2013/07/04 by Tanada

廬山の“80后”校長 程潔:震災後、初めて授業再開した、そのストーリー

20130704-1程潔近影。資料写真

四川省廬山“4・20”マグニチュード7.0の強烈な地震から1か月余り過ぎたが、程さんは1度も家に帰っていない。5月21日、記者は程さんの“新居”――廬山県清仁郷清源中心小学校の一教室を訪問した。この教室は臨時の事務室であり、当直の宿舎と教師の食堂でもある。

“80后”で、29歳の程さんはこの山村小学校の校長である。先頃の震災救援活動で、清源中心小学校は廬山県のすべての農村小学校の中で、一番初めに授業の再開を実現し、全国の人を喜ばせ安心させた。

授業再開は活力の連鎖を生む

 地震が襲った時は、ちょうど週末の早朝。「大変だ、地震だ!学校の校舎はどうなった?」と、程さんは余震を顧みず、オートバイに乗って学校へ急いだ。

地震発生当日、廬山の情報は十分ではなく、程さんはお知らせ、メール、訪問など色々な方法で学校の教師と連携し、彼らを出来るだけ早く家庭訪問させ、子供たちの安否や家庭の被災状況を調べさせ、機を逃さずに子供たちの家庭が落ち着けるようなケアを行った。

4月22日昼、清源中心小学校は企業寄贈の7戸の仮設住宅を得た。

「授業を再開するぞ!」程さんの一声。清源中心小学校には中心校1校と廬渓、大同の2つの村に分校があり、授業再開場所は児童の最も多い廬渓村小学校を選んだ。

しかし、言うは易く行うは難し。授業再開は様々な事情が絡み合い、困難に次ぐ困難だった。参考資料はなく、程さんは教師たちと廃墟へ行き、レンガを削り、大川で砂を掘った。人手がないため、学校の42人の教師すべてが参加し、レンガを運び、溝を掘り、道を舗装し、建材を運び、仮設校舎を建てる……。

授業再開に必要なハード施設が基本的に完成したのは、4月23日の午後6時だった。その日の夜9時、全ての児童は通知を受け取った:24日午前9時から授業をします。

「授業再開だ!」人々は駆けまわって伝え合った。この日、廬渓の142人の児童の中で、重傷者と域外に避難している5人の児童以外は、全部が時間通りに登校し、山村にまた朗々と本を読む声が響いた。

程さんは「授業再開は活力の連鎖を生んでいる。実際、災難は想像したよりは怖くない。私たちの学校が子どもの面倒を見るので、父兄は震災救援活動と災害後の再建に存分に関わることが出来るのです!」という。この後、中心校と大同村小学校の2つの学習拠点も迅速に授業を再開した。

先生を固く団結させる

清源中心小学校は幾度の変遷をへて、学習拠点が増え、教師も増え、人員は多種多様な人員を擁するようになった。しかし、学校は設備面で劣り、3校は皆、大きくない教室棟が一棟あるのみで、児童は運動場がなく、教師はまともな職員室がない。色々な理由で、職務の任命、昇進の審査、勤務評定に関して学校が抱える問題は少なくなかった。

2011年4月15日、程さんは清源中心小学校の校長に任命された。それより前に、彼は条件が更に良い学校の副校長に任命されていた。

「一つの学校で、もし教師の心がバラバラだったら、誰が来て教えるのか?これは断じて許されない!」程さんの校長就任の最初の大仕事は、「教師を固く団結させること」であった。第一歩は、教師の訴えに耳を傾けること。週末、祝祭日になるごとに、程校長はいつも自腹を切って果物や日用品を買って村の小学校へ出かけ、教師たちと仕事のことや世間話をした。第2は、教師たちと一体になること。学校の教師たちが病気になると、彼はいつも最初に見舞いに行った。第3は、みんなから慕われること。それぞれの訴えを広く聞き取るという基礎を踏まえた上で、評定計画を検討し整えて、張り出し公表した。一つ一つ説明し、利益は第一線に対して重点的に配分した。

この「三つの歩み」を実施した結果、教師たちは仕事に対する情熱を完全に奮い起こした。去年、学校は廬山県教育評定で1等賞を得た。これは清源中心小学校の歴史では初めてのことだ。

山里の児童も美しい未来が必要だ

大学で、程校長は体育教育を専攻した。初めて清源中心小学校に着任した時、程校長は困ってしまった。「教室は小さく、運動場も小さい。何もかも小さい、手のひらサイズのところで、どんな体育の授業を始めることが出来るのか?」

後に、程校長は、卓球が場所を取らず、室内外問わずに出来、また学校の中でも多くの教師が卓球の達人であることに気付いた。「教師が児童に手本を見せる、別のではダメだ、私たちは卓球、このプロジェクトを完成させる!」去年、清源中心小学校は「廬山県卓球訓練基地」にランクされた。

しかし、ある問題が終始重くのしかかり、彼は息抜きをすることが出来なかった。それは、条件が限られているため、清源中心小学校の児童数は毎年減っており、暮らし向きが少しばかり良い家は子どもを県城(訳注:県人民政府が置かれている町)の学校へ送り出すことだ。程校長は村の小学校でも体育やコンピューター、英語などの授業を始められることをどれほど望んでいるか……しかし彼は分かっている、現在八方手をつくして自分たちの学校を良くしようとしていることを。色々と走り回り、彼はついに学校近くの遊休地を手に入れた。

