2014/03/09 by Tanada

永遠のガキ大将 ――林耀国

2014年3月8日から10日まで上海にて開催されております「東アジア地球市民村2014」の関連記事として、台湾・荒野保護協会の林耀国さんをご紹介します。

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耀国は大笑いするのが好きだ。辺り構わず大笑いする。ところが彼の特技は、人を泣かせること。その「泣かせ技」といったら、右に出る者はいない。

おかしな話だが、耀国と知り合って20数年になるのに、陽明山国家公園の自然解説員(インタープリター)友好協会会長に就任していたのを知ったのは2年前のことだ。そればかりか、自然生態の普及活動では「聖人クラス」の人物だったのだ。

驚きすぎたせいだろうか、9年前のことも思い出してしまった。私も耀国も「自然に対して無知」だった頃のことを・・・。

当時、荒野保護協会は設立されたばかりで、私が秘書長(事務局長)、耀国が理事を務めていた。いわゆる、創立メンバーだ。ところが、当時私たちの自然生態に対する認識と言えば、設立したばかりの荒野保護協会と同じく、何も分かっていない新生児のようだった。

設立大会の時、耀国はその場になって壇上でのスピーチを求められた。何も準備していない状況で耀国は、何日か前に新中横公路を走っていた時に、いくつかのスギ林を通ったこと、そのスギ林がとても美しかったことを思い出した。思い出したら即採用、これからの台湾はたくさんスギを植えるべきである。そうすることで、美しい森林を目にできるのである・・・と演説した。

このスピーチで会場に何か議論が巻き起こったわけではないが、9年経った今、耀国はよくこの一件を持ち出しては、自分をネタにした笑い話にしている。

単一種の人造林は生物多様性の原則に全くそぐわないことも、多様化こそが森林を永遠に存続させるための秘訣であることも、あの頃の私たちは知る由もなかった。

小さな悪魔の中にある、天使の心

耀国と私は学生時代に知り合った。どちらもボーイスカウト活動に大いに影響を受けていた。ボーイスカウトの訓練で、私たちは一般の人よりも大自然の中でどう動けばいいのかが、よりはっきりと分かっていた。だが、当時の自然に対する態度は「利用する」であって「理解している」状態ではなかった。私たちは、自然の中で利用できるものは分かっていたが、自然の営みの規則については理解していなかった。ましてや、自然を尊重するなど、露ほどにも分かっていなかった。

ところが耀国は、私が荒野保護協会の作業に追われている時に、こっそりと自然の中に分け入り、自然を理解し、大切に思うようになった。同時に、子どもも含めた多くの人々が自然を認識するための架け橋となっていた。

子どもといえば、耀国は天性のガキ大将だ。幼い頃も今もそうだ。もう50歳になろうとしているというのに。

彼の眼には、すべての子どもは天使に映る。室内デザイナーを生業としていても、彼は子どものために作る道を選ぶ。数多くの百貨店の子供服売場は、すべて彼の手によるものだ。ショーウィンドーを目にした際、ファラオの石室レリーフや金色に輝く宝物棚が飾られていたり、まるでアフリカの草原の中にいるような錯覚を覚えたりすることがあるかもしれない。不思議であればあるほど、子どもを惹きつけるために耀国が仕掛けた奇策である可能性が高い。

「子どもが天使になるか悪魔になるか、それは子どもに接する態度で決まる」は、彼の名言だ。

耀国について、最も印象深い出来事があった。それは、周りの人には「小さな悪魔」と思われている子どもを、1日で天使に変えてしまったことだ。

事件は、「炫蜂団」(耀国が荒野保護協会を始めた頃にあった児童団)の活動中に起こった。炫蜂団には、図体が大きく動作が荒っぽいため「ウシガエル」と呼ばれている子どもがおり、他の子達から仲間はずれにされていた。ウシガエル君の「家でのしつけ」はとても良く、両親はエリート層で、彼は幼い頃からたくさん本を読み、両親とは英語で会話していた。自然科学に興味を持ち、同年代の子より遙かにレベルの高い子だった。けれども他の子は彼のことが嫌いで、ある日とうとう「ウシガエルがトンボの羽をむしり取っている」と耀国に言いつけてきたのだった。

炫蜂団では、これは「命を大切にし、生き物を傷つけたりしない」という団の規律に違反する重大な罪だった。だが耀国は「事件現場」に駆けつけた後、穏やかな態度で、まず事の発端を尋ねた。その結果、ウシガエルの行動は当然のことだと分かった。というのも、彼は実験をしていたのである。片方の羽を失ったらトンボは飛べるのかどうか、どうやって飛ぶのか、をウシガエルは知りたいと思ったのだ。それだけではなく、一対の羽を失ったらどうなるのか、4枚とも羽を失ったらどうか、を比較して観察したかったのである。

