2012/10/31 by Tanada

四川大地震ボランティアの成長記録(上):心の重荷に抵抗し、退かない

結婚写真がソファーのうえに倒れ掛かっている。この若く美しい夫婦は、災害に遭い肖像だけを残した

5月8日、クラスメートと一緒にメンタルヘルスの補習授業をしている、北川永昌小学校のボランティア王藺

北川老県城の廃墟の上には、至る所でたくましく育つ植物が見られる

写真およびキャプション: 楊抒懐

 

中国科学院心理研究所の北川メンタルサポートステーション-ここは、四川の被災地の中ではやや特殊な公益だ。すなわち、半官半民の性質を持っているのだ。

それでも、彼らも他の公益組織と同じく、経費の問題でボランティアや専門スタッフが減りつつあるという状況に直面している。

4年前から今まで、このセンターはずっと北川を見守り、北川の住民の変化とともに変わってきた。彼らは、北川初のすさまじい悲しみの危機や、震災1周年に起こった幹部や住民の自殺ラッシュという危機を経験し、教師や生徒の情緒不安定、そして住民の情緒が不安定な状態から徐々に安定化していくプロセスを目撃した。

「わー!」「わー!」「わー!」

5月9日午後、四川省北川新県城永昌小学校3年1組の教室で、パワーポイントが優れた絵画を1枚1枚映し出すにつれて、生徒たちは、次第に高い声をあげて感嘆の声を漏らした。

これは、中国科学院心理研究所と江蘇遠東慈善基金会が共同で実施したメンタルヘルスサービスセンター(すなわち、もとの中国科学院心理研究所・北川メンタルサポートステーション)のボランティア、王藺が実施した、あるメンタルヘルスの授業である。

かつて2,000人近くのボランティアを相次いで受け入れたこの公益組織には、現在、5人の専業スタッフしか残っていない。計画では、彼らはあと1年間、北川でがんばることになっている。

 

残ったボランティアはたったの5人

5月9日午後、永昌小学校3年1組で、王藺は週1回のメンタルヘルスの授業を始めた。

王は、北川ステーションでがんばってきたボランティアの1人だ。彼女は、西南科技大学の大学4年生で、主に永昌小学校3年1組のメンタルヘルスの授業を受け持っている。

現在、北川ステーションには5名の専業ボランティアしか残っていない。

北川ステーション副ステーション長の傅春勝が言うには、メンタルサポートをするには一定の素質がいるため、彼らは多くの素質あるボランティアにお願いをしたのだが、結局次々と帰郷してしまった。「経費がないのですから、専門ボランティアサービスが長く続くはずがありませんよ」。この5名のボランティアは、以前は業務経験がなかった。しかし、彼らと周りの専門ボランティアは、期日の前にやってきてサービスを提供した。

王藺は、主に絵本やゲーム、絵画、映像などのオープンな授業方法をとることで、生徒たちが精神を集中して授業を聞くことができるようにして交流を促進している。

今回彼女が流したのは、台湾の両腕を失くした画家・謝坤山の奮起のストーリーだ。映像を流している間、王は「彼はどのように問題を解決したのかな」、「彼は歯を磨いたり顔を洗ったりするとき、どうして他の人に頼らないのかな」「彼はどのように石鹸を使うのか、みんなで見てみよう」などとタイミングよく質問を投げかけることがある。

「こういった授業は、生徒の緊張した気持ちをリラックスさせ、交流にどんどん参加してもらえるようにできるのです」王藺は言う。生徒の中には内向的な性格で、クラスメートと口げんかをすると、壁に頭を打ちつけてしまうような神経質な動きを見せてしてしまう子もいた。しかし現在は、こうした極端な行動をすることはとても少ない。

クラス担任の魏先生は、この方法を比較的許容している。「この形式の授業は、生徒はとても喜びます。参加できる度合いが高いので、特に内向的な性格、注意散漫な生徒も参加できるのです」。

彼女は聞きながらメモをとるが、自分で授業を行うこともある。「ただ、主に絵本を読むだけで、他の方法はあまりうまくできません」。

計画では、来年4月に北川ステーションが撤退する際、トレーニングを受けている各学校の専門教員がバトンを受け継ぎ、生徒のメンタルトレーニングの責任を負うことになる。中国科学院心理研究所は、これらのケースについて追跡調査することになるだろうと表明している。

 

官による初めての試み

中国で過去に発生した災害では、メンタルサポートという言い方はされたことがない。四川大地震の後、政府の研究機関から民間まで、みなが実地の試みを始めるようになった。

2008年6月2日、中国科学院心理研究所は、綿陽メンタルサポートステーション(7月に北川ステーションと改名)を設立したほか、徳陽などの地域にもステーションを設置した。

中国科学院心理研究所・危機介入センターの副主任で、北川メンタルサポートステーションのステーション長である史占彪の紹介によれば、学校は彼らの業務のなかでも特に重点エリアだという。学生は影響が比較的深刻なグループで、多くの学生が授業中に集中できない。両手でぎゅっと机をつかんでいることもあり、ひとたび余震が起こると、何も顧みることなく教室から飛び出ていく。また、生徒によっては夢遊病のような状態にある子もいるという。