「私は、いつの日か、山里の子供たちも都市の子供たちのように、綺麗な広い教室で、毎日それぞれの個性を生かして元気いっぱいに過ごせるようになることを望んでいる。山里の子供も美しい未来が必要だ」。

教師の自述

 心あれば 夢即ち存在する

私は程潔といい、四川省廬山県清仁郷の清源中心小学校校長です。2006年に大学を卒業した後、恩に感じる心を抱き、故郷に尽力する夢を持って、私を育てた土地――廬山に帰り、光栄ある教師となりました。

2011年4月、私は清源中心小学校校長に任ぜられました。学校運営の条件は悪く、教師は落ち着きを失っているという特殊な状況に直面し、たちまち自分の責任の重さと、大きなストレスを感じました。若い私が位置をただし、難局を乗り越えなければならないのを、深く感じました。問題を出来るだけ早く解決するために、私と教師たちは苦楽を共にし、心中を打ち明け突っ込んだ話をし、資料等を収集して原因を調べ、衆知を集め有益な意見を広く吸収し、ついには問題をひとつひとつ解消し、学校を優良な発展の軌道に乗せました。

今年4月20日、廬山県でマグニチュード7.0の強烈な地震が発生し、忽ちのうちに家屋は倒壊し、山は崩れました。災難に直面し、私と全校の教師は一緒に廃墟を掃除し、仮設校舎を建て、震災後4日で最初の学習拠点を回復させ、通常授業を実現しました。私は児童たちが学校にまた帰り、廬渓村小学校の竹竿に翻る五星紅旗を見た時、涙があふれるのを禁じ得ませんでした。

廬渓村小学校での授業再開は、清源中心小学校の全般的な震災救援活動の第一歩です。あと二つの学校で出来るだけ早く授業を再開するために、私と同僚たちは校内の危険を排除し、施設を完成させました。16日の努力を経て、3つの学校で全部の授業再開を実現し、校内では朗々と読書する声が響きました。児童たちは落ち着き、被災区の家庭も平静に戻り、村全体が震災救援活動と災害後の再建にさらに多くの力を注ぐことが出来るようになりました。

清源中心小学校の授業再開は、教師全体の共同努力であり、更には全国の人たちの支持の結果です。その間、すべての教師が損得を考えず、前に突き進み、自発的に震災救援活動に加わりました。彼らは学校で寝泊まりし、年中無休で児童を落ち着かせ、授業をしっかりとし、被災区の生産や生活の秩序の回復と人々の心の安定に対して重要な働きをしました。

危機に見舞われて初めて、その人の高潔さや品位が現れるものです。危難を経て、更に民族の団結力を具体的に表せます。地震の後、多くの仁愛あふれる人々と団体が被災区に無私の援助を与え、私の所属する学校には毎日多くの人がやって来て、寄付について連絡してきます。彼らの支持を得て、清源中心小学校は地震後更に美しく、設備面でもより完備されるでしょう。

都市と農村での教育が隔てなく発展し、山村の子供も良好な教育を受けるのが、一人一人の教育従事者の夢です。国家の支持、人々の支持があれば、私と清源中心小学校のすべての教師と児童の夢はきっと実現できます。

略歴

程潔、1984年生、2006年に綿陽師範学院(体育教育専攻)を卒業。2006年、廬山県は3年で100人の優秀な大学生を導入する計画を立案し、程さんは廬山県の体育教師に任ぜられた。2009年、廬山県の9年一貫制の学校、昇隆中心校の副校長に就任。2011年4月、清源中心小学校長に就任。

周りの評価

 舒黎(程潔の妻、芦山県人民医院薬剤師):周囲の友人の眼には、程潔は一人の頼れる、真面目で、正直な人と写っています。家では、家人の世話をし、家事が非常に多い時は決まって彼がしています。ただ仕事となると、家は二の次になり、学校で何かあれば、何時であろうと、家のことが重要であろうとなかろうと、放り出して出かけます。

周衛東(教師、清源中心校で20年教鞭をとっている):程校長は仕事に非常に有能で、大胆に考え大胆に行います。特に今回は私たちを引っ張って、地震被災区の学校の授業再開を真っ先に実現しました。私は本当に心を打たれ、校長に敬服しています。地震後この1か月、校長は一度も家に帰っていません。学校設備を緊急に修繕したり、仮設校舎を建てたり、校長はいつも最前線で闘っています。危険な塀で足を傷つけられても、苦しい、疲れたと不平を言ったことがありません。これらが私たちを深く感動させました。

謝海雨(清源中心校6年の児童):程先生の体育の授業は一番楽しいです!授業の終わりのベルが鳴るごとに、同級生たちはまるで喜ぶ小鳥のように教室を飛び出し、運動場に向かいます。程先生がたくさんの先生に私たちの卓球のコーチになるよう頼んでくださったおかげで、私たちの学校の卓球レベルは全県で最高です!毎年行われる全県小学校卓球大会の優勝チームはいつも僕たちの学校です。程先生は、山里の子どもは都市の子どもと比べても、決して劣っておらず、努力しさえすれば僕たちも優勝できると、いつも励ましてくださいます。

執筆者
執筆者所属 出典: 腾讯公益    発行人:光明日报
翻訳と校正 翻訳:岡田由一 校正:棚田由紀子
メディア NGO発展交流網http://www.ngocn.net/?action-viewnews-itemid-87310

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