2013/12/18 by Tanada

鮮烈な生き残りの道:北京太陽村の印象

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「北京太陽村は、服役囚のために、無償でその未成年の子どもを育て、教育する慈善団体。」これが、私がネット上で調べた太陽村の「標準的な定義」だった。何年も前に太陽村を知ったとき、このように概念化されて私の記憶に残っていたが、最近になってようやく、私は本当に太陽村に入り、触れ合い、鮮烈な太陽村というものを感じた。

以前にもいくつかの公益団体を訪れたことがあるが、一部の団体が大変な困難に直面し、運営に困難を抱える境遇にあるのを見ており、いつも心を動かされてきた。筆者が今回太陽村を訪問する前に資料に目を通した際、メディアによる過去の取材記事を読んだ。その記事のなかで、太陽村主任の張淑琴さんに対して「最も困っていることはなんですか」との質問があったが、それに張さんは「それはお金です!」と答えていた。資金難が、草の根NGOひとつひとつの生存を押さえつけているのだ。数年前、太陽村の子どもたちの毎月の標準的な生活費は300元で、スタッフの給与は400~600元だけだった。物価が急騰している今日、この程度の水準では、より首がまわらないように見える。子どもたちの現在の生活はどのような状況なのだろうか?太陽村生き残りの現況はどのようになっているのか。そんな疑問を持ちながら、私は太陽村に足を踏み入れていった。

張淑琴は、見たところ元気があふれていて、とても60歳のお年寄りには見えない。訪問のその日、彼女のスケジュールはびっしりで、私たちが訪問する前も訪問した後も、アポを取っているほかのメディアが来ており、並んで待っていた。彼女は性格が朗らかで話し上手な人だと思う。私たちがようやく質問をすると、彼女はすぐにわーっと話し出したが、その考えはとても活き活きとしたものだった。太陽村の生き残りの道に話が及んだとき、彼女は「自力更生!」の4文字で表現した。2002年より前は、「太陽村の収入の3分の2は社会のサポートに、3分の1は古い物資の浄財変換に頼っていた」。彼女が言う古い物資の浄財変換とは、寄付してもらった物資のなかで太陽村の子どもの使用には適さないものを整理して中古品市場で販売することで、現物を資金に、流動的でない有形資産を目に見えるお金に換えるという方法のことだ。この方法で太陽村は毎月数万元の収入を得て、長年の支えとしてきた。

ただ、張淑琴はこれでは全く満足していなかった。張淑琴は、太陽村が長らく生き残り発展していくためには、外からの援助に頼るだけではだめで、自身の潜在能力を掘り起こす機能を育成する必要があるということに早くから気づいていた。そこで、数多くのNGOがまだ「生きるか死ぬか」の淵をさまよい、数多くの社会企業がまだ芽生えていない頃、太陽村はこの分野で既に転換に向けて積極的に模索を始めていた。

2002年、太陽村は自身の「愛心農場」の建設を始めた。260ムー(約17.3ヘクタール)の土地を借りて栽培基地を作り、梨の木やナツメの木、その他の農作物を植えることで、その収入を経費不足の補填に用いた。時間が経つにつれ、張淑琴はだんだんと公益旅行の価値を認識するようになり、栽培基地を一般人向けの公益とレジャー、休暇を兼ね備えた場所に転換する道を模索し始めた。2005年、太陽村は「愛心認樹(木のオーナー)、家庭小農場、一日夏キャンプ」活動を打ち出し、果実園のナツメの木を一本100元~150元の価格で提供して寄付を集め、同時に収穫、鶏の餌やり、農家風ご飯などの活動も展開して都市からの旅行客を引き寄せた。これらの取り組みはすぐに積極的な賛同を得た。2007年、太陽村は「農家楽愛心クラブ」プロジェクトを立ち上げ、会員制を採用した。会員は会費の納付後に一定の権利を得られる。例えば、週末の休暇を利用して、農園で野菜を植え、草を鋤き、水や肥料をあげるといった農業の楽しみを味わうこともできるし、様々な種類の果物や様々な季節野菜を収穫することもできる。また、太陽村の子どもたちの絵画作品や芸術作品などを見ることもできるなど、これらの活動は、社会の思いやりある人々に受けている。

ただ、よい状況は長続きしないもので、厳冬となった2009年には、農場にある40,000株のナツメの木が全て死んでしまい、収穫できなくなってしまった。一歩を踏み出したばかりの太陽村愛心企業は、壊滅的な災害に出くわしてしまったのだ。「どうすればよいのだろう?神様がこのようにしたのだから、歯を食いしばってまた一からやるだけです!」張淑琴はそう言った。困難な状況のなか、太陽村は考察を経て、自然災害に耐えることができ太陽村に安定的な収入をもたらす施設農業を開発することを決めた。これが現在の温室ハウスプロジェクトだ。

2011年、太陽村は、北京市農業委員会による温室設置に対する補助金申請に成功し、50ムー(約3.3ヘクタール)の土地に74の温室を建設し、イチゴを植えた。「最初は温室を建てる資金さえありませんでしたが、様々なところから資金を得ようと、温室一つにつき5万元の「サポーター費」を企業一つ一つに依頼してまわりました。一つの温室が完成すると、農業委員会は3万元の補助金を出してくれます。私達は一つ完成して補助金を手に入れると、それを2009年からの古い借金の返済に当てました。」このようにして7,000余平米の温室がなんと2ヶ月余りの間に完成したのだ。

