2014/08/07 by Tanada

「豊かな生」には熱心で、「豊かな死」は放ったらかし。なんと悲しいことか!

20140807-4コミュニティの住民に、「看取りケアをしようとしている」と疑われたことから、万福年華コミュニティの老人ホームの責任者、李梅は、既に数カ月の間「人民の共通の敵」となっている。

彼らの立て看板は踏み壊され、宣伝用の資料も破られている。彼女と同僚がコミュニティに足を踏み入れるだけで、パトロールをしている人に銅鑼を鳴らされ警告を受けたり、数十の住民組織に取り囲まれて、罵声とともにじりじりと車のなかに押し戻されたりする。

「彼らは、私たちのところで人が死ぬと思い込んでおり、救急車を見たくないと思っているのです。」李梅は、やるせなさそうに言う。「実際のところ、私たちはとっくにリスクの評価をしていたのです。看取りケアのサービスをするなんて、絶対にあり得ないのですが、それでもなおこのように大きく誤解されるとは思っていませんでした。」

北京松堂病院の副院長、朱偉が、友人の李梅のこの不運を思うに付けて毎回思い出すのが、22年前の出来事だ。国内初の看取りケアを行う病院として、松堂病院がコミュニティへの移転を初めて試みたとき、百人を超す住民に囲まれて行く手を遮られたことがあるのだ。病院のお年寄りたちは行くあてもなく、道路のわきに4時間以上座ったこともある。

最近、続けざまに似たような事件が起こり、一般市民の目に再び集中的に飛び込んでくるようになった。今年の2月には、上海の楊浦区と浦東新区で、コミュニティ内に看取りケアの性質を持つ組織ができそうなことを知った住民が、「コミュニティ内での霊安室設置反対」の横断幕を掲げた。4月には、浙江省の杭州市で、200人以上の住民が「抗議書」にサインをし、コミュニティ内に看取りケアの機能を担う看護施設の建設に反対した。

「こんなにも長い年月が過ぎてしまいました。」と朱偉は感慨をこらえきれずに言う。「私たちは、『豊かな生』を絶えず強調してきました。それにもかかわらず、『豊かな死』を語らず、死ぬことを忌避し、死ぬことへの敬いが欠けているのは、なんともやるせないことです!」

1000床ものベッドで臨終を迎えようとしている病人が、みなここに集まっている。はっきりと言ってしまえば、ここで死を待っているのだ。

少し前、朱偉と李梅はテレビ局のある討論番組に参加した。彼らの「相手」の一人は、上海からはるばるやって来た抗議者だった。

この(不動産)オーナーは馮馳駿といい、彼の住むコミュニティは、上海市浦東新区の新楊鎮にある。彼の言い分によれば、コミュニティから通りを一本挟んだところが、まもなく「浦東新区老人病院」の移転先になるが、家を買うときにそのことを知らせる人は誰もいなかったという。

病院紹介を調べた後、この二級公立医療機構のサービス内容には、結核患者やエイズ患者などの病人を看取る「看取りケア」が含まれることに「絶望的に気付いた」オーナーもいる。さらに彼らを恐れさせたのが、老人病院が移転後にベッド数を現在の400床から1000床に増やすという情報だった。

「1000床ものベッドで臨終を迎えようとしている病人が、みなここに集まっている。はっきりと言ってしまえば、ここで死を待っているのです。」コミュニティのあるオーナーは言った。「中国人の伝統から言えば、これは絶対にタブーです。近くの幼稚園に通う子どもはどうしろっていうんですか?退職したばかりの老人が見えたら、いい気持ちがすると思いますか?」だが実際には、この老人病院の院長、顧偉民は、かつてのインタビュー時に、病院には現在400床のベッドのうち、看取りケアのために取っておいているベッドは6床だけで、しかもこのサービスはかなり公益的な性質を持っているため「看取りケアを大規模に拡大することは今のところ不可能だ」ということを明らかにしている。

しかし、オーナーたちは、こうした未知のリスクを明らかに引き受けたがっていない。もともとはオーナー委員会をまだ設けていなかった新しいコミュニティは、急速に統一戦線を張るようになり、住民はマンションの前の一角に「看取りケア病院は居住エリアから遠ざかれ」という文字の入った懸垂幕を掲げた。さらに、大通りからやってくる歩行者は、「看取りケア病院、あなたは自分の近所での建設に反対しますか?」と書かれたビラも受け取るようになった。

