2014/01/28 by Tanada

【災害管理】スワトウ水害、広東民間救援協力隊の3泊4日

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写真=救援協力隊は被害の甚大なスワトウ潮南で緊急支援を展開。受け入れ側写真提供

 8月23日夕、広州の長い陰雨があがった。頭にはベレー帽、身には赤い制服の一列の若者たちが、1台のワンボックスカーから整然と降りた。足並みを揃えて突き進む隊員の服はうっすらと塩の結晶に覆われていた。各隊員は皆、笑顔を浮かべていたが、疲労の色は隠せない。

 彼らは広東救援協力隊の専門救援隊員で、同救援隊は国内で最も古い民間ボランティア救援隊の一つ。彼らはこの一歩のために、6年費やした。

 彼らは熱血ボランティアで、各人それぞれ自分の職業を持っている。会社のネット管理、職員、個人企業の経営者、ソフト技術者、病院事務担当責任者らだ。8月20日、スワトウ潮南区が百年に一度あるかないかの洪水に見舞われた三日目。災害の危険な状況が迫る中、異業種の職場の十三人は、ただちに仕事をストップし、たった二時間で準備を整えて集結した。被害の最もひどい潮南区陳店鎮で、彼らは三泊四日奮闘し、迅速に復旧・救済作業に当たった。

 汶川地震に青海地震、そして雅安地震が発生した。災害後の救援で、民間機構とボランティアはどのような役割を演じることが出来るのか?人々がなお民間援助の力が被災区で足手まといになるかどうかを論争している中、広東救援協力隊の13人の隊員はとっくに水害現場への征途の旅立ちに加わり、実際の行動で人々の質問に答えた。

初の災害区での救助

 三日間、救援隊は相次いで範北村、渓北村、養老村などの地で、川を渡って、洪水によって閉じ込められた村民のためゴムボートでミネラルウォーターやパン、ビスケットを運んだ。また老人や子供、妊婦、新生児、病人と計8人を移し、200人近い浸水地区の村民のために傷口用包帯を提供、1000戸を超す村民のために消毒薬、錠剤を配布した。

「到着早々の任務はただ一つ、水、乾パンなどの物資を運ぶこと」と救援隊の安全監督指導の鐘鳴は言う。一度被災区へ着くと、英雄が力を発揮する場所が無いという悲哀を大いに抱く。彼らは来る前に無数の事前対策を相談するが、現地で応急管理室の下達の任務を受けると、隊員たちは直ちに自分の職責を果たす。被災区に着いた日の午前中、救援協力隊は現地の村民のためにミネラルウォーター70箱、パン、ビスケット50箱、米10袋、救命ブイ9個を運んだ。

 その日の午後、救援協力隊は指揮部の任務を受けて、洪水で閉じ込められた重病の老人を移さなければならなかった。「私たちは当時、非常に興奮した。というのも、とうとうこの大きな任務を行うことが出来るということは、指揮部が非常に私たちを信頼している証だったからだ」。通知を受けた後、隊長はすぐ6人の救援班を組織し、老人が閉じ込められている現場へ行った。

 広東の救援協力隊は2007年6月に設立。それは汶川地震の一年前で、≪ボランティア≫の言葉がまだ現在のように人の心に深く入っていない頃だ。鐘鳴は常に香港の公益グループの熱心な人とあてどなく過ごしており、一緒に登山や散歩に行く以外にも、ぶつかって火花を散らすこともあった。内地はまだ香港のように専門の救援組織がなく、試してみるしかない。香港の公益メンバーの支援の下、救援協力隊は次第に成長し、今では三、四百人の正隊員がいる。毎年、香港のシステムを参考にし、2~3回の実践訓練を実施し、多くの会員が香港の許可証発給試験に合格した。

 しかし正真正銘の被災区の救助は、これが初めて。汶川地震と芦山地震では、隊員たち個々がみな救助できるという興奮を抑えることが出来なかったが、官側の救援統一部署に収まる競争に勝つ力が無く、救援協力隊は最終的にやはり軽々しく行動しないよう決めた。だからこそ今回の救援任務にあたって、隊員たちの心中はいささか穏やかではなかった。

 陳店鎮は、現地の住民に「内衣鎮(下着村)」と呼ばれている。下着のパーツを生産する工場が特に多く、外来人口の数も非常に大きい。「大洪水が発生すると、工場内の工業原料や周囲の生活ゴミすべてが外へあふれ出るため、水中の状態は非常に複雑になる。そのため、私たちの救援は大変面倒になる」。隊員の楊永慶は記者にこのように説明した。

無駄に情熱に頼ることはできない

 「私たちは民間から生まれたので、軍隊や武装警察にはできない事ができる」。楊永慶の視点から見ると、大災難が発生すると、人民子弟兵の軍隊として、武装警察は往々に最前面へ突き進む。しかし武装警察について言うと、突撃艇は水の浅いところで作用を発揮するのは難しく、負傷患者や被災者に直面した時にすぐに救急看護を提供するすべはない。専門の医療隊はと言うと、専門の医療救急の知識を備えてはいるが、最初に被災の度合いが深いところに突き進むのは難しい。

 「救援協力隊は救援特殊兵のようだ。私たちは救援隊、医療隊、そのうえ心理コンサル隊である」。隊員たちは自分の持っていくゴムブイで、水の深いところは漕ぎながら、水の浅いところは引っ張って行きながら、迅速に閉じ込められた老人のところに行った。老人を病院へ送っていく前に、隊員たちは自分の専門の医療知識でもって、老人に相応の救急看護を行った。

山を越え川を越えること数時間、協力隊小分隊はついに老人を安全に病院に送って治療し、順調に老人の家族に引き渡した。この時、すでに夕方の六時頃だったが、その時になってようやく誰も昼食を食べていないことに皆が気付いた。

