2013/10/31 by Tanada

【コミュニティケア】ろうあ者のカフェが武漢に初登場 ~手話で注文するのはもう夢じゃない

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写真:カフェを開いた3人のパートナー、崔競さん(写真中)、文鋒さん(写真左)、陳玩臻さん

昨日(訳注:8月20日)午前10時、武漢の吉慶通りにDeaf House Café(ろうあ者カフェ)がオープンした。これは、湖北省で初となる、ろうあをテーマとしたカフェだ。

補聴器の助けを借りている難聴の女の子、崔競さんと、喋ることができない90年代生まれの青年、文鋒さん、そして手話を研究している台湾の女の子、陳玩臻さん、の3人がカフェを開いたメンバーだ。

彼らは、夢のために一緒に走り、手話が共通の言語となっている。そして、このカフェには、コーヒーの濃厚な香りだけではなく、濃厚なろうあ者の文化も満ちあふれている。

オープン初日は満席 声のない世界に満ちあふれる笑い声

午前10時の吉慶通り、道行く人は多くない。ろうあをテーマとしたカフェの営業第1日目、入口には親しい友人たちが送ってくれた大きなフラワーバスケットがびっしりと積んである。扉を開けて入ってきたお客さん第1号は、一組のカップルだ。彼らは、向かい側にあるショッピングモールに携帯電話を修理しに来たついでに、コーヒーを一杯味わいに来た。

30分も経たないうちに、1階と2階の合計で約70平方メートルあるこの小さなお店は、お客さんでいっぱいになった。彼らの多くは、ネット上で名を慕ってやってきた、ろうあの友人たちだ。彼らは、声のない世界で手話を使って楽しく交流をし、嬉しそうな笑い声がよく聞こえてくる。飛び交う指、上がった口元・・・お客さんは、店主と同じく盛り上がり楽しくしている。

23歳のバリスタ、文鋒は、コーヒーを入れたり、生クリームを絞ったり、チョコレートソースをかけたりといった作業を一気にこなし、集中して作り上げた一杯のコーヒーを取り出した。24歳の店長、崔競は、それをお客さんのところまで持っていき、また新しい注文をとってくる。27歳の玩臻は、店内中を走り回る。彼女は、手話の通訳でもあり、ろうあ文化の解説員でもあるのだ。

お客さんはどんどん多くなってきた。文鋒の親友でろうあ者の彭青は、エプロンをつけて、カフェの店員役を始めた。舞台演劇に携わっている彭青は、「彼らの夢に向けた頑張りが、私たちにもうつり、その夢のために努力をするよう奮い立たせたのです」と記者に語った。

「始めたときから、私は彼の開店にはとても反対をしていました。健常者でさえ起業をするのは難しいのに、まして彼が起業だなんて」。文鋒の母親、張翠花はそう言いながら目からあふれ出る涙を拭き取った。文鋒は、母親の肩を軽くたたいて手話で言った。「今日、僕は、ずっと僕を支え、寄り添ってくれたお母さんとお父さんに感謝するよ」。手振りを終えたところで、男の子は母親のほうに目をやり、突然むせび泣き出した。「私には分かるわ。あなたはずっと特に聞き分けが良くて、物分りのいい子だった・・・」。張翠花は、急に涙を流し始めた。そして、母子2人は、ともに抱き合った。

ろうあ者の男の子は黙々と力を出し、難聴の先生は夢のために仕事を辞めた

2010年、ろうあをテーマにしたカフェのオープンという夢は、崔競の心の中で既に芽生えていた。彼女とろうあの友人は、カフェに行くのが一番好きだったが、簡単なはずの注文や会計は、彼らにとって少し骨が折れるものだった。

崔競の両親は、ともにろうあ者だ。それに対して、彼女はもともと話すことも聞くことも普通にできる女の子だった、3歳のある日までは。何の前触れもなく、彼女は突然声のない世界に陥った。しかし、彼女は自暴自棄にはならず、繰り返し練習をした。補聴器と読唇術を頼りに、基本的な“聞く、話す”のコミュニケーションには不自由しない。加えて彼女は、重慶師範大学の特殊教育専攻に合格し、その後学校に残って補助員となった。

カフェを開く夢のために、彼女は仕事を辞めて武漢に戻った。夢の企画書を携えて開設資金を探し、何度も断られた後、最後にとあるろうあの友人の資金援助を得ることができた。

崔競に比べると、文鋒の運命は、もっと不遇だった。生まれて数カ月しか経っていなかった頃、ある医療事故によって、彼は完全に“聞く、話す”の能力を失ってしまった。現在でも、手話と筆談でしか、人とコミュニケーションがとれない。しかし、彼は夢に異常なまでに執着をしていた。カフェ開設準備の2カ月の間、彼は武漢の三鎮で器材の買い入れに奔走したり、カフェに残って内装工事や掃除をしたりと、いつも家に帰る時間もないほど忙しくしていた。カフェオープンの2日前、テーブルとソファがようやく店に届いた。文鋒は、夜中の2時まで家具を組み立てて、しまいには疲れて店の床に倒れこんで、グウグウと熟睡してしまった。

2カ月の間で、少しだけ改造をしたこの2階建て店舗は、崔競と文鋒の夢のカフェとなった。彼らは子どものように輝くように笑った。「私たちは、ほんとに嬉しく思っています。周りの人が疑おうと、私は注意深く、首尾店を切り盛り[y3] できるでしょう」。手話をしている間、確固とした意思が滲み出ていた。

台湾の女の子は、自ら加わった ただ、ろうあの文化を伝えるために

仮に、崔競と文鋒の夢が翼を生やして今高く飛び立っていると言うならば、玩臻は彼らにとって最も力強い護衛機だ。

玩臻は、台湾清華大学で人類学を学ぶ大学院生だ。昨年、重慶大学で手話の研究をしていたときに、崔競に知り合った。「私は、ろうあをテーマとしたカフェの発展プロセスを記録したいんです」。玩臻本人によれば、自分の研究の過程で、崔競たちが追い求める夢への執着に感動し、仲間に加わらずにはいられなかったのだという。8月に玩臻が武漢にやって来る際、ろうあ文化に関する多くの書籍を持ってきた。お客さんに無料で読んでもらうためだ。カフェでは、手話やろうあ者の生活に関する情報をどこでも目にすることができる。

玩臻はカフェのブログで、こんなフレーズを書き綴っている-私たちがやりたいのは、みんなに伝えることです。「聴力が大多数の人と違う私たちのような人々は、生活のなかで視覚をとても重視しています。とりわけ、他の人とコミュニケーションをとる際には、とくに視覚が必要です。そして最も直接的で、最も早い方法は、手話」ということ。そして、「ろうあをテーマとしたカフェはお金を儲けることが主な目的ではなく、ろうあ者の文化を広めることが目的」ということを伝えたいのです。崔競が言うには、ろうあ者は使っている言葉が違うだけで、手話を学びたい友人がいれば、彼らのところに来て無料で勉強することもできるのである。

執筆者  
執筆者所属
翻訳と校正 翻訳:三浦祐介 校正:棚田由紀子
メディア http://www.ngocn.net/?action-viewnews-itemid-88128

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