他方、ほぼ時を同じくして、浦東新区から黄浦河を隔てた楊浦区でも同様の抗議事件がちょうど終わった。ある映像が、そこでの住民の抗争の様子を記録している。住民委員会の狭いオフィスは、抗議にやってきたオーナーで埋め尽くされており、あまりに騒然として、後ろのほうに座っていたある住民は、拡声器を使って自分の反対意見を言わなければならなかったほどだ。「私たちがいま張り詰めたファーストライフを送っているなか、もしこんな病院ができたら、ストレスが増え、一日中気が張り詰めてしまう。それでどうやって仕事をしろ、生活をしろと言うんだ!」

「最低でも90%以上の人がこの問題に反対している!」彼はそう叫んだ。

「いや、100%だ!」前に座っていた住民も、振り向いて同調した。「既に100%になってますよ!」叫びすぎてもう声も枯れてしまっていたが、それでもまだ闘志をたぎらせた住民たちと一緒に声をあげた。「反対!反対!ボイコット!ボイコット!」

最終的に、この抗議は勝利に終わった。2月15日、楊浦区の衛生・計画出生委員会が返信してきた意見書は、住民たちによって写真に撮られインターネット上の掲示板に掲載された。本プロジェクトが受理されなかったとの結果に対し、多くの人は「民意の勝利だ」と返信した。「よかったですねえ、こんなに行き詰ることになって。あぁ」と書き込んだ人も一人だけいたが、「大丈夫、まだ希望はあるよ。お前の家のコミュニティのところに行って建てられる」と、すぐに攻撃を受けた。

上海で起きたこれらの出来事に対して、朱偉はとても身近なことに感じられた。

実際、松堂病院ができてから今までの27年間、彼らは既に7回の移転を経験しているが、そのうち4回は住民の反対に遭っており、現在落ち着いている場所は、五環路外側を走る京通高速の傍だ。

「現在、病院はバイパスのところにあり、一般市民からは少し遠くの場所に既にやって来ています。」朱偉曰く、最近、120や999の車(北京の救急センターの救急車)も来ますが、彼らはできるだけクラクションを鳴らさないよう相手に要求するでしょう。出棺する霊柩車については、「もう黒の喪章をつけないときもあります。」毎日平均2名を送っているこの看取りケア病院にとっては、市の中心部から遠く離れ、できるだけ周囲に死の息吹を感じさせないことが、現実的にせざるを得ない選択なのだ。

彼らにとっては何でもないことなんです。ただ、救急車が来て臨終の際にある老人を運んでいくだけのことですから

とはいえ、中国における看取りケアの始まりは決して遅かったわけではない。1988年にはすでに天津医学院が初の看取りケア研究センターを設立し、同時に看取りケア病棟を建設している。しかし、それから20年以上経った今でも、看取りケアは中国国内では依然としてかなり不遇の道を歩んでいる。

「中国人は死を特に恐れ、タブーの感覚も強い。死について語りたがらず、当然として老人が臨終を迎えるのを看取りたがらないのです」。日本式の高齢者サービス団体の責任者である張雪梅は、はっきりと覚えていることがある。それは、ある一人の老人が自分が開設したコミュニティ高齢者施設で亡くなった時、二人の若い看護師が何日も怖い思いを抱いたまま、寮に帰って寝ようとしなくなったことだ。この時、張雪梅は「隣近所には決してこのことを知られてはならない」と決めた。

このことと、張雪梅が日本で感じたことはまったく違っていた。かつて20年以上日本で生活したことのある中国人が記憶しているのは、日本では、高齢者施設の中には看取りケア用の病床の数を少なくしているものがあり、こうした施設はたいてい住宅地の近くに建てられていることだった。「その方が、家族が面会に来るのにずっと便利です」。居住棟の中に設置されているデイケアサービス施設もあった。