 自然災害に遭うたびに、災害区の現場はいつも多くの自発的なボランティアが溢れる。彼らは情熱に満ち溢れ、或いは食物を持ち、或いは薬品を持って、中には手ぶらで歩いて被災区に来る者もいる。しかし、専門知識やそれに関する装備に欠けるので、ボランティアの中には自身の安全を保障するのが難しい者もおり、被災区の“負担”になりやすい。

 「今回私たちは、外地から急いで帰ってきた三人の地元の青年に会った。彼らは三輪車にいっぱいの物資を持って、あくまでも被災地に飛び込んで行きたいというのだ」。鐘鳴は記者に向かって救援で見聞きしたことを話した。「しかし彼らは状況を簡単に考え過ぎており、彼らがあくまで進んでいくと、被災者を助けるのが難しいばかりか、常に自分たちを危険な立場に置くことになる」。

 のちに若者たちは、自分の持ってきた物資を救援協力隊に預けた。「私たちは彼らの物資をどこに割り当てたらいいのか訊いたところ、彼らは私たちに任せたいと言った」。鐘鳴は、多くのボランティアがこれらの若者のように、あふれるばかりの情熱を抱いて被災地に来るが、彼らは被災状況について理解していない。また具体的な救援目標を持たず、ある程度の計画性も欠けていると感じている。

「被災区の状況は毎日変化している。今日はミネラルウォーターが足りない可能性がある。しかし、明日はミネラルウォーターは足りているが、解熱消炎剤が著しく不足しているというように」。隊員の傑英はありのままに言う。障害もなく通信し、リアルタイムで更新されるような災害区情報の発表プラットホームはなく、科学的救援について論じるすべがない。

傑英は思う。政府が緊急段階でハード面でのサービスを提供し、ボランティアがソフトサービスを提供すれば、政府の救援行動に対する補助的な救援を細く長く行える、と。

思考・深慮

民間救援隊はいかに“草の根”というボトルネックを突破するか

 雅安地震の発生当日、大量の一般車両が廬山県城に向かってドッと押し寄せ、狭い廬山県城は1時間で「飽和」状態となり、救援車両が進むのに影響した。満ち溢れた思いやりの心はあるものの、統率を失ったバラバラの兵隊のようなボランティアの姿は、社会に多くの疑問をもたらした。

 民間の救援力は政府筋の救援隊の有力な補給資源であるべきだが、自身の「草の根」というボトルネックを突破し、更に専門的で、組織性のある方向へと発展し、如何に更に一歩深い信任と関心を社会から得ることが出来るのか?一連の疑問は、依然として民間の救援隊を試している。

広東救援協力隊は2007年に設立して以来、都市と農村の発展、コミュニティの発展、貧困者扶助開発、災害時の救助、及び大型社会活動などの公益事業のために、かつて多くのボランティアサービスを提供したことがある。同時にまた、ボランティアサービスが特に難しく、助けを必要とする人、及び貧困地区で大きな作用を発揮している。

取材の過程で、隊員たちは記者に向かって身につけている“神器”――小さな空気ポンプくらいの大きさのライフストローが1トンの水をろ過できることや、スーパーパワーの懐中電灯は又、ハンマーとしても使うことが出来ること、防水マッチなどを見せてくれた。「私たちに向けられている社会の関心は決して特別に大きいものではなく、社会からの寄贈も決して多くはない」。広東救援協力隊執行委員会の江華容委員は、率直に「隊員の多くの装備は、みな自らのお金で案配したものだ」という。

ボランティアの民間の救援隊として、資金欠乏は広東救援協力隊だけが直面している問題ではなく、多くの民間救援隊が共通に抱えている問題だ。合法的な公募資格に欠け、更に彼らが社会の寄贈を受ける時、色々な法律のボトルネックに直面するからだ。

もしも個人の装備が個人によって解決することが出来ても、専門的な救援装備は終始不足状態にある。「何回かの大きな災難において救援できる範囲は非常に限られることがはっきりと分かった。例えば地震の被災区へ行っても、私たちは大型の救援機械を出動させる術がない」と救援協力隊の劉揚総監督は率直に言う。

専門化への発展は、民間救援隊の発展において避けて通ることのできない道である。育成訓練のコスト節約のために、救援協力隊はわざわざ香港民衆安全サービス隊の定年退職したコーチを招き、一期ごとに隊員に授業をしている。広東、香港両地のボランティアの力を結合し、救援協力隊の専門家としてのブランドを確立させるのが狙いだ。

隊員たちはみな各自の職業を持ち、彼らは退勤後と週末の時間を犠牲にして、ボランティアの訓練とサービスに参加する。しかし、救援任務は決していつも彼らの休息時に出現するのではない。以前の捜索救助の中で、仕事をサボったため勤務先を解雇された隊員がいた。

 「仕事時間をずらす方法を考えるしかない、でなければ休暇を取る。この他に何もいい方法がない」。鄧傑英の口ぶりはいくらか仕方がないというふうだ。

 他にも、以前の民間救援隊が任務執行中に、計画の案配に欠け、一カ所に集まってしまったが、こうしたこともいつも人々に非難される。「政府がもし購買サービスの方式を通じて更に多くの専門の救援力を救援の中に加えることが出来るなら、民間の自発的救援隊が計画の案配もなく、盲目的になだれ込むのを避けられるばかりでなく、同時にまた民間の専門救援隊訓練をする非常に良い方式にもつながるだろう」。劉楊は、政府が救災における統一した案配を重視し採用するのは、専門の救援隊が正しい道を歩む重要な要素だと見ている。

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翻訳と校正

翻訳:岡田由一 校正:棚田由紀子

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