ボランティアは、グループ活動によって、まず彼らにリラックスしてもらう。当時、西南科技大学から来た学生ボランティアの李暁景も、彼が北川中学校にいた際、ステーションは、生徒たちに写真撮影や絵画、音楽などをやってもらう方法を通じて、生徒にできるだけ参画してもらうようにしていたと言う。

当時学校は閉鎖的であった。どうしようもなかったとは言え、閉鎖的な環境は学生にとって全く良いものではなかった。2009年の「5.12」一周忌供養の際、多くの生徒がみな北川に戻り供養をしたいと考えたが、生徒の安全のため、学校は校外に出ないように要求をしたため、生徒たちは一転して落ち着かない気持ちになった。ボランティアはすぐにグループに分かれて供養をした。学校の机のうえでロウソクを灯して雰囲気作りをし、彼らが家族やクラスメートの供養をしたいという切実な思いをスムーズに表現できるようにした。

傅春勝は、教師にも同じく深刻な問題があるという。ある教師が彼にこう言ったという。「自分の状態が木偶の坊同様だと分かってはいるんですが、どうしようもないんです。休むこともできません。家にいるともっと辛く苦しいからです」。

かつて北川ステーションで仕事をしたことがある心理カウンセラーの熊海の紹介によれば、教師に表れる問題のなかで最も突出しているのが不眠だ。「授業中に突然頭がショートして真っ白になってしまうか、生徒にひどく怒ってしまうか、常に2種類どちらかの状況にあるのです」。

心理研究所は、八一テント学校と九洲仮設住宅学校、中国科学院青年希望学校など6カ所の被害の大きかった被災地の学校にそれぞれ心理カウンセラー室を設けるとともに、北川の全学校長や教師に向け、メンタルトレーニングや心の旅といった一連の活動を展開している。

震災1周年を迎えたとき、北川で、董玉飛や馮翔を含む多数の幹部や市民の自殺が発生し、にわかに緊張した雰囲気になったが、公務員や学校に対するメンタルサポートは迅速に強化された。ただ、公務員のメンタルサポートは非常に困難なものであった。「彼らは多忙で時間がない一方で、あまり自分の内心を打ち明けようとしません」そう熊海は言う。しかし、メンタルサポートを行う団体の協力のもと、現地政府は幹部に休暇を取らせてメンタルヘルスの授業に出席させるなどの方法で、こうした極端な状態を概ね改善することができた。

 

心理カウンセラーの精神病

「苦しいことこの上なかった」史占彪は、震災後の仕事をこのように評価している。

仕事がハード過ぎることに加え、あまりに多くの苦しみに直面したため、心理カウンセラーたち自身にも、強烈なマイナスの感情が蓄積していった。

龍迪博士は、中国科学院心理研究所副研究員、メンタルサポートアクション北川中学校ワーキングステーションのステーション長だ。彼女は2008年6月に北川中学校でサービスをはじめたが、仕事の量がとても多かった。2009年5月には、香港青年発展基金会から2人の心理専門家がやって来て、龍迪にスーパーバイジング(カウンセラーに対するカウンセリング)をしたところ、龍迪は長い間泣いたのだった。

「龍迪のマイナスの情緒は今でも大きいですね」傅春勝はそう言った。彼女とこの件については話すことができない。話そうとすると感情が高ぶってしてしまうのだ。

震災後、多くの被災地でボランティアに参加し、その後北川ステーションに加わった長沙心理カウンセラーの張玲は、被災地で1年間働いた後、自腹で成都に行き、トラウマ治療のトレーニングに参加せざるを得なくなった。成都のあるカウンセラーが、彼女に4日間の治療をまた施した。「あれほど深刻な悩みや疚しさがあるとは、自分では思いもよりませんでした。ヒーリングミュージックを聞いたとき、心の中で呼吸が荒くなり、数人に押さえつけてもらわないとダメなほどでした」。

同様の事態が、ほかの被災地のボランティアにも起こっている。なかには被災地を離れる際に心理的に憂鬱になるボランティアもいる。

震災発生から2年後、教員や生徒のメンタルクライシスはまだ存在していた。

2010年1月4日早朝、北川中学校で殺人事件が起こった。ある生徒がほかの生徒を殺してしまったのだ。自習した後に彼が白状した動機は「人を殺せば学校に行かなくてよくなると思ったから」というものだった。

この事件を通じてメンタルサポート隊が知ったのは、(人々は)一見平静に見えても、その背後には依然として激しい心の波があるということだ。

仮設住宅区では、多くの北川の人々の子どもの保護は、人々があっけにとられてものも言えないようなレベルに達している。例えば、2人の子どもが殴り合いのケンカを始めると、すぐに親同士のケンカに発展し、最終的には110番をして警察に解決をしてもらうことが一般的だ。

に続く)

 

出典: 潇湘晨报 ”汶川志愿者成长记录:对抗心结 对抗退却”

http://www.xxcb.cn/show.asp?id=1171728

 

翻訳:三浦祐介

校正:棚田由紀子

翻訳者及び校正者の所属:日中市民社会ネットワーク

 

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