2012/09/28 by Tanada

【佐々木豊志】中国の週刊誌『湖湘地理』掲載のLEAD&Beyond訪日研修報告シリーズ(5)

E04-05 自然学校

自然学校とRQ市民災害救援センター

自然学校は自然教育に携わるNGO団体であり、一般の人々に野外教育と自然活動体験の場を提供している。

“Whole earth自然学校”は日本で最も早く、1982年に設立された。そして30年来、時代の変遷に伴い絶えず新しい試みを続けている。初期の自然体験活動、自然環境の調査研究の発展を基に、日本の自然教育における人材の育成、災害救援活動の積極的な展開、地方振興等の分野で徐々に発展を遂げていった。現在日本の自然学校は3000カ所以上に上る。

2011年3月17日、全国自然学校のネットワークを基礎にRQ市民災害救援センターが設立された。RQはrescue、即ち救援の意味である。これはボランティア団体であり、内部で働くボランティアの多くは自然学校のメンバーである。

日本のくりこま高原自然学校 ―美しい自然、孤立した状況で未知の生活を学ぶ―

講演:佐々木 豊志  通訳:朱恵雯  編集:劉濤海

栗駒山全景(資料)

写真:栗駒山全景(資料)

2008年6月14日8時43分、中国四川汶川地震(四川省大地震)の一か月後、日本の東北地方でマグニチュード7.2の地震が発生した。この時の地震の形態と構造的要因は汶川大地震と相似し、その放出エネルギーと6,000人余りの死者を出したのは、1996年の阪神大地震に匹敵し、“平成20年岩手・宮城内陸地震”と名付けられた。当時東北地方にあった自然学校は多大な損害を受けたが、その年の夏、同校の子ども達は予定されていた北上川の漂流活動を実施した。出発前、自然学校の先生は子ども達に“我々は地震に負けてはならない”と告げた。

美しいくりこま自然学校の訓練で、冬は雪の塊で雪の家を造り、子ども達は二晩を過ごす

日本の東北地方とは本州北部の青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島の6県をいう。ここは大変美しい地方で、栗駒高原を源流とする北上川が流れている。栗駒国定公園(日本政府が指定、地方政府が管理する自然風致地区。国立公園に準ずる)は広大な森林を有し、ブナの原生林や数多くの高山植物が生育している。

自然学校はこの様な環境下に造られ、子ども達のために様々な野外教育活動を計画している。同地の降雪量は非常に多く、40時間前まで私はまだ栗駒山の大雪原の中にいた。我々は屋外で雪の塊を積み重ねて雪の家を作り、子ども達はそこで二晩過ごした。外の気温は最も寒い時は零下15度にもなる。昨年私は冬のキャンプでここに2週間過ごした。

東京などの他の地域では音楽祭を開催し、皆と一緒に大自然の中で鑑賞し、活動を通じて野外自然教育が出来る人材を養成する。

“耕英寮”もまた自然学校の特色の一つである。特別な事情で学校に行きたくない、或いは家に閉じこもり、社会と接触したくないという子どもたちの為に開設された。彼らは長期間山で暮らし、全く異なる環境に身を置く事で、ゆっくりと心の問題を解いてゆく事が出来るのである。

大人でも仕事にうんざりして、身も心も疲れきっている人達がいる。例えばある教師は学校で授業を行う気になれなくなってしまったので、我々は自然学校の山の中で暮らす事を薦めた。

自然学校では皆に農業労働を体験し、自給自足を学んでもらう。我々は自然学校の農業活動を推進しているものの、農業に通じている訳ではない。誰一人として専門家ではないが、農薬とか化学肥料を如何に使用するかという知識もないので使う事もしない。家禽や家畜、例えばニワトリや兎、ヤギや羊などを飼育し、ニワトリや卵はすべて自分たちで食べてしまう。

自然学校での生きる力の訓練、“問題なく楽しく生活しています”

日本の文科省は1996年、“生きる力”という言葉を掲げた。自然学校は子どもの教育に関して、彼らの生きる力を向上させる事を非常に重視・強化している。日本では地震が頻発しているが、それは日本人全ての生きる力を試しているかのように思える。2008年6月14日、“平成20年岩手宮城内陸地震”の発生時、栗駒山では山崩れが起きた。山は裂け、山の雪は地震によって起きた激流で押し流され、山の道が破壊され、代わりに現われたのは150m近い断崖であった。