私は張女史の話に聞き入ると同時に、非常に驚いた。2ヶ月余りで建設工事と植え付けを完成させるとは、すごいスピードだ。「社会の力を動員したからですよ。」と張女史は語る。企業からの温室サポーター費は集めた資金のほんの一部で、直接温室の建設に資金提供をした企業もあれば、建築資材を無償で提供した会社もあった。さらには、多くの大学生ボランティアや思いやりある市民がイチゴの植え付けに参加してくれた。また、温室サポーター費を払ってイチゴを予約注文するという方法で支援してくれる人もいた。みんなが協力すれば小さな力も大きな力になるものなのだ。

「私達のイチゴの生産量はすでに一定規模に達しています。」張女史は誇らしげに話し、私達の試食用のイチゴを2箱分摘んでくるように従業員に頼んだ。「太陽村はすでに苦境を乗り越えましたよ。」張女史は、自信溢れる表情で将来について語ってくれた。「企業に対し温室の『サポーター』を依頼することは、直接資金援助を依頼するよりはるかに容易です。『サポーター』になれば企業は美味しいイチゴを手に入れることができるため、このような寄付は喜んでしてくれ、イチゴの販路も確保できると考えています。今後太陽村は、温室からの収入をもとに運営状況をより良くし、多様な方法でより多くの子供達を助けることができるでしょう。私達の農場の固定資産評価額はすでに1,000万元以上になっており、今年は公益産業発展基金と中古品専門スーパーを設立する予定です。また草の根団体のための基地をつくり、無料で事務所や宿泊場所を提供したいとも思っています。」張女史の頭の中には、明確な未来が描かれているようだ。

大陽村が苦境から抜け出すことができ、生命力溢れるようになれたのはなぜだろうか?私は太陽村の場内を見学しながら、この疑問について考えを巡らせていた。子供達はまだ学校から帰ってきておらず、太陽村の中庭では多くの人が忙しくしていた。テレビ番組の撮影をしている人、寄付物資を配達しに来た企業、温室から花卉を配達しに来た車など様々だ。活動室がある建物の前には、賛助企業や協力関係にある事業体、学校、メディアなど数十余りの団体の名前が掲げられていたが、これはまだ「ほんの一部」だそうだ。また村内のある平屋には子供達の住む部屋があり、各部屋には寄付した事業体の名前がつけられている。

「自力更生するとともに、社会の力を動員すること」という張女史の言葉は、太陽村の最大の特色でもある。一方では社会からの寄付・援助に頼らず、思索を巡らせ、企業家のような考え方を以って自ら産業を起こし、積極的に自身の潜在的な力を開拓する。そしてまた一方では全てのチャンスをつかみ、様々な資源を統合し、クモの巣のように資源を四方八方から集めて利用するのだ。大きな資源は大きく利用し、小さな資源は小さく利用する。政府の機関から企業、学校、メディアや一般市民まで、政府の優遇制度の積極利用からわずかな金額の寄付の受け入れまで、様々な局面において、太陽村は一つ一つの事に注意を払い、各レベルが協調し合うようにしていることが見てとれる。このように柔軟性に富む戦略が太陽村を一歩一歩良性の循環へと導き、持続的に発展できる道を歩ませたのだ。

太陽村に別れを告げて戻り、資料を整理していた際に偶然二つの資料を見つけた。一つは2006年の太陽村の発展計画書で、太陽村の内部環境および外部環境の長所と短所の分析や中長期の発展目標が書かれていた。張女史によると、これはコンサルティング会社のマッキンゼーに依頼し評価してもらったもので、現在の発展状況にもとづいて再度評価してもらう予定だそうだ。もう一つの資料は2009年に太陽村が厳冬に見舞われた際、ナツメが収穫できなかったことについての新聞記事だった。太陽村は苦境に陥ったからといって約束を反故にするようなことはせず、自分で資金を調達してなんとかナツメの木を購入し、「サポーター費」を出してくれていた人々に対する賠償とした。この行為は皆の理解を得ることができただけでなく、さらには賠償は必要とせず代わりにその資金を子供達のために使ってくれるよう「異議」を唱える人が次々に出現したほどだった。この心温まる報道のおかげで人々は厳寒の冷酷さを感じることもなく、太陽村は誠意を以って人々の心をつかみ、ブランドの信頼度を維持することができたのだった。

小さな草の根NGOであっても、マクロな面では先見の明とはっきりとした自己認識、そして「新しい希望や目標を見出し続ける」というマネジメントの智慧を持ち合わせ、ミクロな面では細やかな心遣いと誠意で人の心を守る太陽村の前途は、きっと輝かしいものに違いない。

執筆者  
執筆者所属  
翻訳と校正 翻訳:三浦祐介、川口晶子 校正:棚田由紀子
メディア

http://www.chinadevelopmentbrief.org.cn/qikanarticleview.php?id=1390

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