「彼らにとっては何でもないことなんです。ただ、救急車が来て臨終の際にある老人を運んでいくだけのことですから」。張雪梅は、市街地を車で走っていた時、道路脇に葬式を告知する大きな看板が立てられていたのを何度も目にしたことを覚えている。

「日本人は、死を人生における一段階として捉えています。それは誰もが通る道なので、落ち着いて冷静に死を語ることができるのです」。張雪梅の印象に残っているのは、日本の高齢者施設や看取りケア施設では、誰か老人が亡くなった際に、他の老人が一緒になって亡くなった人のためにお別れの会を開くことだ。見送る側の老人は皆、手に一輪の花を持ち、スタッフの助けを借りながら、亡くなった老人にそっと花を手向ける。

「もちろん、ご遺体を遠くまで運ぶ際は、できるだけ人の目に触れないよう特別な道を選んで行きますが、それは他の人に迷惑をかけないという観点から考えられたことです」と、張雪梅は語る。

似たようなことは、英国でも見られる。上海新華医院・腫瘍科の副主任である沈偉は、英国を視察した際、看取りケアの専門施設は一般的にコミュニティから車で10分程度の所にあることを知った。「これは、車で出て行く際に便利で、かつ住民の迷惑にならない点から主に考えられたもので、私たちが抱くタブーとは異なるものでした」。沈偉は、英国人の死に対する態度は細かい点に現れており、小さな村落では、共同墓地がコミュニティ内で一番いい場所を占めていることがよくある、と言う。

復旦大学付属腫瘍医院・呼吸治療科の主任である成文武は、「上海で最も病人を見送った医者」と呼ばれている。彼に言わせると、看取りケアサービスを行う施設は、各地で思想的な抵抗に遭っているが、本質的な原因は死に対する尊重の念が欠けているためだ。

「人々は皆、学童期から死に対する系統的な教育を受けます」。成文武は以前、『おじいちゃんがおばけになったわけ』という外国の絵本を読んだことがある。本の内容は、まさに大人は子どもにどうやって老人の死に正面から向き合わせるか、ということだった。

米国や英国といった先進国では、死に関する教育カリキュラムは1970年代からすでに小中学校に導入されているというデータがある。同様に死を語ることをタブー視している香港でも、死に関する選択授業が大学や高等専門学校に導入されている。長年に渡って老人介護サービスに従事している、ある香港のソーシャルワーカーによると、2006年頃にいくつかの香港のNGOがホスピスに関する報告を同時に発表したという。中には斎場内で発表したケースもあり、「ターニング・ポイントのように思えました。それからは、関連するサービスや討論が徐々に増えていきました。社会全体がタブーを打破し、死は口にしてはならないものではなくなったのです」。

中国国内はというと、似たようなカリキュラムは医学部の選択科目に留まっている。北京大学医学部教授の王一方が言うには、このような教育が欠落しているからこそ、死は「敏感な問題」から脱出できないのである。「我々のこのような死に行く者に対する愚かなまなざしは消極的すぎますが、実はそれは、死に対する大きな差別なのです」。

「誰もが生老病死に向き合います。これは生命が必ず通る道であり、誰もがこのような状況に陥る可能性があります。けれども、誰も自分が見捨てられるとは思っていません」。授業でいつも「死」について語る哲学教授は言う。「臨終の際にある人が皆ホスピスを受ける、実はこれは、社会全体が承諾すべきことであり、健康な者の仲間に対する一種の責任でもあるのです」。

ある社会の全構成員が有終の美を飾れるのなら、それはまさしく文明の証であるはずだ。

表裏のあるコインのように、看取りケアが中国国内で直面している困難な状況は、別の一面も有している。

2010年、南京のあるネットユーザーが看取りケアをしてくれる病院を探していると掲示板に書き込んだ。家にガンを患う老人がいるのだが、これ以上治療手段が見つからなくなってしまい、どの医者も引き取ってくれなくなったためだ。

2012年には上海で、とある青年教師の秦岭が、時の上海市共産党委員会書記の俞正声に一通の長い手紙を宛てた。彼は、末期の肺ガンを患う自身の父親が看取りケアを希望しているのに何故かなえられないのかを手紙にしたためた。「病院から強制的に退院させられた時の絶望感を、私は永遠に忘れません。たらい回しにされ、外来受付ロビーに行っては引き返した時の途方に暮れた気持ちを、永遠に忘れません」。

