2014/06/05 by Tanada

汶川地震 ~5年後の今~ (その2)映秀【後編】

前編は、こちらから → http://csnet.asia/archives/15810

中国語版は、こちらから → http://csnet.asia/zh-hans/archives/15826

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残念ながら、多くのツアー客は漩口中学の遺構をさっさと見終わると、すぐに立ち去ってしまい、この遺構の現代建築上の価値を見過ごしてしまいがちだ。漩口中学遺構前にある映秀復興の碑に、映秀の復興プロジェクトに関わった建築家達の名前を見たときは、本当にびっくりしてしまった。これほど幸運な街は他にあるまい、0.76平方キロメートルほどの小さな地に、数十名の有名な建築士の作品が集まっている。映秀青少年センターはパリのルーブル美術館を設計したイオ・ミン・ペイの作品。耐震減災国際交流センターは、国家大劇院を設計したポール・アンドリューの作品。地震博物館は、上海世界博覧会の中国館を設計した何鏡堂の作品。新しい映秀中学は、国連ハビタット賞受賞の北京菊児胡同を設計した呉良鏞の作品、、、。

これら巨匠の作品は、外観は往々にして大したことはない。しかし入ってみると、内部には全てが備わっている。私の見立てによると、最もぱっとしないのは、イオ・ミン・ペイらが設計した青少年活動センターである。外観はただの青い大きな箱で、県級の建築士がデザインした展覧室のようだ。しかし入ってみると、これが今まで見た中で最高級の青少年活動センターであることを認めざるを得ない。鉄筋で支えられたガラスの空、そう、これは彼の得意技だ。その巨大なガラスの天井は、室内の視界を高く、広くしており、中にいる者は広々と、明るく感じられる。内装は中国の伝統的な、環状の木製彫刻の部屋。伝統と現代が細部に至るまで組み合わさり、少しの妥協もない。見る者は一目見ただけで、巨匠の作品だと納得させられる。私がより好きなのは、山肌に建てられた、何鏡堂設計の地震博物館だ。地震博物館は他にもあるが、これが最も素晴らしいと思う。龍門山脈沿いの被災地復興プロジェクトの中で、地震博物館の建設は欠かせないものであった。規模が大きいのは、都江堰の虹口、映秀、ブン川、茂県、青川、北川、綿竹漢旺である。以前、私が一番と思う博物館は、安仁鎮の建川博物館にある地震館であった。ここの収蔵品は多岐にわたり、マスメディアのニュースに関連するものや、人々の話題となった関連の品がほぼ全て集められていた。生きているもの、例えば地震後にがれきの中から救出された豚の「堅強」まで収蔵されていた。映秀のこの地震博物館は、収蔵品の点では、この建川博物館に及ばない。しかし、この建築物自体が偉大な作品で、参観した人は厳粛な気持ちにさせられる。その科学普及の点においても、建川博物館に勝っている。この博物館は、平面や立体の図、音声、映像等を駆使して地震の被害について展示している。15元を払えば、2008年5月12日の地震当時の情景を4Dで再現することもできるのだ。円盤の上に立ち、スタッフがスタート、というと、円盤が強烈に揺れ、目の前の壁には山が崩れ、地が裂ける情景が、音響とともに映し出される。こころの準備をしていてもなお、あふれる涙を抑えられない。恐ろしすぎる。科学技術の粋は、星の光がきらめく追悼ホールにも使われている。映画「インファナル・アフェア」の挿入歌の哀切な歌声が流れ、コンピュータ画面の前に進み出て菊の花を供えれば、それで犠牲者への献花の儀式が終了する。残念なのは、コンピュータの献花の画面がアニメ調にすぎることだ。建物全体の厳粛な雰囲気にそぐわない。出口は小さな竹林を通るようになっており、陽の光が石壁に差し込んできて、暖かな世界に戻ってきたと感じた。

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映秀地震博物館の献花画面

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復興後の映秀小学校

ここが良い条件に恵まれ、これほど多くの偉大な現代建築を投入されていると言っても、人々が最も気にするのはお金のことだ。生活設計の復興は、建築物のそれよりさらに複雑なのに、政府はあれこれ考えて多くの文化プロジェクトを導入してきた。漁子渓橋の対岸の文化街などはその一つだ。茂県のチャン族刺繍工芸品、アバ州師範専門学校美術科による「呐啵芸術館」、蒙頂山の初めての茶館―「茶祥子」などを、相次いで呼び込んだ。歌手の阿来まで招いたが、彼の文化サロンは閉館して改装中となっていた。「呐啵芸術館」の呉辺氏は語ってくれた。「鎮政府は、3年間の家賃優遇措置で彼らを呼び込んだんだ。」と。

なかなか成果を見ない経済効果に加え、隣の鎮の台頭などもあって、「耐震博物館モデル地区」の高名を持つ映秀の人々の落胆と焦りは容易に見て取れる。筆者の宿泊した旅館のおばあさんなどはその典型だ。おばあさんは72歳になるが、毎朝5時か6時には起きて、寝るのは夜中1時ごろ。少しでも多くのタバコを売り、少しでも多くの客に泊まってもらうためだ。家はまだローンが残っている。娘のものだとはいえ、若い者に替わって少しでも何かできることをし、彼らの負担を減らさなければと言う。この地は観光のほかにこれといった産業はない。大量の余剰労働力の受け皿はなく、彼らは外に出稼ぎに行く。このあたりの新築の家のうち15%~20%近くは空き家であり、ほとんどは「貸します」となっている。こぎれいな家は一律3階建てで、105平米と120平米、漢・チャン族折衷式(斜めの屋根)とチベット・チャン族折衷式(平らな屋根)の2種類があり、価格は大体21~30万人民元である(区画や、内装による)。

20140320-21 映秀の肖さん

ここに来る旅行客が少ない?いや、漩口中学遺構には毎日大勢の人が訪れる。「人はたくさん来る、でも、すぐに行ってしまう」と肖さんはいまいましそうに言った。彼らはどこへ行ってしまうのか?「みんな水磨鎮に行くんだ。前はここほどでもなかったのに、今はあっちの方がうまくやっている。あそこは団体の受入れができるからね。ここは一軒に2,3部屋しかないから一度に5,6人しか泊まれなくて、団体の受入れができない。車で遊びに来る客だって受け入れできない。だから、昼間急いで見どころを見終わったら、水磨鎮や都江堰に遊びに行っちゃう人がほとんどなんだ。」

都江堰―ブン川線沿いの街はどこも被害の大きかった被災地であり、その復興計画は、似たようなもので、地方の特色ある文化を売りにした観光開発だ。チャン族文化はこの辺りの街が皆売りにしているが、抜きんでているのは映秀から20キロほどの場所にある水磨鎮だ。そのことに映秀の人々は大いに不満を感じている。それは、観光ポイントは彼らよりたくさんあるのに、単なる宿泊客受け入れのキャパの問題が原因で負けているからである。彼らは立派な家の「見栄えはするが使えない」点を恨み始めてさえいる。

「連休くらいしか宿泊客が来なくて、それが過ぎたら街は空っぽ。商売上がったりで本当に辛いよ。」と72歳の老婆は仕方なさそうにつぶやいた。

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映秀漁子渓橋の対岸にある新住宅地

執筆者  谭斯颖
執筆者所属
翻訳と校正 翻訳:三津間由佳、校正:棚田由紀子
メディア 中国发展简报,NGO新闻报道http://www.cdb.org.cn/newsview.php?id=7418
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