2012/11/29 by Matsue

去り逝く人に暖かい抱擁を

北京松堂ホスピス医院は、中国では数少ない仏堂のある病院で、さらには中国で初めてのホスピス病院だ。ここでは、病院に来る患者一人ひとりが、安らぎを得られるように力を尽くしている。

筆者は、友人が企画した北京の都市建設の変遷に関する書籍のために資料を調べている際、門トン(土へんに敦)(訳注: 門の敷居・柱・扉を支える石の建築部材。家の格式や職業により様々な装飾が施されている)を収蔵している李松堂氏について知り、李氏が北京松堂ホスピス医院の創始者でもあることが分かった。李氏は、 筆者のインタビューを受けた際、門トンの収蔵も民俗文化に安住の地を提供する意味があると語ってくれた。

松堂医院のホスピスに対する考え方は、他の病院とは異なる。松堂医院は、患者が心残りないようにすることを原則としている。ホスピスケアの各病室の壁には、可愛い子供の写真が掛けられ、次のような言葉が添えられている。「貴方は魂は不死だと思いますか?私達が貴方の思考を邪魔することは決してありません」。松堂医院では、死をことのほか恐れる人に対し、死を語ることを忌み嫌わず、死の可能性についてはっきりと伝えれば、恐怖を心に抱いて一人孤独に死に向かうことを回避できると考えている。

松堂医院の和やかな雰囲気をつくりだしているのは、院長で創始者の李氏だ。李院長は、中華人民共和国の建国年に生まれ、幼い時に父方の祖母の影響を受けたため、早くから仏教を信じるようになった。宗教への帰依は、李院長のホスピス事業に、ゆるぎない信念をもたらしている。一人でも多くの臨終を迎える人を助け、寄り添うことは、「上山下郷」(訳注: 文化大革命中に都市部の青年層を地方の農村へ送り、肉体労働と思想改造を行った政策)時代に李氏が自分がなすべき事と決意した事業だ。

信仰の力は、李院長を粘り強くさせた。医院が設立された当初、ホスピス用のベッドを提供することはお金にならず、共同経営者から排除され、その後大家から契約を破棄されたり、同僚から恨み言を言われたり、友人から理解を得られない等の困難に遭遇した。

松堂医院は、設立後に7回も引越ししており、最初の6回は、経済的な理由や、観念的な理由に起因する否応なしの移転だった。ある時は、引越し先の住民らが病院では人が頻繁に死ぬことを忌み嫌い、引越し用の運搬車両が門に入ることを阻止したため、患者は路上で行き場がなくなって困ったことがあった。この時松堂医院は、支払いの延期や高い利息でお金を借りることで、患者らに臨時の住まいを提供するほかなかった。医院は、2003年の7回目の引越しによってやっと落ち着くことができたのだ。

李院長は、7回目の引越しについて次のように語った。「あの引越しは、以前とは違いました。また引越ししなければならないと分かると、多くのボランティアが電話をくれたり医院を訪れたりして、ぜひ引越しの手伝いをしたいと申し出てくれました。引越しの当日、100台近い車両が一度に北京を横断したのですが、路上の交通警官も秩序の維持に当たってくれ、とても良かったです。今後はもう引越ししなくてもすむでしょう」

松堂医院と宗教の関係については、李院長は次のように説明する。「病院はあくまでも病院であり、患者や従業員に対し宣教はしません。私達の願いは、命の最期の段階においてほぼ全てのニーズが満たされ、患者の誰もが心残りなく去り行くようにすることです。そのためには、患者の信仰を尊重し、便宜をはかる必要があります。まもなく訪れる死と向かい合うとき、心は穏やかではありません。まもなくこの世を離れていく魂を慰め、命の最期を静かに落ち着いて、安らいだ状態で過ごし、心のケアをすることが、ホスピスにおいて重きを置くべきことだと思います」

李院長はまた次のように話してくれた。初期の頃病院に住んでいた仏教徒らが、人生の最期にあたりお経を読んでもらいたいと願っていた。李院長は同じ仏教徒として彼らの気持ちがよく分かったため、同僚と相談し、患者の信仰習慣を尊重することを決定し、彼らの要請に応じた。その後経営状況が少し改善されると、お経を読むための御堂を医院内につくり、さらに阿彌陀佛像を祭る「無量寿亭」を設けた。松堂医院は、次第に独自のホスピス文化を形成していったのだ。

松堂医院の朱林副院長は、医院の業務以外に、ボランティア団体とのコミュニケーションに忙しい。松堂医院はボランティアを非常に歓迎しており、ボランティア希望者は、簡単な登録か事前連絡をすれば、様々な便宜を受けることができる。唯一の要求事項は、患者らの治療と快適を確保するということだ。医院に来るボランティアは、仏教徒以外にも、キリスト教徒やその他の暖かい心を持つ人々で、大学生や小中高の学生も多い。また付近に住む若者も、自ら組織してボランティアに来ている。

松堂医院で治療を受ける患者には、高齢者だけでなく、様々な理由で命の終わりを迎えようとしている青年や壮年もいる。また、医院で引き取った捨て子もいる。そうした患者らの多くは年齢に関わらず医院に長く留まることはない。ホスピス病院の従業員は、命を見送るという心理的なストレスに毎日直面しているのだ。

李院長が著した書籍「毎日死を抱いて」の中で、院長は次のように書いている。「臨終を迎える者に最期の抱擁をし、これは終わりではなく新しい始まりであり、彼らにとって最善の選択だということを伝えるのです」

松堂医院では、臨終を迎える人に対してケアが必要なのは、拠り所がないからではなく、一人ひとりの人生が一冊の本のようにストーリー豊かで多彩であり、躍動的で興味深いものだと確信しているからだ。患者らは、松堂医院という臨時の家族の一員として、自分が人生で得たものを分かち合い、命あるものとしての責任を担い、そして最期に生命の昇華に到達する。命のどの段階も色彩豊かで鮮やかなものだ。相手に心から温かい抱擁をし、去り行く人は生者に生き生きとしたストーリーを残し、生者は去り行く人に温かい愛の心を与える。

抱擁によって、死は、欠ける所なく満たされるのだ。

 

筆者: 

出典: 社会創業家 2012年6月

http://www.npi.org.cn/uploads/magazines/npo/2_1006_194524.pdf

転載に当たって、短く編集しています。

編集: 李君暉

 

翻訳:A.K

校正:松江直子

翻訳者及び校正者の所属:日中市民社会ネットワーク

 

 

 

 

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