2012/10/31 by Tanada

愛馨養老(上) ~草の根の高齢者サービス団体が歩んできた、思いやりの心の模索

管理面の転換の必要性から、会社には、まだ非常に多くの正常化してない点があるけれども、嬉しい話もある。愛馨養老のビジネスモデルの、「都市総合体+コミュニティ情報センター+地方にある休日用の高齢者サービス拠点」の三者が、影響しあい支えあってよい結果をもたらしているということが、既にますますはっきりとしていることだ。

鄭州の愛馨養老グループの豆雨霞会長が高齢者サービス業界に進出したのは全くの偶然だった。非常に低い位置からのスタートで、苦難に満ちていた。しかし十余年の頑張りと努力のすえ、愛馨養老グループは、河南地区を代表する専門の高齢者サービス組織となったのである。

 

思いがけないスタート

豆会長が1998年に準備し、翌年春オープンした養老マンションは、鄭州市で3番目の施設だったが、本当に意義のある養老院である。オープン当初、マンションはたった28床で、豆会長を入れて職員は3人。彼女は院長兼職員で、毎日お年寄りの世話や施設の掃除をしなければならなかった。しかし、1年でマンションは急速に成長し、投資額は100万元に上り、職員を30余人増やし、108人のお年寄りを世話するようになった。

彼女は感嘆してこう言った、「自分は運がいい、ちょうど国内初の一連の養老施設の誕生に間に合った。これから開拓していく分野だったので、いたるところにチャンスがあった」。2000年に国家が関係政策に乗り出し、社会的な資金を養老施設の建設に回すよう促していた。しかしこれらはすべて彼女が後に知ったことで、養老事業に進んだのは非常に偶然だったと言う。

豆会長は当時10万元で起業した。賃貸住宅を借りて簡単な改修を行っただけで、室内の家具でさえ備え付けの家具を簡単に改造しただけだった。彼女は笑いながら、現在もっとも一般的な養老マンションを開業しようとすると、少なくとも20万元程度はかかるという。

豆会長は高齢者サービス事業に進んだのだが、非常に多くの偶然的要素があったと言う。当初、事業をしようという何の意気込みもなく、ただ何かすることを探そうとしか考えていなかった。彼女は比較的低い位置からスタートした。農村から出てきてのち、何の特殊な技能もなかったが、最大の長所は勤労で、苦しみを恐れず、疲れることをいとわなかったことだ。

あるお年寄りの話をしよう。彼女は他の施設に居たのだが、性格がちょっと変わっていた。他のお年寄りと同居するのが嫌で、長く続かなかったのだが、豆会長の下では、彼女は非常におとなしかった。ある日非常に遅くなり、他の職員が皆帰ってしまい、豆会長が各部屋の掃除を始めた。彼女はベッドの端に坐り、豆会長を呼んでこう言った、「掃除はいいから。大丈夫。座ってお喋りしましょうよ」。

これに豆会長は非常に感動した。豆会長の実の父母は東北地方にいて、自分は原陽県の養父母の下で大きくなった。家では長女で一番上の子だったので、小さい時から責任を非常に重く感じていた。また愛情を十分に受けることが出来なかったのだが、お年寄りとの付き合う中で、豆会長はこの種の愛情を感じた。お年寄りから、彼女は誠実さや善良さを感じ、中には母親のように自分を気にかけていると感じるお年寄りもいた。老人の世話は非常に疲れる。特に、介護が必要な老人は、世話をし続けることができない同僚も多いが、豆会長にとってはあっという間の10余年だったという。こうした気持ちのもとになっているものが彼女を大きく支えているのである。

豆会長に会ったことがある人は、彼女が非常に素朴で素直、それでいてしっかりとしたお姉さんであることを知っている。養老マンションで、彼女は家の雰囲気、つまり“家庭のように切り盛りし、肉親のようにサービスする”という理念をずっと持ち続けている。老人を“おじいさん”“おばあさん”と呼び、職員に対しても同じように呼ばせた。「実際お年寄りは皆、非常に道理をわきまえています。お年寄りは世話をする人間が彼らの子供ではないことはもちろん分かっています。慎み深く、温和で、世話をする側が仲良く接すれば、同じように仲良く接し、皆が非常に打ち解けているのです」。

 

養老プロジェクトの新たなスタート

愛馨陽光城プロジェクトに着手する前に、豆会長は熱い思いだけで物事を処理しており、プロジェクト管理や原価計算、資本需要など種々の概念について何も知らなかった。

愛馨陽光城プロジェクトは、豆会長の事業の新しい出発点であり、愛馨養老グループが質的に飛躍するチャンスでもあった。それまでの養老院の入居者は介護が必要な老人だったのだが、その後毎年、お年寄りの少人数のグループ活動を計画する度に、社会の経済条件の変化に伴って、多くの健康なお年寄りからの高齢者向けサービスの需要も、時運に応じて現れることに気づいた。「それまでの民間の養老施設は超満員でした。ハード面はどちらかというと粗末で、基本的にはお年寄りの食事と住居の要求を満たすだけでした。だから新しい条件の下では、お年寄りはもう簡単な世話では満足せず、プライベートが充実した家庭のような高齢者サービスを求めています。愛馨陽光城プロジェクトはこのようにして出てきたのです。」と彼女は言う。

愛馨陽光城プロジェクトを行うには土地を必要だが、土地を入手するにはお金が必要だ。ここ数年の不動産バブルのせいで、土地購入コストは非常に高い。豆会長の高齢者サービス事業の利潤は“カミソリの刃のように薄く”、彼女にはお金がない。そこで、彼女は各種のルートを通じて、政府の支援で、ほどよい立地で地価が高くない土地を探していることを訴えた。

鄭州市政府も、これに対して特別に計らった。非常に重視して、相次いで会議を開き、プロジェクトの用地問題を集中的に解決した。認知度が異なるため、豆会長のプロジェクトと不動産開発は一緒ではないかと会議で質問する人もいた。自分が長年苦労して頑張ったことを思い出すあまり、状況を報告する時、彼女は泣きながら自分の苦難に満ちた創業の経歴を訴えた。また、質問について説明し、賛同を得るよう望んだ。ついに彼女の真心が当時の市委や市政府の指導者たちを動かし、鄭州市の南三環近くの、長江路と連雲路が交差する場所が分け与えられ、愛馨陽光城プロジェクト用に提供されることになった。

愛馨陽光都市の第一期用地の69ムー(約4.6ヘクタール)は、一部の農民に対する用地の補償支払いを除き、国家の土地振り分けの優遇政策を受け、巨額の土地譲渡金を払う必要がなかった。また他にも、関連費用の半分が優遇され、営業税は全て免除されるなどの政策の恩恵も受けた。

豆会長は大いに力を発揮する機会を得、彼女は住宅式の養老マンション建設のほか、病院やシルバー大学、銀鈴シアター、銀鈴創意博物館などの一連の施設を計画し建設した。

「政府はもともと500ムー(約33ヘクタール)の土地を我々に割り当てましたが、いろいろな原因で、最後残ったのは69ムーの一期工事分でした。しかし政府の支援は変わらず、別の約200ムーの土地を補償与える旨を承諾しています」。さらに多くの土地を所有してからは、豆会長はますます大きな手腕をふるうこととなる。

につづく)

 

出典: 中国発展簡報 NGO新聞報道 ”爱馨养老 草根养老机构的爱心探索”

http://www.cdb.org.cn/newsview.php?id=5514

 

翻訳:岡田由一

校正:棚田由紀子

翻訳者及び校正者の所属:日中市民社会ネットワーク

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