんは自分に合った、新たな暮らしのスタイルを見つけだそうとしています。なんとこの4月、親子2人は岡山県玉野市に居を移すことを決めたのです。「娘にも相談しましたが、いいよ、と言ってくれました」

せっかく稲城市に落ち着いたところなのになぜ? とたずねると「そうですね、でも様々な経験が子どもの成長の栄養にもなると思うんです。玉野市の宇野に『うのずくり』という取り組みがありまして、そこに住みながらものづくりにたずさわる。いまの私にピッタリの生き方のような気がするんです」。

3・11から2年、多くの日本人が生き方、暮らし方を見直そうと模索しています。菅野さんの見事とも、けなげとも、雄々しいともいえる決意に心から脱帽です。それにしても「母親はつよい!」。

自分の責任とまったくかかわりのないことで、2年間の不条理な暮らしを余儀なくされた菅野さん。でもいまは、新天地での新しい生活に大きな希望を見いだしています。

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写真:「つながろう!放射能から避難したママネット」の会員の皆さんと同会を支援するボランティアの方々。

つながろう!放射能から避難したママネット

【HP】http://ameblo/hinan-mama-net/ 【E-mail】hinan_mamanet_tokyo@yahoo.co.jp

執筆者
執筆者所属
翻訳と校正
メディア パルシステム・セカンドリーグ月刊「のんびる」No.78(2013年4月号)より転載(pp.10-11)

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