「このような事を望んでいる医者はいません」。成文武は率直にこう言う。「看取りケアの基本は、生命の幅に注目することです。生命の長さにではありません。患者は尊厳を持って生き、心穏やかに世を去るのです。薬価で稼いで病院経営を成り立たせる医療体系の下では、看取りケアは『手術せず、高価な薬を使わず、病床と医療資源は潤沢に』なので、生み出される経済的な利益は非常に低くなってしまいます」。

事実、2013年には済南市で看取りケアのパイロット拠点となっていた医院が、経済的な負担が大きくなりすぎ、試みは失敗したと告げた。

「多くの病院が、看取りケアは新興産業ではなく斜陽産業だと考えています。治療で良くなる病人の面倒をみたいと強く思っているのです。しかし私は思うのです、少数派になるのが怖いものか、患者のために何をすべきか、この姿勢は絶対に必要だと。世界は皆そうなのですから」。成文武は言った。

「看取りケアの需要を満たすには、民政システム内で運営する民間の団体だけに頼るのは、まったく不十分です。世界の看取りケアは、医療システムを主軸に置き、実際には政府が内部できちんと責任を持つというものです」。過去に、英国や日本、台湾などを視察してきた沈偉医師も率直に述べた。

とある学術研究会で、台湾看護学会の陳玉枝博士が、台湾にある何百という病院にはほぼすべてに「ホスピス病棟」があると、以前提起したことがある。どの患者にも専任の看護師が1名つき、人生の最期を迎える患者に寄り添う。しかも、その看護費用は医療保険制度の保障対象である。

香港では、すでに13の病院が看取りケア専門の病棟を建設している。しかも、患者に寄り添う看護師は親しみを込めて「握手娘」と呼ばれている。「医者が病状を診断すると、すぐにこの病棟に入れます。病棟は家のような感じに造られていて、壁は白ではなく、暖かみのある色です。内部は比較的大きく、台所もあるのでちょっとした調理も可能で、家族は比較的長い時間患者と一緒に過ごすこともできます」。香港のあるソーシャルワーカーはこう紹介した。

成文武は言う。それと比べると、中国の看取りケア事業はまだ初歩段階にすぎない。上海浦東新区のあの地区では、看取りケアはいまだに恐怖の「死神」だと思われているし、臨床医学の教科書でも腫瘍医療の一章の中で軽く触れられているに過ぎない。

報道によると、2010年7月、英国エコノミストグループ傘下の情報分析部門であるエコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)が初めて「クオリティ・オブ・デス(死の質)報告」を行い、40の主要経済国に対して、死亡前の看護の質について評価しランキングを付けた。第1位は英国、次いでオーストラリア、ニュージーランド、アイルランドと続き、中国は最下位から数えて4番目だ。

2014年5月、英国王立医師学会は、英国における看取りケア体制は依然として大幅に改善する必要があると報告した。王立内科医師学会監査チームの主席であるケビン・スチュアートはこう語る。「現在、もっとも根本的な問題は、そもそもこれが国に関わることなのか、国の医療サービスシステムだけに関わることなのか、この問題をしっかりと考えようともしていないことなのです」。

成文武はいつも心に留めている。1980年代末に中国で看取りケアが創生期を迎えた頃、学者の李同度がかつて口にしていた、「中国での看取りケアは、最終的にはついに社会問題となる」という言葉を。

「我々は一貫して、死について考えることに力を注いで来ませんでした。しかし実際は、誰もが生まれた時から死に向かって歩き出しているのです。臨終の際にある病人を看取るには、他人の身になって考えなければなりません。安らかな死を迎える場所さえないということが、もし自分の身に起きるとするなら、それを望みますか?」成文武は言う。「有終の美を飾る、これは中華民族が考える最高の評価です。ある社会の全構成員が有終の美を飾れるのなら、それはまさしく文明の証であるはずだ、と私は思うのです」。

執筆者 林衍
執筆者所属 中国青年報
翻訳と校正 翻訳:三浦祐介、棚田由紀子 校正:棚田由紀子
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