耀国は、重々しくも温かく、子ども達に例え話をした。「何かを証明したいと思う気持ちは素晴らしい。だからといって、私たちにトンボの命を奪って知的欲求を満たす権利はない。それに今回の事は、実験しなくても結果を知ることができた。もし今日、好奇心旺盛な巨人がやってきて、君たちをつまみ上げて腕をちぎったら、どうかな?」子ども達はすぐに、そうなったらとても痛いです、と答えた。耀国は続けて聞いた。じゃぁ、両腕をちぎられたら?子ども達は、めちゃくちゃ痛いです、と答えた。じゃぁ、腕も足もみんなちぎられたら?と尋ねると、きっと死んじゃいます、と答えた。

この時、ウシガエルは自分の行動の意味が分かったのだった。

予想もしなかったのだが、その翌日、ウシガエルと他の子が争っていた。事は、地面に傷を負った蛾が落ちていたことに始まる。たくさんの子ども達が物珍しそうに蛾を取り囲んで見ていた時、誰かがうっかり蛾を踏んづけてしまわないかと心配したウシガエルが前に出て止めようとした。ところが、行いは良いものの行動が荒っぽかったため、他の子達の反感を買ってしまった。けれども、ウシガエルの心は、柔軟で神聖で無垢であった。

これこそが耀国のやり方だ。人はたくさんの愛を受け取って初めて、他者を愛せるようになる、と彼は深く信じている。「子ども達に命の尊さを教えたかったら、まず子ども達を尊重しなければならない」

自然は一番の先生

私はずっと、耀国がプライベートでこっそりと補講を受けたおかげで、あのような傑出した自然解説員になれたんじゃないかと、ひどく疑っていた。だが耀国はどうしてもそうとは認めず、自分は今でもあの頃の「荒野の50歩」だと言い続けている。

この話は、耳にたこができるほど聞いた。それは、耀国とその一行が武陵の農場で自然観察を行っていた時のことだ。彼は自分に対して「1日で5種類の植物を見分けられれば十分」と言っていたが、それでも覚えられるかどうか自信がなかったようだ。烟声の滝に向かう道中、耀国は小さくてかわいらしい植物を見つけ、周りの人間が、それは「スギゴケ」だよと教えた。50歩と歩かないうちに、同じ植物を見つけたのに、どうしても名前が思い出せず「何とかゴケ」としか覚えていなかった。

ちょうどその時、後ろの隊列にいた仲間のひとりが、同じ植物を目にして必死で思い出そうとしたが、覚えていたのは「スギ何とか」だった。それを聞いた耀国はすぐに思い出し、相手に「これはスギゴケだよ!」と言った。

それ以来、耀国は自分のことを「荒野の50歩」と呼ぶようになったのだ。

後になって気付くのだが、耀国がたびたびこの話を口にするようなったのは、「自然に対する豊富な知識を持つよりも、生態に関する正しい観点や生命を尊重する態度を養う方が大切だ」ということを伝えたかったからだった。

炫蜂団の活動を計画する際、知的なカリキュラムの分量が極端に少ないと保護者から質問を受けたことがある。

けれど耀国は、自然は一番の先生だとずっと信じていた。大人であろうと子どもであろうと、必要なのは知識の詰め込みではなく、心を開いて、人と人の間の愛情を感じ、また大地に対する人の愛情と依存について感じ取ることである、と。

だからこそ、彼はたくさんの自然ゲームを立案し、子ども達を自然の中に溶け込ませ、草や木、動物と生活の中で友達になるよう導いた。また、ボーイスカウトの団体や儀式を上手に取り入れ、参加者に自分の内面を見つめさせ、心の底にある夢を呼び起こした。また、6ヶ月後の自分に宛てた手紙を書かせ、6ヶ月経った時にその手紙を書いた本人に送ったりもした。

非常に不思議な話だが、耀国は風を呼び雨を降らせることもできたようだ。彼が風の話をすると、風が吹いて樹木の葉を揺らし、かさかさと音を立てた。彼が虫の声の話をすると、虫の群れが鳴き出して合唱を始めた。ある重要な儀式を行った時などは、16羽のヤマムスメ(訳注:台湾固有種で、台湾では国鳥とされている)が空をかすめて飛んできて、熱心にご加護を与えた。その場にいた者がみな驚いただけでなく、耀国自身でさえ驚きのあまり言葉を失った。

「実のところ、風も葉も虫の声もずっとそこにある。私たちが耳をそばだてて聴き、心を静かにして感じることを忘れているだけなのだ」。耀国は言う、「私は何もしていない。ただ、人々の魂の奥深くに眠る感情を呼び起こしているだけだ」と。