自然学校は栗駒山の海抜600m付近の山の斜面にあり、当時学校にいたのは私を含む10人の職員と10名の学生だった。断水したが、私たちは水源を見つけた。停電したが、発電機がある。燃料も十分有る。停電後冷蔵庫は停まってしまったので、何人かで冷蔵庫の冷凍室のものから食べ始め、保存してあった鹿肉や熊肉等の食品は綺麗になくなった。20人はなすすべもなく山で過ごし、情報が一時閉ざされてしまったが、地震発生後の実感は無かった。ある同僚は山のふもとの妻の実家へ、“私たちは全く問題なく過ごしている。とっても楽しいです。”と、何とか手紙を届けたのだが、奥さんにひとしきり怒られてしまったのである。

後に、地区全体の全ての道が遮断されたと新聞で知った。数日後、私たちは自衛隊のヘリコプターに乗って下山し、その後も気力は十分であった。山のふもとの住民達は地震によって既に苛まされ疲労していた。私が思うに、この様な孤立した状況下での未知の生活はある種の冒険教育であった。

守られた環境から自発的に離れる方法を学ぶ。“30人のボランティアは農家と親戚関係を結び、山から400kgの苺を背負って運んだ”

自然学校はサポートを提供するだけの避難所ではない。災害発生時に、全く保護されてない環境から避難所に入ったというような人は皆安心できるのかもしれないが、一たび避難所を離れると予測のつかない事ばかりである。私たちはずっと監禁状態だった。

現状打破の為に、自主的に離れる、これは自然学校設立当初から我々が実行してきた理念である。やはり2008年6月14日の大地震の後、栗駒山から下山する途中、山ではまさに苺が豊作であるのを目の当たりにし、この苺を何とかして救おうと思った。私は移転した農家の人達にあの苺を何とかしようと言ったところ、彼らは皆“無理ですよ。”と笑った。然し冒険教育とはこういうもの、成功の確証は無くても挑戦しなくてはならない。

すぐさまテレビなどのメディアを通じて“苺を救おう!”という情報を流すと、多くの災害援助のボランティアが栗駒山のふもとに集まり待機した。しかし、政府はボランティアが山に入るのを許さなかった。10日後、政府は被災者が自衛隊のヘリコプターに乗り、片付けの為に一時帰宅するのを許可し、その座席は90席余りだった。然し被災者の多くは疲労がひどく、慌てて帰宅しなくても良いと言い、30席ほど空席が出た。ボランティア達は大喜びし、30人が政府に交渉に行った。政府は“ボランティアが苺の収穫を手伝う為に使ってはならない”が、“もし農家の親戚であれば、手に持てる範囲の量に限り、苺の収穫をしても良い”と表明した。30人のボランティア達は、即、農家の人達と義理の親戚関係を結び、山から400キロもの苺を背負って下りて来た。これらの苺はその後全て苺ジャムになった。

RQボランティア、子ども達の為に腰を屈めてガラスの破片を拾う

2011年3月17日、3.11大地震の6日後、RQ市民災害救援センターが正式に設立された。救援センターの被災地における統括部は宮城県登米市に置き、400トンの救援物資を同地に集めた。宮城県以北の100kmに及ぶ帯状の沿海地域の特に被害の大きかった地域には3万人余りのボランティアが入ったが、彼らの多くはかつて自然学校で学んだメンバーであった。彼らは物資の分配、被災者のケアを担当し、災害後に出てくる新しい問題の発見とその解決にあたった。

ボランティア達は登米で廃校になった小学校の体育館をボランティアセンターとし、ここで休憩し、会議を開き、各地から集まったボランティア達と毎日の活動を反省したり、問題を提出したり、解決したりして、徐々にボランティア活動のシステムを創り上げっていった。

地震発生の3日後、政府はやっと緊急救援隊を派遣した。これより先に自然学校のボランティア達は先陣を切って活動していた。我々がかつて漂流活動をした北上川の付近には小学校があったが、被災が激しく、全校108人の子ども達の中74人が死亡或いは行方不明となった。ボランティアこそが真っ先にここに駆けつけたのである。

同時にRQは各種の救援活動も組織した。例えば、緊急物質の搬送、津波で押し寄せられ厚く堆積した土砂の除去、海岸に打ち捨てられた漁業用具等の片付けである。校門まで水没したある小学校では、洪水が退いた後にボランティア達が、念青木ヶ原樹海での洞窟探検プロジェクト入りに割れたガラスの破片を拾った。この辺りで廃墟となった所は機械で片付けを行っていたが、子ども達が裸足で走りまわれるように、とボランティア達はひたすら腰を屈めて拾い続けた。

RQのボランティアはワークショップの形式で地域社会と密に連絡を取った。宮城県以北の被災地では、他県で就職や進学している若者達が地震発生後に帰郷し、故郷の為に尽力したいと思っても、どのようにすればよいかが判らなかった。RQはワークショップを開き、彼らの活動を支援し、彼らが故郷の将来について思索するサポートを行った。

 

写真右:3月14日、中国のメンバーが日本の自然学校に参加、青木ヶ原樹海の“洞窟樹海”プロジェクトを体験。左手前は日本側のユーモラスな専門家でガイドの直樹さん。(朱恵雯撮影)

 

佐々木豊志氏写真【オピニオン】佐々木豊志氏/くりこま高原自然学校校長

冒険とは何か?それは予測不可能な教育方法である

もし子供に“冒険って何?”と聞かれたら、あなたはどのように答えますか?

