2014/05/20 by Tanada

日本の自然学校 研修日記(4)

鹿捕獲の背後にある自然観

もしも鹿の群れが増殖して現地の経済に損失が発生したら、人間はこれに干渉すべきなのだろうか?もし鹿の群れが現地の生態環境によくない影響を及ぼすとしたら、私たちには何ができるのだろうか?そもそも、私たちは何を守るのだろうか?なぜ守るのだろうか?以前「自然の指導者」育成プログラムに参加したときにも、蟻に気付かされて、自分の自然観はなにか?人と自然の関係をどのように捉えているのか?と考えたことがありますが、Whole earth自然学校(WENS)での体験でも、再びこの問題について考えさせられました。

日本では、1960年代の頃には森林面積が小さく、野生動物も少なかったのですが、経済が発展するにつれて都市へ移り住む人がどんどん増えたため、山林の動植物にも住む場所ができ、数も増えていきました。しかし、ここ10年くらい、人々は急速に増殖する鹿の群れが問題化していることに気付き始めました。鹿は、草地を食べてしまうのですが、そのせいで減ってしまう昆虫もいるため、鳥の数も減ってしまいます。木の皮も食べるので、樹木が枯れたり、地上に落ちた松ぼっくりも食べられてしまうので、新しく生えてくる木も減ったりします。そうなると、森林の健康的な発展に影響し、土石流を引き起こす可能性もあります。そこで、政府は鹿の捕獲を開始したのです。

捕獲に対しては、反対する動物愛護団体もいます。WENSの浅子さんは、心情的には、道徳的な優越感から捕獲に反対することは理解できるものの、問題は、人間のニーズを考慮するかどうか、現地の農家への脅威を切実なものと感じるかどうかだ、と考えています。WENSには、はっきりとした目標、つまり富士山を保護し、人間と自然の調和のとれた共存を実現するという目標があります。そのため、野生動物が現地の生態バランスによくない影響を及ぼす場合、WENSは共存のために捕獲という選択肢をとるのです。ただ、捕獲する数や方法は、科学的なデータと法律法規に基づいています。私は共生を、人間の立場から一方的に捉えるのではなく、また保護だけに偏ることもなく、人間と自然を共生体とみなすことと理解しています。人と自然の関係は互いに影響を及ぼしあい、相互に依存し、制約しあっているのです。そして人は、このバランスを意識的に維持する必要があるし、人と自然がともに持続可能な形で発展できるようにする知恵があります。もちろん、ほかにも理解の仕方はあるでしょうが。

人と自然が共存するという自然観は、WENSの取り組みの中で貫かれています。コミュニティの竹林掃除プロジェクトも、出発点は同じです。自然学校が、組織として守ろうとしている自然観とは何なのでしょうか?私は、それがどんなものであれ、その中身について考え、確立し、そしてこれを豊かなものにしていく必要があると思っています。これらはいずれも、プロジェクトと、指導者のひとつひとつの言葉や行いから伝わってきたことです。

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食べ物を通じて感じる命

WENSを訪れて2日目、スタッフたちが鹿肉を加工する工程をみました。彼らは新年になると、鹿の肉をサポートパートナーに贈り、感謝の意を示しています。鹿肉を一口味見してみましたが、とても歯ごたえがあり、よい香りがしました。鹿はどこからやって来るのでしょうか?今日、浅子さんとジミーと、富士山麓にある富士箱根伊豆国立公園に行き、鹿狩りの課程を見学しました。

国立公園内の道路の両脇には、高く大きな針葉樹の混合林があり、青々とした木々の中で紅葉の赤や黄が引き立っていました。また、途中では二頭のニホンジカをみました。ニホンジカは、白いお尻を私たちに向けて、私たちのほうを振り向いて少し眺めていましたが、すぐに林のなかに潜りこみ、跳んで行ってしまいました。こうして富士山の標高1,200メートル地点に到着してから、鹿狩りの課程が始まりました。

みんなに付いて林の中に踏み入ると、火山灰が体積してできた土の層が、樹木の生長に充分な栄養を与えています。地上には落ち葉が層のように散っており、噛みちぎられた樹皮の痕が見え、鹿のフンもありました。ただ、捕獲用のワナを一日仕掛けただけでは、鹿を捕まえることはできなかったため、WENSのスタッフは模範例として、数日前に捕まえた鹿をその場で屠殺しました。鹿の頭は迅速に割られ、皮がはがされ、鹿の肉はすぐに切り分けられました。

「血がしたたる」光景を見ながら、来る途中で見かけた二頭の鹿の銅鈴のような大きな目を思い出し、鹿と同じようにふわふわした林を踏みつけるような感覚を覚えました。このときのシーンは、まるで映画のようにゆっくりと鹿の一生を寄せ集めていきました。一頭の小鹿が緑の草々が生い茂る季節に生れ落ち、母鹿に付いて林の中で駆け回ることを覚え、陽の光の下でゆったりと食べ物を探し、雨が降ったときには洞窟や大木の下で雨宿りをし、そしてある日、うっかり落とし穴に足を踏み入れ、人間にとっての美味しい食べ物になってしまう・・・そう思った瞬間、私は、食べた鹿の肉が、もともとはこのような活き活きとした命であることに気付いたのです。私たちが食事の前に感じる恩は、この命の犠牲に対する感謝であり、そして、この命に栄養を与えてくれた万物に対する感謝です。命のプロセスというのは恐らく、与えられた他の命のうえに生き、最後には自分自身も自然に与えられる、というプロセスなのでしょう。そして、人もまた、このプロセスに則っているのです。

WENSでは、このような体験は「食育」と呼ばれ、命の教育の一部分となっています。多くの子どもが見るのは、スーパーで売られている豚肉や鶏の手羽で、それがただの食べ物だと思っています。その食べ物の「原型」が何かは知らず、ましてその「原型」が命を持った生き物ということは知らないままです。WENSの活動では、子どもたちに家畜と触れ合い、魚や鳥に対して愛着を持ったうえで、子どもと一緒に家畜を食べ物にするという体験をしてもらいます。こうして、子どもに、人と家畜の関係に気づき、その命を体感してもらうのです。

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執筆者  茉莉
執筆者所属  
翻訳と校正 翻訳:三浦祐介 校正:棚田由紀子
メディア

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