【災害管理】甘粛省岷山地震の救援活動で、最前線で活躍した民間慈善組織
目にした光景
2013年7月22日に甘粛省定西地震が発生した後、岷山県は急に人が増え始めた。そのため、岷山県中心部と周辺町村のホテルや旅館はほとんど満室だった。
これらの激増した人の中には、壱基金、青空救援隊、広東省ライオンズクラブといった民間公益組織の姿もあった。
壱基金:今回の行動は恐らく最も迅速だった
壱基金の対策本部は、岷山県梅川鎮の大通りに位置し、比較的目立つ場所にある。街頭では、よく壱基金の青い制服を着た従業員を目にすることができる。
実際には、岷山県で活動している壱基金の正式の従業員は、ただ一人。壱基金災害管理部プロジェクト担当者の高靖だ。高氏は記者にこう語った。「ここで目にする壱基金の従業員のほとんどは、私たちの協力機構の救災連盟と救援連盟から来た人で、残りはこの2団体が募集したボランティアだ」。
今回の救援活動の中で、壱基金は恐らく最も迅速な民間慈善組織である。7月22日午前10時、壱基金は、寧夏回民族自治区、甘粛省天水市、甘南チベット族自治州武都市の三つの地方に設置した救援倉庫から、すでに岷山県に物資を送り始めた。
甘粛公益救災連盟の責任者の虎孝君氏はこう語った。「22日午後4時には、救援連盟はすでに救済物資を運んで、岷山県梅川鎮に到着した」。
「最初に届いた物資は、300人分の子ども用衛生用品パック、生活用品パック等だった。その中に、洗面用品や子ども寝袋やお弁当等が入っており、22日午後8時、馬家溝村の物資配給が始まった。翌朝、私たちは6つの村を回って、1685本の精製水を配給した」。虎氏は記者にこう述べた。
同時に、22日夜、新疆ウイグル自治区、四川省、青海省、貴州省にある壱基金専門救援隊も、続々と岷山県梅川鎮に到着し、被災した村に入った。
22日夜、救災連盟は、被災が最も深刻な梅川鎮永光村と永新村に入った。この2つの村がすでに武装警察部隊に接収管理されたことが分かった後、救援隊は他路村とその周辺の4つの村に対して救援活動を続けた。
政府による管理を受けた青空救援隊
赤十字会の傘下組織である青空救援隊は、アウトドアボランティアにより成立した組織である。その活動は比較的控えめだ。定西地震の救援活動を行う際に、彼らはずっと岷山県梅川鎮の遠い山村で救援活動を行い、梅川鎮の中心部にはめったに顔を出さなかった。
7月22日に定西地震が発生した後、青空救援隊はすばやく救援計画を発動。青島市、陝西省、遼寧省鞍山市など地方にある分隊も、続々と被災地に駆け込んだ。丸1日以上の“長距離の行程”を経て、7月23日の朝に、ようやく被害が最も深刻な梅川鎮に到着した。
救援活動に身を投じようとした時、青空救援隊も壱基金救援連盟と同じ目にあった。彼らは被害が最も深刻な被災地が、すでに国家部隊に接収管理されていたことに気づいた。しかし、壱基金救援連盟と違って、青空救援隊は岷山県政府内で対策本部を設立し、政府が開設した救援対策本部の派遣を受けることになった。
青空救援隊のメンバーの一人は、記者にこう語った。現在、青空救援隊は全部で9チームを持ち、そのうち59名が岷山県で活動している。いままで、梅川鎮や蒲麻郷や禾駄郷などの7つの町村の20近くの村で救援活動を行った。数名のけが人を救い出し、無事に岷山県人民病院に搬送した。
広東省赤十字会を通じて、孤児を引き取る
岷山県梅川鎮で、記者は広東省赤十字会の企業家会員サービスチーム事務総長である李凱歌の御一行3名に偶然会った。23日朝、西安市に到着した後、彼らは車を借りて被災地の梅川鎮に来た。その夜、高山にある永新村の避難所に泊まり込んだ。李氏の話によると、それから数日、ずっと山村部で遭難者の遺族の慰問を行い、心のケアもした。全部で21世帯を訪問した。
「ある家族は、大人がすべて遭難して、3人の子どもが孤児となって残された。私がウェイボー(中国版Facebook)を通じて情報発信をしたところ、企業家の友達の一人がこの3人の孤児を引き取りたいと希望したのだ」。李氏はこう言った。
この3人の孤児は、梅川鎮永光村の褚氏が残した子どもで、彼らを引き取るのは、広東省東莞市の企業家だった。
広東省ライオンズクラブ・ゴルフサービスチーム議長の劉建兵氏は、記者にこう言った。彼が所属している団体は8人の救援隊を結成し、梅川鎮に駆けつけたのだが、緊急救援活動がすでに終わるところだった。そのため、遭難者の遺族への慰問と心のケア活動に切り替えて活動した。
執筆者 | |
執筆者所属 | |
翻訳と校正 | 翻訳:季新 校正:棚田由紀子 |
メディア |
Related Posts
This post is also available in: 簡体中国語