予測できる事は冒険ではなく、単なる驚きや緊張に過ぎないと、私は考える。冒険とは未知の出来事であり、予測不可能であり、不快不安、結果の保証のないもの、成功か失敗か予測不可能なものである。そしてこの様な冒険を如何に教育方法とするかが私の専門なのである。

自然学校には森の幼稚園があり、募集対象は2歳から6歳の子どもである。大脳の発育や様々な角度から見ると、4歳から6歳は非常に成長の早い時期であり、非常に良い年齢期でもある。ある人の見解だが、子どもは7歳になるまでは自主的にやるべき事を発見する天性が備わっているという。もし、子どもがする事を「これは危険だから」と妨げていたら、その子は次第に能力を失っていってしまう。森の幼稚園は子ども達に、いつでも自分の殻を破る事が出来るようにし、非常に柔軟性のある状態を維持-しているだけである。

冒険教育とは、柔軟性のある心の領域を持てる人、冒険とは他人に強制するものではなく、自主的自発的主体的に行うものである事を理解できる人、この様な人々になれる様に開発、鍛練を行うことである。もし失敗してすぐ放棄してしまうなら、それはただの失敗となるが、失敗した原因を探して改めれば失敗も改善できるのだ。私達はこの様な方法によって子ども達に自然教育と冒険の体験を与えているのである。

 

【ウォッチング】ホールアース(Whole Earth)自然学校

孫さんの写真孫姗(写真) 北京山水自然保護センター執行主任

夜空の星を観た事がない、焚火をした事がない、樹皮を触った事もない都会の子ども達

中国では自然教育の組織はまだ少なく、中国全土で数十カ所の自然学校があるのみだ。北京には4、5カ所あり、雲南大理、四川成都にも設立された。先進国では自然学校は割合に多く、成功例も多い。アメリカで20世紀初頭から始められたボーイスカウトのサバイバル教育は、子どもが4、5歳の時に野外に連れて行き、樹木や森林を理解させ、サバイバル訓練を行う。訓練時には男女でグループ分けをし、進級制度も採用されている。現在日本には自然学校が3,000カ所有り、自然学校同士のネットワークがあり、学校間で相互に連携している。

中国で同様に児童教育を専門にした自然学校は大変少なく、その多くは簡単な親子教育を行っているだけである。自然を理解するということは本や理論に基づくものではなく、身を以て体験するものである。現在の多くの都市部の子どもは夜空の星を見た事もなく、焚火をした事もなく、森で樹皮を触った事もない。これはある種の自然に対する理解の欠如である。現在の中国の自然教育は書物の中だけに止まり、正に30年前の日本と同じである。

解決方法としては日本に学ぶことも可能であるし、政府が学校の為にNGO組織のサービスを購入して学校内に自然教育のカリキュラムを創設し、基礎教育の施設を完備する事も出来る。児童の自然教育を当然のものとして形成する事ができるはずであるのに、今のところ、我々はこの一歩からはまだほど遠いのである。

中国が参考にすべきは“出色した団体の設立”

―朱恵雯 日中市民社会ネットワーク 事務局長―

自然学校の魅力はその核心が“体験”にある為、言葉で表すのは難しい。

中国でも多くの人達が自然学校の設立の試みを始めており、日本最初の自然学校のWhole Earthは彼らにとって参考となる点がたくさんある。その中から、もし一つだけを選択するのであれば、即ちそれは“出色した団体を設立すること”になるだろう。Whole Earthのメンバーの特色は、個性豊かでそれぞれが長所を持ち、自然、人、そして地元に対して豊かな愛情を持っているということにある。広瀬氏はかつてこう述べた。感動は伝えられるものだが、風景がどんなに美しくても、人を感動させるのはやはり人にある。用地を探し、施設を設置する以前に、我々が先に探さなくてはならないのは、波長の合う気の合う仲間なのだ、と。

 

出典:《湖湘地理》E04-05 自然学校

http://csnet.asia/wp-content/uploads/1fe7d4e592e0aa2c7f8248dd8459e7781.pdf

 

翻訳:西口友紀子

校正:棚田由紀子

翻訳者および校正者の所属:日中市民社会ネットワーク

 

 

 

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