たとえ耀国が自分は何もしていないと思っていても、人はいつも彼に惹きつけられ、感動の涙を流す。これは疑いの余地のない事実だ。

もっとも仰々しい話は、陽明山で2段階の炫蜂団指導員研修活動を行った時のことだ。二日目の正午、私が山に登って様子を伺いに行くと、全員の目が真っ赤だった。どうしたのかと聞いたところ、ゆうべはずっと泣き通していたという。はからずも、午後4時になると、耀国のせいで40~50人のメンバー全員が感動し始め、続くこと3時間。空が暗くなってようやく「終業」となった。正直言って、こんな長い間泣き続けるのは本当に疲れるものだ!

まだある。耀国は本当に何もせず、一言も話してないのに、理事の仕事に半生を捧げた面々をことごとく「年を取って涙もろくなり、全員大泣き」の状態にしたことがある。

元々、それは定例的な理事会会議で、耀国も16分間のフィルムを上映しただけだった。そのフィルムは炫蜂団の一年間の活動を記したもので、写真と文字で構成され音楽を乗せて、作品としていた。

まじめに作った記録は、本心をさらけだすには最も優れており、それ故に人は深く感動するのだ、と思った。

あの白髪のおじいさんは誰?

炫蜂団を発起してから、2年足らずで輝かしい成功を収めた。これは、耀国がすべての余暇時間を犠牲にして、たくさんの仲間達と一緒に頑張った結果だ。この時期に耀国と知り合った人間は、これが彼の本業だと勘違いしていた。ある時、彼の妻や子ども達が文句を言ったところ、彼は家族と過ごす時間を確保し、炫蜂団に尽くす働きバチではなくなった。

いったいどんな力が支えとなって、ここまで活動にのめり込めるのかと、耀国に尋ねたところ、彼はちょっとした話を披露した。

炫蜂団が活動しているキャンプ場は当初、セメントの裂け目が至る所に見られ、野草や雑草も生え放題。虫もあちこちにいて、いつも炫蜂団のメンバーが集まって観察していた。

後に、事情を知らない村の地主が景観と安全に配慮し、セメントの裂け目を修復した。炫蜂団のメンバーが現れた時は、慌てふためいて「乞食」の異名を持つ副団長に訴えたこともあった。「乞食」はそのメンバーと一緒に地主の所へ行ってお互いの考えを話し合い、解決の道を探った。

「炫蜂団のメンバーが『私の友達の家がなくなってしまった』から辛い、と訴えてきたんだ」。耀国は私に反問するように言った。「子どものそんな様子を見て、そのまま続けられる者などいるわけがないだろう?」

子ども達の変化や成長は、耀国にとって一番の元気の源だ。

炫蜂団には「希望の葉」という儀式がある。それぞれが将来の夢を1枚の葉っぱに書き、枯れ枝の間に挟むのだ。枯れ枝が夢を潤し、希望の葉っぱが成長する様を象徴している。

耀国の希望の葉に描かれているのは、こんな絵だ。80歳になった彼が、黙って荒野炫蜂団の活動を見守りながら、子ども達の純真さと喜ぶ様子を共有している。この白髪の老人が誰かを知っている人は、もういなくても・・・。

Box:長きに渡って団長を務めるエネルギー

耀国がボーイスカウトに入団した時に出会った初めての団長は、名を李修和といった。いつも色々と心配りをし、団員の観察力を訓練していた。特に、団員が野外キャンプをする時は、毎日テントを移動するよう団員に指示していた。テント設営した場所の下に生えている草をつぶさないためである。また、木に縄をくくりつける時は、幹を大切に扱うよう言った。樹皮を傷つけないためである。キャンプ地を後にする際は、「そこに誰も来たことが無いくらいの」元の姿に戻すよう言った。

当時の李団長は、生態や環境保護とは何かについて特に理解していたわけではなかったのかもしれない。ただひたすらな、子ども達への深い愛情や大自然が、知らず知らずのうちに耀国の心の中に種を植えたのだろう。

耀国の身体に宿る、永遠に使い切ることのない活力や尽きることのない愛情は、恐らく30年前以上から蓄積されている、李団長に由来した「エネルギー」なのだと思う。現在、耀国は自然界の「永続の」法則に従って、そのエネルギーを炫蜂団の若い世代に移そうとしている。今では、李修和のように、耀国は子ども達にとって心の中の永遠の団長である。将来、炫蜂団は耀国のような団長をどんどん輩出するだろう。私はそう確信している。

執筆者 荒野保護協会理事長 李偉文
執筆者所属 荒野保護協会 https://www.sow.org.tw/
翻訳と校正 翻訳:棚田由紀子
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